「どうしたの? アキラまで顔色悪いよ」
「なんでもない、大丈夫だよ」
こういう時の女は勘が良い。
気取られる前に、と晶は歩き出した。
ドアを開けても開けても次々と部屋が出現し、その度に敵が、箱が沸いてくる。
労も多いが実入りもいい。
真っ直ぐ来られるのなら、万全な時にここへ来てもいいぐらいだが……。
現在PTのコンディションは、いろんな意味でかなりマズい。
身重で重労働中のマイセンを筆頭に、病み上がりのドラス、運動不足のロイン、体力的には子供のラミハ、そして精神的ダメージを負った晶。
元気なのは、怪しげな生物の薬師と、日常的にダンジョンを出入りしているヒウチぐらいのものだった。
薬師は気付くと普段の彼女に戻っていて、別人格と自称している竜神の娘は中に引っ込んでしまっていた。
実質、自分の付き合いのロイン、その付き合いのラミハは本来参加する必要のないメンツだし、好意で案内をしてくれているヒウチも、分かるのは中層までという話で、これ以上付き合わせるのは心苦しい。
竜神の娘が引っ込んでいる以上、強い使命感でダンジョン攻略を進めるマイセンを止められるのは、名前ばかりのPTリーダーである自分しかいない。
――とにかく止めなければ。しかし、彼女の本懐も遂げさせてやりたい。自分はどうすればいいのか。
(それにしても、彼女は一体、モギナスからどんな指令を受けているんだろう?)
「アキラってば、聞いてる?」
「――え? なんだっけ……ごめん」
「もー。ぼーっと歩いてるから危ないって、ちゃんと前見てって何度も言ってんだけど。聞いてる?」
「わりい」
言われて前を見るが、考え事をやめられない。
敵が現れても、おざなりにバリアを張って、頭の中はどうどう巡りをしている。
過去の苦い思い出が、胃の中に染み出して、晶は吐き気を催した。
「アキラ! だいじょうぶ? まさかつわりがうつるなんて」
「もらいつわりじゃねーわ! でえじょーぶだよったく……」
減らず口を叩きながら口元を手の甲で拭う晶。
だが、アシッドダメージのように、精神の損傷はじわじわ広がっていく。
「陛下、具合悪いなら休みましょうや。顔色悪いですよ」
「るせえっ! さわんじゃねえ!」
肩を貸そうとしたドラスの手を払いのけた。
「失礼、陛下」
「魔王様までどうしちゃったの……」
「アキラ、ホントに大丈夫?」
「平気だよ」
「あの……、陛下。私が申し上げるのもなんですが、休憩された方がよろしいのではございませんか?」
「ああ。大丈夫だ。ありがとう、マイセン。さっさとこの階、終わらせっぞ」
急に荒れだした晶を、マイセンは困惑した顔で見つめていた。
☆
それから小一時間。
ダンジョンの探索を続けるPT。
晶は吐き気を克服したものの、ムリを続けるマイセンの疲労は蓄積していく一方だ。
そんな中、晶は甲斐甲斐しくマイセンのフォローをしていた。
「むずかしいやつだけ解錠、っつっても、結構出てきちまったな……」
「そうでございますね」
「俺、よくよく調べたら、解錠の魔法持ってたけど、レベル最低だから絶対失敗するやつだし……。ホント、使えねえ男でイヤんなるよったく。すまねえ、マイセン」
「わたくしこそ、申し訳ございません、陛下。叔父上から任かされていた任務を満足に遂行出来ないわたくしに、御自らお力添え下さるとは、このマイセン、本当にお詫びのしようもございません……」
「ここまでずっと、その体で俺らの面倒を見てきたんだ。何も詫びることなんてねえよ。だが、そろそろ帰らないか?」
しかしマイセンは、悲しそうな笑みで首を横に振るだけだった。
「ったく、強情なやつだよ」
「申し訳ございません、陛下」
☆
晶はマイセンのフォローをしつつ、後悔に打ちひしがれていた。
あの時こうしていれば、あの時話を聞いていれば、あの時そばにいていれば。
取り返しのつかない過去に、何度も何度も殴られ、刃を突き立てられ、締め上げられながら、歩いていた。
今の自分にはロインがいる。
ロインに好き勝手や贅沢をさせることで、罪滅ぼしをしてきたつもりでいた。
――しかし、そんなことでは、過去の罪から逃げ切れはしなかったのだ。
内側から溢れ出して内臓を溶かしていく罪の意識。
ドロドロになった臓物が、今にも口から溢れそうだった。
「なあ、もういいだろ? 帰ろうよ、マイセン。頼むから」
晶は耐えきれず、涙を流しながらマイセンに声をかけた。いや、声を絞り出したといった方が相応しいか。苦しさ故に漏れた言葉がそれだった。
「陛下……そんなにまでわたくしのことを……」
マイセンは両手で顔を覆い、しくしくと泣きだした。
――違う。俺のためだ。自分が苦しいからだ。
「お願いだ、俺のために城に戻ってくれ、マイセン」
