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惑星プリズム
星野☆明美
SF宇宙
2024年07月18日
公開日
58,559文字
完結
アルフレッドは地球からリゲル恒星系へやってきた。

    惑星☆プリズム


     切りたての 前髪に

     すべりこむ 言葉が

     右耳で 眠ってた

     季節を 揺り起こすよ

     舗道でひとり

     迷子の日々は

     時の彼方へ


     もいちど言って

     君が好きだよ

     花一杯に

     君が好きだよと


     駆け抜けた 風のあと

     砕けてく ショーウィンドー

     降りそそぐ 舞い踊る

     ガラスの 花びらたち

     プリズムの夢

     消えないように

     まぶたを閉じて



     もいちど言って

     君を待ってる

     両手一杯に

     君を待ってると


     もいちど言って

     君が好きだよ

     花一杯に

     君が好きだよと


     赤いれんげ草

     黄色い菜の花

     青いすみれ草

     桃色のスウィトピー


     ☆遊佐未森『瞳水晶』より☆

     花一杯君を待つ


   プロローグ☆明暗・アルフレッド

 レンズに彼の蒼い瞳が拡大されて写しだされる。その中央に黒いひとみがあった。それをまばたきが瞬時に見え隠れさせる。

どうやら機械の調子は良いようだ。

 彼が器具の準備をしていた時、コンパートメント(個室)のドアが開き、地球からずっと彼と同室をあてがわれていたウィル・バートンが姿を現した。

「何をしているんだ?」

彼から見て、ウィルの顔は陰になっていてその表情が見えなかったが、おそらく見えたとしても無表情だっただろう。その質問する声には、いくぶんとげがあるようだった。

「ああ、ウィル。眼底検査の器具を用意しているところだ」

「眼底検査?なんでそんなものが必要なんだ?」

ウィルはかなりいぶかしんでいるようだった。

彼の手元で、たった今用意が整った。手っ取り早く一番近くにいるウィルから検査に協力してもらおうと彼が思っていたら、ウィルは強引に彼をコンパートメントからひっぱりだした。

「いったい何なんだい?」

「部屋に戻る途中で船長から緊急コールがかかった。隕石の一種がぶつかって、船外に小さな穴があいたらしい。放っとくと後々航行に影響の出る大きさだそうだ。俺たちの区画が一番近いから修理を要請された」

「それは大変だ。じゃあ眼底検査は後回しだな」

彼がそう言うと、

「そうだな」

ウィルは感情を殺した声で返答した。

 船外活動をする基本理念で、二人以上の人間が必ず組になって互いをサポートしなけれ

ばならない、というのがあった。

ここにくるまでみてきたウィルはいいやつだと思う。その点では彼には不安はなかった。

「応急処置の用具はどこだい?」

気密服に着替えながら、彼は尋ねた。

「用具?…ああ、すぐ俺が後からもって出るから先に問題の箇所を見てきてくれないか?」

ウィルはやけにもたもたと気密服を着るのに手間取っていた。

彼はしかたなく、先にエアロックに入り、命綱一本を頼りに船外へ出た。

この宇宙船の目的地であるリゲル恒星系が、わずかだが確実に近づいてきている。その証

拠に、リゲルの青白い光がまぶしかった。

彼は勇気がある方だが、さすがに虚空を泳ぐのには不安があり、恐々船の外壁をつたって移動して行った。

ほどなくたどり着き、ウィルの話どおりならば、そこに直径二㎝の穴があるはずだったが、穴どころか小さな傷一つついていなかった。

これは…どういうことだ?

彼は眉根を寄せ、そして何かの予感に突き動かされるように大慌てで船内へ戻ろうともが

いた。

気密服内の通信機が機能していない。

命綱をたぐりよせると、その野太い、決して切れそうにないと思われるファイバーの幾重

にも通った綱の先が、ぷつりと切れているのを見るはめになった。

「…ウィル、ウィル。お前が地球から密航した殺人アンドロイドだったのか」

彼はなぜ自分が先にウィルの眼底検査をせずに相手を信用してしまったのか、と悔やんだ。

実は船長から極秘でアンドロイドを見分けて欲しいと頼まれていたのだが、彼は、よりにもよって、そのアンドロイドに一杯食わされてしまったのだ。

眼底検査をすれば、普通の人間なら見えるはずの毛細血管が、アンドロイドの場合には見

られないのですぐにわかる。そのことはアンドロイド本人が一番よく知っている事実だっ

た。

ウィルは自分の秘密を暴かれる前に先手を打ったのだ。

 彼が宇宙船のコクピットの方まで船体をつたって行き、誰かに知らせるしかない、と思

ったとき、宇宙船は予定外の航行速度を出した。

無音の衝撃。

くるくると回転しながら船体から離れていく!

彼は虚空にただ一人取り残されてしまった。

 それから。

ずいぶん長い時間、彼は漂っていた。

辺りには全く何もない。

真空のただ中に気密服姿でたった一人放り出されて、そのうち上下左右の感覚さえも麻痺しかけていた。

遠くに無数の星の瞬きが見えたが、どれも遠すぎて手が届かなかった。

 ただ一つ、強烈な光を放つ恒星リゲルを彼は幾度も見た。

「俺の目的地はあそこだ。誰が何の権利があって俺をこんな目に合わすんだ。ウィル!次に会った時を覚えていろよ。次…?俺はまたお前に会うのか?…会えるのか?」

長い沈黙。答えは出ない。

「リゲル。リゲルよ。俺はお前の光の下で俺の夢をかなえるためにここまで来たんだ。生まれ故郷の星を捨ててまで。それなのに、俺の旅はここで終わりなのか?」

長い沈黙。やはり答えは出ない。

いろんな思いが駆け巡り、そして消えていった。

 時間が経つにつれ、やがて彼の意識は遠のいてゆき、だんだんと、もうどうでもかまわ

ないとさえ思い始めていった…。

   ☆

 そこは一面の麦畑。金色の風が渡ってゆく。

暖かい空気に包まれて、見上げる青空は雲一つなく冴えわたっていた。

いつからか彼は一人でそこに立っていた。

「俺は何をしていたんだっけな」

そして何をするつもりだったのだろう、と思っていた時、ふと何かの気配を感じた。

ちりちりちりん。

鈴の音だろうか?どこからかかすかに聞こえてきた。彼が辺りを見まわすと、いつのまに

か風がやんだ。

空を振り仰いで、どきり、とする。何かがここへ降りて来る。

それは人の形をしていた。

それは重力を感じさせず、ふわりと宙に浮かんでいた。

身にまとった赤い衣は、ちろちろと炎が燃えているかのように見えた。

左手に一本の錫杖を持っていて、鈴の音だと思ったのは、錫杖についた無数の金属の輪が

鳴る音だった。

その人物が彼の前に降り立つと、刹那、周囲の時間が止まった。草の葉一つ微動だにしな

い。

彼はほおがちりちりとするのを感じて、緊張した。

「男?女?…子ども?…老人?」

その人物はいわば全ての中庸を集結したような人物だった。年齢も性別も超越した独特の

雰囲気を漂わせている。

「あなたは先へ進む意思がありますか?」

「ああ、もちろんだ」

何か大事な事が記憶の縁でひっかかっているもどかしさがあった。

「そう。あなたは行かねばならない。先へ」

ふっ、とその人物は微笑んだ。

「先へ進むその代償にあなたは何をくれますか?」

「えっ?」

「願いを一つかなえる代わりにあなたの大切なものを一つ預かります」

「等価交換、ってわけか…」

「まぁ、そういう言い方もできますね」

今度は底冷えのするような冷酷な光をたたえた瞳で彼を見下ろす。

「少々の犠牲はいつでもつきまといます。それでも、いつかは癒される。その時、あなたは自分が『何者』であるかを同時に知ることでしょう」

「言っていることが難しすぎてわかんないんだが」

彼は苦笑した。

その人物はまっすぐに彼の目を見据えた。

その時になって初めて、その人物の瞳の虹彩が七色にきらめくのが見えた。

赤・橙・黄・緑・青・藍・紫…。

中央の黒いひとみを虹の七色が縁取っていた。

こんなこと、ありえないのにな…。

彼は軽いめまいを感じた。

目前の人物のひとみの中にいつのまにか、また別の世界・宇宙が広がっていて、彼を容赦

なく吸い込んでいったー。

   ☆

 目を開けると、まぶしさに目がくらんだ。

「ドクター。意識が戻りました」

かたわらで聞き慣れない女性の声がした。

やっとのことで薄く目を開くと、かろうじてベッドに横になった彼の周囲を複数の人物が

囲んでいることがわかった。

消毒薬の独特の匂い。

向こうでてきぱきと器具を扱う手の甲に医療用のアンドロイドに義務づけられたロットナ

ンバーが見て取れた。

「ここは病院なのか…」

彼が息をつくようにつぶやくと、担当医が彼のそばに来た。

「意識ははっきりしていますか?…あなたは宇宙空間を一人で漂っていた時に偶然通りかかった貨物宇宙艇に発見されて保護されたのですよ。ここに収容された時には恐らくもう意識は戻らないものだと思っていましたが…。これは奇跡とでもいうのでしょうな」

ああそうか、と彼はぼんやり思った。

どこからどこまでが夢で、どこまでが現実なのだろうか?

しばしの混乱。

そう。宇宙空間で味わったあの絶望こそが現実で、あの暖かい麦畑のやすらぎは夢だった

のだ。夢にしてはリアルで鮮明すぎたが。

「!」

その時、とある違和感が彼を襲った。

「色が…」

「え?」

「色がわからない。世界がまるで光と影だけでできているように思える」

周囲の人達は顔を見合わせた。

「あんな事になって、全く後遺症がない、というほうが無理なのかもしれないが…」

担当医は眉根を寄せてしかめつらしく言った。

「非常にめずらしいケースですが、あなたの場合、なんらかの原因で色覚異常になったようですな。もちろん何かのきっかけで治ることもありえますから、あまり落胆されないことだ…」

医者の説明によると、人間の視神経には光の明暗だけを見分ける桿体柱状体ともいう

と、色彩を区別する錐体という器官があり、彼の場合、後者の機能が働かなくなったとい

うことだった。いわゆる色盲の状態だという。

彼は、ある意味、記憶障害よりもたちが悪いことになったな、と思った。彼の周囲のもの

全てが色彩を欠き、光の明暗だけがその世界を構築していた。

「とりあえず意識があることをよしとしましょう。…こちらのIDカードの写真はあなた

で間違いないですね?」

地球発行の彼のIDカードを見せられた。唯一肌身離さず持っていたものだ。それは身分

証明にもなり、病院の費用を賄えるだけの費用さえも捻出してくれた。

『Alfred・E・V・L』それが彼の名前だった。

 退屈な入院期間を経て、体力が回復すると、アルフレッドは退院して、次の身の振り方を考えなければならない段階にさしかかった。

「せっかくリゲル恒星系の宇宙コロニーに来たんですもの、街をみてきたらいかがですか

?」

親しくなった看護士の一人がそう勧めてくれたので、アルフレッドは病院の外に出てみることにした。

 巨大な円筒状のコロニーは回転することによって遠心力で人工重力を造りだしている。

用途によってそれぞれいくつかの階層に分かれていて、人々が暮らす街は一番中心部に存

在していた。

行き交う人々はアルフレッドに無関心で、彼は孤独を感じずにはいられなかった。

無理もない。知り合いも身寄りも全て今は遠く離れた太陽系に残してきたのだ。

アルフレッドがわざわざそんな大切なものを捨ててまで地球を飛び出したのには、いくつ

かの深刻な理由があるのだが…(その最たる理由として、太陽系で彼が有名になりすぎたことが挙げられる。)

彼は、誰も彼のことを知らないリゲル恒星系という新天地で新しい生き方をするつもりだ

った。再出発は華々しく飾るつもりであった。

でも実際にここへたどり着いてみると狂おしいほどの孤独が彼を待ちうけていた。

それに、希望にもえていた矢先にあんな目に遭って色覚まで失ってしまった。

 さんざん悩んだ末、アルフレッドは前向きに、何か仕事を捜そう、と思った。

ちゃんとした収入源を持ち、生活の基盤を確立すれば、この世界でもきっとやっていける

だろう、と考えたのだ。

しかし、彼には気がかりな事があった。特に、あの殺人アンドロイドのウィルのことだ。いつまた彼の前に姿を現すかわからない。

安全に身を隠しておける仕事はないものか?

アルフレッドは手探り状態でコロニー内の情報を仕入れた。街角のコンピュータの端末で

街の案内地図を呼び出し、コロニー内の自治を行っている中央管理局の存在にたどりつい

た。

場所を調べ、足を運んでみると、果たしてそこでは地球発行のIDカードが通用しなかっ

た。

そこで、新しくコロニーのIDカードを造る手続きをした。

身長、体重、目と毛髪の色、指紋、掌紋、血液型、DNA情報、そして最後に網膜パターンの登録を終えると、新しいIDカードができあがった。

プラスチックでコーティングされたカードは、方向を変えてみるとまじめくさった顔つきの彼の写真がホログラム状に浮き出た。

次に、管理局内の職業斡旋所でコンピュータによる職業適性検査を受けた。たいして待た

されずにいくつかの仕事を記載した用紙を受け取った。

「こいつにしよう」

用紙をぱしん、と叩いて言った。

彼が選んだ仕事。それは、小人数でチームを組んで宇宙船に乗り、第三惑星の調査に向か

う、というものだった。

即断即決で仕事の申請をすると、詳細を後で知らせてもらえるのを知り、安心して中央管

理局を後にした。

目的が定まると、自然と気分が落ち着いた。

アルフレッドは街に着替えや身の回りの品物を買い揃えに行った。

もう、孤独感など忘れてしまっていた。ただ新しく始める事で頭が一杯になったのだ。

アルフレッドは、とある店先で足を止めると、そこで売られていたサングラスを手に取った。

それをかけることで色覚異常になっていることを少しでも忘れることができそうな気がし

た。

彼は手頃なサングラスを一つ買い求めると、それ以後常にかけておくようになった。

   ☆

 第三惑星調査のチーム乗組員は全部で七人だった。

アルフレッドの予想を裏切り、船長はうら若い女性だった。だが、男ばかりの乗組員相手

に少しも物怖じすることなく、頼り甲斐があった。彼女は自己紹介の時も威厳を見せなが

ら挨拶すると、『ファナ・ウィーナ・グリンヒル』と名乗った。

 「紅一点はすごぶる美人だよな」

くうー、と力をこめて『ヒロキ・ホシノ』が言った。彼は主に宇宙船の機関部で整備ロボ

ットとともに仕事をすることになっていた。

若いのに少し昔かたぎな所があって、「機械は人間が扱うもので、機械に人間が扱われる

ものじゃない」と口ぐせのように言っていた。

ヒロキは実際に航行が始まってからは常に機械や整備ロボットの状態をチェックして、細かな異変も見逃さなかった。

それは宇宙船が最良の状態で航行するためには欠かせないことでもあった。

アルフレッドは第三惑星の地質や大気組成の調査を担当する予定だったが、航行中はヒロ

キの補佐で船内の簡単なメンテナンスを担当した。

アルフレッドとヒロキは不思議と気が合った。

 コロニー育ちのせいかはたまた他の要素があったのか、一人群を抜いて背の高い男がい

た。

聞くと彼は宇宙物理考古学者ということで、皆は『ジラフ(きりんのこと)』とか『学者

先生』とかいうあだ名で呼んでいたが、見た目が鋭い銀縁眼鏡をかけた神経質そうな感じ

なので、本人の前では『ジラルド・フィリップ・ロッシーニ』という名前のファーストネ

ーム『ジラルド』で通っていた。

 その道で有名な星間貿易商の『クロス・サンドル』という男は、口が達者で抜け目なく、

どこか損得勘定で動くところがあった。表面上は誰にでも愛想が良いのだが、内心何を考

えているのかわからないところがあった。

そのクロスと、貨物の整備や雑用を担当している『ホーシロー・トマス』はいつもつるん

でいた。ホーシローは無口で無愛想な男だったが、クロスとだけは気が合うらしく、自由

時間はよく二人でカードをやっている光景が見られた。

 そして七人目は、年かさの医者で、生物学者である『ベラミー・ヴェイン』。彼は確か

に腕はいいのだが、酒びたりで、アル中の一歩手前だった。

 さて、問題の第三惑星だが、実は数年前までその存在は確認されていなかった。

未だに第三惑星があるとされている宙域の星図には便宜上、小惑星帯を示す表示のままに

なっている。

「普通、小惑星帯というのは、もともと一個の天体だったものが、隕石の衝突などでばらばらに散ったもののことをさすの。でも、数年前、近辺を通りかかって偶然小惑星帯の奥に一個の天体を発見した船があった。その乗組員の報告によると、大気圏が存在して、しかも太陽系派生型ではない異星人がいた、というのよ」

船長のファナが皆を集めて詳しい説明をした。

「その話、どこまで信用していいのかわからんな」

とクロスが渋面をつくって言った。

「まあね。…だからこそ私たちが派遣されたのよ。本当にあるかどうかわからない未知の惑星の調査のために」

「惑星が無数の小惑星を隠れ蓑にしているのか…。もし嘘の報告に踊らされてるんなら、

俺たちかなり馬鹿をみるな」

とヒロキが笑って言った。

「…小惑星帯を抜けて第三惑星に接近したら、小型探索船で惑星上に降りてみることを提案

したい」

とジラルドが言った。

「小型探索船の操縦に長けているのはヒロキだな。それから、まず大気成分や地質を調べ

て我々が適応できる環境かどうか調査してもらうために、アルフレッド、君も同行してや

って欲しい」

とクロスが言った。

惑星調査の先兵として二人の名があがったわけだが、誰にも異存はなかった。

「俺たち一番乗りか。光栄だな」

とヒロキが嬉しそうに言った。

 宇宙船はコロニーを出発してから幾度か途中の開拓中の惑星に寄って、物資や燃料を補

給したり、乗員の気分転換を図ったりした。

 アルフレッドたちが計器類のチェックを行っていると、船内にツァラトゥストラが流れ

てきた。常時船内には何かしらの音楽が流れていた。古今東西、太陽系やリゲル恒星系で

ヒットした曲を流しているらしかった。

休憩時間に、

「リクエストしたら何でもかけてくれるのかな?」

とアルフレッドがファナに尋ねた。

「ええ。かなりの曲数の音楽ソフトがあるのよ。クラシックでもロックでも何でもござれ」

「俺、『STORY/WRITER』が聴きたい」

とヒロキがファナに言った。

「俺は…、十年程前に地球ではやった『Light/is/Right』って曲がいいな」

そう言うアルフレッドの横顔を、ヒロキがちょっと何かを思いついたように見た。

「わかったわ。捜しておくわね」

ファナはそう言って微笑んで立ち去った。

「いいよなぁ、彼女。…ところでさ、アル。『ライト』って言えば、一番に思いつくのは『ライト博士』だぜ。地球にいたアルなら、あのセンセーショナルなニュースを知っているだろう?新しい宇宙船の推進力の理論を唱えて、認められて有名になったのに、消息を絶った、って話」

