「この下、お留守みたいよ」
ラシーカが言った。
穴の下は大量の糞が落ちてはいるが、生物の気配は今のところない。
ここをスルーして階段に向かうか、この穴から下層に降りるか、判断は任せる、と吸血鬼は告げた。
「図面が確かなら、ここからそう遠くはないと思いますので、一旦見に行ってみてはどうでしょうか」
サリブが提案した。
「サーちゃんが言うんなら、行ってみてもいいぜ」と、魔王。
皆もうなずいた。
「じゃあ、念のために軽くここを塞いでから行こう。ちょっと待ってくれな」
二度の土木工事でちょっぴり土魔法に慣れた魔王・晶は、床に開いた穴を仮復旧しはじめた。
前回までマヨネーズ程度の太さだったものが、バナナぐらいに太くなっている。
「陛下、右側に隙間が」
「アキラ、ここ薄くなってる。もっと盛って」
「ここの仕上げが雑だぞ、アキラ」
「ねえもっと美しく出来ないのかしら、私の部屋の近くなんですのよ、陛下」
「はやくうめちゃえ陛下」
『ニャニャニャニャ、おもしろいニャー』
皆好き放題に、晶の仕事にケチをつけはじめた。
「だ~~~~~~~~~っ、うるさい! 今は仮復旧だっての分かってんのかよ、お前ら! 階段使えなかったら、ここまた開けるんだぞ。敵が上がってこれなきゃ、雑でいーの。ったく、ちっとは初心者にやさしくしろよ」
☆
数分後、仮復旧が終わり階段へと向かった魔王一行。
ウリブを先頭にゆっくりと降りていく。
踊り場を超え、下を見下ろしたウリブが足を止めた。
「……なんだ、これ」
彼女の声に恐怖が混じる。
「姉様……。ヤバイよコレ……」
「何がどうヤバいんだ?」
魔王も双子に続いて下を覗き込んだ。
「――!? た、確かに……ヤベエかも」
眼下に広がる光景に、魔王は背筋が寒くなった。
どれどれ、と後続たちも踊り場の下を覗くが、ひと目で皆黙ってしまった。
「コレ……卵、だよな?」
しばしの沈黙を破ったのは、魔王だった。
彼の言葉を誰一人として否定する者はなかった。
大きさ・形にして白菜程度、魚介類の卵のような半透明の外観をした物体が、高粘度の粘液で床、壁、天井に、びっしり所狭しと生えていたのだ。中身は、直接ランタンの光を当ててみないことには伺い知れない。
さらに壁には粘液とともに太い血管や葉脈のようなものが大量に張り巡らされ、卵に何かを送り込んでいるように見えた。
階下に降りるには、この巨大な卵を踏み潰して進む必要がある。
「き、きもちわるいわ……ハーティノスぅ」
寒気を催したのか、ラシーカが自らの体を抱いて黒騎士に訴えた。
甘えた風を装ってはいるが、先ほどの威勢が失せている。眷属を使って薙ぎ払う気力を奪うほど、その物体はこの世界の存在にとっても不気味なもののようだ。
「ああ。ラシーカよ、今一度気力を振り絞り、階下の様子を伺うのだ。……出来るな?」
非常事態ゆえか、黒騎士は彼女への忌避感を一旦胃の腑に飲み込んで、任務を優先させている。その様を見て、双子は内心彼への評価を少しだけ元に戻した。
「……貴方のためなら、喜んで」
吸血鬼は、再度眷属たちを呼び集めると、階下の偵察を始めた。
――が、間もなくして、
「きゃあああああッ」
「どうした! ラシーカ!」
顔を覆い、膝から崩れそうになった彼女を、黒騎士が抱きかかえた。
「も、もう……ムリ……こ、こんな恐ろしい……あああ……」
「ああ、わかった。もういいぞ。もういい」
「吸血鬼がガタガタ震えるほどの光景って一体、どんだけ恐ろしいんだ」
「多分、免疫の問題」
ぽつりとルパナが言った。
「お前は平気なのか?」
「ワシも、耐えられない程ではないですぞ、陛下」
「しゃーない、さっきの穴に戻るか」
「待て」
薬師が遮った。
「なんかプランあんのか?」
「卵があるということは、問題の中枢に近いとも言える。気配のない場所から侵入するより、直接乗り込んだ方が早い」
「うわー……。大胆なプランありがとう。じゃ、どうすっか」
薬師は一段大きな声で言った。
「お前たちはここまでだ。帰れ」