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22話 キスしたい

結局つられて一緒に眠ってしまった俺は、朝から大慌てで家に着替えに帰る羽目になり、遅刻ギリギリに会社にたどり着いた。


「いつも早いのに珍しいな。熱でも出た?」


湯井沢が俺を揶揄う。


「ちょっと色々あって」


「ふーん?」


本当に色々あった。

叶さんが溺れかけたしバーベキュー美味しかったし。

ああそうだ、家族と久しぶりに連絡取った。


そしてそれから……



ハッとして俺は自分の唇に触れた。



性欲のない親愛のキスは柔らかくてひんやりと冷たかった。


誰とでもできるわけじゃない。


多田……だったら間違いなく殴り倒す自信がある。

東堂課長は……好きだけどキスは絶対無理だな。


笹野さんは?

うーーーん。

申し訳ないけどやっぱり嫌だ。


そう思うと嫌じゃなかった叶さんのことは、ちゃんと好きなんだろうか。


……もし湯井沢だったら……?



俺は隣の席でパソコンに向かっている湯井沢を見た。


スッとした鼻筋。

大きな目。

そして薄く色付いた厚めの唇。


あの唇にキスしたら……


「!!」


想像しただけで火が出そうなくらい顔が熱くなった。

慌てて仕事に戻ろうとするがファイルをぶちまけてしまい、紙が散乱する。


「なにやってんの?」


呆れた湯井沢が一緒に集めてくれたが、俺は彼の唇から目が離せない。


「しっかりしろよな。熱でもあるんじゃねーの?」


「あ、ああ大丈夫。ありがとう」


紙の束を受け取って俯く。




……俺は今確かに、湯井沢にキスを「したい」と思った。






それからはどうしても湯井沢を意識してしまい、初めて彼からのランチの誘いを断った。

会話もそっけなくなったし、口数も減った。


こんなのダメだ。

湯井沢は何も悪くないのに。


分かってはいるが、そのままずるずると避け続けるうちにランチにも誘われなくなった。


仕事が忙しいと嘘を言った手前、デスクでパソコンを見ながら味気ないパンやおにぎりを齧っている。


さわらぎ亭のご飯が恋しい……





「佐渡くん」


あ、この声。

このシチュも懐かしい。


「なんですか?笹野さん」 


二人が付き合っていた時、よくこうやって笹野さんから恋人だった湯井沢の愚痴を聞いたなあ。


「今夜時間ある?どうしても話したいことがあるの」


「あ、はい。分かりました」


その返事を聞くと彼女は軽く頭を下げてすぐに姿を消した。


湯井沢は午後から営業と同行に出ている。

可愛い顔でしっかり者の彼は営業部でも人気者だ。


話したいことって湯井沢のことかな

まあいいや、どうせすぐ分かる。


それくらいしか俺たちに接点はない訳だし。



残業ができなくなった俺は、昼休みを返上して急ぎの案件に取り掛かった。






夕方、エントランスで待っていた彼女の隣には東堂課長がいた。


「お疲れ様です」


「お疲れ様ー健斗くん、さあ行こうか」


どういう取り合わせだろう。

でもやはり共通点は湯井沢だ。





「ここだよ、入って」


「はい」


課長が案内してくれたのは会社から程近い、老舗リストランテだった。


「よく来るんだけど本当に美味しいんだよ。おすすめ沢山あるから任せてくれる?」


俺たちが頷くと課長は楽しそうには注文を始めた。

アンティパストに始まり、食前酒のシャンパンやサラダ、おすすめのピアット数皿。それらをすべて頼み、テーブルには途方もない量の料理が並べられた。


「課長、食べきれません」


「私もです」


「なんだい、頼りないな~。こんな時、湯井沢がいたらよかったのにね」


「……?まあそうですね、あいつ見た目は細いのにめちゃくちゃ食べますもんね」


「……そこがまたいいのよ」


笹野がぼそりと呟く。


確かに見てて気持ちいいもんな。


「あっ、私今日は健斗くんに謝りたいことがあって来てもらったの」


「謝りたいこと?」


「私のせいで湯井沢くんのことを女たらしだと思って距離を取っているなら、それは誤解だって言いたかったの」


待て待て?

なんの話だ?


「彼ってモテるでしょ?でもいちいち断るのはめんどくさいから言い寄って来た女の子と付き合うフリして友達になってたの。

そうすれば、湯井沢くんはしばらく他の子から付き纏われないし、女の子は湯井沢くんを落としたってステータスが手に入るでしょ?」


……わかるけどステータスって胸糞悪いな。


「でも、やっぱり彼は素敵だから本気になっちゃうじゃない?そこでさよならするのが最初からの約束になってたの」


「だからあんなに取っ替え引っ替えだったんですね」


なるほど。湯井沢らしくないなとずっと思ってたのが腑に落ちた。


「でもどうしてそれを笹野さんが謝るんですか?」


「……最初にそれを湯井沢くんに提案したのは私なの。ミイラ取りがミイラになっちゃったんだけど」


「なるほど」


いや、待てよ。だからどうしてそれを「俺」に謝るんだ?


「最近健斗くんが湯井沢くんに冷たい態度取ってるのは、ヤキモチを拗らせてるのかなって思って。誤解を解きたかったのよね」


「ヤキモチ?」


「「違うの??」」


綺麗に二人の声がハモった。


この人たちの中で俺はどんな立ち位置なんだ。


「違います。湯井沢は関係……なくは無いけど違います」


どちらかと言うと俺は、湯井沢にいい人を見つけて幸せになってもらいたいと常々思ってる方だからな。


俺じゃない、誰かと。


あれ?なんかチクチクする。


「じゃあどうして最近、湯井沢を避けてるのかな?」


「それは……」


言えない。

湯井沢を見たらキスしたくなるからなんて絶対に言えない!


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