「いや、よく知らないな」

とアルフレッドは真顔で答えた。

「惜しいよなぁ。その人がいれば、短時間で長距離の移動が可能な新型の宇宙船が実用化された筈なのに」

「そうかい?現在の航行技術も捨てたものじゃないと俺は思うけどな…。それに、強力な

推進力が得られるということは、それだけ慎重な使い方をしなければ大変なことになる。

軍事目的に利用されたらどんなことになるだろう?」

「そんなものかな?」

「そんなものさ」

アルフレッドは実際にはライト博士の事をよく知っていたが、あまりその話題には触れたくないようだった。

 やがて宇宙船は問題の宙域にさしかかった。

低速航行で小惑星帯を抜けて、目的の惑星が見える位置に宇宙船は近づいた。

「本当にあった」

とヒロキがつぶやいた。

「なかったらどうするつもりだったんだ?」

アルフレッドはにやにや笑ってヒロキを茶化した。

一同はスクリーンに映る第三惑星にみとれた。

「光の加減で赤や緑や青に見えるな…。光源はどこから来ているんだろう?リゲルの青白い光は周りの小惑星に邪魔されて届いていないだろうに…」

とジラルドが見解を述べた。

「確かに大気が存在するようね。先の報告の信憑性が増したわ。ここからが、私たちの出番よ。でもどんな危険が潜んでいるかわからないわ。慎重にいきましょう」

とファナが全員を見渡して言った。

「俺たちにまかせてくれ。な。アル」

とヒロキがウィンクしてよこした。

宇宙から観察した限りでは、主な大陸が三つみえた。そしてそれらを取り囲む海らしきものも見えた。

アルフレッドとヒロキは船内に五機配備されている小型探索船のうちの一機に乗りこんだ。

「システム異常なし。調査用機材も万端。食糧その他準備よし」

「それじゃ、行ってきます」

船内モニターにヒロキとアルフレッドの二人の姿が映った。他の者は思い思いに見送った。

本船のハッチが開き、二人を乗せた小型探索船は惑星へ向けて投下された。

大気圏突入の際、操縦に忙殺されながらも、

「地上から見たらこの船は赤く燃えてみえるんだろうか?」

という思いが、ちらりとアルフレッドの頭をかすめた。

目を閉じた一瞬、紅蓮の炎が見えたような気がした。それはわずかな時間の幻だった。

その時、本船からの通信で音楽が流れてきた。

それは二人がリクエストしていた曲だった。

ファナの好意に感謝しつつ、二人は任務についた。

「You have.(コントロール)」

「I have.(コントロール)」

「五分後に自動操縦に変更」

「ラジャー」

三つの大陸のうち一番小さな大陸を目指して小型探索船は降下して行った…。

   第一章☆赤・暁の少年

 それは惑星上の、夜明け前の空だった。

ちりばめられた星々の間を赤い流星が流れた。

誰もがまどろみの中にいたが、ただ一人、渓谷にある秘密の隠れ家で作業をしていた少年

だけが、その流星が近くの森林地帯に落ちたのを目撃した。

この惑星上では、流星はわりと頻繁に起こる現象だ。

しかし、今回の流星は今までのそれとどこか違っていた。大きく、低速で、…そう、何ら

かの意思を持って落下してきたかのようだった。

「明るくなったら墜落現場を見に行ってみよう。…それよりそろそろ家に戻っておかない

と、また姉さんにこの隠れ家のことを勘ぐられちゃうぞ。やばいやばい」

と少年はばたばたと道具を片付けながら思った。

隠れ家の入り口を巧妙に隠してから、少年は朝焼けの中を駆け抜けた。

 朝のすがすがしい風とともに、少年は家の扉を開けて部屋にとびこんだ。

「姉さん!起きて」

「う…ん。…おはよう、ア・キラ」

まだ眠い目をこすりつつ、少年の姉のア・イリスが起きあがった。

部屋をしきる若草色の布を風が揺らした。

良い朝だ。

「ちょっと森に行ってきていい?朝食までには戻るからさ」

「森?そこに何の用なの」

「今朝早く流星が落ちたんだよ。見に行かなくちゃ」

「今朝早く、って…あなたまさか昨日の夜あんまり眠ってなくてなにかやってたんじゃ…」

ア・イリスの声は、走り去る弟のア・キラには届かなかった。まったく、止める間もない

とはこういうことだ。

ア・イリスはちょっと不機嫌そうに朝の支度を始めた。

村の共同井戸へ水くみに行き、朝食の支度にとりかかった。

ア姉弟の母親は数年前に病気で他界し、父親は村から少し離れた場所にある町に出稼ぎに

行っている。他に家族はいない。だからア・イリスは二人分の朝食を用意した。

 ア・キラはなかなか戻ってこなかった。

ア・イリスは冷めかけた料理を前に一人、ため息をついた。

いつもこうだ。

弟のア・キラは何にでも関心を持つ好奇心旺盛な少年で、いつもア・イリスの心配の種だ

った。

村の掟で何人も空に興味を持ってはいけないと決まっている。流星は不吉なものという通

説がまかり通っていた。

ところが何年も前にア・キラは

「空を飛んでみたい」

と言い出した。

口先だけでなく、実際に鳥をつかまえてきてどうやって飛んでいるのか考えたり、小さな

模型飛行機を造ってとばしたりしていたのだ。

ア・イリスはア・キラにやめさせようと説得を試みたことがあったが、逆に、なぜそう決

めつけるのか問い返されて答えに窮するばかりだった。

当時、村でもずいぶん問題になったものだが、最近は何も問題を起こしていないようだった。

「表向きだけとりつくろうことを覚えたんじゃないかしらあの子。…突拍子もないことを

いつかやらなきゃいいんだけど」

ア・イリスはしみじみ思った。

料理はとうに冷めてしまった。

「流星なんて迷惑な災害でしかないし、そんなに珍しいわけでもないのに。また夢中になって隕石のかけらでも拾っているんだわ」

と、幾度目かのため息をついた。

その時、

「ただいま」

ふいに野太い声がした。それはア・キラではなかった。

ア・イリスは、はじかれたように立ち上がると、久しぶりに帰宅した父親のア・イロニー

を出迎えた。

「おかえりなさい、父さん。どうしたの?突然でびっくりしたわ」

「お前たちと一緒に暮らそうと思ってな」

「じゃあ、村に帰ってきたの?」

「いいやそうじゃない。実はな、お前たちを町につれていこうと思って迎えにきたんだ」

「私たちを町に?…でもこの村には母さんのお墓があるし、思い出もいっぱいあってこの

家からは離れたくないわ」

ア・イリスは戸惑いながら言った。その父親の申し出は唐突すぎたのだ。

「なあに、ここの家はいつでも帰ってこられるようにしておくし。お前は幼い時に町に連れていったら、歌姫館を見て、自分もいつか歌姫になりたい、って言っていたじゃないか。

ちょうど俺は今歌姫館の雑用係の仕事をしているし、そこが今人手不足でな、お前が見習

いをする良いチャンスなんだぞ」

「…。ア・キラは?あの子はこの村から離れたがらないかもしれないわよ」

「そういえば、あいつの姿が見えないが、どこかに出かけているのか?」

「今朝早く、流星が森に落ちたから見に行く、ってとびだして行ったきりよ」

ア・イリスはうんざりした顔で言った。

「すぐに捜してつれてこい。俺は仕事の合間に休みをもらって抜け出してきたんだ。むこうは本当に忙しくてな。お前たちをつれてできるだけ急いで戻らなければならない。ア・キラのやつも新しい生活にはすぐに慣れるだろうさ。ここよりもずっと快適に過ごせる場所だぞ」

ア・イロニーは手近な椅子をひきよせて座った。

ア・イリスは父親のために熱いお茶をいれてから、ア・キラを捜しに森林地帯へと向かった。

   ☆

「どうだい、調子は?」

と、ヒロキがアルフレッドに尋ねた。

「喜べ!ヒロキ。大気成分はほぼ地球並みだ。だがな、未知の成分がわずかに存在している。

もしかすると人体に影響があるかもしれない」

「じゃあ、その成分の分析が済んで、人体に害がないとわかるまでこの気密服でいなきゃならないのかな?」

「当分はそうだな。用心にこしたことはないだろう」

アルフレッドが光学機器を持ち運ぶのを手伝いながら、ヒロキは着用している気密服が邪

魔でしかたなかった。

惑星の重力も加わって、背負っている酸素ボンベは半端じゃない重さだった。

有害光線を遮断する仕様になっているヘルメットを通して見た惑星上の景色は、コロニー

育ちのヒロキが抱いていたイメージ以上にのどかできれいだった。

木々の緑、空の青、ゆるやかに流れる小川。

「本当に異星人がいたっておかしくないよな。こんな極上の惑星だったら」

ヒロキは両手を広げて周囲を見渡した。

 ところで、作業中の二人は気づいていなかったが、さっきから二人を見ている人物がい

た。

「天空からの使いの者だ」

ア・キラは興奮をなんとか押さえようと必死だった。

いにしえから伝わる言葉があった。

 闇の使い

 天空の使者

 災いと共に舞い降りる

 そは

 異なる意志

 異なる瞳

 やがて我らを彼の地へと導かん

空は禁忌とされている。大人たちは、いつでも災いは空から来るものだと教えていた。実

際に隕石の被害は多大なものであった。

「でも、もしかしたら、空の、あの青い彼方には何か素晴らしい世界があるのかもしれない。誰も未だ確認したわけじゃない…」

いつからか、ア・キラは一人、そんな考えを持っていた。そして人知れず自分だけの隠れ

家で空を飛ぶ道具を造ろうと試みてさえいた。

 「もし一歩前へ進んだら、なにかが変わるかもしれない…」

ア・キラは意を決すると、慎重に両手をあげて、悪意が無い事を示しながらアルフレッド

たちの方へ近づいて行った。

「おい、アル。あれを見てみろよ」

と、ヒロキがかすれた声で言った。かなり驚いていた。

アルフレッドは異星人の少年の姿をまじまじとみつめた。

「幻覚…じゃないな。まだ幼く見えるが…」

と彼は戸惑いながら言った。

そして、

「「自動翻訳機はどこだ!」」

とアルフレッドとヒロキはほぼ同時に叫んで、大慌てで船内へ駆け込んで行った。

ア・キラはきょとんとしてしばらくその場に突っ立っていた。

アルフレッドたちが船内で探し物をしている間、ア・キラは船の外装にそっと触れてみた

りした。木の枝などで外観はカムフラージュしてあったが、その中には、人工物の名も知

らぬ金属の外壁があった。ア・キラは興味津々だった。

「あったあった」

小型のピンバッジみたいな翻訳機のスイッチを入れ、二人は異星人の少年の前へ再び姿を

現した。

翻訳機といっても、母体となる言語は何もインプットされていない状態から使用するのだ。

これから言葉のサンプルを出来るかぎり集めて、どんな状況でどんな言葉を使うのか一つ

ずつ調べていくことになる。

二人は少年が話すのを期待をこめて聞いた。

少年は身振り手振りを交えながら何やらいろいろ話した。

空を指差し、二人を指差し、一つ一つに何かを言って、今度は自分を指差して、

「ア・キラ」

と言った。

「アルフレッド」

「ヒロキ」

二人は自己紹介をした。

「ア・ルフレッド。ヒ・ロキ」

と、ア・キラは人懐っこく笑って言った。

「どうやら友好関係が結べそうだな」

と二人はほっとした。

「アル。俺は気密服を脱ぐよ。何かあったら俺の体で検査してくれ。降りてくる前に母船でベラミー先生にウィルス感染を防ぐ幾種類かの予防接種を受けたよな。…多分大丈夫だと思うんだ」

そう言ってヒロキは重いヘルメットを外した。

「はあ…」

そよ風が彼の黒髪を揺らした。

ヒロキは気持ち良さそうに深呼吸した。

気密服を脱ぐと、下には広域でも目立つ朱色の制服を着用していた。

ア・キラはヒロキの髪と目を見て、深刻そうに何やら言った。しかし何を言ったのかは現

時点ではアルフレッドにもヒロキにもわからなかった。

「空気は上々。木や土の良い匂いがする…」

「ここは森林地帯みたいだしな」

アルフレッドはそう言うと、自分も気密服を脱いだ。

内心では、異星人との接触で未知の病原体に感染する危険性などを抱いていたが、なるべく念頭からそんな不安を追い払った。

アルフレッドは再び光学機器のデータ収集・分析に戻った。

ア・キラは黒いサングラスをかけたアルフレッドのすることに興味がわいたらしく、そばをうろついた。サングラスなんてこの少年は生まれて初めて見たのだ。

一人手持ち無沙汰なヒロキは、

「しばらくその辺を見て回ってくる」

と言い残して歩いて行った。

   ☆

 小川沿いに森林地帯にわけ入ったア・イリスは、ア・キラを捜す途中、花畑になってい

る広場で休憩をとっていた。

切り株の上に腰を下ろし、空腹感にまだ朝食もとっていないことを思い出した。

 午前の淡い光が彼女の髪や肩に降り注いだ。

「今日はまだ降ってこないのね…」

毎日今頃、光輝く細かな粒子が降る。それ浴びるのが楽しみなのだが、今日はなぜかまだ降ってこなかった。

 ア・イリスの背後で低木の梢が揺れた。

小さな薄紅色の花がぱらぱらと散った。

「ア・キラなの?」

さっと振り向いた彼女は全く見知らぬ人物を目にしてぎょっとした。

その人物は朱色の奇妙なデザインの服を着て、一見、ア・イリスたちと同じような姿をしていた。

しかし決定的な違いが一つだけあった。

瞳の色が茶に近い黒なのだ。

彼女は背すじが寒くなるのを感じた。村で語り継がれている伝説に『闇の使い』というの

が出てくる。そこに今立っている青年の風貌はまさにその表現にぴったりだった。

異星人同士互いに見つめあったまま数秒が過ぎた。

何かをつぶやくと、青年はきびすを返し、もと来た道を戻って行った。

後に残されたア・イリスは、その場にへたりこんでしまった。

 どのくらいそうしていただろうか?

「姉さん!」

弟のア・キラがやっと姿を現した。

「戻るのが遅くなってごめん。僕のことを捜してここまで来てくれたんだね」

「そう…なんだけど、今、私、見てはいけないものを見てしまったわ…」

ア・イリスは青ざめた顔でつぶやいた。

「それって、例えば神話に出てくるような不思議な人間…とかじゃない?」

「なんでそう思うの?ア・キラ」

「だって今しがたまで僕、その不思議な人たちと一緒だったんだもの。彼らは流星に乗って空から降りてきたんだ」

ア・イリスは本気で心配して弟を抱きしめた。

「大丈夫なの?何もされなかった?」

「何をされるっていうの?大袈裟だなぁ姉さんは。…僕、その人たちと友達になったんだ

よ」

「…あのね、よく聞いてア・キラ」

ア・イリスはア・キラの顔をまじまじとのぞきこんで語りかけた。

「父さんが家に帰ってきているの。私たちはこの村を離れて町で暮らすことになりそうなのよ」

「なんだって?…そんなの嫌だよ」

ア・キラは姉の手をふりほどいて後ずさった。

彼の心は、秘密の場所で造りかけの空を飛ぶための道具や、今しがた見てきた不思議なものの数々…未知へのあこがれでいっぱいなのだった。

しかしア・イリスは今のア・キラの様子を見て、かえって逆に町へ行く決心を固めてしま

った。

このまま村にとどまったら、何か恐ろしいものの力で弟が消えてしまいそうな不安がわき

あがったのだ。

「家で父さんが待っているわ。急いで帰りましょう」

ア・イリスはうむを言わせず弟をつれて帰った。

   ☆

「アル。…俺また異星人に会っちまった」

手土産のどうにか食せそうな赤い果実を手渡しながら、ヒロキは興奮を隠せずに言った。

「今度はどんな姿をしていた?」

「女の子だった。髪が長くて、ひらひらしたピンクの服を着ていた。…さっきの男の子とあんまり変わらない年頃に見えた」

「ひらひらした服の女の子ねぇ」

はたして服装の嗜好は我々と似通っているのかな?とアルフレッドは思った。

「瞳の色が違うんだ。なんかこう、見ているだけで吸い込まれそうだったよ」

とヒロキは言った。

「ところで例の未知の成分のことだけど…、俺の体には今のところ何も異常はないみたいだし、あんまり気にしていても先に進めないと思うぜ」

ヒロキのこの言葉に、アルフレッドは無言でうなずきつつ、小型探索船内へ機材を運びこ

み始めた。

「上で待っている連中に早く報告しよう」

「そうだな」

二人は船内に戻ると、ファナたちと連絡をとった。

「…了解。地上で動き回るのに特に困難はなさそうね。安心したわ。上空から地上を撮影した映像を分析してわかったんだけど、海洋と大陸が大まかに三つずつあるわ。それから小さな島が点在してる。一番大きな大陸には異星人の大きな都市がみつかったの。クロスとホーシローがそちらへ潜入してみたいと言っているわ。それで、別の小型探索船で降下できるように手配しているところよ」

「クロスたちが?異星人相手に商談でもすすめるつもりかい?」

「場合によってはね」

ファナは肩をすくめてみせた。

「それからジラルドも調査の目的で降下したいそうなんだけれど、安全面を考慮して、ク

ロスたちと同行したらどうか、って話が出てるわ」

「そうかい。でもそうしたら、上はベラミー先生と君の二人だけになっちゃうけれど大丈夫かい?」

「ええ。アンドロイドも何体かいるし、なんとかなるわ」

「俺たち二人はもうしばらくここの地点でがんばってみるよ。調査報告は定期連絡の時に

送る」

「健闘を祈るわ」

「ではまた」

「ええ。また。…次の定期連絡時間にね」

通信がぷつりと途絶えた。

アルフレッドとヒロキはなんとなく寂しげな余韻を味わった。

   第二章☆橙・歌姫館

 シーツ類やタオル等、数十枚あった。

「これ全部洗っといてちょうだい」

と言われ、ア・イリスはさっそく洗濯を始めた。

幸い今日は良い天気だ。

洗いあがったものから手早く干してゆく。村の家でいつも家事をやっていたため手際が良

い。

歌姫館に来てから最初の仕事だった。

ア・キラはというと、ふてくされたまま、あてがわれた部屋から出てこようとしなかった。

 歌姫館の中で一番売れっ子のオ・ランジュは化粧なしの時でも一応美人の部類に入ると

思われた。ア・イリスはそのオ・ランジュの付き人兼雑用係になったのだった。

 ア・イリスはしばらくして、

「干し終わりました」

とオ・ランジュに報告に行った。

「そう。…ところで、全部で何枚あった?」

「はい?」

「シーツとタオル、全部で何枚干したのかって聞いてるの」

「…すいません。数えてません」

まさかそんなことを尋ねられるとは思っていなかった。ア・イリスは身を固くして次に何

と言われるかと思いながら立っていた。

「…気のきく頭の良い子がいいのよ。でも、こんな短時間であれだけのものを処理できるのなら良い線いってるわね。まあ、いいか。あなた付き人合格よ」

と休憩中のオ・ランジュはうなずいた。

「おいオ・ランジュ。今日の昼の舞台はなかなか良かったぞ。夜もその調子でやってくれ」

と、歌姫館の館長のオ・ルゴールが通りすがりに声をかけた。

「そう?ありがとう父さん」

と、オ・ランジュはおざなりに返事をした。

歌姫たちは普通、金持ちの後ろ盾を持っているものだが、オ・ランジュは館長の娘なので

そういったものはなかった。そのうち適齢期を迎えたらどこかの富豪に嫁がされる予定だ

った。

 オ・ランジュは昼間の舞台で着た衣装を片づけておくようにア・イリスに言いつけた。

ア・イリスは衣装部屋に初めて入って行き、かなりの数のすばらしい衣装を目にした。

「すごいわ…。歌姫になるのって、本当に良いなぁ」

彼女は昼間見た舞台を思いだしながら胸をときめかせ、物言わぬ衣装たちにそっと手をふ

れてみた。衣装の幾枚かに直に手で触れてみて、ほう、っとため息をついた。

「それにしても、ア・キラは大丈夫かしら?あの子、町に来てから一言もしゃべらずにふさぎこんでいるようだったけれど。無理に連れて来たせいかも…。後でちゃんと話をしなくちゃ」

