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11話 お泊まり

湯井沢side 2


僕に家族はいなかった。

いたとすれば幼い頃亡くなった、顔もろくに覚えていない母だけだ。

母の死後後妻に入った継母は、再婚して間も無く男の子を産んだが、資産家であるうちの財産を全てその弟に継がそうと躍起になり、父はそんな継母の言いなりだった。

健斗の家族や悠一兄さんがいなかったら今頃僕は餓死していただろう。



それでも弟に罪はないと思ったから。


僕が継ぐはずだった会社も

使うはずだった執務室や信頼出来る秘書達も

言われるがままに全て明け渡した。


醜く争いたくなかった。

そしてそんな姿をあの心の綺麗な健斗に見せたくなかった。

そんなものと比べるべくもない大事な相手。

健斗さえいれば何も要らなかったから。




けれどその健斗が俺の側から居なくなろうとしている。



僕はどうすればいい?




食べ終わったトレーを片付け、急いで東堂の跡を追う。


「東堂課長!」


エレベータの前で追いついた彼を人気のない場所まで誘う。


「どうかしたのか?」


「頼みがあります。健斗が手術をした当時の状況を調べて欲しいんです。


「俺に実家に戻れって事か?個人情報だし難しいぞ」


「分かってます。出来る範囲で構いません。本当に晶馬さんと叶さんが健斗の移植に関わっている人なのか」


「騙されてるんじゃないかって思ってるのか?まあ期待しないで待っててくれ」


「はい、よろしくお願いします」



僕は頭を下げて東堂課長がエレベーターに乗り込むのを見送る。


その脳裏には叶さんといると楽しいと笑っていた健斗の顔が浮かんでいた。




……健斗が万が一にも傷つくことのないように、万全を期したい。

そして問題なく健斗が幸せになれるなら、この気持ちは一生知られなくていい。


彼を諦めることで親友でいられるなら



僕はそれを選ぶ。














「叶さん、明日車で一緒に出かけませんか?」


いつも通り叶さんとの食事中。俺は彼をドライブに誘った。


「健斗運転出来るんだ。どこ行くの?」


「海なんかどうです?泳ぐの平気ですか?」


「海はベタベタするし人が多いから嫌。そもそも泳げないし」


「じゃあ遊泳禁止で人がいないとこは?」


「そんなとこあるの?」


「昔地元の友達に教えて貰ったんです。海を『見に』行くなら良いですか?」


「うん!見たい!」


最初の気乗りしない様子から一転、嬉しそうな様子を微笑ましく見つめる。

これから関係を進めていく相手だ。

ろくなデートもなく毎日家で過ごすだけなのがずっと気になっていたのだ。


「じゃあ今夜泊まって行く?」


「そうします」


「やったー!ご飯食べてて。布団出してくる」


席を立つ叶さんの背中が、嬉しそうにぴょこぴょこ揺れていてとても可愛い。


一回りも年上のはずなのに。


恐らく俺たちが並べば十人中十人が叶さんの方を年下と見るだろう。

いや、俺が老けてるわけではなく。多分。


ああいうのを美魔女っていうんじゃなかったっけ。

そんなことを思いながら食事を終え、皿を洗った。


「健斗ー!先お風呂入って。着替え出しとくから」


「ありがとうございます」


この家に泊めてもらうのは今夜で三度目だ。大雨で帰れなくなったのが最初のきっかけだったが、叶さんの服がどれも小さくて着られず、それ以来次の機会のために予備の服を置かせて貰う事にしたのだ。


俺は慣れた手順で室内にある給湯器のスイッチを入れシャワーに切り替えた。

程なくしてあまり水圧の強くない温めのお湯が、全身を優しく包む。


棚には飾り気のない石鹸や聞いたこともないシャンプーが並んでいる。


この辺りは本当に頓着しない人なんだな。

それなのに髪があんなにサラサラなのはどうしてだ?俺の髪なんてどんな高いトリートメントを使っても硬くて言うことを聞かないのに。


風呂から出て用意されたTシャツとハーフパンツに着替え、二間続きの居間に戻ると、奥の部屋には既に二組の布団が敷かれていた。


「今夜は早く寝ようね。明日起きられないと困るからね」


思ったより楽しみにしてくれているらしい。

自分もさっさとシャワーを浴びてすぐ布団に潜り込もうとする。


「ちょっと叶さん髪乾かさないと」


「勝手に乾くよ」


そりゃいつかは乾くだろうけど……

電化製品嫌いの叶さんちにはドライヤーさえないのだから驚きだ。


「俺が拭いてあげますから」


「えーもう仕方ないなあ」


やって貰う側の態度ではない。

けれど大人しく俺の足の間に収まって身を預けてくる。


ほんと猫みたい。


本来であれば恋人になるかもしれない人の家に泊まるなんて、ワクワクドキドキイベントのはずだが、何故かそういった感じにはならない。


初めて泊まった時は多少意識したが、それも叶さんを意識した訳ではなく、初めてのお泊まりというシチュエーションを意識したに過ぎない。

まあ強いて言えば学生時代の先輩の家にお邪魔してる感じだろうか。


挨拶のハグもするし眠る時は抱き合ったりもした。

けれど、肉欲はまったく湧かない。

それは叶さんも同じらしく、そういった意味での甘い雰囲気にはなった事が無いのだ。


まあ叶さんがそれで良いなら良い。

俺なんて全てにおいて初心者だし。

何かが始まる前から熟年夫婦のような、……いや、家族のような関係だ。


晶馬さんともきっとこんな風に暮らしていたんだろう。


そんな彼を突然失った時、叶さんはどれほど辛かっただろう。それなのに見ず知らずの他人の俺にその大切な恋人の心臓をくれたのだ。


これからは俺がこの人を大切にしないといけない。






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