「今日、新入生のガイダンスだよな? 終わるの何時か知ってる?」
「確か二時ですよ」
午後から部室に顔を出した
四月に入ってすぐのころ。
入学式も済んで、新一年生には毎日のように大学生活に慣れるための説明行事が組まれている。
在学生は履修登録を考える時期で、部やサークルの活動がなければ登校しない学生も多かった。
入部は随時受け付けてはいるが、各部にとっては実質この新入生勧誘期間で一年の、ひいては未来に向けた大勢が決まるといっても過言ではない
頭数さえ揃えればいい問題ではないものの、やはり新入部員が何人入るかはどの部においてもこの時期最大の関心事だ。
ただ郁海の属するこの演劇サークル『フレア』は、学内に複数ある中でも規模が大きく、知名度や実績の面でも頭抜けていた。
脚本・演出を担当するリュウの『名』も大きい。
高校時代から院生になった今も、学生演劇界では突出した力量でよく知られた存在だ。
そのため勧誘などしなくとも、やる気
それどころか、最初から「このサークルに入りたい」と受験してくる学生さえいる状態だった。実際に、入学式の前から複数がSNSアカウントを通じて入部希望を伝えて来ている。
入学式当日と翌日には、構内にテーブルと椅子を出しての勧誘活動の場が設けられていた。「どうしても『フレア』に」は言うまでもなく、演劇に興味のある新入生は大抵この機会に捉まるのだ。
しかし、演劇など無縁、あるいは部活やサークルそのものに特に関心のない学生は個別に声を掛けて回るのが手っ取り早い。
もちろん、強引に勧誘して連れて来ても入部まで結びつかないケースの方が多いのだが。
それでも、やはり裾野を広げるためにも価値観の同じ人間で固まらないよう、いろいろな学生に来て欲しいと考えているのだ。
舞台は、外から見る以上に人員を必要とする。演者と裏方を可能な限り兼ねるにしても、最低限の人数がいなければ回らない。
だからこそ、たとえ素人であれ新入部員が入らなければ死活問題なのだ。
「じゃあちょっと早めに出るか」
思ったより時間の余裕がなさそうで、郁海はいったん座ったパイプ椅子から腰を浮かせ掛ける。
「え~、郁海行っちゃうの? 雅が僕の好きなお菓子買ってきてくれたから、郁海にコーヒー入れてもらおうと思ったのに~!」
「……
この場の雰囲気どころか、サークルにとっての新歓の意味さえ理解していないらしいリュウの台詞に、郁海は脱力しそうになった。
そこへ脇から、平和な解決案が差し出される。崇彦と同じ三年生の
「あ、いいですよ。副島さんは
「悪いけど、そうしてもらえると助かる。雅と郁海は『接待』の準備な」
気遣ってくれる彼女に、部長である舞台監督の
部員は皆、リュウの扱いには慣れていた。怒らせると面倒だから機嫌を取る、という意味ではなく、彼はやはり尊敬され大切にされている。
そこに間違いなく呆れが含まれていても、才能が集う世界ではリュウは決して目を逸らせない存在感を放っていたからだ。
それ以前に彼は良くも悪くも自分本位で、この程度で気分を害することはないため忖度は不要なのだが。
「よろしくね。その分、履修相談は任せて!」
同期の
「祠堂さん、食べるんなら一個だけですからね。残りは『接待』用です!」
「……うん、わかった。ありがとう」
勧誘に向かう崇彦や友里奈たちを見送ったあと。
雅は苦言を呈しつつ買い出しの袋から菓子を出して、神妙な面持ちで右手を差し出すリュウに渡していた。
その様子を横目に、郁海はリュウにコーヒーを供するために黙って給湯コーナーへ向かう。部室の片隅の、湯沸かしポットや食器類、茶葉や部員持ち寄りの菓子が置かれている一角だ。
日常的な生活能力皆無のリュウは、誰かがしてくれることに文句をつけることはない。印象に反して礼を述べることもできるのだ。
しかし、郁海に世話を焼かれるのを最も喜んでいるのはその言動から明白だった。そもそもコーヒーメーカーで部室備え付けの豆を使用するのだから、腕など関係しようもなく誰でも同じなのに。
有り余る才能の分だけ始末に負えない子どものような先輩を、それでも郁海はどうしても嫌いにはなれない。
……己がどんなに焦がれても欲しても手の届かない『何か』を
「ここが部室ね~。ほらどうぞ」
リュウが菓子とコーヒーをすっかり腹に収めててしまったあと。
ドアの外からざわめきが近づいてくる気配がしたかと思うと、崇彦のよく通る声がはっきりと聞こえた。