忙しい中、ア・イリスは弟のことを心の隅で気にかけていた。

町での初日はあっという間に過ぎていった。

 夜の舞台の準備にてんてこまいしていると、昼間はあんなに天気が良かったのに、やがて雨が降り出した。

ア・イリスは洗濯物を手早く取り込むと、休む間もなくオ・ランジュの身支度を手伝いに

行った。

「こっちとこっち、どちらの衣装が似合うと思う?」

「オレンジ色の方が青色より顔色が明るくて華やかに見えると思います」

「そう。それじゃオレンジ色の方にするわ」

髪型を整え、念入りに化粧すると、そこには絶世の美女がいた。

今の彼女に唯一の欠点があるとすれば、実際に恋をしたことがないのに舞台で恋の歌を唄

っていることくらいだろう。

オ・ランジュの出番が来ると、ア・イリスは舞台のそでから彼女の唄っている様子を見守

っていた。

「私もあんな風になれるかしら…」

ア・イリスはため息まじりに思った。

ソプラノの歌声は静かにア・イリスの中に降りて来る。彼女は一度聞いただけでオ・ラン

ジュの歌をそらで唄えるようになった。

 夜の舞台が終わって、ア・イリスが後片付けを手伝っていると、

「ア・イリス!ア・キラのやつを見なかったか?あいつ仕事はいっぱいあるのにいなくなりやがって…」

と、大道具を運ぶア・イロニーが彼女に尋ねた。

「父さん。いいえ私は知らないわ」

ア・イリスはあわてて自分たち姉弟にあてがわれていた部屋に行ってみた。

すでにもぬけのからだった。

テーブルの上に置き手紙があった。

「僕は村に帰ります。一人で大丈夫だから放っておいてください」

そんなそっけない内容の手紙を手に、ア・イリスは椅子に座りこみ、ちょっと頭を抱え込

んでいた。

しかし意を決すると、立ちあがり、外出用の身支度をした。

「ア・イリスー!こんな雨の中どこへ行くの?」

歌姫館から走り出るア・イリスの背中にオ・ランジュの声がかかった。

「弟がいなくなったんです。連れ戻してすぐ帰ります!」

ア・イリスはそう言い残して走り去った。

「外は暗くなっているのに大丈夫かしら」

オ・ランジュは心配そうに見送った。

   ☆

 「大降りになってきたな…」

外の様子をモニターでうかがいながらアルフレッドが言った。

「昼間はあんなに良い天気だったのにな」

ヒロキがため息まじりに言った。

ガタン。

小型探索船の外部昇降口で大きな物音がした。

船外モニターを切り換えると、今朝会った少年の姿が映った。

この子なら大丈夫だろうと、二人はハッチを開けてア・キラを迎え入れた。

ア・キラは全身ずぶ濡れだった。

アルフレッドがタオルを取りに行き、ヒロキが着替えのシャツを貸してやった。

ア・キラは町に行ったことや、歌姫館にいるのが嫌で戻ってきたことなどを話したが、二

人にはほとんど通じなかった。

もどかしさが漂う中、ヒロキが腕時計に目を走らせて、とりあえず腹ごしらえをしようと

アルフレッドとやりとりをした。

テーブルに味気ない携帯食が三人分置かれた。

二人はもそもそと食べ始め、ア・キラにもすすめたのだが、ア・キラは眉根を寄せてしか

めっ面をすると、首をぶんぶか振った。

ア・キラはそんな得体の知れないものを食べるくらいなら、自分の秘密の隠れ家にストッ

クしている燻製肉などの食糧を取りに行こうと立ちあがった。

「あれ。どこかへ行くつもりらしいな」

ヒロキがつられて立ちあがった。

いつのまにか外は小降りの雨に変わっていた。

「通り雨だったのかな?」

「だとしたら、じきに晴れるな」

アルフレッドとヒロキはア・キラについていってみようと考えた。

念のため麻酔銃を腰のホルダーに装備して、小型探索船の外見を木の枝などでカムフラー

ジュした。

ア・キラは興味深く二人の様子を見ながら待っていた。

「夜でもなんだか明るく感じるなぁ」

ヒロキのこの言葉に、アルフレッドも同感だった。サングラス越しでも周囲が判別できる。

「この星の生物の目ではどのくらいの明るさに見えるんだろうか?」

と、彼は思った。

ア・キラを先頭に、三人は森林地帯を小川沿いに歩いていった。

途中、土砂崩れの場所があった。

 「迂回しないと先に進めないな…」

「…あれはなんだろう?」

土と異なる色の布のようなものをみつけてヒロキが指差した。

アルフレッドが危なっかしく進んで行き、果たして土砂の中にうずまっているものを発見

した。

「姉さんっ」

アルフレッドが掘り起こして助け出した少女の姿を見て、ア・キラが思わず叫んだ。

「大丈夫。気を失っているだけで、呼吸は正常だよ。でも、足に怪我しているみたいだから、早く手当てをしなきゃいかんな」

顔色を変えた少年にアルフレッドは諭すような口調で言った。

アルフレッドはア・イリスを抱えて、元来た道を戻り始めた。

「この娘だよ。昼間会ったっていう女の子は」

一緒に歩きながら顔をのぞきこんで、ヒロキが言った。

三人はア・イリスのためにできるだけ急いで小型探索船に戻った。

 アルフレッドは母船と連絡をとって、医者のベラミーに指示をあおいだ。

ところが、ベラミーは手当ての方法を教えるどころか小躍りして言った。

「それは好都合だ。異星人のデータをとるのに貴重なサンプルになるぞ」

「…足の怪我を治してやりたいんだ。どうすればいい?」

苦虫を噛み潰したような表情で、アルフレッドは再度同じ質問をくりかえした。

「地球人用の再生槽に入れてみて回復するかどうかやってみるんだ」

「拒絶反応とかでたらどうするんだ?」

「その場合は我々とは身体の構造が違う証明になるだろう」

ベラミーは興奮して言った。

アルフレッドは幼い少女を間近で見て、ベラミーの言う「異星人のサンプル」という言葉に強い抵抗を感じた。しかし、一刻も早く怪我を治してやりたい一心でベラミーの指示に従った。

「地球人と同じような体の構造なら良いんだが…」

と内心、不安ではあった。

ア・キラはというと、姉のそばを片時も離れずにひとしきり考え込んでいた。少年は、自

分のせいで姉がこんなめにあったのだと思い、落ち込んでいた。

「彼女は大丈夫だよ」

と、アルフレッドは少年の肩をやさしく叩いた。

その言葉の意味はなんとなくア・キラに伝わったようだった。

「ア・イリス」

と、ア・キラは姉を指差して言った。

「アイリス…。地球では花の名前をいうのだったかな?そういえば瞳のこともそう呼ぶな」

とアルフレッドはつぶやいた。

「多分、この子とこの女の子は兄弟じゃないのかな?顔立ちがよく似ている気がするんだ」

とヒロキが言った。

「ああ、そうかもしれないな」

アルフレッドはうなずいた。

三人はア・イリスのそばで回復を待っていたが、一度ヒロキが中座してコーヒーをいれて

きた。

「泥のようなコーヒーだけど、無いよりはましかと思って」

それは圧縮コーヒーを還元したものだった。

「サンキュ。…どうやら地球人用の再生槽でも問題ないみたいだ。傷も治りつつあるし…」

受け取ったコーヒーを飲みながら、アルフレッドは一息ついた。

ア・キラもコーヒーをもらったが、初めての苦い得体の知れない味に、舌を出してしかめ

っ面をした。

それを見て、アルフレッドとヒロキは笑った。

ア・キラはいよいよ本格的にこの異星人二人の味覚を疑った。

「姉さんが元気になったら、この二人に姉さんの作る料理を食べさせてみよう。うますぎてきっとびっくりするぞ」

とア・キラは考えた。

   ☆

 「あの二人が姉さんを助けてくれたんだよ」

とア・キラが言った。

回復したア・イリスは素直にアルフレッドたちに感謝した。足の怪我は不思議な魔法で完

治していた。

「どうやってお礼をしたらいいのかしら?」

「味覚オンチみたいだから、なにかおいしいもの食べさせてみたら?」

「ア・キラ!」

ア・イリスは弟をたしなめながらも、冷や汗を流しながら考えた。

「果たして私たちが普段口にしている食べ物を、この人たちに食べさせて大丈夫なのかし

ら」

しかし他にこれといって良い方法も思いつかなかったので、思いきって料理の腕をふるま

うことにした。

村のもとの家にはほとんど食糧が残っていなかったが、ア・キラがどこからか大量に調達

してきた。ア・イリスはよっぽど弟を問い詰めようかと思ったが、じっと我慢した。

ア・イリスは料理を作り、恩人である異星人たちをもてなした。

「こりゃいける」

「ああ、うまいな」

固形の携帯食に飽きていたアルフレッドたちは、嬉しそうに出された料理を全部たいらげ

た。

ア・キラとア・イリスは顔を見合わせ、笑った。

 「ア・キラ。やっぱり考え直して歌姫館に戻ってくれないかしら?…父さんも心配してるし、いろんな人に迷惑をかけるわ」

ア・イリスがそう言うと、しばらくの沈黙の後、ア・キラはしぶしぶうなずいた。

「でも条件が一つ!あの二人を案内して一緒に連れて行っていいんなら考える」

「ア・キラ!」

ア・イリスは悲鳴めいた声をあげた。

「やってみないとわからないじゃない?うまくいくかどうかなんて。姉さんは頭が固すぎ

るよ」

「あなたは柔らかすぎるわよっ!」

あきれかえって、ア・イリスは頭を抱え込んだ。

   ☆

 アルフレッドとヒロキはア姉弟が持ってきて広げた地図に目を落とした。

点と線で描かれた地形にア・キラが鳥の絵と家の絵を書きこんだ。

「俺たちの小型探索船が鳥の絵だとすると、今いる場所が家の絵だろうな」

二人が納得したらしいのを見てから、ア・キラは歌姫館のある地点に印をつけて何か言っ

た。


歩く様子を身振りで示されて、アルフレッドたちは移動するらしいと知った。

「どうする?」

「行ってみようや」

うなずくアルフレッドたちを見て、ア・キラは小躍りして喜んだ。

こうしてアルフレッドとヒロキはア姉弟と一緒に歌姫館へ行くことになった。

 歌姫館に着いてみると、人々の反応は様々だった。

ヒロキの瞳や髪の色、アルフレッドのかけているサングラスがその要因のようだった。

たいていの者が避けていく中で、館長のオ・ルゴールが、

「遠くから来た客だって?ぜひ舞台を見てもらって宣伝してもらおうじゃないか」

と言ったため、他の者は誰も口出しできなくなった。

 その日の夕方になると、アルフレッドとヒロキは薄暗くした客席に通された。

やがてスポットライトをあびて唄う歌姫たちを見た。なかなかの見物だった。

「イッツ、ショータイムって感じかな」

ヒロキが耳打ちをしたので、アルフレッドは思わず笑った。

「中でもあの人は良いね」

「ああ」

二人はオ・ランジュを見て絶賛した。

「歌の内容があんまりよくわからないのがちょっと残念だね」

「自動翻訳機もだいぶ使えるようにはなってきているんだけどな…」

二人はため息まじりに音楽に聞き入った。

   ☆

 「どうです?あの娘なら先方も喜ぶと思うんですがね」

歌姫館の舞台裏の隅で、こそこそと話す者がいた。

ア・イロニーと大陸間行商人のム・スカだ。

他大陸で、最近になってとある大商人が台頭してきていた。ム・スカはその大商人に覚え

を良くしてもらうために、わざわざこの地へ貢物の物色に来ていた。

ム・スカがふらりと立ち寄った歌姫館で、事情を知ったア・イロニーが歌姫のオ・ランジ

ュを推した。

「うーむ。確かにあの娘の容色ならどこへ出しても文句は出ないだろうな…」

ム・スカは品定めをするように、何も知らずに唄っているオ・ランジュを眺めた。

「オ・ランジュが金持ちに嫁げば、館長もよろこぶだろう。それに、うまくいけばオ・ランジュの付き人としてついている俺の娘にも何かおこぼれがあるかもしれない」

と、ア・イロニーは内心ほくそえんだ。

ム・スカは横目でア・イロニーを見た。

「ただ嫁ぎ先を世話するだけで済むと思っているのか。…もっと良い利用法があるっての

に」

じゃら。

革袋から金品を取り出してみせると、ア・イロニーはころっとだまされてしまった。

「俺が彼女の父親に話を通しましょう」

「そうか?ならば紹介料を払わんといかんな。ほら、前金だ。とっとけ」

「これはどうも…」

気前良く多額の金品を手渡されて、ア・イロニーは夢中になった。にんまりと笑いながら、

罪悪感はかけらも感じていなかった。

   第三章☆黄・森林学者

 金ボタンのついた紺の背広姿でジラルドは、この星の原住民たちの働く姿を監督していた。

拠点にしている地域の外れに遺跡らしきものがみつかった。

それを掘り起こすために人足を雇った。大人数で慎重に作業がすすめられているのだが…、どうにも出てくるのはがらくたばかりのようだった。

「よう、学者先生。仕事ははかどってるかい?」

クロスが様子を見に来て声をかけた。

「何か目新しい物でもみつかるといいんだが、今のところなんとも言えないな…」

「ま、気長にやるこった」

「ああ」

こんなところに長居は無用とばかりにクロスはさっさと行ってしまった。

実際のところ、クロスも忙しいのだ。

クロスは惑星の都市に潜入するや否や大陸の行商人の間にうまく入り込んだ。そして持ち

前の手腕を発揮して、自分も商人として成功しつつあった。誰もが目を見張るほどの急成

長ぶりだった。

ジラルドの遺跡調査に必要な人件費もクロスが出していた。だが、クロスは裏であまり人

道的とはいえないこともやってのけていたので、それを思うと、ジラルドは心苦しさを禁

じえなかった。

「俺は商売に精を出す。あんたはあんたの仕事に精を出す。な。それで万事うまくいくってもんだ」

と、クロスは口癖のようにジラルドに言っていた。

「専門家、か…」

ジラルドは顔をしかめた。

確かに商売となるとクロスの有能ぶりはいかんなく発揮された。言語能力にも長けていて、

自動翻訳機にほとんど頼ることなく大まかなことが通じるくらいになっていた。

ジラルドはクロスがインプットした言語翻訳機を使って原住民と会話していた。

「俺の肩書きも見る影も無いな」

ぼそり、とつぶやいた。

「ジ・ラルド。今日もあまり良い成果は期待できそうにないです」

と、原住民の代表が言った。

「それでも頑張ってもらわないと困る」

「わかりました」

彼らも賃金で生活がかなり潤っているのだ。

ほっぽりだすわけにはいかない。

「ここの遺跡からこの惑星上の人間のルーツがわかるかもしれないと思っていたんだが…、ここははずれかもしれないな」

と、ジラルドはぼんやり思った。

「別の場所にならありえるかもしれないのに…」

しかし、今、次の行動を起こすために何もきっかけがつかめないでいた。

ジラルドが一人黙考していると、ふいに上空から、なにやらきらきらと光輝くものが降り

始めた。

原住民たちは一斉に仕事の手を休めて、全身でその輝くものを浴びた。

毎日、その粉状のものが降ってくる。電子顕微鏡で拡大してみると、透明な三角柱の形を

した物体だった。

「アルフレッドが報告していた未知の物質か。…プリズムの雨みたいだ」

だが、用心にこしたことはない。ジラルドはその細かなプリズムを浴びないように物陰で身をひそめた。

母船との通信の折、ファナからの報告で、この惑星の名称が「プリズム星」に決まったと告げられた。安易だがわかりやすいネーミングだ。

 夜になって、ジラルドが宿舎の自分にあてがわれた部屋で昼間の記録をしていると、ク

ロスの使いが来て、都市の中央にある豪華な建物へ呼び出された。

「良い見世物があるんだ。まぁ、来てもらえばわかる」

ジラルドが駆けつけると、クロスとホーシローと、顔見知りの商人たちが集まっていた。

「全員そろった。始めてくれ」

クロスの声を合図に、一人の可憐な娘が舞台に立った。

「他の大陸からつれてきた歌姫だそうだ」

と、クロスがジラルドに耳打ちした。

「歌姫か…」

ジラルドは、彼女の唄を聞きながら、プリズム星に来てから初めてくつろいだ気分を味わ

った。

歌い終わった彼女は舞台を降りて、クロスたちの方へやってきた。付き人らしい少女もど

こからか現れて彼女に従った。

「この女はオ・ランジュといいます。彼女はム・スカがみつけてきたのですが、ク・ロス

様に献上したいと言っています。これを機にム・スカにも目をかけてやってください」

と商人たちが口々に言った。

「これはこれは…。素晴らしい贈り物ですな」

とクロスは上機嫌だった。

「クロスが飽きたら、あんたにもまわってくるぜ」

ホーシローがジラルドに耳打ちした。

ジラルドは嫌な気分だった。

クロスは原住民たちを人間としてみていない。

使い捨てられた者は闇に消えて行く。

少なくともジラルドは、自分と姿形が同じでしかも知能を持った生命体を邪険にはできな

かった。

ジラルドは心底、その歌姫に同情した。

 商人たちの酒盛りから抜け出すと、ジラルドは先刻の歌姫の付き人の少女に出くわして

しまった。少女は廊下でうずくまって泣いていた。

「どうかしたのか?」

「お願いです。私とオ・ランジュを歌姫館へ帰してください。帰りたいんです」

泣きじゃくる少女を前に、

「声をかけるべきではなかったかな…」

とジラルドは思った。

「とにかく、泣くのはやめろ。その…なんとかなるから」

「本当ですか?」

少女は希望に目を輝かせた。

「いやその、ええと…、話を聞こう」

ジラルドは少し酔いが回っていたのか、普段だったら言わないようなことを言ってしまっ

ていた。

「はい。…あの、私、オ・ランジュの付き人でア・イリスっていいます」

「ア・イリス。良い名前だな」

ジラルドの記憶に間違いがなければたしか、イーリスというのはギリシャ神話に出てくる虹の女神の名前だった。

「…オ・ランジュと私はここに着くまで何も知らされずに大陸間を渡る船に乗せられてつれてこられたんです。オ・ランジュは、いつかどこかに嫁ぐことになっていたのだからしかたがない、と言っていたけれど、こんなだましうちみたいなやり方は納得がいかないって言っていました。私ももといた所に黙って幼い弟を置いてきたのが気がかりなんです。…なんとか帰ることはできないでしょうか?」

