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第60話 地下九階(1)侵食エリアの始まり

 ラシーカはもじもじしながら、言いづらそうに答えた。


「そうねえ…………。下のお掃除が済んでいれば…………行けるところまでなら、……まあ、いいわよ」


「「「「「お掃除?」」」」」


「そういえば……。この吸血鬼、異生物の大群が気持ち悪いからってリタイアしたんだっけ。うっとうしいのがいなくなって清々してたから、すっかり忘れてたよ」


 非常食の干し肉をバリバリ囓りながら、ウリブが吐き捨てるように言った。


「うっさいわね。生理的にダメなもんぐらい誰でもあるでしょ」

「だいたい、あの奥に何があったのさ?」

「それは……」


 ラシーカは口ごもった。

 彼女にはまだ、皆に伝えていない情報があったのだ。


「ムリに聞くのも失礼かと存じますが、貴重な敵の情報です。出来ることなら、お聞かせ願えませんか、ケラソス卿」

 ミノスは憂いを含んだ笑みを湛えながら言った。


「そ、そこまで言われちゃ……教えないわけにもいかないかしらね……」

 お気に入りのミノスに頼まれては仕方がない。

 ラシーカは言葉を切ると、数瞬ののち、語り始めた。


「蜘蛛のような蟹のような蠍のような……足がわらわらした、そういうののすごく大きいのが、迷宮をえぐって繋がった洞窟のような空間に、びっしりひしめいていた……。

 そして、ミミズみたいなのとか、タコみたいのを手当たり次第に喰らっていて……そして次々と卵を産んで……ああああ、思い出しただけでも自分が噛み砕かれる想像をしてしまうッ」


 彼女は自分の体をひし、と抱くと、目をつぶってしゃがみこんでしまった。


「竜神様曰く、地下九階、十階のはじっこは、どこか別の世界みたいなところと無理やりつなげられてしまっているらしい。くっついた洞窟の中は結構広くて、それがどこまで繋がってるか、中に入ってみないと分からないそうだ。今頃はきっと……」


「なんてこと……。私は、そんな危険な場所に陛下と竜姫様を送り込んでしまったなんて……。あああ……なんてことを……」


 モギナスは顔を覆って、己の行いを呪った。


「ま、もしかしたら良かったかもしれないですよ、モギナス様」

「ムリに慰めてくれなくてもいいですッ」


 モギナスは顔を覆ったまま、ブンブンと頭を振った。


「そーじゃない。竜神様も名人も言っていた。このままほっといたら外にアレが湧き出して、地上で大繁殖して国ごと食われてたかもしれないって。だから――」

「怪我の功名……か。だが、それにしてはリスクがクッソデカいぞ、ミノス」

「ですよね、隊長……」

「竜神様は言っていた。他の者は帰れ。自分だけで潜り、事と次第によっては迷宮ごと焼き払うと」

「だから我々に出て行けと仰せになったのですね、魔王様は……とほほ」

「我々も急いで魔王様に合流しましょう。黒騎士卿も一緒とはいえ、心配です」

「私も妹を置いてきている。本当は私が残るつもりだったのに……」


 ウリブはうつむいた。


「正直、あの洞窟のお掃除なんて、どれだけ可能かわかったもんじゃないわ。私がご一緒出来るのは、ホントにあの洞窟の入り口ぐらいまでかしらねえ……」

「それで構いませんよ、ケラソス卿。よろしくお願いしますよ」


 モギナスは泣きそうな顔でラシーカに頭を下げた。


「さすがの宰相殿でも、魔王様や竜神様のお命に関わるとなれば、本気で心配されるんですねえ」

 ミノスは皮肉っぽく言った。


「私のこと何だと思ってるんですッ、ったくもう。また姪に何か吹き込まれて……」

「いえいえいえいえ、そのようなことは。ふふっ」

「な、なんか引っかかりますねえ……。とにかく下に参りましょ、皆さん!」


 モギナスは自身に気合いを入れるかのように、カラ元気で声を上げた。



                  ☆



 ――地下九階。


 地下八階から九階への階段は、異生物の卵や、粘液、壁面を這い回る根のようなもの残骸で、不気味に汚れたままだった。

 階段から通路に出たあたりまで、卵の残骸が石床にへばりついている。


「これが……あのタコの卵なのか」

 顔をしかめながら、親衛隊隊長・リバがつま先で残骸をつついている。


「卵を見つけたら焼き払うのが一番。この階の卵は、おおかた皆で焼き払いました」

 と、ウリブ。

「黒騎士卿や竜神様が本気を出すと、この階層ごとオーブンになってしまうので、手間はかかりましたが、手分けして全ての部屋を回って焼いたのです」


「なるほど……。して、魔王様たちは何処か」

「先ほどから居場所を感じようとしてるのですが……何かに阻まれて感じることが出来ません。そうだ、からくり人形を下ろしてみてもらえませんか」


 リバはうなづくと、荷物の中からからくり人形三体を床に下ろした。


「おまえたち、起きておくれ。地下九階に着いたんだ」


『アー……。ついタのか。オハヨウ』

『オキナイとダメか?』

『クックココ……』


「おはよう、諸君。仲間のからくり人形の場所は分かるかい?」


『……わかラナイ』

『……わかラナイ』

『……ククク……』


「猫じゃないと分からないのかな……ううむ」


『コノかいにイルのナラ、わカルはズ』

『わかルはズ』

『クック』


「隊長、魔王様たちは、下か洞窟の中に行ってしまって分からないのでは」

「かもしれん……どうしたものか」

「私が調べるわ。あの中さえ見なければいいんだから」

「やっていただけるか、ラシーカ殿」


 女吸血鬼はうなづくと、目を閉じ、眷属を操りはじめた。


「集中しないといけないから、静かにしててよ……」


 魔力の高まりが、かすかな振動となって周囲の者にも感じられる程だった。

 からくり人形たちは、金属パーツがビリビリと共振している。


 振動は徐々に強くなり、彼女を取り巻く空気が渦を巻き、ドレスの裾が大きく波打ちはじめた。


「どこ…………。ハーティノス……」


 彼女が必死に眷属を飛ばしても、恋しい男はなかなか見つからない。

 探索を始めて十分も経った頃、


「だめ……。見つからない。ここには、いないわ……」


「「「「「「はあああぁぁぁ――――ッ……」」」」」」

 ずっと息を殺していた全員が、一斉にため息をついた。


「どうしましょう……」

 ラシーカは激しい消耗で、その場にしゃがみこんだ。

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