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6話 二度目の失恋

「湯井沢?」


ハッとして目を開けると僕の顔を覗き込む健斗がいた。

あ?ドアの前に座ったまま寝てたのか?


「健斗……」


「ごめんな!連絡しなくて!なんでお前のこと忘れてたんだろう。とにかく早く中に入れよ」



……忘れてた?


胸がズキリとした。



「本当に悪かったよ。携帯も全然見てなくて」


じゃあ何を見てたんだよ。

心の中で呟きながらも取り繕った顔で健斗の差し出した冷えたビールを受け取った。


「いいんだ。それより会えたんだろ?どうだった?やっぱり移植の関係者だったか?」


「うん」


健斗に促されるままに苦いビールを一口煽る。



「それで?どんな話をしたんだ?」


「やっぱり湯井沢が言った通り、その人の恋人が俺の心臓の提供者で……」


「うん、それで?」


「それで……その人に、俺が恋人の代わりに側にいるって約束した」





は?




「……どういう意味?それってその人と付き合うってこと?」


「分からない。でもいつかはそうなればいいなと思ってる」


やっぱり二人で会わせるんじゃなかった。


側にいて欲しい?

何様だよ。僕だって健斗の側にいたいよ。

それなのに弱みにつけ込んでそんな曖昧な言葉だけで僕から健斗を奪っていくなんて。



僕は大きく深呼吸をしてからゆっくり尋ねる。


「よく考えろよ。今日会ったばかりの人だぞ?しかも相手は男だろ?」


僕の質問に健斗はしばらく考えて「うん」と言った。


「確かに男同士ってどうなんだろうと思ってたんだけど。でも叶さんに会って、この人が望むならそれもいいかって思えたんだよな。この人の言うことならなんでも聞いてあげたい……って」



「……何だよそれ」


突然暗闇に突き落とされたような感覚にめまいがする。


「大体、好きでもない相手と付き合うこと自体……」


「好きだよ」


え?


「よくわからないけどこれが多分好きって気持ちなんだと思う」


「そんな……」



いつかこんな日が来ることは思っていた。

気持ちを自覚しながらも健斗を失うのが怖くて親友という立ち位置を選んだのは自分だから。


健斗に好きな人が出来たんだ。

一緒に喜んであげるべきだ。


だってこれからも彼の親友として側にいるんだから。


「まあお前がそうしたいならいいんじゃないか」


「本当にそう思うか?」


「当たり前だろ。今度会わせろよ」


そう言うと健斗は「分かった」と嬉しそうに笑った。










自宅までの帰り道、馬鹿みたいに溢れる涙を拭いながら僕は二度目の失恋を噛み締めた。










湯井沢をアパートの階段まで見送ってから、俺は冷たいシャワーを浴びながら今日の出来事を思い返した。


叶さんは少し落ち着いてから晶馬さんの思い出をたくさん話してくれた。楽しそうに二人で写っている写真やお揃いのカップも見せてくれて、同性であることを除けば何処にでもいる幸せそうな夫婦だと感じた。



けれど……。



夢の中の二人は晶馬さんの浮気癖の件でいつも喧嘩をしていた。けれど今日の叶さんからそんな話は一切出なかった。


晶馬さんが亡くなったショックが大きく、ところどころ記憶が抜け落ちていると言っていたがその辺りも忘れてしまったのだろうか。

それはそれで幸せではあると思うが、思い出した時はつらくないだろうか。


記憶が無くなったのは精神的なショックだと言われ、病院に通っているとの言葉通りダイニングテーブルには病院の診察券や薬が山のように置かれていた。




俺は胸に残る薄くなった手術跡に手のひらを当てる。


叶さんのことを好きだと思う。

でも恋愛をしたことがない俺は、好きという気持ちの区別がよく分からない。

動物や美味しいご飯、そんなものの好きと何が違うのかと問われると答えることができないだろう。


でも一緒にいると確かに大切にしたいと思えた。

それだけじゃダメなんだろうか。

俺は帰り際の複雑な顔をした湯井沢を思い出す。


「まあでも考えても仕方ない。分からないもんは分からないんだし」



俺は開き直って考えるのをやめた。

そして気持ちを切り替えようと音楽をかけてベッドに寝転がった。







翌朝出社すると湯井沢は既に自席で仕事をしていた。


「おはよう。早いな」


俺は三十分前出社がデフォだが湯井沢はいつもギリギリにしか来ないのに。


「ああ、部長に依頼された資料今日までなの忘れててさ」


「えっ?菅田部長?ヤバいじゃん手伝おうか?」


「大丈夫」


仕事に没頭しているのか、チラリともこちらを見ない湯井沢に少し寂しさを感じつつ俺も自分の席に座る。


もしかして男と付き合おうとしてるのが理由で気持ち悪がられて距離を置かれてるのかな。

世間一般的にはそれが普通の感覚だよな。

でもこのまま疎遠になるのはちょっと……いや物凄く嫌だな。


俺はしょんぼりしながらパソコンを立ち上げた。その時ふいに目の前に分厚いファイルが差し出される。


「佐渡余裕あるならこの資料をエクセルで集計してくんない?今日中だけど大丈夫だよな?」


嫌味な笑顔を見せるその男は一年先輩の多田淳。入社当時から何かと俺に突っかかったり自分の仕事を押し付けたりする奴だ。


「すいません多田さん。今日中は無理かと……」


この分厚さなら二日はかかるだろう。今日中なんて無理過ぎる。


「は?湯井沢の仕事手伝える余裕あるんだろ?明日の役員会議で稟議上げるのに必要なんだよ。先輩の言う事は絶対だろ?もう仕事教えてやらねーぞ」


この人に仕事なんて教えて貰った事があっただろうか。いや、無い。


まだフロアに人がいないのをいい事にパワハラをかましてくるこの男をどうしたものかと思案していると、湯井沢がバン!と思い切り机を叩いて立ち上がった。



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