「…普通の手段では無理だろうな。おそらく君たちを取り引きした商人たちの間では莫大な金が動いている」

「それではやはり無理なんですね」

「泣くな、泣くな。…よし、俺がなんとかしてやろう」

言ってしまってから、

「俺もお人よしだな」

とジラルドは思った。

彼はこっそり少女をつれて歌姫の部屋を訪れた。

「急いで荷物をまとめるんだ。あんたたちをつれてここから逃げる。今しかチャンスはない」

「ええっ?」

突然のことに、オ・ランジュはあわてた。

「この人が助けてくれるんですよ!」

ア・イリスの言葉に、オ・ランジュはすぐさま反応した。

オ・ランジュも本当は帰りたがっていたのだった。

三人は人目を忍んで外へでた。

「大陸間を渡る船を雇おうにも、俺には金も権力もない。クロスのやつなら何でもできるんだろうが…」

とジラルドは苦笑いを浮かべた。

「どうかしたんですか?」

「いや。…こっちだ」

ジラルドたちは小型探索船を隠してある場所を目指した。

   ☆

 「姉さんたちを助けて」

ア・キラがアルフレッドたちに訴えた。

「絶対、無理矢理つれていかれたんだよ」

「しかしだな…、どこへつれていかれたのかはっきりわからないんじゃお手上げだよ」

とアルフレッドが何度も諭した。

ア・キラはしょんぼりうなだれた。

ア姉弟の父親のア・イロニーは多額の金品を手に入れて、息子にこう言った。

「お前の姉は親孝行な娘だ。これからも俺たちは生活に困ることはないだろう」

と。

「俺たち」ではなく「俺」のまちがいではないだろうか?ア・キラにはそう思えた。

ア・キラは父親にくいさがって何度も姉の行方を問いただしたが、結局教えてもらえなか

った。

「あの姉さんが僕に黙ってどこかへ行ったりするはずはないんだ。絶対さらわれたんだ」

ア・キラは落ちつかなげにつぶやいた。

 アルフレッドたちは母船と定期連絡をとるために、小型探索船から簡易通信装置を持っ

て町に来ていた。

その通信装置が突然鳴り響いた。緊急連絡らしかった。

「こちらアルフレッドとヒロキ。どうかしたのかい?」

「こちらファナ。…クロスたちの小型探索船からSOS信号が出ているの。場所はなぜだかわからないけど、着陸地点からだいぶずれた孤島なのよ。至急原因究明と救助に向かってもらえないかしら?」

「了解」

二人は町を出て、自分たちの小型探索船のある、村近くの森林地帯へ急いで戻った。

どんなに言い聞かせても、ア・キラも彼らについて行くといってきかなかった。

二人はしぶしぶア・キラもつれて、問題の場所へ向かって小型探索船を発進した。

   ☆

 ついていなかった。

ジラルドは自分の不運さを呪った。

せっかく脱出したのに、小型探索船を飛ばしている途中、隕石にぶつかって、近くの孤島

へ緊急着陸したのだ。

そこは無人島らしく、人影は見られなかった。

「すまないな。帰してやれなくて…」

「いいえ。助けてくださろうとしたんですもの。それだけで十分です」

オ・ランジュはそっとかぶりを振った。

ジラルドとオ・ランジュは船外の日当たりの良い場所に並んで座っていた。

時折、風がジラルドの黄色い髪にやさしくそよいだ。

オ・ランジュはぼんやりとジラルドのしぐさを目で追っていた。銀縁の眼鏡をはずしたら、どんな顔だろうか?と彼女は思った。

「実をいうと、あそこから逃げ出したかったのは自分の方だったのかもしれない」

とジラルドは思った。

彼は迷いを断ち切るように煙草に火をつけてくゆらせた。

ア・イリスが島の中を探検して、食べられそうな木の実や飲み水などを確保してきた。

「一応、船の中にも食糧を積んであるけれど、そいつもいつまでもつかわからないしな…。助かるよ」

ジラルドは少女の頭をなでて言った。

ア・イリスは嬉しそうに微笑んで、さっそく三人分の料理作りにとりかかった。

 ジラルドは気づいていなかったが、小型探索船は飛行不能になった時から母船に向けて

SOS信号を発し続けていた。ジラルドはアルフレッドたちがまさに今、こちらへ救助に向

かっているとは夢にも思っていなかった。

 「あのう、ジ・ラルド。大陸では遺跡の発掘をしていたんですか?」

ア・イリスが尋ねた。

「ああそうだ。…どうして?」

「なんだか、この島の奥にも遺跡みたいなところがあるんです。後で案内しましょうか?」

「本当か?だったら今すぐ案内を頼む」

ジラルドは煙草をもみ消すと、素早く立ちあがった。

「食事は?」

あわててオ・ランジュが呼びとめた。

「後で食べる。先に食べててくれ。ちょっと行ってくる」

ア・イリスに案内させてジラルドがばたばた行ってしまうと、一人取り残されたオ・ラン

ジュは寂しげな表情を浮かべた。

「…この辺りに確か、巨大な建物みたいな跡があるんです。苔むしていて見分けにくいんですけど」

ア・イリスは下草をかきわけて進みながら言った。

「そういえばこの辺りの岩には人工的に手を加えた跡があるみたいだな。みんな形が整っ

ている…」

そう言った途端、ふいにジラルドの姿がかき消えた。

「ジ・ラルド?どこに行ったんですかぁ?」

ア・イリスが心細げな声を出した。

「ここだ。ここ」

声は足の下から聞こえてきた。

ア・イリスがゆっくり近づくと、ぽっかり大穴が開いているのが見えた。

「落ちちゃったんですか?」

「そうだ。…近くに蔦か何かないか?それを下ろしてもらえると助かるんだが」

「ちょっと待っててください。オ・ランジュにも来てもらいます」

「わかった。頼む」

ジラルドが一人取り残された場所は、遺跡の地下らしかった。暗い空間に彫刻を施した柱

がいく本か立っている。上からの光が斜めに差しこんで、彼のいる場所に陽だまりを作り

だしていた。

「ここは当たりかもしれないぞ」

ジラルドは自分の置かれた状況をすっかり忘れて身震いをすると、周囲をみわたした。

「なによりも無人島であることに感謝しなきゃな。原住民が生活している地域では、誰か

が興味本位でいじくりまわしたり、盗掘してあったりするものだから」

ジラルドは、はやる気持ちを押さえきれなかった。

彼は、ア・イリスがオ・ランジュをつれて駆けつけたときには、何と声をかけても耳に入

らない様子で周囲の建築物を調査していた。

ア・イリスとオ・ランジュが丈夫な蔦をみつけてきて下にいるジラルドのそばに垂らすと、

ジラルドはやっと二人に気づいたようだった。

「もうしばらくここにいる。暗くなる前には上がってくるから、あんたらは自由にしててくれ」

ア・イリスとオ・ランジュは顔を見合わせた。

「変わった人ね」

二人はあきれた様子だった。

「…あら。あれは何かしら?」

かすかな音に上空を仰ぎ見たオ・ランジュがつぶやいた。

「空を飛ぶ乗り物だわ。私たちをジ・ラルドが乗せてくれたものとそっくりの形をしてい

る…」

ア・イリスは畏怖の念を隠しきれずに言った。

それは、アルフレッドたちの乗った小型探索船だった。

   ☆

 「姉さん、無事だったんだね」

「ア・キラ!どうやってこんな所まで来れたの?」

「ア・ルフレッドたちがつれてきてくれたんだよ。偶然、ア・ルフレッドの仲間の船からSOS信号が出ていたからここまでたどり着けたんだけど、もしかして、って思ってついてきて正解だったよ。姉さんとオ・ランジュが一緒にいたもの」

「ジ・ラルドという人に助けてもらったの。本当は歌姫館まで戻る筈だったんだけど、乗り物が故障したらしくて…」

ア・イリスとア・キラは再会を喜びあった。

 「しかし、ジラフ。お宅もみかけによらず無茶なことをするなぁ…」

事情を聞いた後、アルフレッドがジラルドに言った。

「なかばなりゆきだったんだ。もうどうでもいいさ。…それよりも、この島には調査しがいのある遺跡があるんだよ。今はそれが重要だ」

ジラルドは熱にうかされたような表情で言った。

「まさに『学者先生』だな、ジラフ」

あきれ顔でアルフレッドが言った。

「それで、クロスたちの方はどうする?」

ヒロキが口をはさんだ。

「迎えに行っても良いんだが、今、ジラフと会わせると事情が事情だけに面倒なことになりそうだしな」

とアルフレッドは答えた。

「…すまない」

ジラルドがぼそりと言った。

アルフレッドたちとジラルド、お互いの持っている言語翻訳機の情報交換をすると、より

以上にこの惑星で使われている言語が解明できた。

 アルフレッドは小型探索船の交信記録から、惑星へ突入する際に母船から送ってもらった

曲をディスクにダウンロードした。専用の携帯プレイヤーで繰り返し音楽に聞き入ってい

た。『Light is Right』だ。

「それ、なんですか?」

ア・イリスが興味を示した。

「地球という惑星で流行した音楽を聞いているんだよ」

アルフレッドはア・イリスの耳にイヤホンをはめてやった。

「言葉の意味はわからないけれど、とても良い曲だわ…。私、これを歌にして唄ってみたい」

そう言ってはしゃぐア・イリスに、

「それはいいわ。やってみなさい。私も手伝うから」

とオ・ランジュが言った。

 この島では平和に時が流れた。

ジラルドは遺跡のあちこちを探索し続け、アルフレッドはア・キラにせがまれて手作りの

飛行機の模型を造った。

ア・イリスとオ・ランジュは歌の研究に思考錯誤して、ヒロキはそんな彼女たちの様子を撮影して、ホログラムの出るオルゴールを造った。

母船への定時連絡時には、時間稼ぎにしかならなかったが、調査中とだけ報告した。

   ☆

 「そんな小さな船で海へ出るつもりなの?」

ア・キラが顔をしかめて言った。

ゴムボートを浮かべていたアルフレッドは、なぜ少年がそんな顔をするのかわからずにい

たが、実際に海に乗り出してみて嫌と言うほど思い知らされた。

巨大な魚類がうようよいたのだ。

「これじゃ、どっちがどっちを食べるのかわからないな…」

苦笑している暇はなかった。

ゴムボートをひっくり返そうとするたちの悪い一匹の巨大魚に麻酔銃を撃った。他の魚た

ちはそれで驚いて逃げてくれたが、捕らえた一匹をどうやって運ぶかで頭を悩ました。

「せめて、小型のナイフがあればなぁ…」

しかたなく、今回はその魚はあきらめて出直すことにした。

「ア・ルフレッド!あそこの崖の上を飛んでいる鳥は羽を動かしていないのに、なぜ落ちないの?」

ア・キラが尋ねた。

「上昇気流だよ。海上から崖にぶつかった風が上向きに吹き上げているんだ。鳥はその風にうまく乗っかっている…」

アルフレッドの答えに、ア・キラは目を輝かせた。

「空飛ぶ船も同じなの?」

「いや、理屈は似ているけれど、あれには動力源と燃料があるんだ。説明は難しいけどな」

「ふうん…」

アルフレッドはア・キラの知的好奇心に感心した。

「派生した惑星は違うかもしれないが、立派な人類じゃないか。そんな条件が整う確率はいったいどれくらいなんだろう…」

そんな事を考えて水平線の方を眺め、やがてゴムボートは島の岸へと戻って行った。

   第四章☆緑・Trade/Wind

 毎日おきまりの風が吹いていた。

昼下がり、緑の風に吹かれながら、めずらしくジラルドが遺跡から離れて船の近くで紫煙

をふかしていた。

「ジラフ。今日は遺跡調査に行かなくて良いのかい?」

通りかかったアルフレッドが声をかけた。

「…ちょっと行き詰まってしまって。遺跡地下の壁の文字が難解で先に進めない。扉らしいものがあって奥に部屋があるらしいんだが、そこまでたどり着けないんだ」

「オ・ランジュたちに文字の解読を手伝ってもらったらどうかな?」

「彼女たちは彼女たちで忙しそうだ」

「そうでもないよ。さっき、歌詞が出来て一曲完成したって喜んでいたからね。頼んでみよう」

「それは助かる。…ところで、あんたも一本どうだい?」

とジラルドはアルフレッドに煙草を勧めた。

アルフレッドはちょっと考えてから言った。

「悪いが吸ったことがないんだ」

「そうかい?…ま、気が向いたら言ってくれ。いつでもわけてやるよ」

「ああ。ありがとう」

アルフレッドは素直にそれがジラルドの好意の現れだと感じた。

 その日。二度目にプリズムの粉が降り始めた時刻に皆は集まった。

今この島にいる全員でジラルドの遺跡調査を手伝うことになったのだ。

「地下はとても暗いのね」

と、オ・ランジュが怖そうに言った。

アルフレッドたち地球派生型の人間には薄明るく見えるのに、プリズム星人たちには暗闇

に見えるらしかった。

しゅぼっ。

ジラルドが持っていた消えにくい特製のライターの火をともした。

壁の文字を照らすと、ア・イリスたちに読んでもらった。

「奥の扉の開き方が書いてある」

「具体的にどうすれば良い?」

すると、ア・イリスは地面に無造作に転がっている石を一つ一つ確かめ、壁の凹みに合う

ものを探し出した。

全部で七つ。

石をぴったり大きさや形が合う壁の穴にあてがっていくと、果たして扉は開いた。

「気をつけろ!何かいるぞ」

ふいにアルフレッドの声が響いた。

扉の内側から黒い影が無数に飛び出してきた。

どさくさで、ジラルドはライターを落としてしまった。

「キャー!」

オ・ランジュとア・イリスが暗さでパニックになって、かん高い悲鳴をあげた。

彼女たちは少しでも明るい方へ向かって逃げ出そうとしたが、何者かに行く手を阻まれ、

混乱した。

ジラルドがオ・ランジュを抱き寄せてかばい、アルフレッドがア・キラとア・イリスを自

の背中に引き寄せた。ア姉弟はアルフレッドにしがみついた。

「ヒロキ!よすんだ」

携帯していた麻酔銃を構えようとしたヒロキは、アルフレッドの声で銃口をおろした。

無数の黒い影は人の形をしていた。

やがて扉の中から明かりが進み出た。

「地上人よ。何ゆえここまで来た?」

おごそかな声が響き渡った。

明かりに照らされて、白いひげをたくわえた老人が杖をついて現れた。

「我々は他の星からやってきた者と、この星の者です。この星のルーツを調べていてここにたどり着きました」

ジラルドが一歩前へ踏み出し、皆を代表して言った。

「この扉の先は、この星が危険に陥った時にはじめて機能する聖域だ。今は何人もこれを犯すことはできない」

「大陸で調査した時にはこんな場所はみつけられませんでした。もし緊急時に機能すると

いうのならば、大陸にも同じような所があってしかるべきです!何故こんな孤島にこんな

場所があるのですか?」

「本当にちゃんと調べたかね?…それぞれの場所には秘密を代々守る者がいる。彼らに信

用される存在であればすぐにみつかったはず」

「それは…」

ジラルドは言葉につまった。

「では、大陸で調査をしていた時に誰も教えてくれなかったのは、自分の力不足だったのか?」

悔しかった。

「…地上へ戻りたまえ。扉は必要が生じた時に必ず内側から開かれる。それまで近づくことはならない」

「しかし…」

食い下がろうとするジラルドを老人は一瞥しただけで黙らせた。

きびすを返し、他の無数の人影とともに扉の向こうへ戻って行こうとする老人に、ジラル

ドはかろうじて最後の質問を投げかけた。

「待ってください!あなたの名前は?」

「ジ・ライヤー。聖域を守る者、だ」

扉の閉まる音が響いた。

押しても引いてももう扉は開こうとはしなかった。

今回はここであきらめるしかなかった。

六人は地上へ戻った。

   ☆

 「ファナからまた通信が入ってきてるんだが、何て伝えたらいいかな?」

困惑顔でヒロキが聞いた。

「全員に帰還命令を出すそうだ」

アルフレッドとジラルドは顔を見合わせた。

「母船の方とクロスたちは連絡がついたそうだよ。あっちも簡易通信機を持っていたみたいだね」

ヒロキはとにかくアルフレッドとジラルドの意志を尊重してくれていた。

「…遺跡のあれを見た以上、俺はこの惑星に一人残ってでも調査を続けたいと考えている」

ジラルドは率直な意見を述べた。

「…クロスたちの小型探索船はみつかったけれど、ジラフは行方不明、ってことにしてお

こう。それから、遺跡のことはもっと詳しいことがわかるまで伝えない方が良いと思うん

だ。余計な混乱を招きそうだから」

考え考え、アルフレッドが言った。

「そうか…」

ヒロキはそう言うと、母船とのやりとりを手短に済ませた。

「色々迷惑をかけてすまないな」

と、ジラルドが申し訳なさそうな声を出した。

「学者先生の決意が固いんならしかたないさ」

ヒロキがほがらかに言った。

三人が小型探索船から外に出ると、他の三人が心配そうに待っていた。

「もしかして、行っちゃうの…?」

ア・キラが言った。

「俺一人は残るけどね」

ジラルドが肩をすくめてみせると、いきなりオ・ランジュが彼に抱きついた。予想外のこ

とにジラルドが粟を食っていると、オ・ランジュは涙を流して喜んでいた。

「まあ、なんだな。またいつか会えるかもしれないさ。どっちにせよジラフを一人ほっぽっとくわけにもいかないだろうし、すぐまた戻ってくるさ」

できるだけのほほん、とアルフレッドは言った。

「ア・ルフレッド。ヒ・ロキ…」

寂しそうにア・キラが言った。

「くよくよするない。姉さんが心配するぞ」

と、アルフレッドはア・キラの髪をくしゃくしゃかきまぜながら言った。

「よせやい。こども扱いするなよ」

「…歌姫館へ帰るかい?送って行こうか?」

「いいや、今はやめとくよ。ヒ・ロキが壊れていた方の乗り物を修理してくれたから、帰りたいときはジ・ラルドに頼むよ。…逃げ出した姉さんたちをめぐってごたごたしそうな気がするし。とりあえずしばらくこの島に残って時機を待った方が良いと思うんだ」

