「我が眷属よ! お行きなさい!」
ラシーカは、たっぷりとフレアの入ったドレスの裾を翻し、蝋のように白い腕を、天に向かって差し伸べた。
☆
彼女が迷宮を探索している間、ヒマになった魔王はブーツを脱いで床に座り込んだ。
「どうなすった陛下、マメでも出来なすったか」
「ああ、名人。そういうわけでもないけど、さすがに歩き通しだからちょっと足の裏とか痛くって……」
魔王・晶は足を伸ばし、指をヒョコヒョコ動かしてみせた。
実際、魔王の強靱な皮膚はマメの生成すら許さないが、引きこもり生活からいきなりダンジョンに放り込まれたのだ。さすがの魔王でも、足腰が痛くもなる。
「だけど、ただでさえ能なしの俺が足手まといになるわけにゃいかねえ。治癒の魔法も自分相手じゃろくに使えないしね。だから」
「殊勝な心がけじゃ、陛下。どれ、見せて下さらんかの」
「いや……悪いっすよ。名人だって疲れてるんだし」
「ワシ相手に遠慮することはない。さあ」
「……すいません」
細工師・ヒウチは魔王の足の裏を少し診て、荷物からキャンプ道具を取り出した。
彼は手際よく携帯コンロを設置すると、お湯を沸かしはじめた。
湯が暖まってくると、ヒウチは小袋から数枚のハーブを取り出し、鍋に投じた。
さらに煮立てること数分。
変わったお茶のような匂いが立ち上ってくる。
湯の色が薄茶色に染まった頃、ヒウチは鍋を火から下ろした。
「薬湯を冷ますので、もうちょっとお待ち下さいよ」
ヒウチは荷物から魔導具を取り出すと、五分ほどかけて二粒の氷を作り、鍋に放り込んだ。
「携帯用製氷器か……。便利だなあ」
「皆が魔法を使えるわけでもないですからの、こういうものが必要になるんですじゃ」
「たしか城にある冷蔵庫も名人の作だとか言ってたな」
「食糧の保存には冷蔵・冷凍が一番。まあ、夏場の冷凍はちょっと難しいですけどな。どうしても時間がかかってしまうので、鮮度との兼ね合いが」
「たしかに。ただの水を凍らせるだけならまだしも、肉や魚を凍らせるとなれば、それなりの冷却能力が必要だもんな」
「さすがは魔王様、進んだ原初の星からお越しなだけはある。ああ、ワシも行ってみたい……。進んだ文明の国……。さぞかし素晴らしい魔導具が溢れておるのじゃろうなあ……。見てみたい……。ああ……。先代様はずるい……」
ヒウチが遠い目になってしまった。
おーい。
めいじーん。
おーい。
……。
魔王はヒウチの目の前で手を振った。
「はっ! おお、これは陛下。いかがなされたかの」
「いかがなされてたか聞きたいのはこっちだよ、名人。それで薬湯はどうなったのよ」
「ああ、申し訳ない。ぼちぼち冷めてきましたな。ではでは……」
ヒウチは布に薬湯を浸すと、軽く絞って魔王の足にピタピタと塗りつけていく。
薬湯の触れた部分は、生暖かいのにスースーと清涼感があって、おどろくほど足の痛みが引いていく。
「うっわすっご……。もう半分ぐらい痛みが引いてる……」
「塩と蜜を混ぜた水もどうぞ」
「おお、ナチュラルなスポドリだなこれは……」
魔王はヒウチの差し出したカップの中身を一気に飲み干した。
「これで回復が早まりましょう。……多分」
「多分て」
「まあこれは、普通の民の手当ですからなあ。魔族の王たる陛下に、一体どのくらい効果があるか、試したこともないですから」
「そらそうだ。でも、そこまで違くもなさそうだぞ? けっこー効いてきたし」
「左様で。それは良かった」
ヒウチはひげもじゃな顔をくしゃっとさせて笑った。
☆
皆が一服していると、コウモリたちがキャンプに帰ってきた。
女吸血鬼は日に何度も眷属を飛ばしたせいか、疲労の色が濃い。
「お疲れさん」
ドラゴルフの騎士、ウリブがカップと小樽を差し出した。
樽の中身は、魔法で造った人工血液である。
「助かるわ」
ラシーカが受け取ろうとすると、脇からウリブの妹、サリブが奪い取った。
「バカか、姉様は」
「なにすんだよ」
「ちゃんと注いでから渡してやれよ。ビッチ疲れてんだろ」
「ううう……」
サリブは小樽から血をカップに注ぐと、ぶっきらぼうにラシーカの前に突き出した。
「ありがとう、頂くわ」
ラシーカは微笑んだ。
「お前だって雑な渡し方して、人のこと言えないだろ」
「姉様よりマシ」
「んだとコラ」
「やるのか姉様よ、ああ?」
一触即発のその時――
「「ギャッ!!」」
黒騎士卿が、二人の頭を同時に叩いた。
「ったくお前達はいつまで経っても行儀を身に付けないな! 城に帰ったら我が家で行儀見習いからやりなおせ。いいな?」
「「はーい」」
うなだれる二人。
「は、ハーティノス?」
「なんだラシーカ。まだ叱り足りないか?」
「そそ、そうじゃなくて……」
「なんだ」
ラシーカはもじもじしながら、
「わ、わわ、わたしも……その、行儀見習いしても、いい、かしら……」
「ええっ!?」
黒騎士卿は赤面しながら、5m後ずさった。
そこにずい、と出てきたのは薬師のルパナ……ではなく、竜神姫の方だった。
「お前達、のんびりしているヒマはないぞ。休憩が終わったなら、さっさと支度をせい。さもなくば迷宮ごと焼いてしまうぞ」
「ひいッ、わ、わかった。すぐ靴履くから待ってくれよ」
「そなたはもう少し足を休めてもよい」
「サンクス」
「そなたらはすっかり忘れておるようだが、宰相が入れ違いに入ってしまってから、それなりの時間が経っている」
「あー忘れてた」
「誠か、アキラ。薄情な」
「あいや、ハーティノス、そういうわけじゃ……」
「まあ、来るなと言ったのに来た者のことなど、正直どうでもよいが、敵を殲滅あるいは撤退させるに至っておらぬ以上は、前に進まねばならぬ」
「「御意!」」と双子。
「吸血鬼の娘よ、道案内をせよ。妾は待ちくたびれた」
ラシーカは黒いドレスを翻し、竜神の前にひざまずいた。
「仰せのままに」