「来たか。雅はとりあえず氷出しておいてくれるか? 郁海、コーヒーは欲しい子いたら淹れるんでいいよな?」
「わかった」
「うん。ちょっと待たせるけど、その方が美味いしいいだろ」
敦紀が入部届らしい用紙を手にしながら出す指示に、二人はそれぞれ承諾を返し自分の分担を確認する。
「祠堂さん、余計な口挟まないでくださいよ! 向こうから来てくれるような子は納得済みだからいいですけど、せっかく佐治や三河が連れて来た子を逃がしたらタダじゃおきませんからね!? 黙ってて、……もういっそ偉そうに座ってるだけでいいですから」
アイスペールを手にした雅が、今更のようにリュウに釘を刺した。
冷蔵庫などある筈もなく、保冷にはいつから置かれているのか定かではないクーラーボックスを使用している。
ボックスの蓋を開けてコンビニエンスストアで買って来たロックアイスを確かめながらの雅の台詞に、先輩はこくりと頷いた。
「入学おめでとう! 演劇サークル『フレア』へようこそ~」
明るく迎える敦紀の後ろで笑みを浮かべながら、郁海はドアから室内に足を踏み入れた面々にさっと目を走らせる。
今回連れて来られた新入生は、男女二人ずつの四人だった。
部室中央のテーブルを囲む椅子を勧め、飲み物の希望を尋ねる。
ホットコーヒーを所望する者はいなかったため、それぞれの好みの冷たいドリンクを湛えた樹脂のカップを渡した。
二杯目以降はテーブル上のペットボトルとアイスペールの氷で自由に作って飲むように、と告げる。見ず知らずの上級生にいちいち頼めというよりはいいかとの判断だ。
女子のうち一人は、演じた経験はないが観劇が趣味だそうだ。男子一人は高校時代ダンスを嗜んでいたとか。
あとの二人はまったくの未経験らしかった。
特に、部室のドアを潜った時から居心地が悪そうで逃げ帰りたい素振りを隠そうともしなかった男子学生。
まるきり高校生そのままの黒いストレートの髪、身なりに頓着しない郁海と同様の、ごく普通のカジュアルな服装。
所謂「大学デビュー」もする気がないのか、周囲を見てからおいおい考えるのか。
「え、と。
どうにか名乗った彼は、歓談の場で雅と同じ学部だとわかった。
そのため履修相談だけは受けに来るかもしれないが、郁海は彼らとは別学部になる。郁海の勘からして、彼とはもう二度と相まみえることはなさそうだというのが正直なところだった。
しかし、カップのドリンクを口に運びながらぽつぽつと途切れがちに話す彼の視線を痛いほどに感じる。
郁海は、意識するか否かに関わらず己の容貌が人目を引くものらしいのも知っていた。
だからこういうことにはもうすっかり慣れている。別に嬉しくもなんともないが、いちいち腹立たしく思うこともない。
意外なのは、この新入生がとてもそういうタイプには見えないことだけだった。
初対面で郁海を食い入るほど見つめて来た祥真は、予想に反してその場で入部届を書いて帰った。
六月公演が近くなり、それぞれの部員の担当も決まる。
問題は、リュウの脚本が遅れていて肝心の演目についてアウトラインしかわからないことだ。
まったくの白紙ではないため、配役はもちろん裏方についても割り当てだけは可能だった。
今回、郁海はとりあえず小道具担当になる。必要になるものの大まかな部分は出ているので、できることを進めて行くのは難しくない。
リュウに「書かせる」ことに普段以上に時間と労力を割かざるを得ないため、今回は彼に張り付くのが本務になりそうだ、と始める前から疲労感に襲われてしまった。
四年生の身なのに責任者ではなく、空き時間に入れるかどうか、といったところだ。それこそ、最初は「興味のある所に顔を出して」くらいの緩い指示を与えられる一年生と戦力としては変わらない。
祥真は素人であるだけではなく「役者になりたい」「脚本が書きたい」と言った強烈な目的意識を持っていないようだった。
そのため、声を掛けられた部署を日替わりで回っているような状態だ。
ただ、それが悪いとは郁海は考えていない。
やることがないから適当に流せばいい、と言動に表れているというのなら話は別だが彼はその点では非常に前向きだからだ。
祥真は「これ!」という拘りがない分、なんでも精一杯真面目に取り組んでいて好感を持てた。
「祠堂さんて、……ちょっと困った人ですよね」