そのしっかりしたア・キラの口調に、アルフレッドは少なからず安心した。この子に任せておこう、と思わせる何かがあった。

「そうか。じゃあ元気でな」

「ア・ルフレッドもね」

ア・キラはにこりと笑った。

「飛行機の造り方教えてくれてありがとう。いつか自分の力で空を飛んでみせるよ」

「ああ。がんばれよ」

アルフレッドも微笑んだ。

 「さて、と」

アルフレッドはジラルドの方に向き直った。

「念のため、小型通信機を一つ預けておくよ。困った時にスイッチを入れてくれ。俺たちだ

けの秘密の回線だ。周波数を決めておこう」

しかしそれは双方がこの惑星付近にいる時にしか通じないものだった。それでも暗にアル

フレッドが迎えに来る約束をしていることがジラルドにはわかったので、気休めになった。

「ありがとう。それじゃあ健闘を祈る」

「ああ、こちらこそ。がんばれよ」

二人は固い握手を交わした。

   ☆

 アルフレッドとヒロキは大陸へ向かい、クロスとホーシローを回収して、母船に戻るこ

とにした。

ジラルドが行方不明と聞いてもクロスたちはジラルドについて特に何もコメントしなかった。

「それよりも、地上での商売が思いのほかうまく行っていた時だったんでね…。このままコロニーに帰還するのは気がひけるよ。あるいはこの星とコロニー政府との貿易の橋渡しもできたかもしれないのに。実に残念だ」

とクロスは言った。

「ごくろうさま。大変だったわね」

母船で出迎えたファナが皆にねぎらいの言葉をかけた。

「ジラルドの行方が気がかりだけれど、優秀な彼のことだからきっとうまくきりぬけてくれるでしょう」

ファナは一呼吸置いて、

「この船はこれよりコロニーへ帰還します。物資がそろそろ底をつきそうなことと、プリズム星の調査経過を報告する義務があるので。ジラルドのことは上層部に打診してみます」

と宣言した。

 「あの惑星が人体にどう影響したか調べさせてもらうぞ。…もっとも、異星人のサンプ

ルが一人くらい欲しいところなんだが、誰も気がきかなかったらしいな」

酒の臭いをぷんぷんさせながらベラミーが言った。

アルフレッドはア・イリスやア・キラたちのことを思い浮かべ、内心つくづく母船へ彼らを連れてくる事態にならなくて良かった、と思った。

ベラミーの手にかかれば、異星人であるというだけの理由で、容赦なくばらばらに解剖さ

れかねなかった。

   ☆

 ところで、実はクロスたちを大陸で小型探索船に収容するとき、一人のプリズム星人が

船にまぎれこんでいた。

 歌姫館にいたはずのア・イロニーは、息子が姿を消したあともいつものことだとたかを

くくっていたのだが、大陸商人のム・スカからの使いが来て、違約金を請求されてびっく

り仰天した。

あわてて大陸に渡り、姿を消したオ・ランジュ、ア・イリス、ア・キラ等の消息を尋ね歩

いていると、不思議な乗り物にジ・ラルドという男が歌姫らしき者と一緒に乗ってどこか

へ消えた、という目撃談を耳にした。

アルフレッドたちがクロスたちを収容するために大陸へ降りたとき、ア・イロニーはその

小型探索船こそが歌姫たちの行方につながると思いこんでしまった。

まさかその船が惑星上空で待機している母船へ戻り、その母船がそのまま見知らぬ世界へ

帰還するなんて、ア・イロニーには思いもよらないことだった。

 「暗い。…ここはいったいどこなんだ?俺はどうなるんだ?」

何度目かの悪夢にうなされて、ア・イロニーは目覚めた。

彼の預かり知らないところで何かの罠にかかってしまったのかもしれない。漠然とそんな

感じだった。

もう隠れているのには限界だった。

ア・イロニーは、駆動を止めて死んだように静まり返った小型探索船からどうにか外へ出

た。

外は予想に反して、見知らぬ機械だらけの広い場所だった。

迷路のような通路と、立ち向かえば自動的に開く人工の扉をいくつか抜けてさまよったが、本来の意味での「外」にはでられなかった。

ア・イロニーはふらふらと母船の中を歩き、船内通路の一角でばったりと倒れこんでしま

った。

 機関室へ向かう作業用アンドロイドがア・イロニーをみつけてヒロキに報告した。

それから母船の乗組員たちが大騒ぎになって、ア・イロニーをベラミーに託した。

ベラミーは栄養剤を投与しながらア・イロニーに様々な検査を施した。

「…どうもプリズム星人たちにとって、あの未知の物質は精神安定作用があるらしい。この男は長時間あの粉末を浴びていない為に精神的に異常をきたしているようだ」

妄想と幻覚が現れては消え、消えては現れるらしい。

乗組員たちは顔を見合わせた。

「彼らの間では『空』に対する概念が特別なものみたいだった。…おそらく彼らはあの星を離れては生きていけないのかもしれない」

とアルフレッドが言った。

「だけど、この船はもう半分以上コロニーへ近づいているのよ。今更この男一人のためにプリズム星へ戻ることはできないわ」

ファナは苦悩しつつ言った。

「精神安定剤を投与してみよう。それでなんとか一時凌ぎにはなるかもしれん」

ベラミーはファナを振りかえって、

「上層部にこれで顔が立つ。良いサンプルが手に入ったと思えばいいのじゃないかね?」

と、なぐさめともなんともいえない言葉をかけた。

「とにかく、帰りましょう。コロニーへ」

一言一言区切るようにファナは断言した。

   ☆

 母船はやがてコロニーへ帰還した。

乗組員たちにはプリズム星で得た情報をまとめて報告する義務があった。彼らはコロニー

の中央管理局内の宿泊施設にしばらく寝泊りすることになった。

食事の時間だけはお互いに顔を合わせることがあったが、ほとんど個別に報告するよう決

められていた。

「毎日毎日検査されたり、話を聞かれるのも苦痛だよなぁ」

とヒロキがアルフレッド相手にぐちをこぼしていた。

より少しでも正確な情報が欲しいらしく、同じ質問を繰り返されることもままあった。そ

うして、うっかり言い忘れていることさえも浮き彫りにされていくのだった。

「…ジラフのことは?」

「大丈夫。何も話しちゃいない」

二人がこっそり話しているところへファナがやってきた。

「やあ、ファナ。どうしたんだい?疲れてるみたいだけど。よっぽど上層部の対応が悪いんだね」

ヒロキが気遣って言った。

「そんなんじゃないのよ。ただ…」

「ただ…?」

「私の部屋の風呂場のシャワーの調子が良くないのよ。どちらかというと浴槽よりシャワ

ーの方を使い慣れているから、こまっちゃって…」

アルフレッドとヒロキは顔を見合わせた。

「…それなら部屋を替わってあげようか?ちょうどファナの真上が俺の部屋だし、部屋の

間取りが同じだろう?それに俺には荷物がほとんどないから移動が楽だから」

親切心からアルフレッドがそう申し出た。

ファナは素直に喜んで、彼らは部屋を交換した。

そんなやりとりがファナにとって裏目に出るとは、そのとき誰も思いもしなかった。

 夜。突然爆発音が起こった。

「爆発の場所はどこだ?」

「アルフレッドの部屋…いや、ファナが今使っているはずの部屋の方だ!」

中央管理局員や、プリズム調査に関わった者たちが大騒ぎで爆発現場に集まった。

「大丈夫かファナ?怪我はないか?」

アルフレッドとヒロキが駆けつけてみると、ファナは濡れた髪にバスタオル一枚の姿でが

ちがち震えながら立っていた。

「知らない男が来て鍵のかかっていたドアを爆薬で開けたみたいなの。部屋にいたら怪我

してたかもしれないけれど、ちょうど浴室でシャワーを浴びていた時だったからどうもな

いわ。ただ、突然乱入してきて『なぜ女がここにいるんだ?』って言うと、他の人たちが

駆けつけてくる前に他になにもせずに逃げていったわ」

「あいつだ!」

と、アルフレッドは独り戦慄を覚えた。…ウィル・バートンだ。

「見かけがアンドロイドみたいだったけれど…、整備されたアンドロイドは安全なはずだ

し…、変装かしら?」

首をかしげるファナ。

アルフレッドにはそれがウィルであると確信できた。どこかでどうにかして彼の居場所を

嗅ぎつけてこうしてやってきた。よっぽど自分の秘密が公にされるのを恐れているのか、

それとも他にも動機があるのか、それはわからなかったが、現にアルフレッドに用があっ

てこんなところにまで現れたのだ。

おそらくアルフレッドがいると思って侵入した部屋にファナがいて、予想外のことに、長

居は無用と、あっさり退散したのだろう。

「すまない。俺の関係のトラブルに巻き込んだらしい」

とアルフレッドはファナに言った。

「あなた関係のトラブル…?一体どういうことなの?」

「いや…、詳しく話すと余計迷惑をかけるから言えないことだらけなんだけど、以前、俺の命を狙ったやつがまた出没したらしくて」

アルフレッドの言葉にファナ達はしげしげと彼をみつめた。

「警備を厳重にしてもらいましょう。でないと危険だわ」

ファナの言葉に周囲の誰もが同意した。

しかし、いつかは決着をつけなければならない時がくるだろう。覚悟をしておかなければ、

とアルフレッドは内心強くそう感じた。

 みんながあわただしく爆発跡を処理している中、ファナはその場でなにか考えこんでい

たが、ふいに背中から誰かが暖かい上着をはおらせてくれたので、びっくりして振り向い

た。

「とりあえずその格好は…。風邪をひくよ」

ヒロキがやさしく言った。

「ありがとう」

ファナはヒロキに微笑んだ。

  第五章☆青・ホログラムオルゴール

 その後何事もなく数日が過ぎた。

やがてプリズム星調査隊の乗組員たちは自由の身となり、それぞれが身の置き方を考える

段階になった。

しかしアルフレッドにはコロニーに生活拠点がないため、部屋捜しをまずしなければなら

なかった。

「とりあえず部屋がみつかるまで俺の処にでもいたらいいよ」

とヒロキが気さくに言ってくれた。

アルフレッドはその申し出をありがたく受けた。

「物騒なのも、男二人いりゃ、なんとか対応できるかもしれないしな」

部屋のセキュリティにアルフレッドの認可コードを手続きしながらヒロキはそう言った。

アルフレッドにとって、ヒロキの言葉は、かなり気休めになった。

 高層ビルの立ち並ぶ中、ヒロキの部屋はそんなビルの一室にあった。

朝が来ると、耐圧ガラス張りの外壁が透明に変わり、コロニーの人工太陽の光が室内を照

らす。

どのビルの外壁ガラスも外側から見ると、鏡のように輝き、周囲の景色を映し出していた。

「ここが、リゲル恒星系、か…」

アルフレッドは思わず感嘆の声を出した。

 「こんにちは。ヒロキいる?」

昼頃ひょっこりファナが訪ねてきた。

「あら、アルフレッドも一緒なのね」

男二人はおたおたした。

「えーと、俺は新居捜しに行かないと…」

「え?そーか?そーいえばそーだったな」

アルフレッドはヒロキとファナの会話を邪魔したくなかったので、気をきかせて外出する

ことにした。

新しい住まいのついでに新しい仕事も捜したいところだったが、今はまだ気がかりなジラ

ルドの救助の許可がおりていなかった。コロニーの中央管理局に打診してはいるが、いっ

こうに許可がおりない。

いらいらしてもしかたがないので、アルフレッドは申請している住居の空きがないか確認

した後、時間をつぶすために街の中をぶらついた。

「ジラフのやつ、今頃持っていた煙草を全部吸いつくしてるだろうなぁ」

そんなことを思い、煙草を十カートンまとめ買いした。ジラルドの吸っていた煙草はポピ

ュラーな銘柄だったので、捜すのにそう手間どらなかった。

アルフレッドはついでに銀色のライターを買った。

煙草のついでになにげなくショーケースに目を落としていたら、店の主人がいくつもライ

ターをとりだしてみせたのだ。

「このライターなんかは、昔地球で航海するときに使った、風が吹いても火が消えにくいものですよ」

と、すすめられた。

ライターを買ってからも店内を見て回っていると、アルフレッドが興味を示す度に店の主

人がわざわざ一通り説明してくれた。いいカモだと思われたのかもしれない。

「そっちのは何ですか?」

「ああこれね。これは昔、地球のスイスという国で使われていた多機能ナイフだよ。赤いさやに白十字のロゴ入り。十三種類の工具が収納されている。…そういえば地球の二十世紀に流行したドラマの中でも小道具で使ってたなぁ…。『マクガイバー』とかね。知ってるかい?」

なんだかよくわからなかったが、便利で面白そうだったので、アルフレッドはそのナイフ

まで買ってしまった。

「いつかそのドラマを見てみますよ」

ときさくに告げて店を出た。

結構時間つぶしにはなったが、それでもヒロキの部屋へ戻るにはまだ早すぎるような気が

して、彼は空中公園へ足を運んだ。

   ☆

 ヒロキの部屋に入ったファナは言葉巧みに彼と会話した。表向きは好意がある様子で、

その実、中央管理局の命令で、ヒロキが隠し立てしている事柄を聞き出そうとしていた。

中央管理局の検査の結果、プリズム星での出来事をみんなある程度話しはするものの、気

まずい事を隠す傾向が見られたそうだ。

その中で特にヒロキは何か重要なことを黙っているふしがある、として目をつけられてい

た。

(それはジラルドやプリズム星の遺跡であった出来事などで、彼は検査をうまくきりぬけ

たつもりでいたが、コロニーの精密な機器にはあからさまに動揺が記録されてしまってい

たのだった)

ヒロキは自分が疑われているなんて微塵にも思っていなかったので、ファナの来訪を心か

ら歓迎した。

ヒロキの屈託ない性格に、ファナは内心とても胸が痛んだが、これも仕事なのでしかたが

ない、と考えた。

ヒロキは機械類の扱いがとてもうまいだけあって、専門的なことを聞かれると、とても楽

しそうに話をした。

「あら、それは何?」

荷物の少ない殺風景な部屋の中で、みかけが女性が化粧に使うコンパクトに似たものがファナの目についた。

「ああ、これね」

ヒロキはひょいとそれを持ち上げると、ボタンを押した。

ふたが開き、異星人の少女が歌を唄っているホログラムが現れた。しばらく音楽が流れる。

「これ…、あなたが造ったの?」

ファナは本心から感心して聞いた。

「うん。…曲名は何だっけな?アルが好きな曲で、ライト/イズなんとか」

「Light is Right…ね」

「そうそう。唄ってる歌詞はプリズム星人の言語だから、俺はどんな歌詞かは正確には知らないんだけどね。なんか、こう、きれいだろう?」

「ええ。…あの、よかったらこれ、しばらく貸してくれないかしら?調べてみたいの」

「調べる?…まぁ良いけど」

「あの星であった出来事、どんなささいな事でもいいから思い出したら教えて欲しいの。私はずっと上空で待機してただけだったから、なんだかつまらなくて…」

「そうかい?何でも聞いてくれてかまわないよ」

そう返事しながら、ヒロキは内心、アルフレッドに口止めされているジラルド関連のこと

を思い浮かべて悩んでいた。

「それじゃあ、私、帰るわね」

「えっ。用事はそれだけだったんだ」

「ええ」

しょんぼりした様子のヒロキを見て、ファナは、ちょっと興味をそそられた。

もしかして、もしかしたら、ヒロキはファナのことを…。

「俺、ちょっとは色気のある話でもしてくれるかと期待しちゃってたんだけどな」

「あら…。えーと…」

ファナは、いつだったか、ヒロキが上着をかけてくれた時の事を思い出していた。

彼女は胸がどきどきいうのを感じた。

   ☆

 「げっほげほげほ」

アルフレッドは空中公園のベンチで一人、せきこんでいた。

生まれて初めて煙草を吸ってみたのだ。

結果は無残。

「ジラフはよくこんなものを吸ってたな」

と、彼はつくづく思った。昔の地球で禁煙運動があったというが、わからなくもない。でも、愛煙家にはたまらなくおいしいのだろう。

「あれ?」

視界の端を何かが横切った。

アルフレッドは思わず立ちあがって追いかけて行った。

近くの木に小動物が登っているのがわかった。

「なんだ?猿、かな?よくこんな人工の世界で野放しになってるもんだ」

感心して眺めていると、

「すいませーん。今こっちに仔猿が逃げて来ませんでしたか?」

作業服姿の男が二人、アルフレッドの方に走ってきた。

「ああ、あそこにいるけど…」

「よし。今度こそつかまえるぞ。俺はこっちから回るから、お前はそっちから追い詰めてくれ」

二人の男たちはどたばたやって仔猿を網でとりおさえた。

「ちょっと、かわいそうなんじゃないですか?」

とアルフレッドはみかねて言った。

「いや実はね、地球産の小動物を何種類かつれてきて繁殖させようとしてるんだけど…、この仔猿だけは特別で、他のとうまくなじんでくれなくて困ってるんだ」

「特別って何が?」

「ほら、みかけがね。全身真っ白で目が赤いでしょう?突然変異のアルビノなんですよ。この外見のせいで浮いてしまって、他のやつとうまくなじめない」

「はあ…」

アルフレッドは今でもやはり色の識別が出来ないままなため、言われて初めてその仔猿の

ことを理解した。

そういえば、幼い頃地球の図書館で、古典SFの「コンラッド消耗部隊シリーズ」という文

庫本を読んだことがあるのだが、その中に、とある惑星で生まれ育った特殊な猿が、生ま

れた場所から引き離されると、自分の尻尾の先で自分を突いて自殺してしまう、というの

があった。

アルフレッドはそれを思い出していた。

根無し草な俺は、この先、故郷からこんなに離れた場所で、なにをよりどころにして生き

ていくのだろう?

そう思って、思わず身震いした。

「おい、行くぞ」

はっと我に返ると、男たちが仔猿を網からかごに移し変えて連れ去るところだった。

考えてみると、この目前の仔猿は自分の意思の預かり知らぬところで、こんな見知らぬ世

界へつれてこられたのだ。

アルフレッドは、仔猿を不憫に思った。

そして、仔猿が、自分の知らないところで孤独に死を迎えるのではないか、という不安が

胸にわきあがった。

「待ってください!!」

「?」

「その仔猿、ゆずってもらえませんか?」

「えっ」

男たちは困惑顔でアルフレッドを見ている。

始めはおずおずと、そしてだんだん熱心にその申し出を語るアルフレッドに、男たちはや

がて折れた。

仔猿の身の上と自分が重なって思えたから?

それともなにか別の強い感情が彼らを揺り動かしたのか?

