ロインにああ言ったものの、やはり足取りが重い魔王・晶。
疲れはもちろんあるが、虫の知らせも気にかかる。
東京にいたころは、むしろ勘の悪い男だったと自覚している。
これがもし、ビルカの、魔王の肉体を得たことで発現した感覚なのだとしたら――。
気のせいと一蹴すべきことでもないだろう。
これがゲームなら、ステータス画面で所有している魔法やアビリティの一覧を閲覧することも出来るのだろうが、そんな便利な能力は今のところない。
最初から全ての能力を持っている(ただし全部LV1)と言われても、自覚していなければ、レベルは1どころか0である。
かといって、自動的に発動する系統のアビリティなら自覚出来るかと言われると、全く自信がない。ARよろしく視界の端にでもステータスアイコンが表示されていればまだ分かるのだが……。
――まてよ。なければ、作ってしまえばいいのかな。
UI《ユーザーインターフェイス》を――
(帰ったら、なんとかやってみよう。まずはUIのデザインからだな……)
「うわああッ!」
ガラガラガッチャーン!
晶は石畳のくぼみに足を取られ、盛大にコケた。
「ちょ、だいじょうぶ? も~、ぼーっと歩いてるからよ~」
ぶつくさ言いながら、真っ先に手を差し伸べ、引っぱり上げるロイン。
「いたた……ごめんよ」
晶は小さな幸せを感じていた。
今までみたいに独りなら、手を貸してくれる人どころか、声をかけてくれる人などいなかったのだ。転んだ痛みなど、この胸の暖かさと比べれば屁でもない。
「ありがとう。俺、お前に出会えて本当に良かった」
「ちょ、な、なにそんなこと、こここ、こんな場所で、まま真顔で言って、ちょ、なによもうやだバカバカバカ」
「いいなあ、陛下は。俺も恋人ほしーなー」
ドラスが、チラっとラミハを見つつ、ものすごくうらやましそうに言った。
「な、なんですか、魔王様もお嬢様もドラスさんも、いいい、今、そういうことしたり言ったりしてる場合じゃないですよねー、ちょっと自覚足りないんじゃないんですかー?(怒)」
「なんだよ学級委員みたいなこと言って。……ってああ、わからないか。ええっと……あれだよあれ、シスターみたいなこと言って」
「私がカタブツだとか言いたいんですか、陛下は。し、失礼な。そもそも私は、現在はお嬢様にお仕えしてる身の上です。色恋にうつつを抜かしている余裕などないんですから、たるんだみなさんと一緒にしないでくださいっ」
「やれやれ……。あのさあ、キミぐらいの年の頃だと、恋愛とか全然興味ない子とかいるし、男嫌いなのも別に病気じゃないんだけど、もーちょい年取るとそこ通り抜けて、自然の摂理に従って色恋大好き人間になるのが多いわけで、今の感覚が金輪際続くとは思わない方が、生きるの楽になると思うぜ」
ラミハはぎゅっと唇を噛んだ。
目に涙があふれ、今にもこぼれ落ちそうだ。
「ちょ、なんで泣くのよ~、ったくこの子は……」
ロインには、ラミハの気持ちはよくわからなかった。
「そりゃ言い過ぎってもんですぜ、陛下。いくら正論だっつっても、それそのまま年頃の女の子のぶつけていいわけでもないでしょう。
それともなんですか、陛下は女に恨みでもあるんで?」
ドラスがラミハを援護した。
それが彼女のためならば、たとえ魔王が相手でも、一歩も退く気配はない。
「あったら何だってんだよ。俺は女なんて大っ嫌いだよ。結局力ずくでしか言うことを聞かせられない、傲慢で身勝手な生き物だと思ってるよ」
「下衆だな」
「ドラスさん、陛下に無礼ですよ。謝罪なさい」
「ちょっと、どうしたのよ二人とも。こんなとこでケンカなんてやめなさいよ」
「いや。俺ぁ何も間違っちゃいない。奴ぁ昨日今日こっちに来たばかりの異邦人だ。その根性をたたき直してやるのが親切ってもんじゃないですかね!」
ぐしゃッ!
ドラスはたっぷりと体重の乗った右ストレートを晶の顔面に叩き込んだ。
背中に荷物を背負っている晶は、パンチひとつで簡単に仰向けにひっくり返った。
「キャーッ、アキラ!」
倒れ込んだ晶に駆け寄るロイン。
「ちょっと! 何やってんですかドラスさん! やめてください、親衛隊クビになっちゃいますよ! 何やってんですかぁッ!」
『『ナニヤッテンデスカァッ!』』
ラミハが泣きながらドラスにしがみついて、彼を止めようとしている。
「ああ、ラミハちゃん……。自分から俺に抱きついてくれて、……ありがとう」
ドラスはラミハをぎゅっと抱き締めた。
「あ――っ、ちょっと、なに! なにドサクサ紛れに、ちょっと離して! やだあ! お嬢様助けて! お嬢様あ――っ」
「へへ。いいパンチじゃねえか。さすが親衛隊ってとこか」
半身を起し、口元を手の甲で拭いながら晶が言った。
自分で言っておきながら、晶はチンピラみたいだなと思った。
側でかがんでいるロインが言った。
「もうそのへんにして。ドラスさんを怒らないでよ、アキラ」
「わーってるよ」
「戻ったら、いくらでも罰は受けます、陛下。だが、こいつだけは最後まで護らせてくれませんかね。俺が初めて命張ってもいいと思った女なんだ」
ラミハを抱き締め呼吸困難に陥れながら、ドラスが言った。
「ちょっとヤダ、なに言って、もうヤダ、離して、もうやだやだやだあああ」
ラミハはドラスの腕の中でもがきながら泣きながら抵抗している。
「もー俺が女だったら惚れちゃいそうなことサラっと言ってくれちゃって。
なにそんなカッケーのさ。……魔王の立場ねーじゃんよ」
「陛下……」
「さっきの話の続き、してもいいか」
「はい」
「確かに俺は基本的に女が嫌いだ。言いたいことだけ言いやがって話は通じねえし、あいつら男をバカにして、自分の方が尊い種族だと勘違いしてやがる。
だけどさ――」
晶は言葉を切った。
「だけどよう、惚れちまったら、まあ、どーでもよくなるわな」
マイセンがくすくす笑った。
「そいつを護りてえなら好きにすればいい。俺がとやかく言うことじゃねえ。
だが、当人の意見は――尊重した方がいいんじゃねえかなあ」
晶は指の背で鼻の下をこすると、ニヤリと笑った。
ドラスがラミハを戒めから解くと、彼女は両の手で顔を覆って、元来た道を走り去ってしまった。
ドラスは慌ててラミハの後を追った。
「あーあ。もー何やってんのよ、二人とも。あの子逃げちゃったじゃないの。もーバッカじゃないの? ったくもー」
ロインは両腰に手を当てながら、そう吐き捨てた。
「野郎はバカなんだよ。そんぐらいわかれよ」
「知らないわよ。あーあ、戻ってくるまで休憩だわね」
ロインがその場に座り込んだので、晶も隣に座った。
「なあ、お前知ってたのか? あの二人のこと」
「さあ、何のことかしら」
――とぼけやがって。雑な主人だな、ったくよう。
そういえば、イヤな予感はいつのまにか、どっかいったみたいだな。