さすがに遠慮がちではあるが、そう零したくなる気持ちは郁海にもよくわかるので彼の言葉を嗜める気にはならない。
「あの人は天才だから」
自然と口から出た言葉に再認識させられた。
そう、リュウは天才だ。
郁海とは違う。郁海も自分の脚本が、演出が、箸にも棒にも掛からない、どうしようもないものだとは考えていない。
表現者にはありがちなのだろうが、郁海もそれなり以上に自信はある。
ただ、リュウという「ホンモノの才能」を見せつけられると、所詮己の程度がわかってしまうのだ。
……ここで「それでも自分はすごい」と無心に突き進めるか否かが、
何か思うところがありそうな、しかし無言を貫く後輩は、いったいリュウと郁海をどう捉えていたのだろう。
十月公演で、郁海は宣伝担当メインになった。
準備として大きいのはやはり立て看板だ。
フライヤーは、PCで作成して大学のコピーセンターで印刷機に掛ければいい。大きさに制限はあるが、カラーポスターの印刷も可能だった。
もちろん有料だが、OBやOGの昔語りを聞くといちいち業者に出していた時代もあったそうなので費用は格段に安くつく。
郁海は残念ながら絵心はさほどないので、とりあえず考えたイメージを他の部員に絵に起こしてもらった。
そのデザイン画を元に看板の作成に掛かる。拡大コピーした元絵を看板に写して、塗料で色を載せて行くのだ。
立て看板の内の一枚の作業を、実際に行ったのは祥真だった。
手先が特別器用というわけではないが、とにかくやる気があり一見よりずっと気配りも行き届いているため、とりわけ難度が高くなければ支障もない。
そして学生演劇において、そこまで高度なことなどそうはなかった。
熱心で、人目がなくとも手を抜かない姿には感心させられる。
大まかな塗装の終わった看板は、文句のつけようのない出来だった。
デザイン画や郁海の都度の指示を守り、それでいてバランスが崩れそうな部分は適度に修正している。
「お前っていい加減、じゃないけどもっと雑そうに見えてたんだ」
遅過ぎるかもしれないが、ここで黙したらより悪い。
今更と感じつつも謝罪を述べた郁海に、彼は見るからに動揺を表した。
祥真はむしろ、「愚直な自分」を卑下しているように見受けられる。自信に溢れたメンバーに囲まれる初心者の心理としては無理もなかった。
傍にいた雅が口添えしてくれたこともあり、祥真はぱっと顔を輝かせて照明を手伝った際の心境を語る。
その嬉しそうな様子に、思わず演劇論の欠片が口をついて出てしまった。彼が結果的に担っている「便利屋」的な使われ方に関しても。
言う気がなかったのは事実だが、すべて掛け値なしの本心だ。
雅が発した「舞台監督を目指せばいい」という論に、郁海も同意する。
こういう人物にこそ向いている役職ではないか。
初めて部室で顔を合わせたあの日。
正直なところ、「こいつもか」と思った。
本音では少しだけ落胆した。言葉を交わす前だから外見だけで。……いや、たとえ話したとしても、郁海は常に自分を作っているから何も変わらないとわかってはいても。
郁海が多少なりとも仮面を外す相手は、身近では雅しかいない。他には、この一年ほどはいないけれど恋人の前くらいだ。
ただそれ以降の彼は、同じように郁海を目で追ってはいても、あの時とは何かが違っていた。
どうやら祥真は、郁海を実態以上に素晴らしい力量の持ち主だと見做しているらしい。そんなことがないのは郁海が一番よく知っているものの、その期待に応えたいとも思う。
何でも涼しい顔で難なくこなすとは到底言い難いが、だからこそ一生懸命な彼がひとつずつできることを増やしていくのをこの目で見ていた。
最初は真っ直ぐな彼を微笑ましく見守っていた筈なのに、いつからか「慕ってくれる可愛い後輩」だけではなくなっていた、祥真。
今気づいたわけではない。おそらくは、もっとずっと前からそうだった。
本当にいつの間に感情が移り変わったのか、自分でも明確には判断できない。
──だけど俺は、こいつが。
◇ ◇ ◇
「──から十二月入ったしさぁ、公演前の景気づけに。金曜でいいか?」
「大丈夫です」
「たまには外行きたいですよね~」
郁海が部室のドアを開けると、内容は不明だが部長の敦紀が訊くのに室内から答える声が上がっているところだった。
「それはそれとして、クリスマスにもやりませんか? 予約取れなさそうだし、
「え~、それはない! クリスマスなんてみんな忙しいに決まってるじゃん」
