翌朝。
お茶の間に魔王・晶が入って来た。
朝食の時間までまだ間があり、人気はない。
「ふぁ~……、腹減った。おやつの残りでもねえかな……」
茶器のワゴンを物色する晶。
普段なら、茶菓子の一つや二つ見つかるのだが、運悪くこの日はからっぽだった。
「くそー……。コンビニでもありゃあなあ……。いっそ作ってもらうとか?
いやいやいや……。
そんなことより、今腹が減ってんだよ俺は……。うーん……」
「どうぞ」
……と、女の声。
目の前に差し出された皿。
ピンク色のかまぼこのような、餅のようなものが乗っている。
「お、すあまか。サンキュー……ん?」
「どうぞ」
「……………………んなバカな」
――ありえないありえないありえない。
この世界にすあまなんてあるわけないんだ。
っていうか、なんでここにウサ耳が、ウサ耳がががががが――
「食べないのですか?」
晶は壁まで全力で後ずさった。
「ななな、なに、そ、それ。なな、なんで、ここにいるんだ」
ヤモリのように壁に張り付き、晶は震え上がった。
ウサ耳――薬師のラパナは一瞬で距離を詰め、晶の目の前に現れた。
「貴方は空腹だと言った。だから私は、おやつを出した。なぜ食べないのですか」
口調は淡々としているものの、表情からは不快感が見て取れる。
「お前を恐れているのだ、ラパナよ。皿を床に置き、部屋の反対側へ移動するのだ」
「ど、どっから声が!?」
晶は涙目になりながら、1㍉でも遠ざかりたい一心で、必死に壁に張り付いた。
「恐れるな、人の子よ。我々はお前に危害を加えるつもりはない……」
明らかに薬師とは別の、人の声帯から発せられたと思えないような声が、すぐ近くから聞こえた。
晶は相変わらず縮み上がっている。
「余計に怯えているじゃないか。人のことは言えないぞ」
むくれ顔でそう言うと、ウサ耳を揺らしながら、彼女は皿を床に置き、部屋の向こう側へスタスタと歩いていった。
薬師と晶はしばらく睨み合いを続けている。
「どうしたのだろう。離れたのに、あの者はおやつを食べないぞ」
「儂にもよくわからぬ……。もうしばらく観察してみるがいい」
ウサ耳薬師は小さくうなづいた。
「あの……。もう一人の、見えない人。どこにいるんだ」
晶は、何とかそれだけ言うと、恐る恐る皿を拾った。
「ラパナの杖の中だ。体が大きいので、部屋に入れぬから、間借りをしておる」
「はあ……。そうですか」
「お主、腹が減っているのだろう? 遠慮せずに食すがよい」
「はあ……」
だが、差し出したのがあの薬師である。
口に入れたくない度MAXだ。
目の前でじっくり見ると、すあまのように見えるが、ちょっと違う。
極彩色の小さなチップや、ラメが混ぜ込んであり、食べ物というよりは、まるで女児向け消しゴムのようなファンシーさだった。
(日本ならともかく、こっちでこんな色とか絶対ヤバい)
向こう側の壁に寄りかかり、じっとりとした目で晶を見るウサ耳薬師。
「どうしても食べないとダメ?」
「食べれば貴方の望みが叶う。拒否をする理由がわからない」
「わからないと言われましても……なんと説明すればよいのか……」
薬師は困った顔で杖にボソボソと話しかけた。
「私は何か間違っていたのか? これは我が国の兵士に支給されている携行食なのに……」
「恐らく人の子は、これが食べ物であると知らないのだろう」
「ならばどうすればよい?」
「しばし待て。読んでみる……ん?」
「どうした?」
「……人の子がいない」
「あれ……いない」
晶のいた場所には、ぽつんと菓子を載せた皿が残るだけだった。