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35話 箱の中身

「まずは戻りましょう!」


「うん……」


ガタッ!!


「叶さん!」


立ち上がるなり、よろめいて膝をつく叶さんはもう自力では歩けない状態だった。


「しっかり木箱を持っててくださいね」


「……うん」


目を閉じて身を任せる彼を横抱きにしてフロントまで戻る。

彼の体は驚くほど軽くて小さかった。


「どうしたんじゃ?!救急車呼ぶか?」


「……大丈夫、健斗、降ろして」


「ああ」


先ほどの埃っぽいソファに叶を座らせて、置いてあった水を飲ませる。

マスクを外してしばらくすると倉庫にいる時よりはマシな顔色に戻っていた。


「ケンゾー爺さん、ありがとう」


「ん?なんじゃ?」


「……この箱を守ってくれて」


「いいんじゃ。叶は孫みたいなもんじゃからな」


この約束のために何年も病をおしてここで待っていてくれたのか。

俺は叶さんと一緒に彼に頭を下げた。



「健斗、この箱は帰ってから開ける」


「そうだな、まずは休んだ方がいい」


俺はふらつく叶さんを支えてソファから立ち上がる。

ケンゾー爺さんは入口のガラスドアを開けて待っていてくれた。


「ケンゾー爺さん」


「なんじゃ?」


「店閉めちゃうんでしょ?これでお別れなんて寂しいよ。連絡先教えてよ」


叶はスマホを取り出そうと、ポケットをゴソゴソし始めた。

けれどケンゾー爺さんは、皺だらけの痩せた手で叶さんの手を抑える。


「縁は周りまわるんじゃよ。またすぐに会える」


「……ケンゾー爺さん」


「ほれ雨が降りそうじゃ、早く帰る方がええ」


言葉の通り、先ほどまでの晴天が嘘のように、今にも泣き出しそうな雲が広がっている。


俺たちはもう一度改めて頭を下げて、店を後にした。






走り出して間も無く、ケンゾー爺さんの予報通り土砂降りの雨が降り出した。叶さんは木箱を抱えてぼんやりとそれを見ている。


「叶さんお腹空きませんか?たまには外食しません?」


だが、まだ気分が悪いのか「食べたくない」と沈んだ声が返ってきた。


俺は信号待ちの隙に苺の飴を瓶ごと彼に握らせる。冷たいその感触に叶の表情が少し柔らかくなった。


「雨が止みそうにないんでこのまま家まで送ります。俺は車を返してどっかで傘を買ってから戻ります」


「ちゃんと戻ってくる?今夜泊まっていく?」


「いいですよ。ちゃんと叶さんと一緒にいます」


「良かった」



潤んで揺れる叶さんの目の中に映る俺の顔も、不安げにゆらめいている。


こんな時こそしっかりしなきゃいけないのに。

ここに湯井沢がいてくれたらなんて、情けないことを思ってしまう自分が恥ずかしい。







車の返却手続きをして、家に戻って来ても叶さんはリビングの椅子に座ってじっとしていた。

その膝に木の小箱を乗せたまま。



「叶さん、とりあえず今日はその箱を片付けておきましょう」


何が出てくるか分からないものを、こんな不安定な状態の時に開けるのは得策じゃない。


俺は彼の膝から箱を取ろうと手を伸ばした。


「だめ!」


叶はそう叫んで俺の手を払いのけた。


「叶さん?」


「あっ、ごめんなさい」


慌てて謝る叶さんに、俺も驚かせた事を謝罪した。


「怖くてもちゃんと自分で確かめたい」


叶さんは何かを決意したような顔でじっと箱を見つめている。


「……分かりました。俺はここにいて良いですか?」


「……うん。一緒にいて」



そう言うと彼はゆっくりと蓋に手をかけた。

そして金具を外して蓋を開ける。


そこに入っていたのは……


「……なんだ?」


覗き込んだ箱の中には、小さな布のような物が敷かれており、その真ん中にグルグルに布で巻かれた十センチほどの細長い棒が入っていた。


「なんだろう」


そう言いながらそれを慎重に取り出して、巻いてある包帯のような汚れた細い布をゆっくりと取り去る。


俺は息を詰めて叶の手元を見ていた。



始めに見えたのは茶色い棒。

そしてそれに通された指輪だった。


小さい石が嵌め込まれたシンプルな物だけど、これも汚れていて石の色も種類も判別できない。


そして最後まで布が解かれた瞬間、棒の先に爪らしき物が見えた。


えっ?!爪?


「かっ!叶さん、これ!うわあああっ!!」


俺は上擦った声で叫び、後ずさった。

それはどう見ても人間の指だったのだ。


「叶さん!下に置いて!」


俺の声に叶さんは、慌ててそれを木箱に戻し、蓋をする。



今のは一体なんだったんだ?



俺たちは落ち着くために一旦、ソファに座り直した、


「……お茶のむ?」


「いえ、大丈夫です……」


まだ心臓がドキドキしている。

あれは本物の指だったんだろうか。


「叶さんの持ち物だと思うんですけど、何か思い出しましたか?」


「……よく分からない」


「……そうですか」



どうしたらいいんだろう。

なにせ、体の一部だ。

骨なら遺骨の一部をペンダントにしたり手元に残したりすることがあるようだが、これは骨ではない。


ミイラ化した人の指なのだ。


そもそも誰のものだろう。

その持ち主は生きているんだろうか。

どうしてそれを叶さんが大事なものとして保管していたんだろう。


考えれば考えるほど混乱する。


警察に届けなくていいのかとか、10年近くも前の話なんだからとか。


グルグルと色々な考えが頭を巡るが、何一つ解決策は見当たらなかった。


「叶さん……」


「健斗、今日はもう帰って良いよ」


「えっ?!」


この状況で??


「僕、絵を描かなきゃ」


「叶さん?!」


彼はふらふらとアトリエに向かい、中から鍵をかけてしまった。










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