あゆ美と高橋のことについて、怜那はなかなか核心には触れられないでいた。
高橋を見つめる彼女と出くわして以降も、あゆ美と話す機会があるたびに、彼の話題が出ないことはなかったくらいなのだけれど。
しかし、そもそも怜那から切り込んでいくことではないような気もする。
最初からあゆ美の方から訊いて来たのだし、怜那はもう報告されるまでそのあたりは放っておこうかとさえ感じていた。
彼女も、怜那に忠告されたことでようやく危機感を覚えたらしく、あからさまに人目に立つところで高橋を見つめることはしなくなったようだ。
するかしないかよりも、どんなに危険な行為かに気づいてくれたのなら、それだけでもよかったと思う。
あゆ美と話をする中で得た印象では、怜那との会話でなら高橋への想いを隠さないで済むことが、彼女の心の余裕を生んだようだった。
それは怜那にも覚えがある。
大翔が。
誰にも言えない気持ちを知って理解してくれる存在が、自分にとってどれほど助けになってくれたことか。
放課後の、他には誰もいないあゆ美のクラスの教室。
奥の窓際の最後列が彼女の席だ。
その前の椅子を逆向きにして座った怜那は、それぞれが持ち寄った菓子を並べた机を挟んで、あゆ美と向かい合っている。
最近の二人の、よくある光景。
「ねぇ、怜那ちゃん」
スナック菓子の袋をなかなか開けられずに苦労している怜那に、彼女が不意に切り出した。
「ん? 何、あゆ美?」
「あの、ね。わたし、卒業したら康之先生に告白してみようかな、って。上手く行くなんて思ってないけど、……だってわたし、怜那ちゃんみたいに小さくも可愛くもないし、髪だって──」
妙な力が入ってしまったのか、怜那が持つ菓子の袋がいきなりバリっと開いて、スナックが机の上にも床にも盛大にばら
あゆ美が驚いて固まるのを前に、怜那はまだ多少中味の残る袋を床に投げ出した。机の上の惨状にも構わず両手をついて、勢いよく立ち上がる。
「そーいうの、やめなよ! ……それ言うならさ、私はもっと背が欲しかった。全然そんなんじゃないのに、可愛くか弱く思われていいことなんかほんっと何にもないんだから! 黒い直毛で、短くしたら小学生みたいだしさ。だからってパーマ掛けても、子どもが背伸びしてるようにしか見えないだろうし。──私は逆に、あゆ美が
怜那の、抑えきれない悔しさのようなものが
彼女は一瞬息を飲んで、……慌てたように口を開く。
「わ、わたし、そういうつもりじゃ、あの、ごめんなさい。……ごめん、なさい──」
必死で謝るあゆ美に、怜那は「もういい」と告げるように軽く手をひらひらさせた。
「あゆ美はお世辞とかじゃなくて、モデルさんみたいにカッコいいのにさぁ。大人っぽいからショートカットも決まってるし。天然の茶髪ですっげーオシャレじゃん。なんでそんな自分に自信ないのか、意味わかんないよ、私」
冗談めかしてとりあえず手打ちにしようとする怜那の意図を組んだのか、あゆ美もなんとか笑顔を作る。
「それは、よく言われる。……あ、『自信ない』ってことの方ね」
「成績もいいし、キレイでスタイルいいし。『嫌味かよ!』って取られちゃうかもしんないから、あんま言わない方がいいんじゃないかな。自信持てないのはあゆ美の問題だから他人には、──私にもどうしようもないんだけどさ」
さばさばした怜那の口調に、彼女は真剣な顔で答えた。
「すぐには無理だけど、頑張ってみる。卒業して、大学受かって、……康之先生に告白出来たら。少しだけ、変われる、かもしれない。──断られても」
「そう、その意気!」
明るく
扉を開けて
二人で、机から落とした分と一緒に床のスナックを掃き集める。
塵取りの中身をゴミ箱に捨てて、用具入れから箒と塵取りと入れ替えに取り出した雑巾で机を拭いた。
「あーあ、せっかくのお菓子、勿体ない!」
「怜那ちゃん、わたしが持って来たチョコレート食べよ? なんかね、新作なんだって」
「あゆ美って『新製品』に弱いなぁ。宣伝に見事に乗せられてるじゃん」
「いいの! だいたい美味しいから」
「たまには外れんだね」
笑い合う二人の間には、いつも通りの雰囲気が戻って来ている。
あゆ美は、怜那にとっては初めての、親友と呼べる同性だ。とても大切な、友達。
できるなら、彼女の想いが叶うといい。……相手があることだけに、難しいのは確かなのだけれど。
◇ ◇ ◇
通信アプリのトークルームを開いてみる。
あゆ美のことを相談したあのとき以降、沖とはもうかなりメッセージのやり取りをしていた。
なので、最初の「記念のひとこと」はずいぶんスクロールしないと見つけられなくなってしまった。もちろん保護してあるので、見たければいつでも見ること自体はできるのだけれど。
普段は文字だけのメッセージを交わすだけでも、十分満たされているのだが。
ごく稀にどうしても声を聞きたいときも、怜那は必ずメッセージで
沖にそうするように指示されたわけではない。怜那が自分で自分に課したルールだ。
それも無理そうなときはきちんと断って欲しいと念を押してある。
実際に『今日はちょっと、時間が取れなさそうだ』『悪いけど、明日でもいいかな?』と返って来たことも何度かあった。
怜那自身不思議なくらいだが、それを「断られた」「迷惑だったのか」と落ち込んだり、気に病んだりしたことは一切ない。
沖が怜那をある意味対等な存在として扱ってくれているからこそ、そういうことも正直に告げてくれているのだと受け止められるようになったのだ。
──私は沖先生の中で、ほんの少しオトナに近づいたのかな。
今まで十六年と少し生きて来て、怜那はこんなに心の存在を大きく感じたことはなかった。
沖を想う、恋い慕う心、沖が自分を好きでいてくれると信じられる心。
『心』が今、怜那を突き動かしているのだ。
今はとにかく勉強するとき。
沖と一緒に居ても恥ずかしくない大人になれるように、頑張るときだという確固とした意識が怜那にはあった。
この危うい、『教師と生徒』という立場は永遠に続くものではない。
だからこそ、さらにその先を見通して、今できることをしなくては。
嫌なことから目を逸らして、逃げることしか考えていなかった自分はもういない、と思いたかった。
……怜那が卒業するまでまだ一年半以上ある。最低でもそれまでは、沖に呆れられて見放されないように。
それが、今の怜那のモチベーション。
──卒業したら、改めて先生に「私と付き合ってください」って言うんだ。言えるような自分になるんだ。
だから沖先生、もう少しだけ足踏みして待っててよ。