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26話 それぞれの想い

湯井沢side


東堂課長が今日の昼に耳にしたという、叶さんの絵に関する疑問と記憶喪失の話を黙って聞く。


「前に健斗くんの移植手術をした経緯を調べて欲しいって言ってただろ?」


「うん。個人情報で難しいって言ってたやつね」


「そう。その通りなんだけどちょっと気にかかるんだよな。当時勤めてた人が最近退職したから声をかけてみようと思う」


「普段ならそんな厄介ごとに首突っ込まないのに」


「まあ健斗くんは真面目で抜けてて可愛いからね」


「……」


僕は黙って東堂課長を睨む。


「そんなんじゃないから安心しろ」


東堂は弟にでも接するように僕の頭をぐりぐりと撫でた。


「ちょ!やめてください!」


「はいはい、ごめんな」


全然反省してないだろ。

僕はメニューの中の一番高い釜飯を大きな声で注文した。




……叶さんが現れてから僕たちの周りは一変した。

何をするにも二人だったのに健斗には僕の知らない秘密がたくさん出来た。


そしてそれはこれからも増えていくのだろう。


寂しくないと言ったら嘘になる。

でも、はなから手に入るなんて夢は見てない。


それならせめて健斗が傷付くことがないように、離れたところからでも守りたい。



健斗が好きな手羽先を食べながら、僕はここに彼がいればいいのになと夢のような事を思った。
















「今日は早かったね、健斗」


出迎えてくれた叶は今日も絵の具だらけで南国の鳥みたいだった。


「最近随分と根を詰めてますね」


「うん。何かが大きく変わりそうで急いだ方がいいような気がしたんだ」


「なんですか?それ」


抽象的な物言いに、揶揄うような言い方をしたが俺は上手く笑えなかった。


大きく動く。


その予感は当たる気がする。





食事を終えて、アトリエに行く。

描き散らかした海のキャンバスは床に置いたまま、叶は俺の絵を持ってイーゼルの前に座った。


「このまま話していいですか?」


「いいけど聞かなくても分かるよ。湯井沢くんのことでしょ?」


「……そうです」


「好きなんでしょ?いい子だもんね」


「……」


以前の俺なら、即座に「はい、好きです。それがどうかしましたか?」なんて答えていただろう。


「好き」は一つしかなかったから。



「でも僕も諦めないからね」


鉛筆の走る音がいつもより大きく聞こえた。


「晶馬と一緒にいられる最後のチャンスなんだ。今度こそ幸せになりたい。……勝手なこと言ってるのは分かってるけど……ごめん」


「おあいこです」


「え?」


「俺も自分勝手です。それが叶うかどうかは別にして、欲しいものは欲しいって言っていいそうですよ」



叶はそれを聞いていつもの空気が抜けるような笑い声を出した。


「……素敵な人だね」


だれが、とは言わずとも頭に浮かんでるのは同じ人物だろう。


「健斗に好きになって貰えるように努力する。怖いなんて言わずに記憶も取り戻すよ」


声は小さいが、叶ははっきりとそう言った。


「曖昧なままでずっと一緒にいたいなんて虫が良すぎるからね。そしてその結果かどうであれ、ちゃんと自分で受け止める」


「俺も手伝います」


「ありがとう」


その大人びた笑顔は、俺が初めて見るものだった。










その日から半径十キロ以内にあるレンタルスペースや貸し倉庫をしらみつぶしにピックアップする毎日が始まった。


そして上から順に電話をかけて叶の名前で契約があるかを訊ねる。


電話での回答を断られた店はチェックを入れておき、後日直接訪問する事にした。



「僕は電話は無理だよ」


叶は涙目で首を振る。


「分かってます」


人と話すのが苦手な叶に、はなから期待はしていない。むしろ挙動不審すぎて警察に通報されそうだ。


「じゃあスマホで店を探してください」


「え?これで?そんなの無理だよ。だってこれ電話でしょ?」


……よし、全部俺が引き受けよう。


そうやって孤軍奮闘している間、叶さんは大人しくソファに座って絵を描いている。休憩の時に覗き込んだら全部俺のスケッチだったので苦笑いした。


まあ人には向き不向きがあるし、こんな才能を持ってるんだからそれ以外のところに行き届かなくても仕方ない。

そう思いながら俺は作業を再開した。


「どんな感じ?」


「あまりに数が多いですね。そして繋がらないところも結構あります」


思えば保管倉庫関連の看板は至る所にあった。

意識してないのに記憶に残ると言うことはそれだけ繁盛している商売なんだろう。


これは骨が折れるな……


「ちょっと休憩しない?」


そろそろ声が枯れてきたのでありがたい。

俺は電話を置いて大きく伸びをした。


「ごめんね、僕が場所とかもう少し思い出せればいいんだけど」


「大丈夫です。いつかは辿り着きます」


そうは言ったが、たまたま対応した店員が叶さんの名前を見落としてたら?

新人が適当に返事していたら?


そう思うと、バツをつけた店舗も本当に違うのかと不安になる。

それほどに頼りない回答をする店が多かった。


だが考えても仕方ない。

見るのは前だけだ。


俺は叶さんの入れてくれたお茶をぐっと飲んだ。


「あ、美味しい……」


「ハーブティーだよ。僕が庭で育ててるんだ」


「へえ、凄いですね」


味わいはほうじ茶のようだが、それを凌駕する爽やかなミントの香り。


何とも疲れが取れる味わいで、先ほどまでの疲れが癒やされてゆく。


「あーあと百件くらいかけられそう」


「あはは、今日はもう終わりにしようよ。そんなに急ぐわけじゃないし」


「……そうですね」


叶さんが前向きになったのはとてもいいことだと思う。

だが、それに伴ってつらい事も一緒に思い出すはずだ。


けれど彼は進むと決めた。

俺はそれを精一杯サポートしていくだけだ。


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