それはアルフレッドにもわからなかった。

気がついたら、長い手続きを終えてその仔猿の所有者になっていた。

   ☆

 「おまたせ」

青いエアカーを乗りつけて、ヒロキが言った。

待ち合わせ場所で待っていたファナはちょっとだけ待ちくたびれていたので不機嫌だった。

ヒロキは何も言わず、赤いバラの花束を差し出した。

「わぁ、すてき」

ファナはとても驚いて、大喜びになった。

助手席に座ると、花束は両手いっぱいであふれそうだった。

トゲはきれいに取り除かれていたので、ファナが花束を抱きしめても痛くはなかった。

そっと香りをかいで、ファナは純粋に嬉しかった。

任務より私情を優先させてはいけない、とファナの心のどこかでささやき声がしていたが、

今、彼女の心はヒロキの方へ傾きつつあった。

「あのね、あの…」

「なんだい?」

「この前のあなたが造ったオルゴール。歌の内容を言語翻訳機で翻訳してみたら、恋の歌だったの」

「へええ」

「空から迎えに来てくれる救世主を待っているみたいな内容にもとれたんだけど」

「そうなんだ。…あの星の人間は空に畏怖の念を持っていたみたいだったしね」

自動操縦に切り換えられたエアカーは、二人を予約しているレストランまで運んだ。

二人は楽しそうに会話しながら食事を楽しんだ。

「ちょっと失礼」

ナフキンで口をぬぐって、ファナは化粧直しに席を立った。

鏡を前に立ち、口紅をポーチから取り出す。

「あっ。痛…」

ものすごい頭痛が彼女をおそった。

 「大丈夫?なんだか顔色が悪いよ」

テーブルに戻ってきたファナにヒロキが心配そうに声をかけた。

「そう?どうってことないわ」

冷たい声だった。

「…それよりも、聞きたいことがあるの」

「うん」

「本当は、ジラルドはどうしたの?」

「えっ!」

不意打ちに、ヒロキはびっくりした。

「あなた、本当のこと、隠してるでしょう?」

「なんで…」

ヒロキはかすれ声を出した。

ふっ、とファナは笑った。

「ごめんなさい。でもこれは私の仕事なのよ」

「仕事…だから俺と会ってくれてるのか?」

うちのめされたような表情でヒロキは言った。

ファナは視線をそらした。テーブルクロスの上で彼女の両手がふるえていた。

「…。そういえば、プリズム星人が一人、コロニーに来たけれど、その後彼はどうしてるのかな?」

ヒロキはファナの様子を一片たりとも見逃そうとしなかった。

「彼はコロニー政府の実験施設にいるわ」

「ベラミー先生が担当してたんじゃ?」

「ベラミー先生は、お酒の飲みすぎで幻覚をみて、精神科に入院しているの」

「幻覚?」

「典型的なアルコール依存症の末期症状がいくつか。最初は蟻の群れがなにもないところ

に見える、って騒ぎ出して、投薬で抑えたけれど、飲酒をやめられなくて肝硬変とか…い

ろいろ併発して、隔離施設に入られてるの」

「なんてこった…」

ヒロキは正直、言葉を飲み込んだ。

「…。でも、コロニー政府がちゃんとうまくやってくれてるんだろう?キミが気に病むことはないんじゃないのか?」

「コロニー政府が…?」

ファナがヒロキを見上げるように見た。

その表情から、ヒロキは自分の考えが甘いことを気づかされた。

「そんなわけ、ないな。キミに嫌な任務を強要してるくらいだから…」

ヒロキはふるえるファナの両手をとって、しっかりと握り締めた。

「キミが心を痛めている問題が一つでも減るように、俺はジラルドのことを話してあげる

よ…」

ファナは自分でも気づかないうちに涙を流していた。

ヒロキはアルフレッドに後で謝るつもりで、ファナのためにプリズム星での出来事を語り

始めた。

   ☆

 「ヒロキのやつ…、ファナとでかけてるのか…」

部屋の書き置きを見て、アルフレッドは一人、呆然と立ち尽くしていた。

仔猿はまだ彼に完全に慣れているわけではなかったので、首輪に引き綱をつけた状態だっ

た。

ガチャリ。

玄関のドアが開くかすかな音がして、仔猿がアルフレッドの肩にするするとのぼった。

てっきりヒロキが帰ってきたのだと思ったアルフレッドは、入ってきた男の顔を見て血相

を変えた。

「お前は!」

「久しぶり。ようやくまた会えたな。捜すのに手間取ったぜ」

ウィル・バートンはまるで悪気がないように話したが、その目は冷たく刺すようだった。

「わざわざ捜してくれるような事をした覚えがないんだがな」

アルフレッドにしては皮肉たっぷりの言いまわしだった。

ウィルは肩をすくめてみせると、間髪を置かず、いきなりアルフレッドの腹に蹴りをいれ

た。

「ぐはっ」

激痛に耐えて立ちあがりながら、アルフレッドにはウィルが手加減したことがわかってい

た。本気のアンドロイドの力だったら今ので致命傷にもなりかねない。

「俺をまた殺しに来たのじゃないのか?」

「あんたを殺す?そうだな。それも面白いんだが、聞きたいことができたんで、それを聞き出して用がなくなったらそうさせてもらうとするか…」

「聞きたいこと?」

ウィルは神妙な顔つきでうなずいた。

「宇宙船からあんたをていよく放り出した後、うまく他のやつらをごまかすためにあんたの

荷物を見せてもらったんだが…」

「なにもたいしたものはなかったはずだ」

「いや。とぼけなさんな。これがどうして、世界機密クラスのあんたの研究の成果がつまったマイクロフィルムが出てくるわ、出てくるわ。…ただしそのほとんどがダミーだったがな」

「…」

苦虫をかみつぶしたような顔でアルフレッドはウィルをにらんだ。

それは、アルフレッドが生まれ故郷の地球を離れるきっかけになった、とある研究のこと

だった。

「あんたが生きていたのは予想外だったが、生きていてくれてチャンスが残っていたってわけだ」

「なにがだ?」

「パスワード、だよ」

アルフレッドにはウィルの言っていることがわかっていた。

マイクロフィルムだけでも、常人だったらわからないように隠しておいたのだ。念には念

を入れて、最終プログラムだけは、彼自身しか知らないパスワードでロックしてある。

もし違うパスワードを一度でも入力したら全てのプログラムが消滅する仕組みにしておい

た。

ジャキン。

鋭い音をたてて、ウィルはジャックナイフの刃先をアルフレッドに向けた。

アルフレッドは、逃げた仔猿がふるえながら、部屋のどこかからアルフレッドたちを見ているのを感じた。

「…さあ、教えてもらおうか。それとも、ただなぶり殺されるのがお好みかな?」

ウィルが笑った。

何かないのか?対抗する手段は?

アルフレッドは素早く考えをめぐらすと、とっさに近くにあった消臭剤のスプレー缶をひ

っつかんだ。

「じたばたしなさんな」

高笑いをあげて、ウィルがナイフでわざとアルフレッドの髪を一房切り取った。

「消臭剤?俺はそんなに臭いかい?」

ばかにしたように、ウィルは笑う。

隙が、ない。

突き倒されて、見下ろしてくるウィルをにらみながら、アルフレッドは万事休すだった。

キキキー。

がたーん。

「?」

部屋の中を、ただ事ではないのを察知した仔猿が飛び跳ねた。

ウィルの気が、一瞬、それた。

「!!」

めらめらと、ウィルの着ている服が燃え上がった。

アルフレッドが、懐に入れていたライターの火を消臭剤のスプレーガスに引火して、ウィ

ルの隙をついたのだった。

「た、助けてくれ」

ウィルの表情から余裕が消えていた。

偶然燃えやすい素材の服を着用していたらしい。

ウィルの端正な顔がすすで黒くなった。

ウィルは燃えながら踊るように部屋を通り抜けた。

そうして外壁のガラス窓に勢いよくぶつかった。

驚くほどあっけなくガラスは割れ、ウィルは高層ビルの窓からはるか下方へと落下して行

った。

「…」

とっさのことに、アルフレッドは絶句したまま窓側へ走り寄った。

強風が割れたガラス窓から吹き込み、アルフレッドを威圧した。

彼はいつまでも立ち尽くしていたが、やがて足元にすりよって来た仔猿を抱いてなでてや

り、

「ありがとう」

とお礼を言った。

「ヒロキが帰ってきたらどうやって謝ったらいいんだ?…っていうか、ウィルのやつ、あ

の様子だと絶対また現れるぞ」

なかばうんざりして、アルフレッドはつぶやいた。

   第六章☆藍・コロニーコンピュータ

 コロニー政府からようやくジラルド探索の許可がおりた。

「買い置きの煙草を忘れないように持っていかなくっちゃな」

と、アルフレッドは荷物の整理をしながらうきうきして言った。

「まぁ、ジラルドを回収したらすぐコロニーに帰ることになるだろうから、あんまり気を使う必要はないと思うけどなぁ」

修理中の自分の部屋に立ち寄って、そのありさまに渋面をつくったヒロキが、べつにその

ことでアルフレッドを責めようともせず、そうとだけ答えた。

「?ファナから聞いたのか?」

「えっ?…ああ」

ヒロキはびくり、とした。

ヒロキの頭の中では様々な葛藤が起きていたが、極力アルフレッドに気づかれないように

しているらしかった。

「乗組員は、前回のプリズム探査のメンバーなんだろ?…クロスやホーシローとジラフがもめないといいんだけどな。なにか良い手はないもんかな」

「…メンバーのベラミー先生は入院中で行かないよ」

「えっ?誰か怪我したりしたら誰が診てくれるんだ?」

「医療用アンドロイドじゃないのか?」

ヒロキはただ肩をすくめてみせたが、アルフレッドはめったに言わないヒロキの皮肉の言

葉かと思ってびっくりした。

(なにしろ、ヒロキの部屋をめちゃくちゃにしたのは、他ならぬアルフレッドと、それを

つけねらうアンドロイドのせいだった)

「なにかあったのか?」

「別に…」

「ベラミー先生、そんなに調子が悪いのかい?」

「えっ?ああ、ベラミー先生ね。ベラミー先生は大丈夫だと思う」

心ここにあらずといった様子でヒロキは答えた。

正直、彼の頭の中はファナのことで心配事がいっぱいだったのだ。

それに、アルフレッドに今隠し事もしている。

早くジラルドやプリズム星関係のごたごたが片付いてくれないか、とヒロキは思っていた。

「変なやつだな…」

アルフレッドはヒロキを心配してなにか言おうとしたが、ちょうどその時仔猿がアルフレ

ッドにかまってもらいたがったので、そちらに注意がそれてしまった。

   ☆

 「ジラルド探索の期限は二週間。それを過ぎたら、彼をみつけていようがみつけていなかろうが、関係なく強制撤収です」

プリズム星に近づいてから初めてファナが決定事項を告げた。

なんで今まで言ってくれなかったのか?とアルフレッドは聞き返そうかと思ったが、ファ

ナの無表情な、厳しい態度に聞けずじまいだった。

「ヒロキ、ファナはどうかしたのかい?前も確かにちょっとクールなところはあったけれど、今ほどじゃなかったぜ」

アルフレッドが聞くと、ヒロキはそれを無視した。

なぜか理由がわからないまま、アルフレッドは自分が孤立しているような気がした。

とにかく、ジラルドを迎えに行くのが自分でないと、厄介事が起こりそうなのは目に見え

ていた。それに、みんなには言えなかったが、アルフレッドはジラルドと連絡する手段があるから、すぐにジラルドを探し出せる。二週間も時間があれば十分だ。でも、自分が行く、とどうやってきりだしたらいいのだろうか?

悩むアルフレッドのその横でヒロキが一歩前へ進み出た。

「前回のときと同じように俺とアルを先に小型探索船で行かせてもらえないかな?」

ヒロキの思惑はわからなかったが、アルフレッドはその言葉を聞いて嬉しかった。

「誰か異存のある人はいるかしら?」

誰も異議を唱えなかった。

「じゃあ、そういうことで。ハニィ」

「「ハニィ…?」」

その場にいた全員がヒロキの言葉を聞きとがめた。

ファナが打って変わって真っ赤になると、取り乱した。

「そ、そうね。二人に頼むわ」

沈黙がおりた。

ヒロキは、ようやく、はっ、と気づいた。

「嫌だな、ジョークだよ、ジョーク」

彼が笑いとばすと、皆の乾いた笑いがそれに続いた。

まるでデートの現場をみんなに見られたような恥ずかしさを感じてファナは早々と自分の

仕事に逃げた。

   ☆

 小型探索船に乗ってプリズム星に降下するとき、アルフレッドはしごくまじめにファナ

のことをヒロキに尋ねてみた。

ヒロキは臆することもなく、

「いずれ彼女と結婚する約束をした」

と答えた。

「おめでとう」

と、アルフレッドは言った。

お祝いの言葉をヒロキは喜んだが、それでも微笑みにどこか憂いを漂わせていた。

 小型通信機でジラルドとの交信を試みてみたら、すんなり数回のやりとりで居場所がわ

かった。

「歌姫館の近くだ」

「ああ。無人島から戻ったんだな」

アルフレッドとヒロキは前回と同じく、ア・イリスたちの村近くの森林地帯に小型探索船

を隠して、歌姫館付近のジラルドの元へ向かった。

「俺は帰らない」

再会して、開口一番、ジラルドはきっぱりと言いきった。

「は?」

意味がわからず、アルフレッドは聞き返した。

「…と、いうか、厳密に言うと、帰れなくなってしまったんだ」

「なんでまた…」

「あれからオ・ランジュと結婚してね。今じゃ、子どもも一人いる。ジ・フィっていう名なんだ」

照れくさそうに言うジラルド。

アルフレッドは開いた口がふさがらなかった。

「なんてこったい…いつの間に」

アルフレッドは頭を抱え込んだ。

「どいつもこいつも春まっさかりかよ」

横でヒロキが聞き流しながら、くすり、と笑った。

とりあえず、ジラルドはアルフレッドの手土産の煙草をありがたく受け取り、新居へアル

フレッドとヒロキを案内した。

幸せそうな家族が二人を出迎えてくれた。

お茶とお菓子を出してから、愛娘をあやしながら、

「今は歌姫をやめて主婦業に落ち着いているの」

と、オ・ランジュが言った。

すっかり母親の顔になっていた。

「ア・イリスとア・キラの姉弟はどうしてるんだい?」

おいしいお茶をすすりながらアルフレッドが尋ねた。

「ア・イリスは今では売れっ子の歌姫よ。ア・キラは何か別の仕事をしながら、ときどきア・イリスのマネージャーみたいなことをやっているみたい」

「そうか。みんな元気そうでなによりだ」

アルフレッドの横顔をヒロキがちら、と見た。

二人とも、ア姉弟に父親のア・イロニーのことを教えるべきか、常々悩んでいた。

「ねぇねぇ、ア・ルフレッドとヒ・ロキが来ている、って本当?」

青年に成長したア・キラが、息せき切ってジラルド宅にとびこんできた。

「こら!ひとんちに勝手に上がりこむな」

一応家長のジラルドがたしなめたが、その目は笑っていた。

「おう。しばらく見ないうちにずいぶんとでかくなったな」

アルフレッドは本当にしみじみそう思って言った。

「ア・キラ、待ってったら」

ふいに後から美しい娘がとびこんできた。

「「ア・イリスか?」」

一瞬、誰かわからなかった。

アルフレッドとヒロキはびっくりして彼女を見た。

以前一緒に過ごしていた時も、理知的でかわいい印象があったア・イリスだが、めざまし

い成長をとげて、大人の雰囲気までも漂わせていた。

いくらしばらく会わなかったからといって、この皆の変わりぶりは異常だった。

アルフレッドとヒロキはとある考えに至り、それを口にしようか、と思ったが、やめた。

「ア・ルフレッド。ヒ・ロキ」

ア・イリスが二人を見てそう言った。

そして、彼女はふいにヒロキの方を夢見るようなまなざしでみつめた。

ヒロキはちょっと居心地が悪そうな顔をした。

「空から、またここへ降りてきてくださったのね」

「え…、ああ、まあ、ね」

そんなやりとりを目前にして、アルフレッドはなんだか取り残されたような気がして、不

機嫌になった。

「ジラフ。悪いが、煙草を一本わけてくれないか?」

「ああ。良いけれど。なんだ?いつのまにかお前さんも愛煙家になったのか?」

ジラルドはきょとんとして言ったが、そんなはずもなかった。

アルフレッドは吸えない煙草に火をつけてくゆらせると、せきこみながら思った。

「煙がやけに目にしみる」

と涙目になった。

「きみは知らないみたいだけど、誰かを助けに地上に降りてきたのは俺じゃなくて、アルの方だよ。以前、きみが意識不明で怪我をした時助けたのも彼の方だ…」

ヒロキがア・イリスに言った。

ア・イリスは昔から伝わっている神話の登場人物とヒロキを重ねて見ているらしかった。

それは前回別れた時から始終彼女の思考を支配していたので、ちょっとやそっとでは考え

をくつがえすことはできそうになかった。

「プリズム星に危機が訪れるとき、闇からの使者が空から降りてくるの。その人は不思議な外見をしていて…」

言い伝えの闇の使者の外見にヒロキがそっくりなのだ、という。

「今、どんな危機が迫っているっていうんだい?」

ヒロキはいらいらした様子でとりあわなかった。

一方、ア・イリスの話を聞いて、アルフレッドはいつか見た夢のことをまざまざと思い出

していた。

「まるでデ・ジャ・ヴみたいだな」

と彼はため息をついた。

 「その動物は何?」

ア・キラがアルフレッドの肩の上におとなしくつかまっている仔猿のことを聞いた。

「ちょっと、なりゆきで譲ってもらったんだけど、…恩人ていうか、俺の相棒、みたいなもんだよ」

とアルフレッドは答えた。

そういえば仔猿にはまだ名前もつけていなかった。

ジラルド宅で出された食べ物を小さく、食べやすくちぎって与えながら、アルフレッドは

仔猿をなでてやった。

動物はこちらが与えた分の愛情だけ、何か形のないものを返してくれる。

アルフレッドは仔猿の世話をしてやりながら、同時に癒されていた。

「でも、本当は…自然のままが一番良いんだろうな…」

アルフレッドは仔猿が生まれ育った地球の森で暮らしている情景を思い描こうとした。

しかし、彼の記憶にある地球の姿にはプリズム星で目にしたような豊かな自然などありは

しなかった。

「この星はきれいだよな…」

「ふうん」

ア・キラが不思議そうにあいずちをうった。

「色覚が奪われてしまった今でさえ、俺は世界をきれいだと思えるのか…」

アルフレッドは驚嘆の思いを隠せなかった。

「いっそのこと、ア・ルフレッドもここに残れば良いのに」

ア・キラが言った。

アルフレッドはちょっと、心動かされた。

「…。しばらく考えてみるよ」

「うん。…ジ・ラルドたちとややこしい話が終わったら、また海へ魚釣りに行こう」

「ああ。それも良いな」

今度は簡易ナイフがあるから、ごちそうをみんなにしてやれるだろう。

アルフレッドは心から微笑んだ。

 「地下遺跡にはあの後何度も調べに行った。文字の刻まれた石版が幾枚もみつかって、解

読中だ。時間が必要なんだよ。だから、俺は今一緒にコロニーには帰れない。迎えに来て

もらって本当に嬉しいんだがね…」

ジラルドは自分の幼い娘をあやしながら話した。

「コロニー政府に報告するとき、俺のことをありのまま伝えてもらってもかまわないよ。俺はオ・ランジュとこの子を育てながらこの星にこのまま永住しても良いと思っているんだ」

