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12話 二人で海へ(前半)

次の日の朝、俺たちは簡単に朝食を済ませ、最寄りのレンタカー屋で車を借りて海を目指した。


「健斗!海!」


「叶さん窓から体を出さないで!危ない」


子供か?


「潮風の匂いが気持ちいいんだ。海なんてすごく久しぶり」


叶は目を閉じて、猫のようにくんくんと鼻を動かしている。


窓からは残暑の煽りを受けて熱風と言ってもいい風が吹き込んでいた。おかげで冷房が車内を設定温度まで下げようとすごい音を立ててフル回転している。



「叶さん、そろそろ着きますよ。降りるから窓閉めて下さい」


「分かった」


叶さんは大人しく窓を閉めシートベルトを握っている。その手が嬉しそうに小刻みにリズムを刻んでいて、俺の鼓動まで同じリズムで踊っていた。


叶さんと晶馬さんは、こんなに息ぴったりで運命の相手と言ってもいいくらいなのに、どうして俺の見た夢は喧嘩している場面ばかりだったんだろう。


叶さんと初めて会った日から二人の夢は全く見なくなった。

けれどこうして実際に叶さんを目の前にしている今、あの夢を見たら余計に違和感を感じるだろう。



叶さんには聞けない。

忘れてしまったということはきっと、忘れたかったということなんだろうから。







到着したのは工場がパラパラと建つ程度の、ほとんど人気のない地域だった。目の前に背よりも高い防波堤があり、そこに横付けする形で車を止める。


「海なくなったよ?」


「大丈夫です」


俺は、防波堤に張り付くように作られた人一人がやっと登れるくらいの狭いコンクリの階段に叶さんを案内した。

壁に手をつき、落ちないよう慎重に登る後ろ姿を見守りながら俺も後に続く。



「う……わ……!凄い!」


階段を登り切り切った先、防波堤の外側にその砂浜はあった。

けれど人気もなく雑草が至る所に生えていて、地元の人達にとってもここが地の利が悪く遊びには適さないと認定されている様子が窺える。


だがそのお陰なのか打ち寄せる波は限りなく澄んでいて、遠浅の海は遥か遠くまで海底が見渡せる。

邪魔する物が一切無い海原も、高い防波堤のせいで世界と切り離されたかのような景色も、無人島にでもいるような開放感を憶えた。




「降りていい?」


「いいですよ。トートバッグ持ちましょうか?」


「大丈夫!」


叶はスケッチブックの入ったお気に入りのバッグを大切そうに抱え、斜面になっている砂浜をゆっくりと歩いて波に近づく。

そして足がとられるくらい海に近づくとしゃがみ込み、手で水を掬った。


「……ぬるい」


「そうでしょうね」


下旬とはいえまだ八月だ。真っ盛りの頃とまでは言わないがそれなりに日差しも強い。

俺は持ってきたパラソルを大事な人が熱中症にならないように砂を掘って設置する。

そしてクーラーボックスから冷たいイオン飲料を取り出して渡した。


「用意がいいね?」


「だって叶さん、絵の道具しか持ってこなさそうですもん」


そう言うと叶は不思議そうな顔をした。


「なんでわかるの?」


「なんでですかね」


この人がタオルの一枚も用意せず海水に足をつけようとしている事も、強い海風の事など考えもせず髪を束ねるゴムさえ持参しない事もぜんぶ分かる。



どうしてかなんて分かり切っている。

これはすべて俺の心臓の記憶だ。





「あー髪の毛が鬱陶しいなあ」


案の定、叶が風に靡く髪に苛々し始めたので、俺はポケットから彼が置きっぱなしにしていた黒いゴムを取り出して後ろで一つに束ねてあげた。









叶が絵を描き始めて一時間。

俺は隣に座りのんびりと海を見ていた。


海といえば高校生の頃、湯井沢を交え家族で行った三段壁を思い出す。


……当時湯井沢はあまり家族とうまくいってなかったようで、俺の母親に誘われるままによくうちで晩御飯を一緒に食べてた。

その流れの旅行の誘いだったんだけど恐縮しつつもすごく嬉しそうだったのを覚えている。


弟みたいに思われていた俺には、何を悩んでいても相談なんてしてくれない。そして絶対弱みも見せてくれない。それは高校に入って俺の背が彼より高くなってからも同じだった。

だからそれなりに裕福な家庭で育っていたはずの湯井沢が、旅行が初めてだった事や、みんなで見る夕日が綺麗でこっそり涙ぐんでた事も気がつかないふりをした。


そうしないと湯井沢は俺の前からいなくなってしまう気がしたから。





「健斗」


「なんです……わっ!」


いきなり水をかけられ驚いて顔を上げると、叶が両手に水を掬って立っていた。すでに膝から下は海の中だ。


「なにするんですか、もう」


カバンの中からタオルを取り出して顔を拭うとそれが面白くなかったのか、叶は更に水を浴びせて来る。


「叶さん~」


「なに考えてたの?せっかくのデートなのに」


そう言う自分は俺を放り出してずっと絵を描いてたくせに。理不尽だ。


「友達の事ですよ」


「ともだち?嘘つき。そんな顔じゃなかった」


そんな顔じゃないってどんな顔だ。正直に話したのに。そう思って反論したらもっと大量の水を掛けられた。


なんだか楽しくなって来たので俺も靴を脱いで海に駆け出す。そして叶に向かって掬えるだけ掬った水を力一杯高く放り投げる。叶の頭上で広がったカーテンのようなそれは、次の瞬間豪雨のように彼に降り注いだ。


「ずるい!健斗は手が大きいんだからそれで掻いたら僕の三倍の威力だよ!」


びしょ濡れになりながらも負けじと水を掛け返す叶の真剣な顔が面白い。


「先に仕掛けたのはそっちでしょう!?」


そうして子供じみた攻防戦は叶の体力が限界になるまで続いたのだ。




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