「ちょっとー、モギナス助けてよ~」
「うふ、うふふ、いいじゃないですか」
「よかない~」
歩行に支障があるからと、姫だっこでお茶の間に連れて来られたまではよかった。
その後、朝食も昼食も、晶のひざの上で取らされたのだ。
「ロインは歩いちゃだめなんだから、ここでいーんだよ」
「……さっきっから、こればっか。いい加減にしてよ、アキラ」
「俺がお前のお世話をするのに、何が不満なんだよ~」
「食事ぐらい自分で出来ますー。食べこぼしを他人にフキフキされてるアキラさんにお世話されるぐらいなら床に寝そべって食べた方がマシですー」
実際、スプーンを鼻に突っ込んだり、フォークで目を突きそうになったことは一度や二度ではなかった。
「陛下もそろそろロイン嬢を解放して差し上げてはどうですか」
「やだ~。だっこしてたい」
「これよ。このヘンタイ。これが本音なんだから」
「せっかく結婚して下さるとお返事を頂けたのに、これでは嫌われてしまいますよ?」
「そうなの?」
「そろそろ魔王殺していい? 殺していい?」
「失礼ながらロイン嬢ではムリかと……」
「こんだけ鼻の下伸ばしてるバカ殺すのに、何の手間があるというのよ?」
「よろしいですか。この方はおバカですが、一応は魔王、この世界の魔族の頂点に君臨する皇帝なのです。
普通の武器ではかすり傷程度しか与えることは出来ません。ちょっとやそっとで殺せるなら、この世に勇者なんか要りませんよ」
「……勇者なんかいたっけ?」
「かれこれ千年ほど昔に。
……皆様の国では、歴史から抹消でもされているのでしょうか」
「絵本で見たことがある程度よ。
学校の歴史の授業では、ひととおり伝説について触れはしても、勇者がいたなんて聞いたこともないわ」
「あらまあ……。勇者さんもお可愛そうに」
「で、千年前の戦いはどうなったの?」
「聞けば、人間の都合で異世界から召喚された可愛そうなお方で、魔王を倒せば元の世界に還してやる、と脅迫されていたのです」
「うわあ……」
「当方で送り返して差し上げようかと色々調べましたが、残念ながらあの方の世界の座標が、魔王様の転移魔法の圏外だったため、お送りすることが出来ませんでした」
「圏外」
「けんがいってなに?」
「電波が届かない場所」
「でんぱってなに?」
「あーごめんごめん、ロインちゃんにはムズかったよね~。魔王が悪かった」
「ロイン嬢、魔法には効果範囲というものがございまして、あんまりにも遠かったり、イメージ出来ない場所だったりすると、実行することが出来ないのです」
「ふーん。
それで、勇者はどうなったの?」
「いくら上等な装備を揃えようと、ある程度の異能を持っていようと、
所詮は人間。残念ながら魔王様の敵ではございませんでした。
まったく、この世界の人間はどれだけ魔王様のお力を低く見積もっているのでしょうか。失礼極まりない話ですよ、まったく」
「まー千年経ってもケンカ売ってくるぐらいのトンチキだからなあ」
「まさか……殺しちゃったの?」
「いいえ。ちゃんと元の世界にお戻り頂きましたよ」
「どーやって? だって勇者に倒されなかったんでしょ?」
モギナスは口の端をぐぐっと持ち上げ、気色の悪い笑みを浮かべた。
「茶番ですよ。
あの方にやっつけられたフリをして、凱旋して頂いたのです。
魔王を倒したと信じた人間たちは、約束どおり彼を元の世界に還した……はず」
「はず?」
「当時、時空位相の揺れを確認致しましたが、ちゃんと到着したかまでは……」
「なるほど。それで、いつまで死んだフリしてたの?」
「一年くらいでしょうか」
「「はやっ」」
「陛下、もうお忘れですか? しょうがないですねえ~」
「ごめんごめん」
「それじゃあ、また勇者が来たの?」
「いいえ。面倒なことになる前に、転送魔法を持つ者と、その技術の一切を消去しておきました」
「……うわあ。さすが魔族、やることがえげつない」
「失礼な物言いですが、未開民族がそんな高度な技術を持っていては事故の元です。同じ土地に住む我々も、あの時のように再び巻き込まれないとも限りません。
我々と、その他の種族たちの安寧のため、取り上げたに過ぎません」
「ところで、どうして魔王を倒そうなんてバカなこと考えたのかな。なにか悪いことでもしてたの?」
「まさか。私たちは至って平穏に暮らしていただけでございます。
未開民族からすれば、資源や食料に溢れた、裕福な国に見えた。しかしそれは、略奪などで得たものに違いない、そう考えていたようです。
野蛮人は、我々の持つ技術で豊かに暮らしていただけ、ということが理解出来なかったようで、魔族から人間を守れ、と勇者に命じたのです」
「ただのムチャ振りだろ、それ」
「勇者かわいそう……」
「ええ、そうなんです。
勇者さんには、我が国の様々な施設や農場などをご覧頂きました。
あの方の世界も文明が進んだ場所でしたので、すんなり理解して頂けましたよ」
「で、バカバカしくてやってらんねえって……」
「それで勇者さんのためにお芝居をしたんだね?」
「そういうことでございます。あの方、ちゃんと戻れたのでしょうか……」
「ちゃんと帰れてるといいね」
「そうだな……」
――だけど自分は。
絶対帰りたくはない。
やっと愛しあえる人が出来たのだから。