帰り際、立花刑事から袋に入った泥だらけの携帯を渡された。
「こちらお返しします。現場から出てきたんですが契約者を照会したら佐渡さんでしたので」
「ああ、ありがとうございます」
これは叶さんにあげた携帯だ……
俺は手が汚れるのも構わず、袋から出して電源を入れた。
画面が表示され、メッセージアプリも立ち上がるが、出てくるのは全部俺が送ったもの。
叶さんが打ったメッセージは一つも残ってなかった。
「どうしてあんなとこに埋まってたんですかね。機種自体は新しいのにすっかり錆びて復元に手間取りました」
「そうですか……」
分かっていた。
だって俺の携帯からも叶さんのメッセージはすべて消えていたから。
「それと、教えていただいた貸し倉庫なんですが」
「あ、はい」
「調べてみると鮫島晶馬は勤めていた製薬会社から薬を持ち出して横流ししていてようです。製薬会社も大事にしたくなかったらしく、警察に届け出はしてませんでした。今回も一応連絡は入れましたが何もするつもりはないそうです」
「そうですか。ありがとうございます」
もう十年も前の話だし、当の本人は死んでるんだから今更なんだろう。
「あの……レンタル倉庫のオーナーは元気にされてましたか?」
痩せて顔色の悪かった老人は今どうしているのだろう。あの人は叶さんが大事に思っていた数少ない人だから元気でいてほしい。
「オーナー?若い男性ですかね?」
「え?いえ、結構老人の」
「ああ、私が会ったのは息子さんですね。前オーナーは先日亡くなったそうです」
「……そうでしたか」
ケンゾーじいさんは分かっていたのかもしれない。
叶の正体も自分の死期も。
別れ際、「すぐ会える」と言って笑った爺さんの顔を思い出した。
「新しいオーナーは東京から戻って来たらしくて、建物を新しくするそうですよ。跡を継いで倉庫を再開するって言ってました。あ、すいません興味ないですよね」
あははと笑う立花刑事。
けれどその情報は俺にとっても、とても嬉しいものだった。
俺はもう一度、丁寧に立花刑事にお礼を伝えた。
皆と別れ、東堂課長に駅まで送ってもらった俺たちは、それぞれの家路に繋がる電車を待っていた。
「健斗」
「どうした?」
浮かない顔の湯井沢を見る。
「なんて言うか……ちょっと寄り道しないか?」
「……ごめん、腹減ってないんだ」
食欲はまったくない。ただやたらと疲れて立っているだけで精一杯だ。
「……俺のうちの方が近いから泊まってけよ」
「いや、もう帰るよ」
この疲労は肩の荷が降りたからだろうか。
「寂しくて一人になりたくないんだ。今夜は一緒にいて欲しい」
「……湯井沢?」
ああ、そうか。
こんならしくないセリフ、初めて聞いた。
俺を心配してくれてるんだ。
「……分かった」
湯井沢がほっとしたようにようやく笑顔を見せる。
俺たちは無言で湯井沢の家まで辿り着き、彼の匂いがする大きなベッドに倒れ込んで、抱き合うようにただ眠った。
朝日が眩しい。
どうやらカーテンも引かずに寝てしまったらしい。
俺は枕元の携帯で時間を確認した。
「え……九時?」
遅刻だ!!
サッと血の気が引いた。
慌てて飛び起きようとして、盛大にベッドから落ちてしまう。
「いったぁ……」
おかしい。
俺が寝てたのは布団のはず……
「……健斗うるさい」
「えっ?!」
……ああ、ここは湯井沢の家か。
そうか今日は日曜だ。良かった~。
「何騒いでんの」
湯井沢が目を擦りながら起き上がる。
……目の毒なので寝巻きのボタンは一番上まで止めて欲しい。
「あ、いや、遅刻すると思って、あはは。今日は日曜だよな」
「……うん」
ーーーーーーーーーーーー
俺は落ち着くために思い切り腕を伸ばして伸びをしてみた。
……あまり効果はなかったけど。
「……元気になった?」
「あ?ああ」
言われてみれば、確かに昨日より気持ちが落ち着いている気がする。
期せずして湯井沢を抱き込むように眠っていたからだろうか。
「……アニマルセラピー」
「なにが?」
「いや……」
湯井沢の柔らかい猫っ毛を見ながら呟くと、いつものように嫌な顔をされたので、平常時に戻ったようで俺は安心した。
「卵いくつ食べる?」
「え?一個?」
「はいよ」
テーブルに並んだ湯井沢が作ってくれた朝食。
……新婚みたいだな。
そんな愚にもつかないことを考える。
トーストに目玉焼き、ウインナー。
それにヨーグルトに牛乳とコーヒー。
一般的なメニューだが、量は一般的ではなかった。
「そのパン、一斤?」
「うん」
五枚切りなので全部で十枚か。
ヨーグルトは大きいパックを丸ごと一つ、牛乳も一本が一食分らしい。
「そんなに牛乳飲んだら腹壊すぞ」
「大丈夫」
「あ、もしかして背が低いの気にして……」
ちょっと揶揄おうと思っただけなのにすごい顔で無言の圧をかけられた。
「……ごめん」
「……」
朝から旺盛な食欲につられて俺も普段よりたくさん食べてしまったようでお腹が苦しくて動けない。
仕方なく活動を諦めて、フローリングに寝転び、ベランダから見える景色を眺めた。
「いつもながらいい部屋だな」
それもそのはず、一等地の高層マンションだ。
「まあ、父親名義だけどな」
「でも中学からここで一人で暮らしてたよな?」
「ああ」
中学生でタワマン一人暮らしなんて何のドラマだ。
けれど溜まり場になるのが嫌だという理由で彼はそれを人に話すことはなかった。
「すごいよ。中学から自立して食事も洗濯も全部一人でやってたんだから」
「まあ仕方ないよね。僕がいたら継母の機嫌が悪くなるからってこのマンションだけ宛てがわれて追い出されたようなもんだから」
そんなことをさらりと話す湯井沢は何でもないことのような顔をしている。
……そんなことに慣れてほしくない。
「寂しかったらいつでも呼べよ!俺はタワマンなんか一生住めないから大歓迎だ!」
わざと明るくいうと湯井沢は笑った。
「……じゃあ引っ越してくれば?父親名義って言ったって元は母親が僕に残してくれた物件だし」
「えっ?同棲?」
思わず口にした言葉に彼は唖然と俺を見る。
あ、やばい。冗談だったのか。
「……せめてルームシェアか同居って言えよ」
耳を赤くして目を逸らしながらそう言う彼に俺もつられて赤くなった。
「ほんと何言ってんだ馬鹿馬鹿しい」
食べ終わった皿を持ってキッチンに向かう後ろ姿に「もしかして希望があるのかも」と感じたのは俺の独りよがりではない気がした。