後輩の案を、崇彦が即座に却下する。「十月」の彼女とは順調に続いているらしい。
どうやら飲み会の予定のようだ、と郁海は見当を付けた。
「お? 佐治。それはクリスマスデートなんてしたこともない俺への嫌味か?」
しかし、敦紀が大袈裟に手振りまでつけて後輩に絡んで行く。
もちろん本気でないのは全員承知の上だ。
「とんでもないっす! ……だ、第一、俺『デート』なんてひとことも言ってないじゃないすか! その、お友達とパーティとか」
「恋人もいない二十二の男が、どんな『お友達』とどんな『パーティ』すんだよ! 言い訳にしても適当過ぎんだろ」
口調は強いが、敦紀はすでに半笑いだ。
「あー、えっと。副島さん、金曜日コンパしようって話してるんですけどどうされます、か?」
「おう、行く」
矛先を逸らす意図も込めてか崇彦に問われて、気軽に答える。
「え!? ……あ、いえ。はい!」
訊いておきながら驚くなよ、と思わなくはないものの気にはならない。
郁海がサークルの飲み会を始め、公演の準備や稽古を除く集まりに顔を出すこと自体が珍しかった。
当然断られる前提だったらしい彼の驚きの表情も仕方がない。
郁海に参加して欲しくないわけではなく、リュウの予定が何より優先するのをサークルの皆が知っているからだ。
そのリュウがデートだと浮かれていたからこそ生まれた空き時間だった。
今日も『彼女』の希望で出掛けるという話をしていた彼。
そして今回はともかく、ほぼ断られるのを承知でそれでも一応は誘わなければならない後輩に郁海は申し訳なくさえ感じている。
「いつもの店?」
「そのつもりでしたけど、……あ、でも副島さんが来られるならグレードアップしても──」
上擦った崇彦の声に笑いが堪えられなかった。
「俺は何者だってんだよ。主役でも祝い事でもないんだからそんな必要ないって。それにあの店美味くて好きだよ。久し振りだからすげえ楽しみ」
サークルの会合でよく使う洋風居酒屋は大学近くで行きやすく、二駅向こうに一人暮らししている郁海にとっては帰りやすくもある。
料理やドリンクも、味はもちろん設定コース以外にも要望に応えてくれて何かと助かっていた。他の部活やサークルの利用率も高いらしい。
◇ ◇ ◇
「そろそろ時間だし行きませんかぁ?」
「ああ、そうですね」
コンパ当日の部室、幹事を引き受けた崇彦の声にそれぞれが荷物を手に支度を始める。
郁海も向かおうかとコートを手に取ったところにドアが開いて祥真が姿を見せた。
笑顔でも真顔でもない、どこか強張って見える彼の表情に違和感を覚える。
「佐治さん、
「おー、了解。一人くらいどうにでもなるよ。コース頼んでるわけじゃないし」
すらすらと雅の不参加を告げる祥真に、気のせいか見間違いだったか、と流しそうになった。
「よし、じゃあ行きますか! 副島さんと原田も早く来てくださいね~」
崇彦の音頭に、部員が揃って部室をあとにする。
余計なことを考えていたために出遅れて、祥真と二人だけ残された郁海はコートを腕に掛けて荷物を取ろうとした。
その郁海を祥真が呼び止める。
「副島さん、ちょっとお時間いいですか?」
改めて目を向けると、やはり緊張を孕んでいるような彼の表情に疑問符が浮かんだ。
「いいけどコンパ行かねえの?」
崇彦の言葉からも、当然参加者に数えられている筈だ。
「いえ、行くつもりです。副島さんも行かれますよね?」
だったら何故今なのだ? そこまで急ぎの用が思い当たらない。
承諾を返した郁海に頷き、後輩がドアの鍵を掛けに行く背中に疑問が増した。
即踵を返して戻った彼は、ノートを差し出して来る。
雅に請われて貸した創作ノートだ。雑に見えてこういう点は抜かりのない雅が祥真に託したのだろう。
たしかに郁海には大切なものだしありがたいが、そこまで身構えるものでもないのに。
「ああ、さんきゅ」
礼とともに受け取った郁海に、目の前の後輩が軽く下げた頭を上げて目を見つめて来た。
……そして。
「あなたが好きなんです」
交際を求める告白に、我が身に何が起きたのかすら理解できなかった。
「……俺、男なんだけど」
それでも黙っているわけには行かない、とどうにか絞り出したセリフを彼はあっさり退ける。
「『おかしい』と思っているのは誰?」
祥真のその言葉が、郁海の心の奥底に突き刺さった気がした。
誰? ……誰だ?
