始まりのチャイムと同時に、クラス担任であり数学の教科担当でもある
教卓にどさっと置いた荷物の一番上は、おそらくは先日の──。
「中間テストの採点終わったから返すぞ! 順番に取りに来なさい。まず
予想的中。
出席番号一番の有坂
「……有坂、これ」
目の前に突き出された答案用紙の、右上の赤い数字は二十七。及第ラインの四十点を明確に下回っている。
いまどき悪い結果を大勢の前であげつらうような教員はいない。沖も何か言いたげな表情で、今にも口が動きそうではあったが、その場では特段お叱りもなかった。
怜那は、身長差のある沖の顔に視線だけを向けて、無言で赤点の答案を受け取る。
自席に戻るためくるりと
「次、
沖
見た目は優しそうな男前で背も高く、実際に親切で面倒見もいい。──多少、暑苦しいのも否めないけれど。
女子生徒にもそこそこ人気はあった。
……何故
あくまでも噂だが、ふざけてだか本気でだか彼に抱き着くように腕を組もうとした女子生徒がいたらしい。
彼女が沖に「年頃の女の子なんだから、教師相手でもそんなはしたないことはしちゃいけない。恥じらいを持ちなさい」と真顔で説教されたという話が、一部女子生徒の間では
真偽はともかく、沖はまさしく「あの先生ならあり得る」と皆が即納得してしまうような存在なのだ。
「『はしたない』って! しかも『恥じらい』! 死語じゃん。あんな若いのにさ。彼女いても『結婚するまで清いお付き合いを〜』とか言ってんじゃないのぉ」
「やだー、
「ホントだったら気持ち悪いよ〜!」
きゃらきゃらと笑い合う、派手目な女の子たち。
髪型は多少違うが、同じようなヘアアクセサリーで全体の雰囲気が近い。完全に膝の出た短いスカートもお揃いのようだ。
この学校は基本的に校則は緩く、それを目当てに入学する生徒も少なくなかった。
染髪や化粧、ピアス等の装身具こそ禁止だが、パーマ程度は許されている。セットによる巻き髪も髪飾りも、常識の範囲を超えて華美なものでなければ注意されることもない。
制服も同じくだ。
スカート丈にも一応基準はあるが、
怜那のように、入学時に採寸して購入したそのままの制服の方が少数派かもしれなかった。怜那の場合はルールを守る意識からではなく、単に必要性を感じないからではあったが。
「沖先生って、『いい人なんだけど~』って言われて終わるタイプってカンジじゃない? 恋愛ドラマの当て馬? みたいな」
「うーん、でもさぁ。結婚相手にはああいう人がよさそうって気もする。浮気とかしそうにないしぃ」
「は?
想定外の答えだったのか、リーダー格の瀬里奈が呆れたような声を上げた。
そのついでのように、彼女は一番近くにいた怜那にも問い掛けて来る。
「ねー、怜那はどう思う? 沖先生みたいな、面白くないけど真面目で誠実! って男」
休み時間で自席に座ったままだった怜那には、すぐ傍で騒いでいた彼女たちから突然飛び火してきた話題は
とはいえ、さすがに無視する気はないので素っ気なく返した。
「あー、……あんまりそーいうの興味ないんだ」
「──そっかぁ」
もともと気にしない怜那はともかく、相手が気まずそうにしているのが手に取るようにわかる。
──だからさぁ、なんで私に振るんだよ。こういうのに乗らないくらい、もうわかってんでしょーが。
「あたしはやっぱ、
「美彩、人生何周目だよ……」
「でもぉ、瀬里奈はそういうこと全然考えない?」
「あ、あたしも宮崎先生好き! なんかカワイイよね。──あーあ、このクラスの英語も宮崎先生だったらよかったのにー」
──美彩、とりあえずありがと。
おそらくは故意に、怜那から視線を逸らしてくれたのだろう彼女。……もし違っていたとしても、結果は同じだ。
進級に伴うクラス替えから、もう二か月。
こういったやり取りは珍しくもない。ただ、互いに相容れないのは事実ではあるものの、敵対するほどのこともなかった。
タイプの似通った、──あるいは似せた仲間内で固まって、一見排他的なグループ。
しかし、話してみれば案外と気のいい面々は、明るく表面的に会話を繋ぐのも上手かったりする。
何かと背伸びしたがる彼女たちには、高校生にもなって意地悪したり仲間外れにしたりなんて「幼稚で格好が悪い」という共通認識があるらしい。
特に瀬里奈は一年生時、クラスの大人しい子に聞こえよがしに嫌味を言ってコソコソ笑い合っていたような連中に「みっともないことやめな!」といった場面に遭遇したことがあった。
怜那はクラスも違い、たまたま通り掛かっただけだったのだ。
しかし、陰ならいいというわけではなくとも、誰が通るかもわからない廊下で堂々とやる愚かさにまず呆れたものだ。
「なによ! アンタだって……!」
その子たちが悔し紛れに言い掛けたのに、瀬里奈が「あたしははっきり言うよ、今みたいにね。『イイ女』はせこいイジメなんてしねーんだよ!」と啖呵を切って黙らせたのは確かに格好よかった。
どう考えても、ノリが悪い、場の空気を乱すと相手を不快にさせても仕方のない対応だと、怜那自身わかってはいた。
しかし、教師にも、恋愛ごと自体にも何の関心もないというのが、嘘偽りのない本音なのだ。
それどころか、怜那は基本的に他人を気にせず単独行動を取っていた。
何でも一緒が美徳のような少女たちの中では、異端視されているのは間違いないだろう。
むしろ、こんな自分にも絡んで来ようとする彼女たちの社交性には、感嘆を覚えているくらいだった。
別に憧れはしないけれど、凄いスキルだとは認めざるを得ない。