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9話 一緒に暮らそう

翌日から俺は毎日叶の元に通った。


そして絵のモデルをした後は叶の作ってくれた夕食を一緒に食べるのが日課になった。


「お茶が入ったよ」


「ありがとうございます」


食事の後はしばらく雑談をして帰宅するのだが、その日はどうしてもやらなければいけない仕事があり俺はパソコンを持ち込んで作業をしていた。


「むずかしそう」


おれの手元を覗き込み、叶が眉間に皺を寄せている。

叶は電化製品は好きじゃないと言って家にはテレビもないし、携帯もガラケーだ。


「慣れればどうって事ないですよ」


せめてスマホにしてくれればいちいちメールを開かなくてもメッセージアプリが使えるのになとチラリと思う。


「そうだ、いつも美味しいご飯を作ってもらってるから携帯をプレゼントします」


「携帯?持ってるよ」


「もっと新しい奴です。俺が持ってるみたいな」


そう言って叶にスマホを見せる。


「そんなの難しくて使えないよ。健斗が教えてくれる?」


「勿論です」


「じゃあいっそここで一緒に暮らそうか」


悪戯っ子みたいにニンマリと笑う叶。


流石にそれは早いと思ったが、心臓がひとつドクンと脈打った。

晶馬さんも賛成してるんだ。


「……今のアパートまだ半年契約期間があってすぐは出られないんですけどいいですか」


「うん、待っててもいい?」


「はい」


即答してしまったことに自分でも驚く。


「半年なんてすぐだよ」


そう言った叶はおしゃべりに飽きたのか、いつものようにスケッチブックを取り出して落書きを始めた。


叶のスケッチブックには沢山の鉛筆画があって、どれも右下には小さくアルファベットでサインが入っている。

ただ、特徴的な飾り文字でなんと書いてあるのかは読めない。


……昔どこかで見たような記憶があるんだけどな。

だが、いくら考えてもその(どこか)と言うのが思い出せずにいた。




「仕事終わった?」


「あ、はい。もう今日はここまでにします」


俺はノートパソコンをパタンと閉じて柱時計を見た。針は九時を指している。


「じゃあそろそろ帰ります」


「うん、気をつけてね」


「ごちそうさまでした」


帰る時の習慣になったハグを交わし、レトロなガラスが嵌め込まれた引き戸を開けて外に出た。

すっかり真夏だと言うのに陽が落ちたからか、涼しい風が吹き抜ける。


ここに住むのか


そう思うと不思議な気持ちだ。

大切な人とこれから先も時間を共有する事。

それは特別な事のはずなのに、トキメキとか熱い気持ちとかそんな物はなく、ただ感じるのは一緒にいるのが当たり前という安心感。


どうしてだろう。

これは誰の想いなんだろうか。



静まり返った路地を抜けて大通りに出ると、一気に夏の夜の蒸し暑さに襲われる。夢の中のようにふわふわとした気持ちは現実に引き戻され霧散してしまった。


「あっ、やばい」


そう言えば早く帰って洗濯しないと会社に着ていくシャツが無い。


俺は汗を拭きながら駅を目指し走り出した。








朝から警報級の大雨が降る憂鬱な日。

それでも学生とは違い、社会人には休社なんて制度はない。

俺は横殴りの雨に翻弄され、びしょ濡れで出社しながらも昨日作った資料に不備がないか必死にチェックをしていた。


「健斗、社食行こ」


「えっ?もう昼?」


体感的には三十分ほどしか経ってないのに。


「あ、俺あんまり食欲ないから……」


「昼抜くのは効率悪いぞ。いいから来いよ」


そう言われ湯井沢に引っ張られるように社食に連行され、促されるまま席に着く。


こいつそんなに筋肉もないのにこんな力強かったっけ。ああ、俺最近全然ジム行けてないから筋力落ちてんのかも。

大抵のことは筋肉で解決できるからサボらず来るようにとトレーナーに言われていたのに。


そんな事を思いながらぼんやりしていると「ご飯取ってくるから逃げんなよ」なんてチンピラの捨て台詞みたいな言葉を吐きながら湯井沢が注文カウンターに消えた。


なんか機嫌悪い?なんの覚えもないんだけど。

でも湯井沢は怒らせると怖いから大人しく言う通りにしておこう。


だがそんな誓いを立てた俺の目の前に今一番厄介な人物がニコニコと胡散臭い笑顔全開で立っていた。



「東堂課長……!いつの間に!」


思った以上の至近距離で思わず椅子に腰掛けたまま仰け反る。


「やあ佐渡くん。一緒にランチ食べようよ」


やばいぞ。それでなくても湯井沢の機嫌が悪いんだ。この人を見たら怒りのダムが決壊してしまう!


「すみません、今日は遠慮します。お互いのために」


「あ、湯井沢くんのこと気にしてるの?大丈夫だよ。彼に誘われたんだから」


「え???」


あんなに敵視してたのに?


「最近仲良くなったんだ~すっかり親友だよ。昨日もずっと一緒に飲んでて」


「……そうですか。それなら安心です」


仲良くしてくれるならそれに越した事はない。



なのに



このザワザワと落ち着かない感じはなんだろう?

友達を取られたようでヤキモチ妬いてんのかな。

小学生じゃあるまいし。


「お待たせ」


「やあ湯井沢くん」


「どうも東堂課長。健斗どれ食べる?」


「どれって……」


ずらりと目の前に並べられた料理の数々。日替わりランチ(唐揚げ)に始まりカレー、カツ丼、天ぷら定食、それにこれは牛丼?


「重いわ!」


食欲ないって言ってんのにどんなチョイスだよ!


「重い……」


ショックを受けたように呟く湯井沢に、他意があるかの如く楽しそうに笑い出す課長。


なんだこれ。


「湯井沢くん重いって!!」


「聞こえてます」


目に見えてムッとしている湯井沢に、俺は慌てて牛丼を手に取った。


「いや、ありがとう。これ頂くよ!」


せっかく俺の為を思って頼んでくれたのに申し訳ない事をするところだった。


「じゃあ俺は蕎麦でも頼んでくるかな」


そう言って立ち上がりかけた東堂の腕を、湯井沢はガシッと掴んだ。


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