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第65話 地下十階(4)休憩時間

「我が眷属よ! お行きなさい!」

 ラシーカは、たっぷりとフレアの入ったドレスの裾を翻し、蝋のように白い腕を、天に向かって差し伸べた。


                  ☆


 彼女が迷宮を探索している間、ヒマになった魔王はブーツを脱いで床に座り込んだ。


「どうなすった陛下、マメでも出来なすったか」

「ああ、名人。そういうわけでもないけど、さすがに歩き通しだからちょっと足の裏とか痛くって……」


 魔王・晶は足を伸ばし、指をヒョコヒョコ動かしてみせた。

 実際、魔王の強靱な皮膚はマメの生成すら許さないが、引きこもり生活からいきなりダンジョンに放り込まれたのだ。さすがの魔王でも、足腰が痛くもなる。


「だけど、ただでさえ能なしの俺が足手まといになるわけにゃいかねえ。治癒の魔法も自分相手じゃろくに使えないしね。だから」

「殊勝な心がけじゃ、陛下。どれ、見せて下さらんかの」

「いや……悪いっすよ。名人だって疲れてるんだし」

「ワシ相手に遠慮することはない。さあ」

「……すいません」


 細工師・ヒウチは魔王の足の裏を少し診て、荷物からキャンプ道具を取り出した。

 彼は手際よく携帯コンロを設置すると、お湯を沸かしはじめた。

 湯が暖まってくると、ヒウチは小袋から数枚のハーブを取り出し、鍋に投じた。

 さらに煮立てること数分。

 変わったお茶のような匂いが立ち上ってくる。

 湯の色が薄茶色に染まった頃、ヒウチは鍋を火から下ろした。


「薬湯を冷ますので、もうちょっとお待ち下さいよ」


 ヒウチは荷物から魔導具を取り出すと、五分ほどかけて二粒の氷を作り、鍋に放り込んだ。


「携帯用製氷器か……。便利だなあ」

「皆が魔法を使えるわけでもないですからの、こういうものが必要になるんですじゃ」

「たしか城にある冷蔵庫も名人の作だとか言ってたな」

「食糧の保存には冷蔵・冷凍が一番。まあ、夏場の冷凍はちょっと難しいですけどな。どうしても時間がかかってしまうので、鮮度との兼ね合いが」

「たしかに。ただの水を凍らせるだけならまだしも、肉や魚を凍らせるとなれば、それなりの冷却能力が必要だもんな」


「さすがは魔王様、進んだ原初の星からお越しなだけはある。ああ、ワシも行ってみたい……。進んだ文明の国……。さぞかし素晴らしい魔導具が溢れておるのじゃろうなあ……。見てみたい……。ああ……。先代様はずるい……」


 ヒウチが遠い目になってしまった。


  おーい。

  めいじーん。

  おーい。

  ……。


 魔王はヒウチの目の前で手を振った。


「はっ! おお、これは陛下。いかがなされたかの」

「いかがなされてたか聞きたいのはこっちだよ、名人。それで薬湯はどうなったのよ」

「ああ、申し訳ない。ぼちぼち冷めてきましたな。ではでは……」


 ヒウチは布に薬湯を浸すと、軽く絞って魔王の足にピタピタと塗りつけていく。

 薬湯の触れた部分は、生暖かいのにスースーと清涼感があって、おどろくほど足の痛みが引いていく。


「うっわすっご……。もう半分ぐらい痛みが引いてる……」

「塩と蜜を混ぜた水もどうぞ」

「おお、ナチュラルなスポドリだなこれは……」


 魔王はヒウチの差し出したカップの中身を一気に飲み干した。


「これで回復が早まりましょう。……多分」

「多分て」

「まあこれは、普通の民の手当ですからなあ。魔族の王たる陛下に、一体どのくらい効果があるか、試したこともないですから」

「そらそうだ。でも、そこまで違くもなさそうだぞ? けっこー効いてきたし」

「左様で。それは良かった」


 ヒウチはひげもじゃな顔をくしゃっとさせて笑った。



                  ☆



 皆が一服していると、コウモリたちがキャンプに帰ってきた。

 女吸血鬼は日に何度も眷属を飛ばしたせいか、疲労の色が濃い。


「お疲れさん」


 ドラゴルフの騎士、ウリブがカップと小樽を差し出した。

 樽の中身は、魔法で造った人工血液である。


「助かるわ」


 ラシーカが受け取ろうとすると、脇からウリブの妹、サリブが奪い取った。


「バカか、姉様は」

「なにすんだよ」

「ちゃんと注いでから渡してやれよ。ビッチ疲れてんだろ」

「ううう……」


 サリブは小樽から血をカップに注ぐと、ぶっきらぼうにラシーカの前に突き出した。


「ありがとう、頂くわ」

 ラシーカは微笑んだ。


「お前だって雑な渡し方して、人のこと言えないだろ」

「姉様よりマシ」

「んだとコラ」

「やるのか姉様よ、ああ?」


 一触即発のその時――


「「ギャッ!!」」


 黒騎士卿が、二人の頭を同時に叩いた。


「ったくお前達はいつまで経っても行儀を身に付けないな! 城に帰ったら我が家で行儀見習いからやりなおせ。いいな?」

「「はーい」」

 うなだれる二人。


「は、ハーティノス?」

「なんだラシーカ。まだ叱り足りないか?」

「そそ、そうじゃなくて……」

「なんだ」


 ラシーカはもじもじしながら、

「わ、わわ、わたしも……その、行儀見習いしても、いい、かしら……」


「ええっ!?」

 黒騎士卿は赤面しながら、5m後ずさった。


 そこにずい、と出てきたのは薬師のルパナ……ではなく、竜神姫の方だった。


「お前達、のんびりしているヒマはないぞ。休憩が終わったなら、さっさと支度をせい。さもなくば迷宮ごと焼いてしまうぞ」

「ひいッ、わ、わかった。すぐ靴履くから待ってくれよ」

「そなたはもう少し足を休めてもよい」

「サンクス」

「そなたらはすっかり忘れておるようだが、宰相が入れ違いに入ってしまってから、それなりの時間が経っている」

「あー忘れてた」

「誠か、アキラ。薄情な」

「あいや、ハーティノス、そういうわけじゃ……」

「まあ、来るなと言ったのに来た者のことなど、正直どうでもよいが、敵を殲滅あるいは撤退させるに至っておらぬ以上は、前に進まねばならぬ」

「「御意!」」と双子。

「吸血鬼の娘よ、道案内をせよ。妾は待ちくたびれた」


 ラシーカは黒いドレスを翻し、竜神の前にひざまずいた。

「仰せのままに」


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