──俺はどこかで、「男を好きな自分」を認められなかったのかもしれない。普通じゃない自分が。
普通になりたいなどと考えてもいない。
そもそも性指向を除いたとしても、郁海は決して「普通」には分類されないのではないか。
それでも怖かった。だから公言したことはない。今後もする気はなかった。
どちらかといえば自己主張も控えめで、明るく穏やかな気性から能天気にさえ映る後輩。
彼がいつになく強い言葉で綴る内容を、実のある反論もできないままに郁海は受け止めていた。
「あなたが俺を
言えるわけがない。祥真は郁海にとって、すでに特別な存在だ。
誰にも代替などできない、片想いの相手。
叶う日が来るとは、空想でさえ描いたことはなかった。このまま単なる先輩と後輩のまま、四ヶ月後には郁海が卒業して彼との時間は想い出になる。
それが郁海にとっての現実的な既定路線だった。
「隠せてると思ってたんだけどな……」
これは自白だ。告白に等しい。
外向きの自分を演じる「郁海」なら、何があっても口にはしない弱音。いや、紛れもない本音。
もう仮面は砕け散った。表情も作れない。……こんな自分は知らない。
けれど、柄にもない似合わない強気な台詞を吐く彼が堪らなく愛しい。
それこそ郁海のために、下手な「演技」をしているのだろう
◇ ◇ ◇
郁海の恋愛対象が「男」であることは、大学では雅しか知らなかった。その、筈だ。
そして彼女は、何があってもそんな重要なことを口外はしない。
それだけではなく、雅は郁海のこの想いに気付いていた。
打ち明け話などするわけもなく、恋愛について相談するような性格でも、関係でもない。ましてや、間違いなく「異端」の範疇なのだからなおさらだ。
けれど郁海は確信していた。
彼女はそういう存在だ。今現在、郁海にとって誰よりも大切で信頼のおける友人。
仮定するのも申し訳ないけれど、万が一裏切られても「自分の見る目がなかった」と諦めがつく。
雅はそれほどの相手なのだ。
自分が彼女にとってどうなのかはわからなかった。
同じなら嬉しいし、違っても別に構わない。
祥真の突然の告白は、郁海の想いを察知したからに違いないと思っていた。
おそらく祥真は、何らかの形で雅を通じてそれを知ったのだ。
「
何気なさを装い『報告』した際の彼女の表情が物語っていた。どこか申し訳なさそうで、それでも安心したような、微妙な笑み。
雅は何も言わないし、郁海も訊く気はなかった。
そして祥真もまた、ただの考えなしではない。でなければ彼を選ぶことはなかっただろう。
郁海の恋を知ってしまったこと自体で、何かと気を揉んでくれてもいただろう友人。
「あたしは自分大好きで勝手な人間だから」
そんな台詞は口先だけだ。
あるいは本当にそう思っているのかもしれないが、郁海は『そうではない』雅を知っている。信頼を預けるに足る相手だと見做している。
今更「犯人探し」などする気も必要もなかった。
そのため今後も真実が明らかになることはないかもしれないが、結果良ければそれで良し、だ。
──雅に何かご馳走しないとな。でもその前に、
~『こころのなかは。』:END~