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第10話 キス

 翌朝、外の喧騒でアルは目を覚ました。

 昨夜は色々あった。仮面の集団に襲われ、その集団のリーダーが悪魔で、集団の額にはアルと同じ大魔王サタンを象徴する紋様が刻まれていた。集団の目的はアルの殺害であったが、ナーマの協力と魔力暴走でなんとか切り抜けられた。そのナーマとも契約をして協力関係になった事を思い出す。

 だんだんと意識がはっきりしてきて起き上がる。


「今日は起こしに来なかったな。まぁ昨日の事もあったしまだ寝てるのかな」


 普段ならジブリールの方が早く起きてアルを起こしているのだが、今日は起こしに来なかった。昨日の戦闘で疲れているのだろうと結論付けて身支度をしていると、部屋のドアが勢いよく開かれた。


「うお、ナーマか。ノックくらいしろよ」

「失礼いたしました。ですが、緊急ですのでご容赦ください」

「何かあったのか? なんだか外が騒がしいけど……」

「外は外で面倒臭いですが、今はジブリールですわ」

「ジルに何かあったのか!?」


 ジブリールの名前を聞いて慌てて部屋を出て、ジブリールの部屋へ駈け込む。すると、苦しそうにベッドに横たわる姿が目に飛び込んできた。


「ジル! どうした、大丈夫か!」

「はぁはぁ……、アル……すみません……」


 息も絶え絶えといった感じで返答するジブリール。昨日まで普通に過ごしていたのにどうしてこんな状態になったのか考えると、ある一つの可能性が出て来た。

 アルは勢いよく振り返りナーマを睨む。


「ジルに何をした?」


 怒気を孕んだ声色でアルの後ろに控えていたナーマに問いかける。

 ナーマは怯むことなく、何ともない様な感じで答える。


「ただの魔力不足ですわ。昨夜の戦闘で大魔術を行使した反動ですわね」

「へ?」


 アルの考えていた返答とは全く違う方向の答えが返ってきて、思わず変な声が出てしまった。


「じゃあどうすればジルは良くなるんだ?」

「単純ですわ。アル様が魔力を分け与えればいいんですのよ」

「つまり吸魔させればいいんだな?」

「ええ。ですが魔力暴走でない状態での吸魔は彼女には難しいと思います」

「どうして!」

「昨夜も言いましたが、天使である彼女に悪魔の魔力だけを吸い取るというのは難しいんですのよ」

「じゃあどうすれば……」


 ナーマの言う通り、今までジブリールに吸魔された時は魔力暴走で大魔王の魔力デザイアが強く出ている時だけだった。そして今は魔力暴走を起こしていない。この状態でどうやって吸魔させればいいのかアルには検討がつかなかった。

 だが、頭を抱えるアルにナーマが提案する。


「口づけなら大魔王の魔力デザイアだけを吸収する事ができるかもしれませんわ」

「ほ、本当か!?」

大魔王の魔力デザイアは体液に濃く現れるので、唾液を飲ませれば上手く吸魔できるかもしれませんわ。現に昨夜、わたくしは吸魔できましたから」

「た、体液……」


 口づけと体液という言葉に動揺するアルだが、ベッドで苦しそうにしているジブリールの姿を見て決心する。

 アルはベッドの横まで移動すると膝立ちになる。そしてジブリールの背中に腕をまわして上体を起こさせた。ジブリールはか弱い声で「……アル……」と口にするだけだったが、アルはその言葉を発した唇に目を奪われていた。

 昨夜は自我を失っていたからキスをした実感はあまり無いが、今回は違う。自分からジブリールの唇に口づけをしなければならない。

 アルの頭の中は緊急事態とはいえ本人の了承を得ないでキスしてもいいのか? そういえばキスは初めてだな。キスってどうやればいいんだっけ? と混乱していた。そんなアルを見かねたナーマが背中を叩く。


躊躇ちゅうちょしている場合ではありませんわ。本当に彼女が大事なら早く吸魔をほどこしてあげなさいな」

「……そうだよな」


 ジブリールはアルが幼い頃から世話になっているし、国が滅んで復建の旅にも同行してくれて今迄支えてくれていた。だから今度は自分が支える番だ! と心に決めてジブリールに口づけをする。その姿は愛しい恋人同士の口づけの様にも見えた。

