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40話 肖像画

「あの箱の中の指さ、指輪はめてたでしょ?綺麗に磨いたんだよ。そしたらさ思い出したの」


「なにを……」


「あの指輪はめた写真があったから」


写真?


叶の視線の先に、晶馬さんと叶さんが二人で映ってる写真が飾ってある。


そこに映る晶馬さんは確かに似たような指輪をしていた。


「もしかしてあれは晶馬さんの……」


「うん。僕が切り落とした」


「切り落としたって……どうして……?」


「晶馬は浮気癖があってその日も喧嘩してたんだ。僕もう疲れちゃって死のうと思ってナイフを掴んだら晶馬がそれを取り上げようとして……」


「まさか」


「うん、刺さっちゃったんだ。すぐ救急車呼ぼうとしたんだけど晶馬がダメだって。それから『お前は悪くない、全部忘れろ』って言った。だから忘れちゃってた」


俺はごくりと喉を鳴らした。



「そのまま晶馬の心臓は止まっちゃった。悲しくて悲しくて僕はずっと泣いてたよ。それから二日くらい経って、ふと晶馬を見たら色が変わって臭いがしてきてて……埋めることにしたんだ」


「う、埋める?」


「だって晶馬が忘れろって言ったから。何がどうなってこんな風になったのかもその時にはもう曖昧になってた」


「そんな……」


「でもどうしても晶馬の指輪を手元に残しておきたくて、抜こうとしたけど抜けなかったから指ごと切って隠したんだ」


「でも交通事故じゃ?」


「違うんだ。晶馬はまだここにいるよ」


混乱し過ぎて叶さんが何を言っているのか理解できない。


「どこに?」


「アトリエの下」


……あの部屋の床に晶馬さんは埋まってるのか?


「この辺全部無くなっちゃうんだよね」


「……え?」


「晶馬の体を壊されたくなくて、誰かに助けて欲しくて街に出たんだ。そしたら健斗に会った」


「え?いや待って叶さん。それじゃあ俺の心臓は一体誰の……?」


「ごめんね、振り回して」


まるで噛み合わない。

夢の中で話してるみたいに。


「すごく楽しくて幸せでずっと続けばいいのにって思ってたよ」


「な、なんですか。そんないなくなるみたいな言い方しないでください!俺はずっと叶さんと一緒にいますから!」


怖い。


現実が足元から掬われて消えてしまうような恐怖が全身を包む。





「ありがとう大好きだよ、もう一人の僕」






え?


なんて言った?




「いたっ!!」



突然の激しい頭痛に、俺は頭を抱えてうずくまった。ガンガンと響く痛みに気を失ったのだろうか。




気付いたら俺は見知らぬ草むらに倒れ伏していた。




「叶さん……?」



何が起こったのだろう。

叶さんはどこに行ったんだ?


