しばらくしてドアの開く音がした。
顔を上げると両手に飲み物の紙カップを持った湯井沢が立っている。
「飲めよ」
そう言って彼は俺の机にアイスコーヒーを置いた。
なんだ。
これを買いに行ってただけか。
「ありがとう」
俺は、ほっとして緩んだ顔を見られまいと窓の方を向いてコーヒーを飲んだ。
あっという間に週末になり、俺はレンタル倉庫に行くためにいつもの店で車を借りて、叶さんと隣町を目指した。
緊張しているのかいつもより口数が少ない叶さんは、じっと目の前の景色を睨んでいる。
「何回も言いますけど無理しなくていいんですよ」
「うん」
それでも強張りは取れないようだったので、俺は鞄から飴の瓶を取り出して彼に渡した。
「あ、苺の飴」
「家にあった奴もう全部食べたでしょ?」
「バレてた?」
今日初めての笑顔を見せた彼は、早速嬉しそうに蓋を開けて飴を口に放り込む。
そしてもう一つ摘むと俺の口にも入れてくれた。
「俺甘いの嫌いなんですけどこの飴だけはすごい好きなんですよ。最初はたまたま湯井沢が買って来てくれて、俺が好きだって言ったらいつも机の上に置いといてくれるようになったんです」
「そうなんだ。美味しいもんね。湯井沢くんも甘いもの好きだもんね」
「そうなんですけど、あいつ飴とかグミとかはあんまり食べなくて」
「そうなの?」
意外そうな顔で叶がこちらを見た。
「チョコとかキャラメルとか、もっとクリーミーなものが好きみたいです」
「じゃあその飴は健斗の為だけに?」
「一度そう聞いたら瓶が可愛くて女子ウケいいから置いてるだけだって言ってました」
「何それ」
叶がくふっと笑う。
……確かにそう言ったけど、あいつはその飴だけは誰がどんなにねだってもあげることはなかったな。
そんなことを思い出すと胸がきゅうっと痛くなる。
「健斗は愛されてるね」
「そうですかね?そんな事ないですよ。あいつ怒ったら怖いし」
はははと空笑いをしながらハンドルをぐっと握った。
俺にそんな価値はない。
愛されていいのはそれを返すことが出来る奴だけだから。
「ここです。見覚えありますか?」
「……なんとなく」
「とりあえず入りましょう」
そのレンタル倉庫は建物自体は大きいが、古ぼけて人の気配もあまりない。
駐車場を降りて入り口まで行くじゃり道も、雑草が生えて空き缶やゴミが至る所に落ちていた。
カードキー式の倉庫なんて当時は最先端だっただろうに、そんなものは見る影もない。
煤けて中の見えないガラスの扉を押して、俺たちは店内に入った。
「あれ?もしかして潰れてるんじゃないですか?」
「えっ?そうかな」
「だって店内の床も埃だらけですよ?」
カウンターには紙の束が雑然と積まれ、窓ガラスにはひび割れまである。
昨日確かに電話は通じたんだけど。
もしかして来る店舗間違えたか??
「これは廃墟だ」
思わずそう呟いた時、ダンボールの山の奥から男の声がした。
「なにが廃墟じゃ」
「わああっっ!!」
叶さんが咄嗟に俺の後ろに隠れた。
俺は叶さんを庇いつつ声のした方を見る。
そこには八十は超えているであろう痩せ細った老人が立っていた。
「先日、鮫島晶馬の契約があるかをお電話で問い合わせした者です」
俺は会釈をしながらそう伝えたが、老人の視線は俺を通り越して背中に隠れる叶さんに注がれていた。
「久しぶりじゃな」
「え?」
その老人は叶に向かってそう言った。
「だれ?」
恐る恐る叶さんが俺の後ろから顔を出す。
「十年ぶりか?叶」
「あ。えっと……ケンゾーじいさん?」
「わはは本当にお前は何年経ってもちっとも変わらんな」
叶が慌てて背中から飛び出して来た。
「ああ、思い出した。晶馬と何度もここに来たことあった。爺さんあんなに太ってたのに随分と痩せたね、病気なの?」
「思い出した?なんじゃわしのことを忘れとったんか。まあこの年じゃから病気にもなるわな」
老人は最初の厳しい表情から一転、孫を見るような顔で叶を見ている。
「晶馬はどうしとる」
「あ、うん元気。忙しくて今日は来られなかったんだ」
この人は知らないんだ。
俯いて小声でそう答える叶の背中に俺はそっと手を添えた。
「そうか、元気ならいい。倉庫の場所は覚えとるか?」
「覚えてない」
叶は手にしたカードキーを眺めた。
「そこには書いとらんよ。案内してやろう」
老人はそう言うと前に立って歩き始めた。
薄暗い廊下の左右にドアが続いている。そのほとんどが半開き状態で使用者がいないことを物語っていた。
こんな状態で経営は大丈夫なのか?
俺は余計な心配をしつつ、二人の後を着いて行く。
「ここじゃ。まあゆっくりしていけ」
老人は踵を返して去っていく。
確かに案内して貰わなければ辿り着けなかっただろう。
俺は帰路に不安を感じながら無表情な鉄のドアを見上げた。
「なにか覚えてますか?」
「ちょっとだけ。何を預けたのかは分からないけど。でもすごく怖い。健斗が開けてくれる?」
「はい」
その震える手からキーを受け取り、俺はドアノブのセンサーにかざす。
この場に似つかわしくない軽快な機械音と共にロックが外れた。
「開けますよ」
「う、うんっ」
俺の手をぎゅうと握る彼の顔は緊張に強張っている。
その手を強く握り返してゆっくりとドアを開けた。
部屋の中は異臭が漂っていた。
何かが腐ったとかそう言うものではない、もっと科学的な……
「薬くさい」
そうだ、薬の匂いだ。
手探りで電気のスイッチを押す。
窓一つない真っ暗な部屋が一気に明るくなった。