 その光景を見ていたナーマがポツリと呟く。


「ホント、妬けちゃうわぁ」


 ナーマの呟きは誰の元にも届かず空に消える。

 それからしばらくしてジブリールの意識がはっきりと戻った。


 宿屋から出ると街の住民達が昨夜の話をしていた。どうやら広場での戦闘の跡から誰かが賊を排除してくれたらしいという噂だ。

 アル達はなるべく目立たない様に街の出口に向かっていたが、衛兵に声を掛けられた。


「キミ達、何処へ行くんだ?」

「これからニブルヘイムへ向かうところです」

「そうか。ただ今は誰も街から出せないんだ」

「どうしてですか?」

「キミもしってるだろ? 昨夜賊が現れたんだが誰かが撃退したらしいんだ」

「そうみたいですね」

「今はその街を救った英雄を探してるんだよ」

「英雄ですか……」


 いつの間にかアル達は英雄扱いされていた。これは正体がバレたら面倒な事になるなと考え、仕方がないと思い衛兵の目を見つめた。すると、衛兵の目がとろんと垂れ下がり、アルを見る目はまるで愛しい人を見つめる様な眼差しになった。


「俺達は関係ないから街から出てもいいかな?」

「はい、問題ありません」


 先程まで通せんぼをしていた衛兵が脇へ移動し、道を譲った。


「それじゃ行きますんで。俺達が街を出たらこの事は忘れてください」

「はい、かしこまりました」


 そう言って敬礼し、アル達は無事に街を出る事ができた。

 一通り見ていたナーマが口を開いた。


「今のがアル様の魅了チャームですのね。もはや魅了というより洗脳に近いですわ」

「だよな。だからなるべく人と目を合わせない様にしてるんだ」

「あぁ、そういう事情だったのですね。宿屋の主人と目を合わせていなかったので、人と話すのが苦手なのかと思いましたわ」

「そんな訳ないだろ。まったく、魔力暴走だけでも厄介なのに魅了までだからな」

「魔力を操作できるようになれば、魅了も自分の意志で発動や停止もできますわ」

「本当か!」

「ええ、ですから魔力操作の訓練は大事ですわ」

「なら早速やり方を教えてくれ!」


 魔力操作が出来るようになれば、今まで厄介だった魅了も制御できるという言葉にアルのやる気が膨れ上がる。アルの年相応な無邪気さにナーマは不覚にも胸を打たれたが、その反対に、ジブリールは己のふがいなさを恥じていた。だが、今朝の吸魔キスによってアルへの想いに変化が起こっていた事には誰も気づいてはいなかった。


「ところでニブルヘイムには何をしに行きますの?」


 魔力操作を覚える事に興奮しているアルにナーマが冷静に質問をする。ナーマはアルの大魔王の魔力デザイアが目的だが、これから一緒に旅をするならある程度は情報共有をしておきたかった。


「ああ、ニブルヘイムは今でも魔術を使う人が居るだろ? その王様に魔術の事を聞いて、大魔王の魔力デザイアが消せないか相談……というか意見を聞きに行くんだ」

「そうでしたの。でも、魔力操作はわたくしが教えられますし、そんなに急ぐ必要は無くなったのではなくて?」


 魔力操作だけならナーマの言う通り、別に急いでニブルヘイムに行かなくても良くなったが、アルにはニブルヘイムの王に謁見しなければならない理由があった。その事を話すかどうか迷っていると、ジブリールが助言する。


「別に旅の目的を話してもいいんじゃないでしょうか? ナーマは契約で裏切れないですし」


それもそうか。とアルが納得すると、旅の目的をナーマに告げた。


「俺はグレイス王国を復建させたいんだ。その為には大国であるニブル王の後ろ盾が欲しいんだ」


 ナーマはアルの野望を初めて聞き驚いた。かつてナーマの主人である大魔王サタンも神界を統べる為に色々と奔走したと聞く。アルの中の大魔王の魔力デザイアがそうさせているのか、それともアルという人間の器が大きいのか。どちらにしてもナーマにとってとても興味深い旅だった。


「とても面白そうな旅ですわね。同行できて運が良かったですわ」


 そう言ってナーマは「ふふふ」と笑う。これからアルファードという青年がどう世界を動かすのか心を動かされたのだった。

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