……まずい。
結果的に男二人が薄暗い路地裏で抱き合っている状態になってしまった。
湯井沢はよほど驚いたのか俺の腕の中でガチガチに固まって微動だにしない。
俺は俺で、今更手を離すことも出来ずそのままの体制で息を詰める。
湯井沢の背中を支えた手に、熱いくらいの熱が流れ込んできた。
どうしたものかと湯井沢の顔を見下ろすと、耳まで真っ赤にした見たことのない顔の湯井沢と目が合った。
途端に今まで感じたことがないくらい激しい動悸がして、湯井沢の背中からぶわりと広がった熱で目が眩んだ。
ドカッ!!!
「うっ!?」
「ごめん!」
突然、頬に激痛が走ったかと思うと俺を押し除けて湯井沢が走り出す。
「湯井沢!!」
呼んでも振り返りもしない。
あっという間に小さくなって消えてしまった。
「え?」
俺は自分の頬に触れてみる。
そこは熱を持ってジンジンと痛んだ。
「俺、湯井沢に殴られた??なんで?」
信じがたいその事実に、俺は一人茫然自失で路地に立ち尽くした。
湯井沢side
最悪だ!最悪だ!!
僕は脇目も振らず、もちろん後ろを振り向きもせずに一目散に路地を駆け抜けた。
思わずとはいえ殴ってしまった。
この僕が、健斗を……
駅に着き、荒い息を整えるべく、ベンチに体を投げ出す。
ダメだった。
あの距離であんなに近くに顔があって!
抱きしめられているような状態なんて耐えられない!!
僕はそのまま何度も深呼吸して気持ちを落ち着かせようと努力する。
けれどゼロ距離で見た健斗の顔が勝手に浮かんできて、その度に「わああああ」と叫び出したい衝動に駆られた。
「ダメだ。早く家に帰らないと」
このままではいつか大声を出しそうだ。
その点、うちのマンションは防音対策がバッチリなのでうっかり声が漏れても問題ない。
ちょうどタイミング良く電車が駅に滑り込んで来たので、僕はもう一度深く呼吸をしてその電車に乗り込んだ。
帰宅ピークを過ぎたからか、車両は比較的空いていて座席も半分程度しか埋まっていない状態だった。
隅の席を選んで座り、スマホを開く。
メッセージがいくつも来ていたが、すべて健斗からだった。
しかもそのどれもが何に対してか分からない謝罪。
「ほんとバカだな」
あいつは何も悪くないのに。
いつもそうだ。
あいつはすぐ謝る。
機嫌の悪い時に「プライドはないのか」と八つ当たりしたこともあったが、あいつは「それより大事なものがあるから」と笑ってた。
「殴ってごめん」
それだけ入れて僕はスマホを閉じる。
……バカなのは僕の方だ。
親友になるとか言っといて、あんなことくらいで動揺するなんて。
……今夜はダメージが大きかったからかもしれない。
健斗が叶さんを見つめる優しい目も
言い聞かせるような優しい大人びた低い声も
彼の背中を撫でる手でさえも
僕の知らない健斗を見てるのがたまらなかった……
周りに人がいないのをいいことに小さく声に出してみる。
「あんな健斗初めて見た。それだけ彼が好きなのか?」
だが結局、耳から入った自分の言葉に更に打ちのめされることになった。
分かってたけど。
彼らの間に入る隙は何処にもない。
そんな事実を噛み締めながら僕は帰路に着いた。
翌朝、鏡を見ると湯井沢に殴られた右頬が腫れて青くなっていた。
「これは隠しようがないな」
そんな時はどうするか。
簡単だ。なんでもないふりをするのだ。
「おはようございます!」
「おはよーあれっ?!」
「あっ、佐渡今日の……えっ?」
「うわ……!??」
好きなだけ驚くがいい。
俺はいつも通りに挨拶をして席に着いた。
ふと机の上を見ると見覚えのない袋が置いてある。
中には湿布薬や傷薬。
ははあ?湯井沢だな?
案の定、コピー機の前にいた彼は、俺と目が合うと慌てて目を逸らしている。
あのツンデレも慣れると可愛い。
でも湿布なんて貼ったら余計目立たないか?
薬を前に思案していると、そっとドアが開き、東堂課長が少しだけ顔を覗かせた。
そして俺を見て手招きしている。
まだ始業前でのんびりしてるからか、さいわい他のメンバーは気付いてないようだ。
俺はそっと部屋を抜け出して外に出た。
「誰に殴られたの?」
その手には軟膏と肌色のクリームが入ったケースがある。
俺はされるがままに薬を塗られていた。
「まあちょっとムカつく奴に喧嘩売られたんでやっちゃったんですよね」
「あはは。本当は?」
棒読みのドヤ顔でうそぶくが、取り合っても貰えなかった。
「……まあ色々と」
「当ててあげようか。湯井沢だろ」
「……湯井沢からなんか聞いたんですか?」
「どうだろうね」
なんか面白くない。
いくら従兄弟とはいえなんでも話しすぎだし、距離も近くないか?。
俺は以前にエントランスで聞いた二人の会話を思い出していた。
「まあ同じベッドで寝るくらいですもんね」
「あははは!健斗くんは面白いな」
「面白くないです」
課長は肌色のクリームを指先に取り、青くなった部分に塗った。
「それなんですか?」
「ファンデーション」
「え?化粧の?」
そんなものどうして課長が持ってるんだろう。
「寝不足とか飲み過ぎで顔色が酷い時に塗るんだ」
「なるほど」
イケメンはイメージを維持するのも大変なんだな。
「多分湯井沢は死にたくなるくらい後悔してるだろうから許してやって」
その言い方にまたカチンとする。
どうしたんだ、今日の俺。
「分かってます」
湯井沢のことは俺の方が知ってる。
猫みたいに毛を逆立てて怒るくせに、チラチラとこちらの様子を伺うとこなんて本当に可愛いんだからな。