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50話 恋だと知らないままに

「いえいえ最近運動不足なんでかえって助かります。湯井沢だってちょっとは動かないとな?」


「大きなお世話だよゴリラ」


あれ?いつもの綺麗目がなくてただの悪口なんだけど?


「……ちょっと、この並び精神的に良くないわ」


突然笹野さんがため息をつく。


「どうかしましたか」


歩道が広いこともあり、念の為に彼女を挟んで三人で歩いている。

……これになにか問題が?


「二人の恋路の邪魔してるみたいで心苦しいって言ってるの」


「「恋路?!」」


「……綺麗にハモったわね」


「笹野さん、何を勘違いしてるのか知りませんけど、僕と健斗がどうにかなるなんてこと絶対に!ありませんからね。腐女子たちに毒されすぎですよ」


湯井沢が珍しく早口で笹野に反論する。


「……毒されてないわよ。それにしても言い切ったわね」


「はい。そうだよな?健斗」


「あ、ああ……そりゃそうですよ笹野さん。湯井沢と付き合うとかありえないです」


なんともいえない顔で俺たちを見る笹野さん。


湯井沢の名誉のためにもここはちゃんと否定しなきゃ。

けれどあまりにはっきりと否定された事で俺の心は折れそうだ。


「……じゃあ笹野さんは僕と歩きましょう。健斗は後ろを気にしてて」


「……分かった」


「どうせなら前みたいに彼氏のふりしますか?」


湯井沢が笹野さんを見て微笑む。


「……黒歴史を掘り返さないで」


「あははは」


「ふふっ」


俺はそんな楽しそうな二人の後ろを着いて歩く。

……こんな俺こそまさに邪魔者だ。


湯井沢とうまくいくかもなんて、浮かれた夢を見てた自分を殴ってやりたい。









電車に乗り、二駅すぎたら会社の最寄駅だ。

社屋が見えてきた所で(今日は大丈夫そうだな)と思った俺の目の前に多田が現れた。



朝早くから本当にご苦労さんだな。



「お前ら、朝からなんで笹野さんと一緒なんだよ」


怒りで握り締めるその手には似つかわしくない花束が握られている。



「多田さん、昨日笹野さんに結婚はナシだと言われませんでしたか?」


「湯井沢には関係ないだろう!」


その怒鳴り声に、周りの人がチラチラと俺たちを見ている。

それに気付いた多田は、気まずそうに舌打ちをして足早にその場を後にした。


「やっぱり諦めてませんね」


湯井沢がため息をついた。


「……そうよね。警察に届けておいた方がいいわね。念の為に」


気丈な声に反してその眼差しには怯えが見えている。


「警察行くなら僕が付き添いますよ。証言もできますし」


「……いいの?」


知らない人が見たらまるで恋人同士の二人だ。

そんな彼らを見ている俺の中に焦燥感が生まれる。

それにこれがきっかけで本当に付き合うことになるかもしれないんだ。


湯井沢のためにはそれがいいんだろうけど。



「健斗」


「あ、なに?」


「頼みがある。出社する前に警察に行くから」


「そうだな、その方がいい。待ってろ今……」


俺は最寄りの警察署までのルートを探そうとスマホを手にした。


「だから部署の先輩に遅刻することだけ伝えておいてくれる?」


え?二人で行くってことか?


「どうかした?」


「あ、いや……」


「部長には俺から連絡入れとくな」


「分かった。……気をつけて」



遠ざかる二人の後ろ姿を見て、とても苦しい気持ちになった。


俺はこんなにも湯井沢を好きになってた。

いや、ずっと好きだったんだ。




それが恋だと知らないままに。





「あれ?一人?珍しいね」


社食でうどんをつついていた俺の隣に東堂課長が蕎麦の入った丼を持って座った。 


「湯井沢は遅刻です。笹野さんのストーカー問題で」


抑揚のない声でそう報告するが、目の端に笑ってる東堂課長が映り、更に落ち込む。


この人は何もかも分かってだんだろうなあ。


叶さんとは恋じゃなかったことも、自分でも気付かなかった湯井沢への気持ちも。


「お兄さんに愚痴りなよ。なんでも聞いてあげるよ。もちろん秘密厳守でねー」


ありがたい。

ありがたいんだけど。


まだ自分の中で目覚めたばかりの気持ちは恐ろしくて口に出来ない。

俺は笹野さんを憎らしいと思っているのだ。

あんなに困ってる人に対して。


そもそも今まで誰かを恨むなんて負の感情を持ったことがなかった。

自分が汚くなってしまったように思えて自己嫌悪しかない。


「笹野さんがらみ?なに?あの二人よりを戻したの?」


……そう言われて東堂課長のことも憎くて仕方なくなった。

なんだこれしんどいな。


「嘘だよ、ごめんね意地悪言って。でも溜め込まない方がいいよ。お兄さんが面白いとこに遊びに連れてってあげようか?」


「面白い所?カフェバーですか?」


「あはは、カフェバーは面白くないよ。ハプバーって知ってる?」


「ハプバー?」


「そうそうハプニングバー。色々なプレ……痛っ!」


突然呻き声を上げて悶絶している東堂課長の後ろに、湯井沢が立っていた。

走って来たのか、初秋にもかかわらず息を切らせじんわりと汗をかいている。


「ひろくん酷いよ、冗談だってば。健斗くんが落ち込んでたから盛り上げようとしただけだって」


東堂課長は殴られたであろう肩の辺りをさすりながら訴える。


……盛り上げる?楽しい場所なんだろうか。


「湯井沢、笹野さんは?」


「ちゃんと秘書部に送り届けた」


「そっか……」


大切にしてるんだな。


聞いておいて傷付くなんて、俺は一体どうしちゃったんだろう。


「湯井沢、ご飯早く食べないと時間なくなるぞ」


俺の言葉にハッとした彼は急いでキッキンカウンターに走る。

あの湯井沢が昼飯抜きなんてことになったら、夕方には餓死しているかもしれないもんな。


「……健斗くん」


「なんですか?」


東堂課長は、湯井沢に殴られた肩をまださすっている。よほど痛かったんだろうな。


「健斗くんが何考えてるのか俺は知らない。……人生経験がある分、予想はつくけど実際のところは分からないんだ」


「……はい」


「健斗くんも俺のことわからないだろ?」


「そうですね、ひとつも分からないです。特に東堂課長はあまり自分のこと話さないですもんね」


「はは、そうなんだよ」


「え?」


「分からないんだよ。どんなに考えても。だから考えるだけ無駄なんだよ」


「はあ」


何が言いたいんだろう。


「つまり、相手が口に出して自分に言った以外のことはすべて自分の想像や憶測だ。それで落ち込んだり嫌な気持ちになるの損じゃない?」


「……まあ確かに」


「当たって砕けろ。若者」


それだけ言うと、東堂課長は空の丼を持ってさっさと食堂を出て行ってしまった。






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