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19話 川遊び

湯井沢と別れて家に着くと、叶さんからメッセージが入っていた。


『川に行きたい』


と、たった一言だけ。


相変わらず面白い人だ。



早速、俺は彼の気に入りそうな川遊びの出来る穴場スポットを探す。

次の週末に合わせてレンタカーを予約し、食事場所も決めた。

その内容をスマホで送ると速攻で『スマホってべんりだね!』と返って来た。


俺と同じ機種でも良かったかも?と思うくらい使いこなしている。


絵を描くこと以外には無頓着な彼だが、これからもっと色々一緒に楽しいことを見つけていきたい。

もっと新しい物を見せてあげたい。


だから湯井沢が叶さんを気に入ってくれてとても嬉しかった。


……嬉しかっだけど。


二人を見ていると言いようがなく落ち着かない感情を持て余してしまう。


どちらも「好き」なのだ。


叶さんは一緒にいて落ち着く家族のような「好き」だ。

夫婦はそんな感じだと聞いたことがあるのでこれが「好き」という感情なのだろう。


湯井沢といる時の「好き」は、もっと落ち着かないものだ。

運動の後のようにドキドキと胸が鳴り、長いまつ毛や白いうなじに見惚れることもある。


どちらがより大きいなんてことはない。




いつかこの二つの好きの意味が

分かる日が来るんだろうか。











「健斗ー、課長が外にランチ行こうって」


営業の同行で客先から戻った湯井沢が俺にそう声をかけてきた。


「久しぶりだな。どこ行くって?」


「さわらぎ亭」


「いいね」



俺は急いで依頼された書類を作り、準備万端にして昼を待つ。

昼休みのチャイムが鳴ると同時に俺たちは部屋を出た。


さわらぎ亭は三人でよくランチに行く店の一つだ。

店名から和食の店かと思いきや、洋食から中華までレパートリーが広く、胃に自信がない東堂課長も健啖家の湯井沢も満足出来る稀有な店なのだ。


しかも裏通りにあり、社内の人間は滅多に来ない知る人ぞ知る穴場。

これは贔屓にせざるを得ないだろう。


「課長はまた蕎麦ですか?」


俺がメニューを眺めながら言うと、課長が照れながら覚えてくれてるんだねと嬉しそうな顔をした。


対応に困るな。


「湯井沢は何にする?」


「んー。鰻天丼」


「なにそれ」


「鰻の蒲焼きと天ぷらが半々に乗った丼」


「美味しそうだけど俺はちょっと無理だなー」


相変わらずの食欲を見せる湯井沢。

小柄な体のどこにこれだけのカロリーが吸収されるのだろう。


俺は間をとって?麻婆丼を頼み、料理が運ばれて来るまでしばしの歓談タイムを楽しんだ。



「東堂課長、今日はどうして誘ってくださったんですか?」


「久しぶりだなーと思って。二人は変わりなかった?」


「はい、まあ普通です」


「そう言えばこの前、大学の最寄駅近くで二人を見たよ」


「え?」


「俺は飲み会の帰りでタクシーだったんだけど、あんなとこ二人で歩いてるからデートみたいだったよ?」


ニヤニヤしながらそんなことを言う東堂課長に、さてはその話が聞きたかったんだなと気が付いた。


「一昨日ですか?」


「そうそう」


二人で叶さんの家に遊びに行った日だ。


なんて言おうか逡巡していると、湯井沢があっさりと「健斗の恋人の家に遊びに行った」と白状した。


「恋人?健斗くん他に恋人がいるの?」


他にって何?

そして何でそんなに驚かれるんだろう。


「まあ、恋人になるかもしれない段階の人ですけど」


俺が話しているのに課長はやたらと湯井沢の反応を気にしている。


「ひろくんはいいの?」


「ひろくん言うな。いい人だったよ。お似合いだった」


「ひろくん……」


なにその湯井沢を憐れむような顔。

ははあ、湯井沢より先に俺に相手が出来そうだから心配してるんだな?

湯井沢なんて俺よりずっとモテモテなんだから、そんな顔しなくてもすぐ彼女が出来るから。

そんなことを思っていると東堂課長の興味の矛先が俺に移った。


「ところでどんな人?」


目をキラキラさせて興味津々だ。


「絵を描いてる人です。あ、病院のお絵描き教室で先生をやったことがあるって言ってたので、課長も知ってる人かも」


「そうなの?じゃあ探してみよう。名前は?」


「羽鳥叶さんです。ペンネームは売れてないから恥ずかしいって教えてくれないんですけど、繊細で淡い色の風景画が多いです」


「分かった。でもかなりの数の駆け出し画家さんにお願いしたからなあー」


はるか昔を思い出すように空に向かって記憶を辿っている。


「もし見つかって昔の絵とか残ってたら見せてくださいね。あの人あんまり他の絵を見せてくれないから」


「うん、分かった。……もしかしてその人って心臓移植の絡みで会ったって人?少しだけ湯井沢に聞いてけど」


「そうです」


「そっか。分かった、探してみるよ」


そんなやりとりをしているうちに目の前にそれぞれの料理が運ばれて来た。


美味しそうに湯気をたてるそれらに俺たちは舌鼓を打った。







週末、俺は叶さんを連れて川遊びに来ていた。

行きの車からソワソワとしていた彼は、道路沿いの雑木林から川がチラリと見えるだけでも大喜びではしゃいでいる。


不便な場所にあるせいで、あまり人気のないキャンプ場を予約したので人見知りの叶さんもゆっくり過ごせるだろう。


宿泊までする予定はないのでトイレが遠いなどの多少の不便さは問題ない。

目の前には雄大な山と、広めで流れの緩やかな川が流れていて、その景色は日頃の疲れを癒してくれた。


そんな場所で浮き足だった叶さんは早速、靴を脱いで川に入ろうとしている。

川遊びは初めてだと言っていたので俺は心配になった。


「叶さん、海と違って川は流れがあるから膝までしか水に浸かっちゃダメですよ!」


「そうなの?分かった!」


……ほんとかな。目は離さないようにしよう。


俺は叶さんを見守りながら炭を熾してバーベキューの準備を始めた。


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