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36話 ひきこもり

「どうしちゃったんですか?叶さん……」


ショックが大きかったのか。

何度呼びかけても叶さんからの返事はない。


けれどこのまま置いて帰るわけにもいかない。



しばらく部屋の前で待っていたが、反応がないので仕方なくリビングに戻った。

その後もどうしようかと思いつつ、予定通り叶さんの家に泊まった。

けれど朝になっても彼が部屋から出てくることは無かった。







寝不足の目に朝日が眩しい。


俺は一旦自宅に帰って着替えてから会社に向かっていた。


あれから結局叶さんには会えなかった。

しばらくすると一応返事はしてくれるようになったが、心配で定期的に話しかけていたら最後には「集中してるから黙ってて」と言われる始末。


全く眠れなかったし、恐らく今日の俺は仕事も手につかないだろう。






「おはよ健斗」


「ああ」


「……どうかした?」


「なんで?」


「ゾンビみたいな顔になってる」


「あー」


「ところで倉庫行った?大事なものってなんだったんだ?」


「それがその」


言って良いのか?

言ったら大騒ぎにならないか?

叶さんにとって不利になるならこのまま沈黙を貫いた方がいいのでは。


そう思い言葉を濁すと、俺の心を読んだかのように湯井沢が頷いた。


「……なんだよ」


「なんでも話せ。お前が一人で考えることにロクなことはない」


腹立つな。

ド正論だから余計に。


「なんでも相談するって言った先からダンマリかよ」


「……俺だけの問題じゃないんだ」


「じゃあ叶さんに話していいか聞いてみろよ」


「叶さんはアトリエに引きこもって連絡つかないんだ」


「やる前から諦めんのか」


「えええ?」


なにその根性論みたいなの。……とは思ったが言われるままに渋々とスマホにメッセージを入れてみると、一瞬で「いいよ」と、返事が返って来た。


え?なんなの?それ以前の俺のメッセージは全部既読スルーしてるのに?


「どうだった?」


結果は分かってるとでも言うように湯井沢が画面を覗き込む。


「大丈夫みたいだな。でもこんなとこで話せないだろうから昼飯の時にでも聞く」


「ああ、分かった」


それから間も無く始業のベルなり、それを合図に俺たちはそれぞれの仕事に取り掛かった。

黙々と作業を進めていたが、ふと気付くと朝の憂鬱が嘘のように俺の心は軽くなっていた。










本日のランチは、さわらぎ亭の斜向かいにある昔ながらの定食屋「まんぼう」だ。

古臭い店内と爆盛りが有名で、女性には人気がない穴場なのだ。


「噂通りの爆盛りだね。俺、少なめでって言ったのに」


東堂課長がしょんぼりとした顔で大きな丼を見ている。中身は蕎麦だが三人前はありそうだ。


「仕方ないだろ。さわらぎ亭は社内で知れ渡っちゃったんだから。残ったら食べてやるから」


「……頼んだ。ひろくん頼もしい」



「ひろくん言うな」


じゃれ合う二人を見て、たまらず俺は苦言を呈す。


「ちょっといいですか?なぜ当たり前みたいに東堂課長がいるんでしょうか」


更に当たり前みたいに湯井沢の隣に座ってるし。

いくら従兄弟でも近いんだよ。距離が。


「なんだよー健斗くん最近俺に冷たくない?」


「……そんなことありませんけど」


ニヤニヤする東堂課長を横目に、俺は自分が頼んだ焼き魚定食を食べ始める。


……ちなみに大きな半身の焼きサバが二枚乗っているので実質サバを一匹食べる計算だ。


好きだからいいけど心してかからねば。


そう決心して箸を進めていると、東堂課長が俺をじっと見ていた。


「どうしたんです?」


「俺も話したいことあるんだよねー」


「なんですか?」


焼きサバより大事な話だろうか。

いや、課長に限ってそんなはずはない。

軽口で生きている人だからな。


「実はこの前、病院の事務の子から電話があって」


「ご実家のですか?」


「そう。昔お絵描き教室やってた時の講師の絵が、倉庫に数点残ってるけど処分していいか?って」


「はい」


「念の為に写真送ってもらったんだけど、その中になんとショーマの絵があったんだよ!」


「えっ?!じゃあショーマも病院で絵を教えたことがあるんですか?」


「そうみたいだ」


俺の反応を見て東堂課長が「な?気になるだろ?」と言わんばかりの顔でほくそ笑んだ。




「写真見る?」


そう言って差し出されたスマホを見ると、そこには見慣れたサインと繊細な花の絵があった。


見れば見るほど叶さんのタッチに似ている。


「同じ事務で、実際に当時ショーマと会った人がまだ系列の別の病院にいるんだって。彼について知ってることがないか聞いてくるよ。外見とか色々ね。彼は本当に謎に包まれてて亡くなった時も実名報道されてないんだよ」


「そうだったんですか。外見は特に知りたいのでお願いします」


「分かった」



びっくりした。

サバより有益な情報だった。


叶さんの記憶を取り戻す糸口になるかもしれない。

そう思って、以前に言われた報連相の意味を噛み締めた。


「俺も二人に意見を伺いたいことがあります」


俺は箸を置いて、昨日のことを二人に相談した。





「指か……」


「本物だったら対応に困るな」


「本物なら警察に行けばDNA鑑定出来るし、俺たちじゃ調べられない叶さんの昔の行動なんかも分かるだろうけど」


「でもそれは……最終手段にしたいです」


もし叶さんが誰かの指を切り落として持っていたとしたら罪に問われるんじゃないだろうか。


悪いことをすれば償いは必要だろう。けれどせめてすべてを思い出してから自分でどうするか決めてほしい。

なにより彼が理由もなくそんなことをするとは思えなかった。


「まずはその指が誰のものか、それをどうして叶さんが大事なものと認識して隠していたのか。その辺りが分からないとどうしようもないな」


「昨日の様子から少しずつ思い出してるようです。だから……」


「……健斗くんの気持ちも分かる。この件はしばらく保留にしよう。そして俺は早めに事務の人と話してみるよ」


「お願いします」


「……とりあえず方向性が決まったところで食事に戻ろうか。時間があまりないからね」


東堂課長の一言で現実に引き戻された俺たちは、目の前の全く減っていない皿を見て慌てて食事を再開した。




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