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42話 あの海へ

白骨化した遺体が運び出された後、現場検証が行われるということで俺と湯井沢は帰宅するよう促された。

この後、身元の特定をするそうだ。


そう教えてくれたのは立花と名乗った刑事で、東堂課長の知り合いらしい。

俺たちが面倒ごとに巻き込まれないよう配慮してくれたようだった。



叶さんの家から離れた俺たちは、大通りを無言で歩いた。


「……なんか変な感じだな」


湯井沢がぽつんと呟く。


「そうだな」


長い夢を見ていたような気もするし、あの家には今でも現実に叶さんが住んでるような気もする。


「仲良くなれそうだったのに」


「嫌いって言ってなかったか?」


揶揄うように湯井沢にそう言ったが、本当は二人はとても仲良くなれそうだと思ってた。



「なあ、健斗。最後に叶さんとどんな話したんだ?」


「どんなって……そうだな、後になってそういう事かって思うような話かな。それから……」



「それから?」


湯井沢を好きだと言った俺に、良いよと言ってくれた。

だが気持ちの整理がつかない今はまだそれを彼に伝えることはできない。


俺はまだ叶さんを忘れられないのだ。



「なんだよ内緒かよ」


ちょっと面白くなさそうな湯井沢だが、少し笑って「まあいいか」と言った。


「だって叶さんは健斗の一部なんだもんな」


「……そうだな」


叶さんと一緒にいて心地いいと感じたのも、好きだと思ったのも、心臓を通じて互いが互いの中に自分を見ていたからだ。


湯井沢を見るたびにドキドキと刻むリズムはそれとは全く違う。


この心臓はいま、確かに湯井沢に向かって跳ねている。


他の誰でもない。

俺の感情で。



「……なんだよ」


「別になんでもないよ」


笑う俺に湯井沢はいつもの嫌そうな顔をして半歩前を歩く。





……もう少しだけ待ってて欲しい。


ちゃんと自分の中で叶さんの事を消化できたら。 

その時はすべて話したいと思う。

俺の気持ちも全部。


まあ、お前はいつものように嫌な顔をするんだろうけど。


その光景が目に浮かぶようで、前を歩く湯井沢の背中を見て切ない気持ちを持て余した。










それからしばらくの間は何かにつけて叶さんのことを思い出し、気分が沈んだ。

そしてその度に胸に手を当てて、彼の存在を確認した。


こうして少しずつ彼と過ごした日々が思い出に変わり、今、彼の心臓と過ごす毎日に塗り変わっていくのだろう。

だから寂しく思う必要なんてないとはわかっているけど。



「健斗」


「なに?」


「遊びに行こう」


「……え?」


いつものように社内で書類仕事をしていると、突然湯井沢がそう言った。


「どこに?」


「どこでも。山でも海でも遊園地とか動物園でもいい。叶さんとは色々行ったんだろ?俺とは行けないなんて言わないよな?」


「そりゃ……」


社会人になってから互いの家で飲んだりはするけど、わざわざ休日に一緒に出かけることはなかったと思い出す。


「じゃあ早速どこにする?行楽シーズンだからあんまり混まないとこがいいな」


その言い方に叶さんを思い出し、ふと以前二人で行った場所が浮かんだ。


出会って三ヶ月の記念に行こうと約束したきり、実現することがなかったあの海だ。


「なあ、一緒に行って欲しいところがあるんだけどいいか?」


「どこ?」


「叶さんと行った海」


湯井沢はそれ以上聞かず、ただ頷いた。









「うわ!まじで穴場!」


流石に水遊びには少し肌寒い。

「今度は夏に泳ぎに来たい!」という湯井沢と、早くも次の約束をして砂浜で海を眺めた。


「なあ健斗、あの岩のあたりさ、もしかして貝とかあるんじゃないかな?」


「貝?」


「なんかこう、岩に張り付いてるやつ。あれ美味いらしいんだよな」


えっ……


「ちょっと見てくる」


「あっ、生のまま口に入れるなよ?!」


「分かってるよ!」


あっという間に小くなる湯井沢に呆れを通り越して笑ってしまった。


どんだけ食い意地張ってるんだよ。



目の前にはあの日より深い蒼。

風も冷たく、裸足になることもできない。


けれどこの海も叶さんに見せたかった。


「見てますよね?きっと」



いつものように胸に手を当てると、大きく一つ鼓動がした。



俺は目を閉じて深呼吸し、再び目を開ける。


慣れた気配に横を向くと……

そこに笑って俺を見ている叶さんがいた。


「久しぶりだね」


「なんとなく会えると思ってたんですよね」


俺の言葉にくふっと独特の笑い方で答えるその姿は、最後に見たのと同じ、少し大人びた彼だった。


「ありがとうね、約束覚えててくれて。それに晶馬のことも」


「いえ」


俺たちは、目の前の波飛沫を見つめながら他愛のない話に花を咲かせた。


「夏とは全然違う景色だね」


「そうでしょう?」


「春も冬も見たかった」


「見られますよ。また俺が連れてきます」


その言葉に叶さんは、嬉しそうな、寂しそうな顔で薄く微笑んだ。


「ところで別件で健斗に二つお願いがあるんだけど」


「なんですか?」


「一つ目はお墓のこと。昔、臓器提供した病院が身寄りのない僕を好意で埋葬してくれたんだ。出来たらでいいんだけどその墓に晶馬を連れて来て欲しいんだ。今のままじゃ無縁仏で合同葬されちゃうからね。あ、指も一緒にね。ちゃんと晶馬に返さなきゃ」


「分かりました」


どんな手続きをすれば良いのか、そもそも可能なのか?そんな思いが頭を掠めたが、俺には頼りになる仲間がいるからきっと大丈夫だ。


「それから二つ目は」


「はい、なんですか?」


叶さんは、ふいに俺の胸を指先でトンと突いた。


「この心臓の所有権を完全に健斗に譲ります」


「……え?」


「こっちのお願いが本命。いつまでも僕の影がチラチラしたら先に進めないでしょ。健斗は優しいからね。早く忘れて幸せになって」


「そんなことないです!これからももっと一緒に色々なところに行きたいです!」


「バカだね。健斗に僕は必要ないんだよ」


泣き笑いの顔も綺麗な叶さんは、もう一度俺の胸を小突く。


「これからは君の隣にいる人と楽しさを分け合って欲しいんだ。僕も今度こそ晶馬と幸せになるから」


「叶さん……記憶が戻ったのに晶馬さんを許せるんですか?」


浮気ばかりで叶に暴言を吐いていた夢の中の男を思い出し、俺は胸が痛くなった。


「僕もほんとバカだよね。分かってるんだけど。でも今度こそ彼を独り占めできるんだもん。この機会は逃せないよね」


くふっと笑うその顔はとても楽しそうで、俺の心の中に何かがすとんと落ちて来た。


「叶さん」


涙が頬を伝う。

けれど悲しみの涙じゃない。


目の前の彼が滲んでふわりと揺れる。


「健斗が誰よりも幸せになりますように」


そう言って叶さんは俺が好きだった笑顔のまま、ゆっくりと見えなくなっていった。





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