子供の頃からよく見る夢がある。
夢と言っても視界は真っ暗闇で人の話し声だけが聞こえるものだ。
その言葉も殆どが不明瞭で周波数の合わないラジオを聴いている感覚に近い。
声の様子から察するに話しているのは二人。
最初の頃は笑い声や楽しげな雰囲気から仲の良い友人同士の印象だったが、ニ年を過ぎた辺りから少しずつ喧嘩らしきものが多くなった。
その頃俺は十五歳で高校受験を控えていた。
それでなくても神経質になる時期に怒鳴り声ばかりの夢に嫌気がさして親に相談したところ、よくある事だと一笑に付されたことを覚えている。
まだ当時素直だった俺はそんなもんなのかと気にする事も少なくなり、そのうち夢の頻度は低くなっていった。
それが今更……
社会人になって二年も経ってから毎晩のように見る羽目になるとはそれこそ夢にも思っていなかった。
俺の名前は沢渡健斗。(さどけんと)
いつも同じ、しかも時系列で進行するような夢を見るなんてさすがに「よくある事」ではないと理解するくらいには大人の、社会人二年目二十四歳。
ここ数年、年三回くらいのペースだったその夢を立て続けに二週間も見続けていて疲労がピークに達している。
しかも声が以前よりはっきりと聞こえるようになって、どうやら二人は恋人同士だ、と言う知りたくない情報まで得てしまった。
ちなみに何故昔その可能性に至らなかったのかと言えば、その声は二人とも男性のものだったからだ。
それはいい、それはいいんだ。多様性の時代だし。
問題は喧嘩のスケールが以前にも増して大きくなり聞くに堪えない罵詈雑言が夜な夜な俺を苦しめていることだ。
「誰が何のために俺にあんな夢を見せるんだ」
仕事中にもかかわらず思わずぼそりと漏らしてしまった俺の言葉を、隣に座る同期の
「夢?なに?面白そうなんだけど」
「何も面白くねえ」
「そんなこと言わないでよー。僕には言えない話ってこと?中学からの付き合いなのに寂しい」
湯井沢は保護欲を掻き立てる子役の様に整った童顔で、わざと悲しい顔を作り首をこてんと傾ける演技をした。
そう、演技なのだ。
こいつはこう見えて可愛さを武器に社内のイケてる女子を総なめにしている。更にお局様たちまでも味方につけてる狡猾で計算高い奴なのだ。
「それより笹野さんがお前と連絡取れないって泣いてたぞ。彼女だろ?大事にしろよ」
「なんで俺に直接言わないでお前に言うんだよ」
途端に湯井沢の顔が素に戻る。こいつ真顔だと目つき悪いんだよなあ〜。
「お前が構ってやらないからだろ?ヤキモチ合戦なら二人でやってくれ」
「そういうんじゃない」
俺の呆れた様子に湯井沢はふいっと顔を逸らした。
「一回刺されてこい」
この全人類の敵め。
「それよりたまには男同士で飲みたいな。奢るから久々に行こうよ。そこでゆっくり夢の話も聞かせて」
「まあいいけど。面白いもんじゃないぞ」
「そもそも健斗の話に面白いもんなんてある?」
こいつ……。
にっこり笑って仕事に戻った湯井沢の横顔を見ながら俺は(まあ気分転換くらいにはなるか)と気持ちを切り替え作りかけの資料に意識を戻した。
その後早々に仕事を終わらせた俺たちは大学の時よく行った馴染みの居酒屋に足を運んだ。
「それにしても久しぶりだな、この店」
「だろ?懐かしいよな。この辺りにショッピングモールが建つらしくて今日で閉店するんだって。だから最後に来たいと思ってたんだ」
「こんなとこにショッピングモールか。時代の流れだな」
「そうだな。あんなに病気ばっかりしてた健斗が今じゃ僕の三倍くらいデカくなったくらいだしな」
「三倍は言い過ぎだな」
「あーあ、昔はあんなに可愛かったのに。サラサラの黒髪に華奢で色白で女の子みたいだった。それが今じゃ綺麗めのゴリラだもんな」
綺麗めのゴリラ。
ちょっとだけ褒められてるので怒りにくい。
俺は黙ってジョッキを傾けた。
けれど確かに湯井沢の言う通り、子供の頃の俺は心臓に疾患を抱えた運動も出来ないガリガリに痩せた子供だった。
十三歳の時に心臓移植の提供者が見つからなければとっくに死んでいただろう。
医者も驚くほど上手く適合したので自分でも病気だったということを忘れるくらい元気になった。湯井沢のゴリラは言い過ぎだが、体も鍛えて見事な細マッチョとしてジムでも褒められるくらいだ。 臓器提供してくれたのがどこの誰かは分からないが本当に感謝してもしきれない。
「そうだ!それより夢の話ってなんだよ」
「あ、ああ覚えてたのか」
「当たり前だろ!」
「……?そんな食い気味に言われる程のことじゃないんだけど。後でつまんないって怒んなよ?」
「健斗のことならなんでも知りたいんだよ。さっさと話せ」
なにそれとんだツンデレ野郎だな。
まあいいか。
「実はな……」
初めて夢を見た時のことからその内容、段々と二人の仲が険悪になってきたことや寝不足で仕事のミスが増え怒られたことまでつまびらかに話し、更に変な人だと思われたくなくて今まで他人に話せなかったことまで説明した。湯井沢はいつになく真剣な顔で黙って最後まで聞いてくれた。
「それは怖いよな」
「え?なにが?」
「だって声がはっきり聞こえるようになったんだろ?次は姿が見えそう」
「や、やめろよ」
「それなんかに取り憑かれてるんじゃないの??」
「やめろー!!!俺は一人暮らしだぞ!」
「だって聞いてたらどう考えてもホラーじゃん」
「お前〜!」
今までそんな風に考えたことは無かった。でも言われてみればそうかもしれない。そう考えると急に怖くなってくるから不思議だ。
「お祓い行った方がいいんじゃね?」
「でもああいうのインチキが多いだろ?それに俺あんま金持ってないし」
「彼女の一人も出来たことのないのに金がないっておかしくない?ギャンブルでもやってんの?」
「うるさい、やってない」
突っ込むとこそこじゃないだろ。何故更に俺を追い詰める?
「けどそうも言ってらんないからこれ以上夢が進んだら一緒に退治してくれるとこ探そう。いいな?」
「……わかった」
確かに命には代えられない。
「わかった。その時は協力してくれよ」
「任せとけ!今夜は飲むぞー!」
「おーっ!」
……何ていい奴なんだ。それなのにモテるからって妬んで刺されろなんて言ってごめんな。
今夜は夢も見ずいい気分でぐっすり眠れそうな気がするよ。
そんなことを思いながら久々にしこたま飲んでご機嫌で帰宅した俺は
その後あんな酷い目に遭うなんて考えもしなかったんだ。