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13話 二人で海へ(後編)

夏の陽は長い。まだ早いと思っていたのに、時計を見て思いのほか遅い時間になっている事に驚く。


「叶さん、そろそろ帰りましょうか」


「もう?まだ帰りたくない」


「ダメですよ。流石に風邪をひきます」


とはいえ二人の戯れの痕跡は太陽がすっかりなかったことにしてくれたので、レンタカーのシートをびしょ濡れにはしなくて済みそうだ。


「また来る?」


叶はスケッチブックを抱きしめてそう問う。


「そうですね、次は山にキャンプなんかどうですか?まだ暑いからその前に川遊びもいいですね」


俺の言葉に叶の目がキラキラと輝いた。



この顔が見られるならどこへだって連れて行こう。




「今日は沢山描けましたか?」


「うん、見る?」


そう言って広げられたスケッチブックには緻密なタッチで描かれた美しい海があった。今にも波の音が聞こえそうなそれは、鉛筆で描かれたと俄には信じがたいほどの蒼だ。


「次は本当にあるかな」


「どうしてですか?叶さんはこれから忙しくなる予定ですか?」


毎日家にいるとはいえ、彼も仕事をしているのだ。会えない日があっても不思議ではない。

けれどそれには答えず、ぽつんと「ずっと一緒にいてくれる?」と俺を見上げた。


「いますよ。側に」


「恋人になってくれる?」


恋人というのがどういったものを指すのかはよく分かっていないが、ずっと一緒にいるのならその先にあるのは恋人や夫婦だろう。


「そうですね、少しずつ進められたらいいなと思ってます」




「嬉しい」


そう言って叶は、俺の骨太の薬指を細く美しい指でぎゅっと握る。




俺の一部のようで異物のようなそれは、愛を誓う指輪に似ていた。







「帰りはどこかでご飯食べますか?」


荷物を車に運びながら助手席の叶に声を掛けるが既にうとうとと夢の中にいるようだった。

ずっと家の中にいる人がこんなに日差しに当たったのだから仕方ないか。


来て良かったな。


叶のスケッチブックは沢山の思い出を詰め込んだせいで、心なしか来た時より重くなっている。

これからもっと沢山の景色をこの人に見せてあげたい。


そう思いながら俺は車のエンジンをかけた。




道路は程よく渋滞していて、隣で眠る叶のゆりかごとしての役目を立派に果たしている。


このまま帰宅と行きたいところだが念の為と水分を摂りすぎたのか仇となった。俺は手洗いによるべく、サービスエリアに車を停める。


「叶さん」


起こすのはしのびないが彼だって俺と同じくらい水分を取っていたのだ。声を掛けておかないと後で困るかもしれない。


「ん」


薄い瞼が開き、漆黒の瞳が姿を現す。こんな黒い目はカラコンでもあまりお目にかかった事がなかったので、出会った当初は思わず裸眼かと聞いたほどだった。


「トイレ行きますか?」


「ん……大丈夫」


「じゃあ何か食べるもの買って来ましょうか?この辺りは地鶏が有名で焼き鳥とか美味しいですよ」


「じゃあ一本だけ」


「分かりました」



それからテイクアウトした美味しそうな料理を車の中で二人で食べた。この地方の特産物だと言えば興味を惹かれるようで、叶さんも小鳥が食べる程度ではあるが普段よりは胃袋に詰め込めたと思う。


「お腹いっぱい……」


そう言いながら気付くとまたうとうとしている。これはいよいよ限界だな、そう思った俺は帰路に着くべく車を発進させた。



「健斗」


「あれ?目が覚めました?どうかしましたか?」


走り出して一時間ほど経った頃、不意に叶が、か細い声で俺の名を呼んだ。


「怖いんだ」


「なにが怖いんですか?」


「色々なものと一緒にとても大事な事を忘れてる気がするんだ」


「……それは少しずつ治療していきましょう。叶さんが不安なら俺も会社休んで病院に付き添います」


出来れば思い出さないほうがいい事もあると思うが、本人がそれを望むなら止められない。

せめてその時は俺が側にいて支えなければと思う。



「ありがとう健斗。君がいてくれて良かった」


叶はそう言って、安心したように目を閉じた。











会社のエントランス前にあるゲートは社員証を翳さないと開かない。

つまり忘れてしまうと受付を通して部長に連絡が行き、別途許可を貰うという面倒な手間が発生してしまうのだ。

勿論、部長のねちねちと長い小言は避けられない。


……俺、佐渡健斗はまさに今、そんなピンチに瀕していた。


「おかしいなあ。いつもカバンの中に入れっぱなしなのに」


こうなったら顔見知りが通りかかるのを待って一緒に通して貰おう。そう思い周りを伺うが、まだ少し時間が早いので出社する人もまばらだ。


そこに見覚えのある人影。

湯井沢だ!


よし、ラッキー。


周りの社員に気取られないように壁つたいに湯井沢に近づく。けれど彼は一人ではなかった。


「ほんと勘弁してほしい」


「絡み酒で酔い潰れて俺のベッドに潜り込んで来たのは誰かな?」


「言い方ジジイですよ。覚えてないからノーカンです」


えっ?東堂課長?

ベッド?潜り込む?

まさか二人は付き合ってるのか?



湯井沢から男が好きだと言う話は聞いた事ないが、人生何があるか分からない。そもそも俺だって叶さんと付き合おうとしてるんだし。


……いや、でもベッドなんてあまりに生々し

い。

恋愛偏差値ゼロの俺には刺激が強すぎた。



でも一体いつから……



「健斗?」

「わあああああっ!!」


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