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第七章『Childhood friend』②

【大翔side】


「おぅ、野上。敬峰けいほう大だったよな? さすがわが校の誇る秀才」

 春休み中の四月。

 大翔が元生徒会長として、入学式の準備に追われる生徒会の後輩を激励に訪れたついでに、職員室に顔を出した。

 気軽に声を掛けた沖に、彼は真顔で問うて来る。

「沖先生、ちょっとお時間いただけませんか?」

「……いいよ、春休みで授業もないしな」

 なんとなく話の内容の見当がついて、校内ではない方がいいだろう、と沖は大翔を誘って正門を出た。

 彼に同意を得て、少し歩いたところにある小さな寂れた公園へ向かう。

「先生。僕、怜那のこと、……『妹みたいなもん』って誰に訊かれても答えてたけど、ホントは。ホントは、好きだった、っていうか、好きだと思ってたんです」

 石造りのベンチに並んで腰を下ろしたところで、大翔が口火を切った。

「……野上」

「この高校を選んだのも、怜那と離れたくなかったから。……正直、親はともかく中学の先生からは止められました。『何言ってるんだ、もっと上目指せ』って。でも、怜那が『一番近いからあの学校にする。普通に受かりそうだし』って簡単に決めたんで、僕も『大事なのは学校のレベルじゃなくて自分の能力と努力だから』って建前で押し切ったんです」

 いかにも怜那らしい思考だ、と沖は納得してしまう。

「制服が可愛いから」

「校則が厳しくないから」

 そういったことを志望理由にする生徒も実際少なくないのだが、確かに彼女はそんなことは気にしそうにもなかった。

 たとえ注意されなくてもスカートを短くすることもないし、ブラウスのボタンを外したり、リボンをだらしなく緩めたりもしない。

 髪型も沖は今の流行などはまったく詳しくはないが、何の加工もしていないあの真っ直ぐな長過ぎる髪は、ある意味他の女子生徒とは一線を画している。

 真面目だからではなく、怜那には制服を弄るとか周りの子に合わせるという発想さえないのではないか。

 そんなことをしなくても、彼女の個性は『良くも悪くも』ではあるのだが、別の方向で十分発揮されているのだから。

「二年の一学期、怜那が先生を好きなんだってわかって。最初はそんなの上手く行くわけない、先生と生徒なんて、って考えました」

 大翔は隣の沖に一切目を向けることなく、正面を見据えたままで話し出した。

「沖先生がどうとかじゃなくて、世間の常識っていうか。だから、……だから僕は、怜那が現実見て辛い思いした時に、慰めてやらなきゃって」

 淡々と続ける彼に、沖は口を差し挟むことはできない。

「だけど、先生は、──別に責めるわけじゃなくて。先生は、怜那の気持ちを受け入れた、んですよね?」

「そ、れは。でも、……! そうだよ、確かにその通りだ。俺は教師失格だ」

 在学中は何も、交際の真似事さえしていないなんて、言い訳にもならないことは沖自身がよくわかっている。

 だから沖は、途中で弁解を飲み込んだ。

「先生、違いますよ。言ったでしょう? 僕は先生を責めるつもりなんかないんです。そうじゃなくて──」

 大翔は何か言い掛けて、躊躇うような素振りを見せる。

「怜那の気持ちを知って、最初は『どうせ叶うわけないのに』ってちょっと呆れてたんです。でも補習に行けなくなって寂しそうにしてるの見たら、どうしても放っとけなくて余計なお節介して」

「補習、やっぱり有坂のためだったんだな」

 懐かしいあの補習が脳裏に浮かぶ。

 最初は怜那と二人で、いったん中断した後はこの大翔を加えた三人で。

 二人きりの補習を断ったあと、大翔が突然沖の元にやって来たのだ。

 数学に自信がなくなったと切り出した彼に、沖は正直困惑した。

 先ほども軽口を叩いたばかりだが、彼は数学に限らずほとんどの科目で悠々と主席を守っているような生徒だったからだ。

 補習の場で、大翔が怜那と二人で居るのを見て、彼の言葉を聞いたとき。沖は、怜那に補習を続けさせるための大翔の策略だろうと直感した。

 まず間違いないだろうと踏んではいたが、本人の口から出た言葉で裏付けが取れたわけだ。

「あ、そうか。なんか先生をだましたっていうか、引っ掛けたみたいになりましたね。すみません、今更ですけど」

 バツの悪そうな表情の大翔に、沖は笑って気にするなと告げる。

「二人で補習受けるようになって。アイツが嬉しそうに先生の話するの聞いてたら、……なんか違う、気がして。僕は怜那と恋人になりたいんじゃなくて、怜那が幸せになるならそれでいいんだ、って。カッコつけとか強がりとかじゃなくて、──ホントになくて。心からそう思えたんですよ」

「……お前、いい男だよな」

 沖の口から、自然にするりと零れた言葉。しかし、正直な感想に彼は嫌そうに顔をしかめた。

「先生。僕は怜那に恋愛感情は今もありません。もう、全然。でも……、『妹』に変わりはないですから」

 大翔はそれ以上言葉にはしなかったが、全身から立ち上る静かな炎が「怜那を泣かせたら許さない」と沖に突き付けて来るようだ。

「わかった。もし、──あくまでも仮定でしかないけど、もし俺が有坂を傷つけるようなことがあったら、お前に何言われても、何されても文句ないよ」

 相手がずっと年下の子どもだろうと、元生徒だろうと。今この場では、そんなことは何も関係がないのだ。

 大真面目に口にした沖に、大翔はそれまでの緊張を表すかのように長く息を吐く。

「怜那を、よろしくお願いします」

 兄どころか、まるで父親かのような彼の台詞に、沖は笑わなかった。

「野上。有坂はお前みたいな友達、──幼馴染みがいて、本当に幸せだと俺は思うよ」

 口を開くことなく、軽く肩をすくめただけの大翔は、やはり無言のままきっちりと頭を下げたかと思うと、沖に背を向けて歩き去った。

 ──有坂と、野上と。俺は二人分の信頼を絶対に裏切れない立場になったんだな。

 週末、怜那は初めて沖の部屋にやって来る。

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