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23話 甘酸っぱい話

「例えば」


俺はコホンと咳払いした。


「友達の話なんですけど」


「うんうん、なに?」


友だちの話って言ってるのに随分親身になってくれる。

二人ともいい人だなあ……


……なんかちょっとニヤニヤしてるのが気になるけど。


「付き合ってる人がいるんですが、その人とするキスは何にも感じないんです、いや感じないそうなんです」


「うん、それで?」


「そいつには長い付き合いの親友がいるんですけど、その親友を見るとキスしたくなるんです、いや、なるんですって」


「うんうん」


……課長どうしてそんなに興味津々なんですか?



「えーっと、それってどうしてですかね?たまたま親友が色気のあるタイプで性欲拗らせてるとかですかね」



「ちなみにそれが恥ずかしくて親友を避けてるってこと?」


「そうらしいです」


「くーーーっ!!甘酸っぱい!!」


……いや二人とも。

なんで顔を隠してジタバタしてるの。

甘酸っぱいってなに?




「とりあえずその友達は付き合ってる人とちゃんと話をした方がいいと思うよ。そしてそんな風に思う別の人がいることも言った方がいい」


「でも、付き合ってる人は一人ぼっちなんです。身内もいなくて恋人も亡くなりました。その恋人の心臓を俺に……だから側にいてあげないと」


あっ、しまった。

俺のことだってバレたかな?


「同情と愛情は違うんだよねえ。それをお友達に言ってあげて?」


……よかった、バレてない。危なかった。


「でも同情だけじゃ無い。確かに愛情もあるんです。でもそれは「臓器の記憶」じゃ無いかなって疑ってる気持ちもあるんです」


それでも俺でいいなら側にいてあげたいという気持ちも本心だ。


「その親友がもしあなたのことを好きだったらどうする?」


いやだから俺じゃなく。

……もう、いいや。


「そんな事ないです」


「でも人の気持ちなんて分からないでしょ?」


確かに。

……もし、湯井沢が俺を好きだったら……?


「どうする?」


あ……


「それは……どうしたらいいんでしょうか」


「ダメだとか無理だとか、どうせなんて思わずにまずは自分がどうしたいか考えてみたら?」


「でも」


そんな身勝手が許されるのだろうか。


「相手もあなたの幸せを一番に望んでると思うわ。だってあなたのことが好きなんだもの」


「……俺じゃなく友達の話です」


「ああ、そうだったわね」


二人して笑うのやめて欲しいんだけど。


「あ、湯井沢くん!」


「え?!」


「遅いぞー」


「湯井沢、なんでここに?」


驚く俺を尻目に湯井沢は、俺の隣の席にどかりと腰掛ける。


「東堂さんに呼ばれたんだよ」


「いやー料理頼みすぎちゃってさ。二人とも食べられないって言うし、残すのもお店に失礼だろ?」


これは確信犯だ。


「なんか久しぶりな感じがするな」


俺の顔を見ずにぽつりと呟く湯井沢が、なんだか寂しそうで申し訳なさが溢れた。


「なんかごめん」


「別にいい」


……だから年長者二人はそんなニヤニヤしないで。

さっきの話バラしたら一生恨みますからね。

俺は恥ずかしくて居た堪れなくなり、この場から逃げ出したくなった。


「ちょっとトイレ行ってこよ」


そして赤くなった顔を洗ってこよ。


「え、僕も」


「は?」


なんでだよ!ゆいさわ~!!

空気読めよ~!!

お前と離れたいんだよ~!


「そうそう、健斗くん。トイレ行く手前の壁に掛かってる絵が素晴らしいから見てよ!」


「今?!」


東堂課長が芸術に造詣が深いのは聞いたことあるけど、今はそれどころじゃないんですよ!


「いいじゃん健斗。見ていこうぜ」


「あーうん」


まあ会話の糸口にはなるかな……

そう思って席を立ち上がる。

けれど、何故か東堂課長が俺たちの後をついてきた。


「いや実は俺がこの店に通う理由の一つがその絵なんだ。まあ、芸術音痴の二人に言っても知らないと思うけど、知る人ぞ知る画家の作品なんだ。まずは見て。あ!待って!置いてかないで!俺も見にいく!」


……めんどくさいな。

まあでも湯井沢と二人きりよりマシかもしれない。



笹野さんに呆れられながら三人でぞろぞろと通路を歩く。

トイレに続く長い通路を曲がると左側の壁に例の絵はあった。


思ったより大きくはない、淡い色で描かれた海の絵。

けれどそれは……


「絵を引き立たせるために通路を薄暗くしてるんだ。でも絵の本体は暖色系の灯りでライトアップされていて、オーナーのこだわりが感じられるだろ?」


「そうですね」


隣で湯井沢の声がする。

けれどそれは俺の耳を素通りした。


「いい絵だろー?どうしても欲しくってオーナーにずっと掛け合ってるんだけど売ってくれないんだよなー。そもそもこの作者は出してる絵が少なくて、ベテランじゃないんだけど価格高騰がすごいんだ」


自分が描いたかのように自慢気に話す東堂課長。

けれど、俺がその絵の前で声も出せず微動だにできなかった理由は感動したからではない。





「これ、叶さんの絵だ」




彼の部屋にある描きかけの海の絵だ。

でもどうしてここに?

昨日の夜も叶さんのアトリエにあったのに?


「え?そんなはずないよ。この絵を描いた画家はもう十年も前に亡くなってる」


「そんなはず……」


「これは彼の遺作で未完成なんだよ。十年前からここにかけられてる。ショーマって画家聞いたことない?」


ショーマ?晶馬さん?

あの人も絵を描いてたのか?


じゃあ家にあるのは叶さんが模写したものなのか?

彼の最後の作品を完成させたくて。


毎日見ているあの絵と、波の形も同じように見えるのに、別の絵だなんて。

手元に写真でもあってそれを見ながら描いているんだろうか。


「あれ?」


よく見ると絵の下にいつも叶さんが使ってるサインがあった。

言われてみればショーマと読めなくもない。


どうして叶さんが晶馬さんのサインを使ってるんだろう。


「不思議な縁だな」


絵を見上げていた湯井沢がそう言った。


「叶さんは知ってるのかな。晶馬さんの絵がここにあるのを」


「どうだろう。聞いてみるよ。そして見たいって言ったら連れてくる」


「うん」


晶馬さんの痕跡を、きっと彼も見たいだろう。



「俺も叶さんって人に会いたいな」


「東堂課長が?」


「だってショーマの縁の人なんだろ?俺、ショーマのファンなんだよ、未発表の作品がもしあるなら買えないかなあ」


「家には絵は全然ないですね。晶馬さんが亡くなった時に全部売ったか、処分したのかもしれませんね」


それにしても医療機器メーカーの営業をしていたという、ちょっとチャラいあの人が絵を描くなんてまったくイメージが湧かない。


人は見かけによらないなと思いながら、俺はもう一度その作品を眺めた。



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