び、びっくりした~。
「多田さん、うるさいです」
「お前、先輩に対してなにを……え?」
言葉を失い湯井沢を見つめる多田。
つられて俺も隣にいる湯井沢を見た。
「湯井沢?」
眉間に皺を寄せた湯井沢。その目は恐ろしいほどに腫れ上がり赤くなっていた。
「どうしたんだ?!湯井沢!」
「……ア……アレルギーだ」
「アレルギー?」
アレルギーがあるなんて知らなかった!
「もしかして昨日うちに来た時になにかアレルゲン物質が?!」
「健斗、うるさい」
「はい」
「多田さん」
「な、なんだよ」
「いい加減にしましょう。部長も常務も知ってますよ」
「なっなにをだよ!」
湯井沢の迫力に押されながらも多田は精一杯虚勢を張った。だがその後湯井沢は何も言わずにただ半笑いで多田を見つめるばかりだ。
ちなみに目を腫らせての半笑いは物凄く怖い。
俺自身には関係ない事なのに思わず震えてしまうくらいだ。
「さあ、なんでしょうね。もうすぐ分かるんじゃないですか?それまでは出来るだけ印象を良くしておいた方がいいと思いますよ」
湯井沢の謎めいた言葉に多田は顔を引き攣らせファイルを抱えて部屋を出て行った。
「え?なに?多田さん何かしたの?」
俺は先ほどの気まずさも忘れて湯井沢に問いかける。
「さあ」
「さあ?」
「あの人の事だから人に言えないようなことしてそうだなって思って」
「え?カマかけたのか?」
「そう」
なんて賢い奴だ。
「ありがとう。お陰で助かった。ところでその目は本当に大丈夫なのか?薬は?病院は?」
「……こうなるから顔を見せたくなかったんだよな」
「え?なんかごめん。でも……と、言う事は俺を嫌いになったんじゃないって事か?」
「なんで僕が健斗を嫌いになるんだよ」
「良かった……」
さっきまでの不安がウソのように消えていく。いいようのない安堵感にじんわりと涙が滲んだ。
「?お前泣いてんの?」
「だって嫌われたかと思って。男同士で付き合うとか気持ち悪いって……」
「……」
湯井沢は何かを堪えるようにぎゅっと一度目を瞑った。そして腫れた目で俺をしっかりと見た。
「そんなことあるわけない」
「ゆいさわ~!」
本当に良かった。こんな事で湯井沢を無くすなんて考えられない。
……いや、待て。こんな事?
俺にとって叶さんは大切な人だ。場合によっては一生を共にする伴侶になるかもしれないのに。それなのに俺はそんな彼との付き合いをこんな事って思ったのか?
複雑な思いで無意識に視線を泳がせる。
それを見た湯井沢は呆れたようにため息をついた。
「お前が決めた事なら俺は何も言わない。だから心配すんな。俺はずっとお前と一緒にいる。だからなんでも相談してくれ」
「ありがとう湯井沢……」
そうだ。俺には湯井沢がいる。昔から頼りになってなんでも知ってる大人びた奴だった。
この年で頼り切りはみっともないけど湯井沢に彼女が出来るまでは甘えてもいいだろうか。
「恋愛はとんでもない初心者なので百戦錬磨の湯井沢先輩に色々とご教示頂きたく存じます」
ぺこと頭を下げた俺を見て笑う湯井沢はいつも通りの彼だった。
昼休憩になると部署中の、いや社内中の女子が手に手に冷感シートや濡れタオルを持って湯井沢の元に集まっていた。
「やだー可哀想」
「ああこんなに綺麗な目が見えないなんて」
「動いちゃダメ!もう少し冷やして」
みんな楽しんでる?と言いたくなるくらいのお祭り騒ぎだが当の湯井沢は外面全開でお礼を言いながら和やかに笑っている。
「それにしてもこんなに泣くほどゆいちゃんをいじめたのは誰なの?お姉さんが叱ってあげるから言ってごらんなさい」
おやつ片手に駆けつけたお局様が気になる事を言った。
「泣く?湯井沢はアレルギーで……」
「これが?何言ってるの。あなたは本当に何も分かってないわね。本当にいいのは顔だけなんだから」
……またちょっと怒りにくい悪口を言われた。
なんなの。
「本当にこれでもう少し気が利けばねえ」
次期お局様候補の企画室課長までそんな事を言いだしたので、俺は長引くことを覚悟して心を無にする。
けれど……
「健斗」
湯井沢が目の上にタオルを乗せたまま俺を呼ぶ。
「なに?」
「飲み物買ってきてくれる?僕の好きな奴」
「分かった」
俺は湯井沢に心の中でお礼を言いつつこれ幸いとばかりにその場から逃げ出した。
休憩室にある紙カップの自販機の前まで来てあいつの好きなアイスミルクティーのボタンを押す。
こんな甘いものよく飲めるなあと思うけど冬はさらに甘いホットココアを飲んでいるので根っからの甘党なんだろう。
仕事中もずっとチョコ食べてるし。
取り出し口から慎重にカップを出して、自分の為に無糖のコーヒーを押したところで、飲食スペースの端にぼんやり座る女性社員に気がついた。
あ、笹野さん。
湯井沢と別れて塞ぎ込んでいると聞いたのでここは気づかなかったふりをして立ち去ろう……
そう思っていたのに顔を逸らそうとした瞬間にガッツリ目が合ってしまった。
「佐渡くん」
「あ、はい」
「ちょっとこっち来て座りなさいよ」
「あ……はい」
無視するわけにもいかないので仕方なく彼女の斜向かいに座った。