「継母が俺の土地を欲しがってるんだ」
「土地?」
「前に一緒に海に行った時の別荘覚えてるか?」
「ああ」
湯井沢と二人で初めて行った旅行だ。覚えてない訳がない。
まだ高校生だった俺たちは一日中泳いで遊んで大騒ぎした。
すごく楽しかったな……
「あの別荘なんだけど」
「あ、ああ」
しまった、つい思い出に浸ってしまった。
「リゾート開発が進んでるとかであの別荘の地価が高騰してて、継母が欲しがってるんだ」
「お前の名義なんだろ?」
「ああ、死んだ母親が残してくれた最後の財産だ」
「最後ってどう言うことだよ」
「他は全部あいつらにやった」
「ええ!!」
それはあまりに人が良過ぎるだろ。
だが、逆にあの別荘には固執してると言うことだ。
「あの場所にお母さんとの思い出でもあるのか?」
「海が近いし、眺めもいい」
「え?うん、確かにな?」
「お前がそう言ったんだ」
「確かにそう言った記憶はあるけど?」
「……」
「……」
なに???
答えになってないんだけど。
「とにかくあそこは売らない」
「それはいいけど何か策はあるのか?」
「僕がうんと言わなきゃ売りようがない。このまま無視するだけだ」
「そっか」
その解決方法はストレスが溜まりそうだな。
でも他に方法があるかと言えば、俺なんかには考えつかない。
「ストレス溜まったらいつでも話を聞くから言ってくれ」
偉そうなことを言っといて、こんなことしか出来ない自分が情けない。
俺はしゅんと項垂れた。
「じゃあ叶さんに会わせてくれよ」
「え?そんなんでいいの?」
「それでいい。叶さんに会いたい」
「わかった。いつがいい?叶さんにも都合聞いとくよ」
「今日でもいい」
あー今日は……
「すまん、今日はちょっと用事があるんだ」
「だよな、急すぎるよな」
湯井沢らしくない苦笑に、彼の疲れが見えた。
「明日は?」
「俺はいいよ」
「じゃあ聞いとくよ」
「ありがとう。楽しみにしてる」
ようやく湯井沢の顔がいつもの生意気な感じに戻った。
俺にだけ見せる、外面ではないちょっと片眉を上げた大人びた顔。
俺はこの顔が大好きだ。
こうして少しずつ湯井沢のことを知っていきたい。
本当に今更だけど、この先もずっと一緒にいたいと思うから。
仕事が終わり、俺は携帯ショップに寄り道をしていた。
以前叶さんに約束した、彼に渡すスマホを購入する為だ。
「機種はどうされますか?」
「うーん。どうしようかな」
教えるのであれば自分と同じ機種がいいだろう。けれど俺の携帯は人気のモデルの最新機種。出来ることが多い分、操作も他より多少ややこしい。
最終的に自分で使いこなしてもらう事を考えたら簡単な方がいいよな……
「これにします」
「はい承知しました。すぐ手続きいたします」
感じのいい女性店員はそう言ってテキパキと契約を進めてくれる。
そうして渡された新しい携帯を、俺は礼を言って受け取り、叶の家に急いだ。
「おかえりなさい」
「ただいま帰りました」
いつもの路地、いつもの家
そして何も変わらない室内の様子と俺を待つ叶さん。
「これなに?」
早速小さな紙袋を見つけて不思議そうな顔をする。
いつも持参する甘い匂いの物ではないと気付いたのかもしれない。
「携帯ですよ」
「健斗と同じやつ?」
「……すいません、同じのは扱いきれないかと思ってもっと簡単な奴を選びました」
「えーお揃いだと思ったのに。でも健斗が選んでくれたんならいいや」
叶は口を尖らせたあと、すぐに破顔した。
「ここが電源、ここから電話をかけます。メッセージアプリはこれ」
「うん。ボタンが少しで分かりやすい」
叶に選んだ携帯は彼のイメージの淡い青。
連絡先の少ない彼にはピッタリの子供向けのものだ。
「今メッセージ送りました。さっきのアプリ開いて下さい」
「あぷり……あ、ここのボタン?押しても手応えないから変な感じだね……あ!猫の写真が出てきた!」
「会社の側に住んでる野良猫なんですよ。そうやって画像も簡単に送れます」
「わあ!楽しいね」
面倒な手順がないのが気に入ったのか、叶は嬉しそうにあちこち触っている。そのうち彼からも美味しそうなご飯の写真が送られて来た。
「今夜の晩御飯だよ」
「うわ、楽しみです」
珍しく焼いた肉が見えて、俺の腹が鳴る。
それを聞いた叶が笑いながら立ち上がった。
「健斗夏バテなのか出会った時より痩せたでしょ。菜食の僕に付き合わせてばかりじゃダメだなって。スタミナつけないとね」
痩せた自覚はないんだけど。
そうだ、そろそろジムも再開させよう。
叶が料理を手際よくテーブルに並べ始めたので俺もそれを手伝う。
そして湯井沢が叶に会いたいと言っていることを伝えて予定を聞いた。
「健斗の一番の親友だよね。僕も会いたい!明日でもいいよ」
「じゃあ連絡入れときます」
湯井沢と叶さん。
見た目は少し似ているけど中身は全く違う二人がどんな風に会話をするのかすごく楽しみだ。
食事を終え、俺はいつものようにアトリエで絵のモデルをする。
堅苦しいことはなく、お茶を飲みながら楽しくおしゃべりしている間に筆が進んでいる感じだ。
けれどどんなに雑談に興じていても叶の手が止まることはない。
魔法のように絶えず無から有を生み出している。
「叶さん」
「なに?」
「ペンネームって本名ですか?」
「違うよ」
「教えてください」
叶は鉛筆を握る手を止めた。
「やだよ。僕の絵に興味なんてないでしょ」
まあ、正直にいうと絵はおろか芸術全般にあまり興味はない。
けれどそんな俺でさえ、彼の絵には不思議と惹きつけられるのだ。
「実はすごい有名人だったりして」
叶は声をあげて笑った。