ジラルドの隣で心配そうなまなざしを向けていたオ・ランジュは感極まって泣き出した。

「話して良いのか?良かった」

ふいにヒロキが安堵のため息をついた。

「すまないが、実はファナだけにジラルドと地下遺跡のことを話してしまって…」

「なんだって?誰にも秘密だ、って言ってたろう?」

アルフレッドが驚いて言った。

「黙っていられなかったんだよ。すまない」

ヒロキはばつが悪そうに言った。

アルフレッドはなにか、嫌な予感がした。

その予感は始めはたいしたことはなかったのに、プリズム星でのんびりと過ごせば過ごす

ほど、胸の内のわだかまりとなって大きくふくれあがっていった。

「すまない。俺は空へ帰るよ」

ア・キラにそうきりだすのがつらかった。

「でも、きっと、また必ずここへ来るから」

アルフレッドの言葉に、ア・キラはただ、寂しそうに笑っていた。

   ☆

 アルフレッドたちは再びコロニーへ帰還した。

ヒロキの部屋はすっかり修理が終わっていた。

アルフレッドも新居の手配がなんとかすすんでいたので、しばらくしたらそちらへ移るこ

とになりそうだった。

「餞別にこんなもんで悪いけど、やるよ」

ヒロキはそう言って、ホログラムオルゴールをアルフレッドに手渡した。

「もらってもいいのかい?」

「俺には不用だから」

ヒロキはそっけなく言った。

それは、自分はもうあのプリズム星とは無縁なんだ、という意味にとれた。

アルフレッドは幼かったころのア・イリスの映像を見ながら、成長して美しくなっていた少女のことを想った。

そこへ、ファナが血相を変えて飛びこんできた。

「ヒロキ、アルフレッド、大変よ」

「何があったんだい?」

「コロニー中央管理局のマザーコンピュータがプリズム星を攻撃する命令を出したの」

「「何だって?」」

二人の男は同時に叫んだ。

「見たことのない、最新型の攻撃艇がたくさん…あったの。無人操縦らしいわ」

ファナの足元が、がくがくふるえていた。

ヒロキは彼女をソファに座らせると、ガラスのコップに冷たい水を入れて持ってきた。

「ああ、ごめんなさい。きっと私のせいだわ」

「なぜ?」

「上層部にあの星の地下遺跡のことを報告したら、ある一定基準以上の異文明の存在は人

類を脅かすから、せん滅させてしまおう、って結論が出たらしくて。なんとかして止めな

きゃ…」

三人はああでもない、こうでもない、と話し合った。

「最終決定権はマザーコンピュータにあるの」

「なぜ、機械なんかに」

嫌悪感をあらわにしながらヒロキが言った。

「リゲル恒星系を開拓した当初から、どんな事柄でも最終的な決定はあのコンピュータにゆだねられてきたのよ!」

「…俺は、できればファナの気持ちをかき乱す全てのものから開放してあげたかったんだ!

プリズム星の任務が終わったら、今の役職を辞めて、俺のところへ来てくれる、って約束

したじゃないか」

「だめなの…。私は今の役職に就くための教育をコロニー政府から受けさせられたのよ」

「じゃあ、あの約束は嘘だったのか?」

「そうじゃない…そうじゃない」

二人の様子を見ていたアルフレッドはとにかく、感情的になった二人を落ち着かせた。

「できることをできるだけやってみよう。なにもせずに手をこまねいているよりも、まず行動しよう。結果はあとでわかる。」

「ああ。…ファナ、中央管理局のマザーコンピュータにアクセスしたい。ここじゃ無理なんだろう?できるところへ俺を案内してくれ」

ヒロキは静かに言った。

「ファナ。ヒロキは、きみのために行くんだよ」

アルフレッドの言葉に、ファナも心を決めたようだった。

「俺の方は、その攻撃艇とやらの方へ行ってみる」

アルフレッドは不思議ななにかに導かれるようにそう決めた。それは、なにがしかの予感

のようなもので、理論的な理由はなかった。

「健闘を祈る」

三人は行動を開始した。

   ☆

 「ヒロキ」

「なんだい?ファナ」

「言っておかなければいけないの。マザーコンピュータについて」

「うん?」

「コロニー生まれの私たちは、親元ではなく、政府管理の施設で教育を受けて育てられて、

それぞれの適性にかなった仕事に就いたり、あるいは親元に返されたり様々よね?」

「ああ。俺もそうだった」

「私は、ある特殊な事情で、マザーコンピュータの支配下にあるの」

「なんだって?」

「生まれつき脳波に異常があって、私個人だけでは今まで生きていられなかったでしょうね。マザーが、私の日常生活をサポートしてくれているから、こうして今あなたとも話しができる」

「…ちょっと、待ってくれ意味がつかめない」

「上層部にプリズム星のことを報告した、と言ったのは嘘なの。私が見聞きしたことはそのままマザーの見聞きしたことになるの」

ヒロキはぎょっとしてファナを見た。

「ファナ。だから言ったでしょう?彼に話したら嫌われると」

ファナの中の別の人格が言った。

「マザー。それでも私は黙っていられない」

ファナは一人で会話を始めた。

「ヒロキ・ホシノ。ファナはあなたには似合わない。おとなしくあきらめて帰りなさい。

コロニーや人類の発展は私の課題。あなたはあなたの領分をわきまえていきなさい」

ふいに、無表情なファナが、マザーコンピュータの言葉を告げた。

「…ちょっと、待て」

「え?」

「俺は、俺の意思でファナを選んだんだ!似合う似合わないは誰にも聞いちゃいねぇ」

ヒロキは燃えるような目でファナを見た。

「これは、驚いた」

マザーコンピュータはくすくす笑う。

その笑いがヒロキの怒りに拍車をかけた。

「お前の領分は何だ?たしかにコロニーや人類の発展は課題かもしれない。だが、個人個

人をなんだと思ってやがる?人類はにんげん個人の総称だ。昔の思想家が(最大多数の最

大幸福)を提唱したのと似てやがる。お前のそれは、より多くのために少数を犠牲にする

やりかただ」

「…」

ファナの中のマザーコンピュータの人格はおもしろいものを見るようにヒロキを見ていた。

「俺にはお前の考え方が、一人のにんげんが不幸でも大勢が幸福なら良いって考え方に思える。」

「…では聞くが?なぜお前…いや、お前たちは、自分たちにんげんの脅威になりそうな芽をつんでやろうとする私の邪魔をしようとするのだ?」

「脅威?プリズム星は脅威じゃない。彼らは少なくともお前みたいに未知のものに対して攻撃をしかけたりしない」

「…」

「俺たちにんげんは一人一人違う生き物だと俺は思う。物の見えかた、考え方、十人いれ

ば十通りの答え。それでも、共感したり、信じあったりして生きている。にんげんは地球

で他の動物たちともそんな風にして共存してきた。…あの星に生きている、地球派生では

ない彼らも多少の違いはあってもやっぱりにんげんなんだよ」

「では、ヒロキは、私に人類を守る義務があるのなら、あのプリズム星にいる人類も守る義務がある、…と」

言いながら、ファナの表情が、なにか他に気がかりな事を考えている風だった。

「ヒロキの言い分にも一理ある。にんげんはにんげん同士争って戦争を起こしたりもした。

それは互いの不理解からか、そういう生物だからなのかは私にはわからないけれど、私の

義務に(平和)の理念が組みこまれているから、私は私のその義務を果たそう」

「じゃあ、プリズム星への攻撃はやめてくれるんだな?」

「ええ。…それに…」

「それに?」

「おもしろい。実におもしろいことになった…」

「?」

ふっと、ファナの人格からマザーコンピュータの人格が消えたようだった。

ただ、ぼんやりと立っているファナをヒロキはそっとゆさぶった。

「ファナ?ファナ。きみだよね?」

「…知らせなくちゃ」

「えっ?」

「アルフレッドに知らせなくちゃ!」

真っ青な顔で我に返ったファナはヒロキに訴えた。

   ☆

 攻撃艇の型を見て、アルフレッドはある種の戦慄を覚えた。

それこそがアルフレッドの発明した光子帆船…光量子フォトンを帆で集約して航行エネルギーに変換する新型の宇宙船。

あのウィル・バートンが手にしたはずの情報がコロニー政府の下で活用されている。

格納庫にずらりと並んでいる宇宙船にはどれも破壊力の大きな武器がセットされていた。

「そうだよな…。肝心のデータは今もパスワードで封印されているはずだから、最悪のことには至っていない」

アルフレッドはひとりごちた。

それに、…どういうわけか、静けさがここにはあった。

「攻撃はどうなったんだろう?」

手近な端末からホストコンピュータにアクセスしてみると、つい今しがた攻撃中止命令が

出たことがわかった。

アルフレッドは心底ほっとして、胸をなでおろした。

すると、ふいにどこかからアルフレッドの端末へ誰かがアクセスしてきた。

「なぜ、この端末を知ってるんだろう?」

アルフレッドはぎょっとしながらとにかく通信回路を開いた。

「「アルフレッド!」」

身を乗り出して二人そろって声を出している映像がアップになった。

「ヒロキ!ファナ!…お前ら、よくやってくれたな」

感涙にむせぶ暇も無く、アルフレッドは、二人のただならぬ様子に鼻白んだ。

「…巨大彗星だって?」

事情を聞いて、アルフレッドはぞっとした。

「そうなんだ。コロニーは星間の重力変化に合わせて軌道調整するのを最優先事項にしたので、とりあえずプリズム星攻撃命令は取り消されたらしい。ただし、この彗星を放っておくとプリズム星の軌道とぶつかって衝突する恐れがあるんだ!」

「なんてことだ…」

アルフレッドは取り乱しそうになった。

ア・キラやア・イリス、ジラルドたちの笑顔が一瞬、脳裏をよぎった。

あの素晴らしい惑星が消えてしまうのか?

「ああ…、だけど、なんであろうと最後まであきらめちゃならない。いつだってそうだ。どんなときだって何か打開策があるはずなんだ…」

ヒロキとファナは無言でアルフレッドが決意するのを見守っていた。

二人は固く手をつないで、ただ、アルフレッドに希望を見出そうとしていた。

「二人は攻撃を中止させてくれたんだもんな。今度は俺の番、だよな」

アルフレッドは微笑んだ。

「いや…俺の力じゃなくて、偶然が重なったから…」

ヒロキはもごもご言った。

「いいえ。あなたの言った言葉もちゃんとマザーコンピュータに届いたのよ」

ファナはヒロキの顔をのぞきこんで言った。

「そうかな…」

ヒロキは、胸が痛かった。

「ヒロキ、ファナ。俺は行くよ。…もしかしたらだけど、彗星の軌道を変えることができるかもしれないんだ」

「本当に?」

「ああ。確信は持てないけれどね」

そういって、アルフレッドは近くにある宇宙船を真剣なまなざしでみつめた。

彼の頭の中で何かがめまぐるしく働いていた。

「きっと、大丈夫だ。…いや、なんとかしてみせる…」

そう自分に言い聞かせるように、アルフレッドはつぶやいた。

   第七章☆紫・Light is Right

 一方、プリズム星のジラルドは…。

再び訪れた無人島の遺跡で石版を発掘中、いきなりあの扉が今度は内側から開くのを目撃

した。

「ジ・ライヤー!あなたがまた姿をみせるなんて思ってもみなかった!」

「この星に危険が迫っている。今こそ地上人たちを我々の地下都市へ避難させようと思う」

「地下都市?そんなものがあったんですか」

「本来、この星は内部にのみにんげんが生存できる空間のある巨大な宇宙船だった…」

「ええ?」

「永い、永い時を経て、現在の姿になった。地表の世界を改造して、いくらかの人々が移り住んだ。地下のにんげんと地上のにんげんとでは進化の過程にかなりの違いがあるが、もともとは同じ起源のにんげんたちだ。我々地下世界の住人は地上人の危機を見過ごすわけにはいかない」

「この星の前身は、惑星型宇宙船か…。…そうだ、危機、って言いましたよね?」

ジラルドは、はっとしてジ・ライヤーを見た。

「巨大な星がかなりの速さでこの星に向かってきている。地上に残れば、十中八九助から

ないだろう…」

「まさか、ぶつかるわけでもないんでしょう?」

「…。それはわからぬよ」

「でも、地上人は少なくとも、あなたたちのこともこの世界の真実も知らされずに生きてきている。それを地下世界へいきなり避難させるからにはよっぽどの…」

ジラルドは自分で言っていることの重大さに、青ざめ、口をつぐんだ。

「本当に、お前はこの星のことを調べ尽くしたのか?」

ジ・ライヤーはなにか含みのある物言いをした。笑ったようだった。

「?」

「まあ良い。全ての地下へ続く路を開放して、地上人たちを地下都市へ避難させる決断が下

された。…我と同じ名前の称号を冠する者よ。お前は違う世界から来たと言ったが、そこへ帰らずにここにいる。お前もともに地下へ避難するが良い…」

 ジラルドは、無人島に一緒に連れてきていた妻のオ・ランジュと娘のジ・フィを呼びに

行き、遺跡の扉を抜けて、ジ・ライヤーの示した路へ向かった。

深い深い地下へと続く路は真っ暗闇だった。

「道が見えるのか?」

こころぼそいライターの火で足元を照らすジラルドと対照的に、妻と娘は危なげなく歩い

て行く。

オ・ランジュが言うには、ある種の光源が空間を照らしているので暗くないとのことだっ

た。

「赤外線か紫外線の一種かな?波長まではわからないけれど、俺の可視光線の範囲とずれ

て、オ・ランジュたちには見える可視光線がこの空間にあるんだろう」

と、ジラルドは思った。

やがて、路は他の路と合流した。

「ジ・ラルドさん!あなた、こんな所にまでたどりついたんですか?」

聞き覚えのある声だった。

それは、ジラルドがクロスの出資を受けて発掘をしていた時の現場監督だった。

「ジ・ライヤーがあなたにここへ入る許可を与えたのであれば、私はあなたに教えても差し支えはなくなったわけだ!…いや、その前に、まず謝らなければ」

「どういうことだ?」

「地上には表向きの語り部と、真実の語り部の両方がいるんです。あなたたち…とくにクロスという商人は実に油断がならなかった。様子を見て、絶対に真実を教えるわけにはいかない、と決まり、私たちはわざとなにもない場所にみせかけの遺跡を造ってあなたたちを欺いていました」

「なんだって?」

それでは、あの場所でクロスたちと袂を分かつ決意をしないままだったら、ジラルドは永

久にこの場所には来れなかったのだ。

「…あの時俺は、迷いがあって、そしてそこに歌姫が…現れて…」

ジラルドは、手探りでオ・ランジュの手をとり、握りしめた。

「すみません。…けれど、ジ・ラルド。あなたがここにいるのは、あなたには真実を知る資格があった、ということでしょう…」

それきり現場監督だった男は口をつぐんだ。

おそらく、ひっきりなしに増えてきている地上人の波にまぎれ込んでしまったのだろう。

路が合流する度、ジラルドは目に見えないながらも、人の気配が増加してくるのがわかっ

た。

地下へ続く路は永久か、とも思えたが、やがて、ジラルドの目にも見えるなにがしかの光

が下方から差してきた。

ジラルドは、ほっとしてライターの火を消した。

「いや…まだこれは序の口なんだ。この星の秘密とやらは、これから、わかる」

不思議な実感がジラルドの探求心を刺激した。

「あの、あのね、ジ・ラルド」

その時、オ・ランジュがふいに立ち止まり、言いにくそうにジラルドに語りかけた。

「私たち、別れた方が良いと思うの」

「なぜだい?」

いきなりの申し出にジラルドはショックを受けた。

「あなたと私、同じ時間を過ごしてみて気づいたの。あなたの時間と私の時間、進み方がずれているみたい。このままだと、あなたは若いままなのに私だけおばあちゃんになってしまうかもしれない…」

「そんなことは…」

そう言いながらも、ジラルドは理解しかけていた。

プリズム星の、少なくとも地上人たちの成長速度は、彼のそれよりもとても早いのだった。

ア・イリスや、ア・キラにしても、あっというまに出会ったころの幼さはみられなくなっ

てしまった。それをジラルドは気のせいだと片づけていたのだが…。

「私がまだ若くて見られる姿のうちに、その想い出だけを持って、あなたはあなたの世界へ帰って。…ジ・フィは私がちゃんと育てるから」

オ・ランジュの目から涙がぽろぽろこぼれた。

ジラルドはオ・ランジュを力いっぱい抱きしめた。

オ・ランジュの胸元で、ジラルドが結婚記念に渡したオパールの首飾りが揺れた。その輝

きはいつも彼女のひとみの輝きに似ていた。

「俺の大事な奥さん。この先何があったって、俺は生涯君一人を愛しているよ。…それに、

俺たちの娘のことも大切に思っている」

ジ・フィがきょとんとして、まんまるい目で両親の姿を見ていた。

「ええ…」

涙をぬぐいながらオ・ランジュは言った。

二人はいつまでも三人一緒にいられたらいいのに、と願わずにはいられなかった。

   ☆

 アルフレッドは仔猿の引き綱をほどき、自由にしてやった。

「これからちょっと野暮用があるんだ。お前まで危ないめにあわせる義理はないから、どこでもお前の好きなところへ行って良いんだぞ」

しかし、地面に下ろされた仔猿は綱無しでも、いつものようにアルフレッドの肩の上にのぼり、両手をアルフレッドの首にまわしてつかむと、ちょこんと座りこんだ。

「…しょうがないな」

アルフレッドは本当にそう思って言った。

「お前の分も無事に戻ってこなきゃ、浮かばれないよな。ははは」

自嘲気味な笑いが、少しずつ落ち着いた笑いにとってかわった。

「…そうだな。お前に名前をやろう。俺の長ったらしい名前の一部をやるよ。お前の名前は『ヴァン』だ」

『Alfred E V L』

アルフレッド・エルトン・ヴァン・ライト。

彼は自分の名前を噛み締めるように、思った。

 攻撃艇用として並んでいる宇宙船はどれも同じように傍目からは見えたが、一機だけ、ライト博士の設計の肝心な、重要な要素を取り入れて造られていたものに彼は近づいた。

アルフレッドはその宇宙船の人工脳に外部からアクセスして、絶対答えのでない数学の問題をわざと問いかけてコンピュータを迷走させた。

「ひらけ、ごま」

コンピュータが自己回復する前に、すばやく宇宙船のハッチを開けて転がりこんだ。

マザーコンピュータから出撃命令を解除されていた宇宙船は沈黙していたが、アルフレッ

ドの手にかかると、息をふきかえしたように動き出した。

「荷物はできるだけ軽くしなきゃな」

外部に装備されていた大型の武器を取り外した。文字通り丸腰になったが、アルフレッド

はそれで良いと考えた。

「…できれば、お客さんにもここで降りてもらいたいんだが…」

振り向きもせず、彼が言うと、

「なんだ。知ってたのか。あとでおどかしてやるつもりだったのに…」

拍子抜けした様子で、ウィルが姿を見せた。

「降りる気がないんなら、どこでもいいから着席してシートベルトをつけろよ。すぐ、発進だ。時間がないんでね」

肩をすくめると、ウィルはおとなしく従った。

そうして、アルフレッドはプリズム星を目指して宇宙船を発進させた。

 「いつから気づいてたんだ?」

ウィルが聞いた。

「この宇宙船がすっかり組みたてて置いてあるのを見たときから」

アルフレッドは肩をすくめてみせた。

 ウィル・バートンは、初めてコロニーに到着したとき、マザーコンピュータと取り引き

をしたのだ。

身の安全と引き換えに情報を提供し続ける、という取り引き。

そうでなければ、人々の脅威となりうる殺人アンドロイドをコロニーが野放しにしておく

はずがない。

それに、いくらなんでも、アルフレッドがここまでたいした障害もなしにたどりつけたの

も変だ。おそらく泳がされていたんだろう、と知りつつ、他にどうしようもないので今こ

ういう状況になっている。

「コロニー政府はそんなに、あの発明が気に入っているのかい?」

「正確には、マザーコンピュータが、だよ」

ウィルは答えた。

「俺はあんたがこの宇宙船を見て逃げ出す方に賭けてたんだが、あちらの言う通り、この

ざまだ」

ウィルの声はおだやかだった。

アルフレッドは何度も命を狙われたのに、不思議と怒りが沸いてこなかった。

「あのとき。俺が宇宙船から放り出されたとき、俺は絶対お前を許さないと思っていたんだがなぁ…」

アルフレッドはぼんやりと言った。

「俺だって好きで人殺ししたわけじゃない。最初はなんでもないありふれた事故の責任でスクラップにされそうになって、逃げようとしたはずみで巻き添えが出たんだ。それからどういうわけか、むこうから殺されにやってくるようになって…。俺は自分を守っていただけだったんだがなぁ」