周りを見渡しても何もない。

だだっ広い土地が広がっていて、自分の上着や鞄が転がっている。


ここはどこだろう。


立ち上がって遠くを見ると、見慣れたビルやファミレスの看板が見えた。確かに叶さんの家の近くだ。

けれど見覚えのある住宅街は無く、通い慣れた路地も無い。


呆然と立ち尽くす俺を正気に戻したのは、突然鳴った携帯の音だった。


「健斗?今どこ?」


「湯井沢……」


「ん?どうかしたのか?叶さんと一緒か?」


「……叶さんのとこだけどよく分からない」


「何言ってんの?」


「叶さんがいなくなった。どうしよう」


そう言った途端、不安が押し寄せてきて叫び出しそうになる。


「すぐ行くからそこで待ってろ」



通話の切れた携帯だけが自分を繋ぎ止める最後の糸に思えて、俺はそれを握りしめてうずくまっていた。





「健斗!」


しばらくすると湯井沢の声が近くで聞こえた。

街灯もない原っぱで俺は懸命に声を出して存在を知らせる。



「一体どうなってんだ?いつもの路地を曲がったら全然違う景色になってて……」


目的地を探して走り回ったのだろう、湯井沢が息を切らせている。


「湯井沢……」


「叶さんの家は?この辺りだよな?」


暗闇に慣れてきた目で周りを見渡すと、広場の隅にポツンと家が見える。


「あれじゃないか?行くぞ!健斗」


湯井沢は俺の手をつかんでその家を目指した。





けれど。



それは確かに叶さんの家のようだったが。

すっかり荒れ果てて朽ちる寸前の状態になってい

た。






「勘違いだよな?似てるけど叶さんの家のわけない」


自分に言い聞かせるように湯井沢が呟く。


けれど知っている。

あの門扉も、外壁についてるレトロな呼び鈴も。

見間違うわけがない。

ここは確かに……




「行くぞ」


湯井沢は携帯のライトをつけて、俺の手を掴んだままその家のドアを開けた。


ガラスの割れた玄関に鍵はかかっていなかった。

入ってすぐの靴箱もキッチンもリビングも、よく知ってるそのままの姿で古びて静まり返っている。



まるで、魔法が解けたみたいに。



「あ、俺が使ってたカップ」


テーブルの上にはペアのコーヒーカップ。

それは端が欠けて埃にまみれていた。


「さっき使ったとこなのに」


叶さんと二人で……と、俺は声にならない思いを飲み込んだ。

そして指先でそっと埃を拭う。


「これ……」


「なんだ?」


「このカレンダー、八月だけど曜日が違うなって前に来た時に思ったんだ。でも叶さん無頓着だから去年のやつそのままにしてるのかと思ってたけど」


そう言いながら指差したのは年度。


「十年前?」


尋常ではなく若く見えた叶さんの姿が思い出される。

この家は十年前から時を止めていたんだろうか。



「そうだ……アトリエ。あそこに叶さんがいるかも」


「健斗?」


湯井沢が慌てて俺を止めようとするが、構わず突き当たりの部屋まで進む。

そして半分外れたドアを慎重に開けた。



「叶さん……」


勿論彼の姿はなく、俺はがっかりと肩を落とす。

他の部屋と同じように荒れ果てていたアトリエの、崩れかけた壁に立てかけるように置かれたイーゼルに一枚の絵が掛かっていた。



「あ、健斗」


湯井沢が呟く。


廃屋に不釣り合いな新しいキャンバス。

そこに描かれていたのは少し緊張しながら笑っている優しい顔をした俺だった。


「俺は夢を見てるのかな」


俺の呟きに湯井沢が「そうかもな」と答える。

けれど目の前にあるこの絵は、確かに叶さんが描いたものだ。


「叶さんには俺がこんな風に見えてたんだな」


「ちょっとイケメン過ぎだろ」


湯井沢の言葉に俺は笑った。





それから二人で花火を見た裏庭に回った。

再開発で住宅が全て無くなった広い空を見て、あれだけ綺麗に花火が見えた理由を知った。


縁台も腐り落ちていたが、ミントは庭中に蔓延って、その香りはあの夏の夜を思い出させた。



「湯井沢、もう叶さんに会えないのかな」


「……そうかもな」


「俺あの絵もらっていいかな」


「いいんじゃないか?叶さんはそのために急いで仕上げたんだろ」


「そっか」


早く描き上げないといけない気がすると、叶さんは言ってた。

あの時にはもう自分の正体に薄々気付いていたんだろう。






夏の始まりに出会った俺たちは、叶さんが時間を止めたこの家で確かに一緒に笑ってた。

それは楽しくて幸せで……


確かに俺たちは生きていた。











玄関を出て、引き戸を閉めた途端、馬鹿みたいに涙が溢れて止まらなくなった。

多分俺はこれから先も何度もここに来てしまうんだろう。


もしかしたら何度目かには叶さんが笑顔でおかえりと言ってくれるかもしれない。


そんな一縷の望みをかけて。



湯井沢が、低い場所から手を伸ばして俺の頭を撫でる。

「いい年して泣くんじゃない」そう叱る彼も、涙で顔を汚していた。












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