叶さんの墓の周りを掃除しているその人を見て俺たちは思わず二人して声を上げる。
そこには予想もしなかった人物、煎餅屋の女主人がいたのだ。
「あら、こんにちは。以前お店に来てくれた方ですね?今日はどうしてここに?」
それはこちらが聞きたいと思いつつ、心臓を提供してくれた人の墓参りだと告げると驚いた顔で俺を見た。
「あの時のあの子なのね」
もしかしてこの人は……最後に付き添ったと言う叶さんの施設の人では?
話を聞くと確かにその人だった。
毎月、月命日にはここを訪れてお供えや掃除をしてくれているらしい。
「他に来てくれる人がいるなんて嬉しいです。あの子はずっとひとりぼっちだったから」
「叶さんはどんな子供でしたか?」
ずっと聞きたかった。
あの人はどんな風に生きてどんな風に育ったのか。
「生まれてすぐ施設の前に捨てられていたのを私が見つけて育てました。体が弱くて大きな子にいつもいじめられていて。それでも負けない強い子でしたよ。うまい仕返しを考えて、いじめっ子たちを酷い目に遭わせたり」
ふふっと笑うのは当時のことを思い出しているのだろう。
彼女の側で叶さんも一緒に笑っているかもしれない。
墓前には見覚えのある苺の飴が花と一緒に供えられている。
「それは……」
「ああ、これは施設にいた時に子どもたちに作っていた飴です。とりわけ叶がこの飴が大好きでした」
……そうだったのか
だから俺も好きだったんだな。
叶さんは記憶を失ってもこの飴が大好きでしたと、伝えられたらどれほどいいだろう。
もどかしい気持ちのまま、お参りを済ませた彼女に挨拶をして見送った。
「素敵な人だったな」
「そうだね。だから店は休みだったんだ。今日会わなかったら知らないままだったな」
「うん」
叶さんもきっと喜んでるだろう。
大好物の飴を貰ったこと以上に、叶さんを忘れずにずっと思っててくれた人がいたことに。
「そうだ、叶さん。今日は報告に来たんです」
俺たちは二人で墓石の前に並んで膝をつく。
「湯井沢と付き合うことになりました。背中を押してくれてありがとうございます。……じゃあ、湯井沢からも一言」
「えっ?ひとこと?……なんだか分からないけど僕を認めてくれてありがとうございます。
一緒に見た花火や作ってくれたご飯は一生忘れません」
「なんだそれ、卒業式の挨拶か?」
「いいんだよ」
ぷっとむくれて横を向く湯井沢。
俺はその手を自分の掌でそっと包んだ。
「叶さん幸せですか?」
ザワザワと揺れる木の枝から季節外れに咲いた小さな花が舞い落ちる。
まるで幸せだと応えるように。
「毎月会いに来るのでちゃんと仲良くしててくださいよ。愚痴を言いたくなったらまた出て来て下さい。ずっと待ってます」
「僕も待ってますよ」
顔を見合わせて笑った俺たちを叶さんは見てくれているだろうか。
東堂課長に借りた高級車は滑るように静かに高速を走った。
「なあ健斗」
「ん?」
「前に言ってた一緒に暮らそうってやつだけど」
「ああ、同居?ルームシェアの話な?」
「違う同棲だろ」
「えっ」
以前は自分で訂正したくせに。湯井沢の気まぐれ屋さんめ。
でも確かに一緒に暮らすと言う事実は変わらないのに同棲というと途端に生々しいイメージを思い浮かべてしまうな。
「同棲しよ?」
「えっ?!」
危ない。
思わず急ブレーキを踏んでしまうところだった。
「同棲してさ、たまには叶さんの思い出話とかしようよ」
「……まあ、それはいいな」
以前俺に一緒に暮らそうと言った人はもういない。
ちくりと胸が痛んだが見えないだけできっと見守ってくれているはずだ。
そんな思いを共有できる相手と、今度は一緒に暮らすのだ。
「健斗は細々したことは苦手だから僕が段取りを組むね」
「おう、任せる」
……そうは言ったが、俺は湯井沢の行動力を舐めていた。
「……早過ぎませんか?」
「なにが?」
何がって……
俺の引っ越しが、あの月命日の二日後に行われていることだよ。
……それもまさに今。
「流石に急だろ。俺のアパート違約金発生する時期なんだけど。いや、それより退居するなら最低でも一ヶ月前に知らせろって言われてたのに」
文句を言う俺に「善は急げって言うだろ?」としれっとしている湯井沢。
光の速さで勝手に引っ越し業者と契約して、あっという間にすべての手続きが完了済みだ。
「違約金は払っといた。月々返済してよ」
「えっと、ここの家賃はどのくらい入れたらいいのかな」
このタワーマンションで折半なんて言われても多分払えない気がするんだけど。
「ここ持ち家なんだ。だから家賃はかかってないからいらない」
「それはちょっと申し訳ないから、管理費くらいは負担させてくれ」
いらないと言われてもここは流石に譲れない。
「そう?じゃあお願いしようかな。修繕積立費と合わせて毎月五万だから半分こしよ」
五万!雑費だけで俺の住んでたアパートの家賃より高い!
さすがタワマン……
そうこうしてるうちに大した量のなかった荷物はあっという間に運び込まれ、引越し業者は帰っていった。
……それにしてもこの綺麗な空間にそぐわない質素な家具ばかりでなんだか恥ずかしい。
「二部屋空いてるから好きな方使って」
「そうは言われましても……」
及び腰になるくらいどちらも広い部屋なんだが。
「広さは同じだから僕の隣にする?」
「じゃあ、そうする」
俺は自分の荷物を次々と部屋に運び込んだ。
……それにしても部屋が広過ぎて落ち着かない。
「家具買い足す?」
「あーいや、別に困ってないからいいや」
「ベッドは?」
「今まで部屋が狭かったから布団なんだ」
「ここでも布団使うのか?フローリングだぞ」
「どうしようかな。あ、湯井沢のベッド大きかったよな」
「まあ、クイーンサイズだからね。マットレスもシモンズだし寝心地は良かっただろ?……え?まさか??」
「うん、一緒に寝るのもいいよな」
なんて。
そんな度胸も技量?も知識もないけど。
「ふざけんな!!」
こう見えて純情可憐な湯井沢には刺激が強かったようで、当分彼の部屋への立ち入りが禁止されてしまった。
……ほんとに湯井沢って可愛い。