「普通、アンドロイドは、人が死ぬ現場に居合わせたら自分からスクラップ化を希望するように仕向けるプログラムが組みこまれているはずなんだが」

「ああ。それは俺自身も知ってる。…狂ってるのさ」

あんまりあっさりウィルが認めたので、かえってアルフレッドはぎょっとした。

「俺が狂ってるって本当に気づいたのは、この前お前からスプレー缶の火をかけられたときだよ。前からうすうす気づいていたんだが、それが確信に変わった。人をなぶったりする

ときにあんなにぞくぞくするほど興奮するなんて知らなかった!」

ウィルは不気味な笑みを浮かべた。

「お前はアンドロイドじゃないな…」

アルフレッドが言うと、

「そう。俺はアンドロイドじゃないんだ!」

と、ウィルが激昂して言った。

「にんげんみたいだよ」

アルフレッドがそう言ったとたん、ウィルの顔から表情が消えた。

「俺が…にんげん?」

「ああ。アンドロイドにしては、感性が豊かすぎるし、なによりも自分を守ろうとしている姿はそう見えなくも無い」

ウィルは、一人でなにやら考えにふけっているようだった。

 巨大な彗星がおそろしい速度で近づきつつあった。

アルフレッドの操縦する宇宙船はプリズム星をかばうように、彗星と対峙した。

まだ、わずかだが時間がある。

アルフレッドは胸のポケットから、ヒロキにもらったホログラムオルゴールをとりだした。

しんとした船内にまだ幼さを残していた頃のア・イリスの歌声が響いた。

その曲は、Light is Rightだった。

「このままだと、あの惑星がぶつかる前に、この宇宙船が彗星とぶつかっておしゃかだぜ」

あまりにのんびりして見えたので、みかねてウィルが言った。

「ああ。…光は軽い。軽やかだ。そして明るい。…この宇宙帆船の帆は空間内の光量子を集めてエネルギーに変換する。あの彗星からも光をわけてもらうんだ」

「そのエネルギーを発生させる機関に『なにか』を施すと、爆発的なエネルギーが生まれ

る。マザーコンピュータは、そのエネルギー発生装置を欲しがってるんだ」

「そしてその『なにか』を施すきっかけになるパスワードを、ウィル、お前は知りたがっていた」

「ああそうだ」

いきごんでウィルがうなずいた。

アルフレッドは、ふっと笑った。

「皮肉だよな…」

「なにがだ?…俺はあらゆるやりかたでやってみたんだ。でも、答えは一つしかなかった。

決まったパスワードを入力しなければ、この宇宙船自体が使えなくなる仕組みだった!」

「エネルギー発生装置じゃないよ。厳密に言えば、無限大のエネルギーが放出されるものだ」

「?どう違うっていうんだ」

一人だけ真実を知っていてせせら笑っている男を、ウィルはがくがく、と揺さぶった。

「おい!『ライト博士』」

アルフレッドが、びくり、とした。

「ライト…Light…光。Bright…明るい。Light is Right…ライト博士は俺」

そう言うと、アルフレッドは…、いや、ライト博士は宇宙帆船に組みこまれたコンピュー

タに唯一のパスワードを入力した。

『Light is Right』と。

   ☆

 「だましやがったな」

ウィルはむすっとして言った。

「誰が?」

アルフレッドはおもしろそうに言った。

「ああ、ちくしょう!腹のたつ。パスワードが合っていても、今度はエネルギーの放出がとまらなくなって、どっちにしろ最後は壊れるしかけだなんて!あんたは狂ってる」

「狂ってるのはお互い様だろう?」

「いや…、あんたは狂ってない」

「へえ?」

「エネルギーの塊になったこの宇宙帆船を巨大彗星にぶつけて、軌道をそらすつもりで、

実際、パスワードを入力してしまった!」

「それがなぁ…、本当に思ってる通りにいくかどうか、ぜんぜん自信がないんだ」

「なにぃ?」

「まさか無限大のエネルギー放出がどのくらいの規模になるかなんて実験できたわけもな

いだろう?」

「おいっ」

ウィルは、

「最悪の場合、リゲル恒星系自体危ないのでは?」

と聞きたかったが、やめた。

「一応、脱出用ポット、っていうのもあるにはあるんだが…乗ってみるかい?」

その口調が、まるで遊園地でジェットコースターにのらないか、とでも誘われているような気さえして、さすがのウィルもあきれかえってしまった。

「助かる確率は?」

「他の場所より最悪、とだけしかわからない」

「あんた、仮にも博士なんだろう?」

「その称号は、地球を出るとき捨ててきた」

「…。アルフレッド」

「なんだい?ウィル」

「また会おう…」

もごもごと口の中で言って、ウィルは一人用の脱出用ポットに乗りこんだ。自動操縦の目

的地点をコロニー付近にしておいたから、たぶん、マザーコンピュータが見捨てない限り、

ウィルはコロニーに帰還できるだろう。

「俺はもうお前さんには会いたくないんだがな。…さて、と」

ウィルを乗せた脱出用ポットが無事宇宙船を離れたのを確認してから、アルフレッドはヴ

ァンを連れて、別の脱出用ポットに乗りこんだ。

アルフレッドを乗せた脱出用ポットは、ウィルのとは別の方向に向かって宇宙船から排出

された。

   ☆

 プリズム星に刻一刻と、巨大彗星が近づいていた。

 コツン、コツン、コツン…。

静かな中、杖をつく音と足音が響き渡った。

「ジ・ライヤー?これからこの星はどうなるんです?」

ジラルドが顔をあげて尋ねた。

「どうもなりはせんよ」

先を行くジ・ライヤーは肩をすくめてみせた。

地下都市は広大な広さだった。

その中核にこの星の心臓部ともいえる場所があった。

興味深く観察するジラルドは、やがて、ジ・ライヤーの真意を知った。

「ここは『操縦室』なんですね!」

ジ・ライヤーは微笑みながらうなずいた。

惑星型宇宙船であるプリズム星は、今、危機を回避するべくその軌道を変えようとしてい

た。

しかし、ジ・ライヤーは、その行為が時間的にぎりぎりであり、彗星を避けられる可能性

が低い、という不安な要素を皆に隠していた。

なぜ、ぎりぎりになったのかを言えば、地上人を地下へ回収するのに時間がかかりすぎた

ことがあった。

中でも、全く真実を知らされていなかった人々の思わぬ強い抵抗により、地上に残ると言い張る者を説得するのに時間がかかってしまったのだ。

地上にまだ人々が残っている段階では、様々な危険が予測されるので、プリズム星の軌道

を変えることができなかった。

「運を信じるしかなかろう」

ジ・ライヤーは一人ごちた。

一方、ジラルドは、というと、星図に時間ごとのリゲル恒星系の軌道を示すシミュレーシ

ョンを手持ちの小型コンピュータで計算してみていた。

「これは…。このままじゃ…」

ジ・ライヤーに抗議しようか、と思ったが、彼が危険を承知の上で、他の者に余計な混乱

を招かないためにあえて黙っていることを、わざわざ知らせる必要は、ない、と思った。

それでも。自分が知りたかった未知の惑星の秘密をこうして細部にわたって見せてもらえ

たことが、ジラルドは嬉しかった。

「これで、生きてコロニー世界へ帰還できたらばんばんざい、なんだけどな…」

へへ、と笑って、鼻を人差し指でこすった。

「ジ・ラルド!こんなところにいた」

ふいに、ア・イリスの声がした。

「ここって、誰でも出入りできるんですか?」

ぎょっ、としてジラルドはジ・ライヤーに聞いた。

「いいや。…この娘は、あなたをここから連れ出すためにやってきたのだよ。今から起こることをあなたの家族の元で過ごせるように、迎えにきてもらった」

「…せっかくの配慮なんですが…」

ジラルドはうなだれて、オ・ランジュが彼に別れを告げたこと、そしてその理由が、彼ら

の成長速度の違いにあること、をジ・ライヤーに語った。

「だから俺は家族の元には行けません」

ジ・ライヤーは何も言わず、ジラルドの肩に手を置いた。

ア・イリスはジラルドの話しを目を見開いて聞いていた。

「ごめんなさい。私ちっともそんなことだなんて知らなくて…」

「ア・イリスのせいじゃないよ」

ジラルドは鼻をすすった。

「でも、きっと大丈夫!なにもかも、元通りにおさまるはず。神話が現実になって、『あの人』が空から助けに降りてくる!」

「終末神話か…。地上人は特にそればかり唱えておる」

ジ・ライヤーが言った。

ジラルドは狂信的に神話について語るア・イリスをびっくりして眺めていたが、やがて、

良い事だけ、良い所だけ、は信じてみてもいいかもしれない、と微笑んだ。

それが、希望、というものなのかもしれなかった。

   ☆

 無人になった宇宙帆船は、その帆で狂ったようにエネルギーを生み出し続けていた。そ

のまま放っておかれたら、いつか星雲さえも飲み込むエネルギーを放出する危険をはらん

でいたが、ライト博士が計算しておいた時間と位置によって、まともに巨大彗星に衝突し

た。

衝撃で、帆のエネルギーのそれ以上の放出は打ち消されてしまった。

やがて、リゲル恒星系に爆発的な衝撃波がおしよせた。

しかし、巨大彗星は進むことをやめなかった。

わずかに生じた軌道のずれが、誰かの希望を支えていた。

   エピローグ☆虹・アルフレッド

 皆が、固唾を飲んで見守る中、巨大彗星とプリズム星はお互いにその軌道をわずかにず

らした。

間一髪。衝突は避けられた。

彗星はプリズム星の周辺に漂っていたいくつかの小惑星を手みやげ代わりにその引力で引

き寄せて連れて行った。

小惑星たちはまるで踊るように揺れ動いた。

プリズム星の地表では、すさまじい嵐が各地で起こり、たくさんの流星が降った。

だが、地下都市に避難した人々は無事だった。

そうして、やがて何事も起こらなかったかのように、彗星と惑星は元の自らの軌道上に戻

っていった。

それは、見ていた者たちにまさに奇跡のように思わせた。

自己防衛プログラムを実行した後、コロニーのマザーコンピュータは、沈黙におちいり、

今後もプリズム星を観察し続ける決定だけを行った。

   ☆

 こめかみの辺りから出血があった。

かけていたサングラスはどこかにぶつけておしゃかになってしまっていた。

「どうやら生きてはいるみたいだな。なぁ、ヴァン」

彼の脱出ポットはプリズム星上にたどりついていた。

「アルフレッド!」

知っている声が通信機に入った。

「はい。こちら、アルフレッド」

「あんた、なにをやらかしたんだ?」

「?」

言われている意味が、本気でよくわからなかった。

「こちら、ジラルド。プリズム星の秘密がわかったんだよ!しかも、あんな危機的状況だったのに、この星の力だけじゃなく、なにか他の力が作用して彗星が避けて行ったとジ・ライヤーが言うんだ。あんたなんだろう?」

ぼんやりと、アルフレッドはモニターを眺めていたが、プリズム星上の様子を映し出して

みて、

「地上は静かだ…」

とつぶやいた。

「それもこの星の力だよ。待っててくれ、皆で地下から出て、そちらへ向かうから」

ジラルドが一生懸命に言っていた。

「いつか…」

「え?」

「いつか、一緒にこの星系を舞台にしたイベントでも主催しようか?ジラフ」

「イベント?…おい」

ジラルドの声はまだしゃべり続けていたが、彼はおしまいまで聞かずに脱出ポットから抜

け出した。

ヴァンはおとなしく、肩の上にいる。

彼は草原に立った。

風に吹かれて、自由に心をゆだねた。

 やがてどこからか、歌声がかすかに聞こえてきた。

 その時。空からたくさんのプリズムのかけらが降り始めた。

キラキラ光るそのかけらは、無防備な彼の両目に飛びこんできた。

「あっ!」

思わず目をつむり、次にゆっくりまぶたを開くと、世界は一変した。

七色の虹の色をした光が辺りを包み込み、色彩が鮮やかに彼の目に戻ってきた。

 「ア・ルフレッド」

最初にア・イリスが駆け寄ってきた。

「私、何を勘違いしていたのかしら?空から降りてきて世界を救ってくれたのは、本当はア・ルフレッド、あなただった」

まっすぐに彼をみつめるア・イリスの目。

瞳の虹彩は文字通り七色にきらめき、中央の黒いひとみの奥にはもう一つの宇宙が存在し

ていた。

「すいこまれそうだったよ」

と、いつかヒロキが言っていた意味が、今、初めて彼にわかった。

「俺はいつかここに来たことがあるような気がする…」

空を振り仰いで彼はそうつぶやいた。

たたえるように、ア・イリスはLight is Rightのプリズム星語の歌を口ずさんだ。

そのメロディはいつまでも絶えることなく、この夢のような惑星の上に響きわたっていた。

   ☆

 「ア・ルフレッド。見ていてね」

そう言って、ア・キラは自作のハンググライダーみたいなものを抱えて笑った。

「おう。思う存分行ってこい」

アルフレッドは満面の笑みで見守った。

高台から平原に向かってダッシュしたア・キラは、上昇気流にうまく乗って、空を悠々と

飛んだ。

「この星で思い残すことは、これで終わりかい?」

寂しそうにジラルドがアルフレッドに声をかけた。

「ああ。俺の用事はこれで済んだよ」

振り向いて、アルフレッドはおごそかに言った。

 ジラルドからこの星のにんげんと自分たちでは時間の流れ方が違う、と聞いたとき、ア

ルフレッドは『ウラシマ効果(惑星の地上と宇宙にいるのとでは時間の流れが違うので、

宇宙に出た人が地上に帰ったときに浦島太郎みたいな状態になること)』ではないのか?

と、一瞬思ったが、よくよく考えてみると、ジラルドはこの星に来てからコロニーに帰還

せずに残っていたのだ。

 「ア・ルフレッド、ジ・ラルド?」

あの彗星騒ぎが起きた後、常にアルフレッドのそばにいて離れなかったア・イリスが二人

の様子にけげんそうな顔をした。

「『空からの使い』は空へ帰るときが来たんだよ」

アルフレッドはア・イリスの思考パターンに合わせて、言ってきかせた。

案の定、神話に傾倒しているア・イリスにはその言い方がしっくりきた様子だった。

「弟には言わずに行ってしまうのですか?」

なんともいえない表情で、彼女はアルフレッドをみつめた。

実は、アルフレッドにとって、このア・イリスの自分を見る目が、少し心苦しいものであ

った。

「この娘に俺は一人の男としてみてもらうことは、生涯かなわないのかもな…」

だから、自分も、彼女のことは今以上に想うことはやめよう、と彼は考えていた。

「また、なにか起こったらここへ帰ってくるよ…」

「はい」

そして、アルフレッドはもう一度最後に空を飛ぶア・キラの姿を目に焼き付けると、もう、

振り向くこともなく、ジラルドとともにコロニーへ向かう小型探索船に乗りこんでいった。

   ☆

 「…それで?結局、答えはみつかったのか?」

「答え?」

「自分が何者であるのか」

「…ああ。俺は『俺』。俺は俺以外の何者でもなかったし、いろんな状況で立場がころころ変わるけれど、いろんな人に同調して感情を感じたりもしたけれど、結局、それが基本だった気がする」

「俺は『俺』ね。まぁ、答えとしては悪くはない」

『その人』は満足そうに彼に微笑みかけた。

なんとなく、この場所がどこなのかわかりかけながら、彼は立っていた。

そして、気がつくと、一本の道があった。

「私の役目はここまでだ。あとは、あなたが、自分で捜して、切り拓いていくしかない」

「なんだよ。いつだってそうだったし、これからだってそうに決まってる」

彼はわざとつっぱねてみせた。

『その人』は面白そうに彼を見ている。

いつしか、その人と彼は同じ人物になる。

それまで、自分の一部なのに、どうしても受け入れることを拒んでいた部分が、融合して、

そして新しい自分になった。

「俺はこれからも、歩いて行こう」

彼は次の一歩を踏み出した。

   ☆

 ぱち。

目覚めて、アルフレッドは思った。

「すべて夢ではありませんように」

と。

良い事も悪い事も全部ひっくるめて、自分の人生なんだ、と彼は実感していた。

「俺は生きているし、これからも生きていく」

さあ、今日は一日、なにをしようか?

地球からは尻尾を巻いて逃げ出すことしかできなかったけれど、今度こそ、このリゲル恒

星系で精一杯生きていけるだろう。

そうだな…、ジラルドと一緒に宇宙帆船を使った合法レースでも開催してみるのも面白い

かもしれない。

「物語の舞台は、リゲル恒星系で」

アルフレッドは嬉しそうに微笑んだ。

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