晶は彼女をそっと抱き、後頭部を撫で付けた。
「……はい、陛下。申し訳ございません。仰せの通りに」
「はあ……。よかった」
晶は安堵のため息をつくと、さなぎの中でドロドロに溶けた内容物が、高速で再構築されていくような心地になっていた。
「アキラ、もしかして……」
ロインの顔が急に険しくなった。
「なんだ?」
「ももも、もしかして」
「だから何なんだよ?」
「も・し・か・し・て」
ロインは槍を構えながら、今にも泣き出しそうに顔をくしゃくしゃにした。
「ちょ、ちょっと、ロインさん? あの、まさか? いやいやいや、あり得ないから、その想像おかしいから。ちょっと、聞いてます?」
「マイセンの相手って、あ、あああ、あ、アキラなのね!?」
「マジすか!」
「なんと」
「魔王様ひどい」
『『ひドい』』
「ちょ、違うんだってば、マイセン、ルパナ、なんとか言ってくれよ!」
「父の名を言っていいのか」
「やめてください! それだけはやめてぇ!」
必死の形相で晶にしがみつくマイセン。
「やっぱり……アキラってサイテー……殺す」
「なんなんだよ、お前の勘違いだろ。頼むよ信じてくれよ」
「だが、名前を明かせない相手となると……やはり陛下が」
「ドラスまでひどいよ!」
「魔王様のヤリチン……」
『『やリチん』』
「たのむ、マイセン! せめてこの場で否定だけでもしてくれよ、俺、社会的にしんじゃうから! たのむから! お、俺を殺さないでくれよおおおおお!」
「へ、陛下は」
ルパナ以外の全員の目が、マイセンに集中した。
「子の父では、ございません!」
「やった!」
「これで、お許し頂けるでしょうか、お嬢様」
「言いなさい! 相手は誰なの!?」
「お嬢様の命でも、それだけは口が裂けても言えません」
槍の矛先をマイセンに向けるロイン。
「言えってば!」
「国家の存亡に関わる秘密でございます。殺されても言えません。どうしてもとおっしゃるのであれば、その槍で私の喉を突き、腹を割いて、ご自分の目で確かめられればよろしい!」
「お前らいい加減にしてくれよおおお! 助けて、ルパナぁっ!」
カツーンッ!
薬師が杖を石畳に打ち付ける音が響いた。
薬師は竜神の娘の声で話し始めた。
「魔王の命により、魔王を助ける。魔王は子の父ではない。だが遠縁だ、とだけ言っておく。人の子よ、これでよいか」
「わかりました……ごめん、アキラ」
ロインは槍を降ろした。
「ったく……。お前、俺のこと好きすぎんだろ」
「マジごめん」
「お騒がせして、申し訳ございません、皆様」
「一人でクソ騒いでたのはロインだろ。お前マジクソ彼女にあやまれ。超あやまれ」
「……ごめんなさい」
「そんなふくれっ面で謝られても、嬉しくないですよ。お嬢様」
「だってえ……」
「しゃあねえよ、こいつまだガキだからさ。俺からもあやまるよ」
「もったいのうございます、陛下」
「やれやれ、今日は二度も外に出てしまった……。もう呼ぶでないぞ、魔王」
はわわ、と軽いあくびをすると、竜神の娘の気配はいずこかへ消えていった。
☆
「あれえ? あの子たち……いない」
「迷子か?」
「魔王様、見なかった?」
「いんやー……」
さて、帰ろうとすると、オモチャたちの姿が見当たらない。
『家主ヨ、戻ったゾ』
『戻ったゾ』
「あ~~、あんたたち、どこ行ってたの? 心配したんだから~」
『済まヌ。気配ヲかんじタのデ探しニ行ってキタのダ』
『こッチこイ』
カエルが背後に手招きをすると、猫のからくり人形が現れた。
『家主様、お初に御目にかかりますニャン』
ぺこりとラミハに頭を下げた。
「いやいや、魔王様はあっち」
ラミハが魔王を指さした。
「ども。俺が魔王、です!」
なぜか猫に向かって敬礼する魔王。
『これは失礼。家主様、お初に御目にかかりますニャン』
「はじめまして。……で、このニャンコは一体?」
ヒウチがずいと前に出て、猫の前にひざまずき、凝視した。
「おおお……こ、これは。まさか現存していたとは……」
「どうしたんだ、名人」
「この猫のからくり人形は……ワシの師匠の作でございます。鍵開け猫、師匠の最高傑作ですぞ……。ああ……なつかしい」
「マジか!! でかしたぞお前ら!」
『褒美ふやセ、家主』
『家主』
「わかったわかった。増やしてやんぞ」
『おや、これはヒウチ殿。お久しゅう。我が父は息災ですかニャ』
「残念ながら、もう亡くなっておる。今はワシが工房を受け継いだ」
『そうか……残念だニャ。して、僕に仕事があると熊に聞いたんだニャ』
「来てもらえるかの」
『もちろんだニャ。僕はそのために生まれたんだニャン。皆さんよろしくニャン』
鍵開け猫、ミミがPTに加わった。