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第一章『あなたのこころ。』③

その日のうちに雅に教えられたのだが、ちょうどリュウが十何人目かの『彼女』に振られたタイミングだったらしい。

「祠堂さんはさ、とにかく誰かに、あるいはみんなに『お世話してもらわ』ないと生きてけない人なわけよ」

 祥真が知りたがっているのが見え見えだったのか、雅がリュウについて語り出した。

「で、郁海は逆なの。あいつは『世話したい』んだよね。料理が趣味で、いろいろ作って食べさせるの好きだし。あたしもよくご馳走になったわ。──人間としては祠堂さんがその世話焼き癖にピタっと嵌ったんだろうけど、恋愛的には違う気がするのよ」

 雅が自分の考えを整理するかのように話すのを、祥真は無言で聞いていた。

 恋愛に関してはともかく、彼女の言葉の意味は祥真にもよく理解できるしおそらく間違ってはいない。

 郁海がリュウに対してしていることは、頼まれてできる範囲を逸脱している。本人の積極的な意思がなければ無理だろう。

「もし! もし郁海が女だったとして、同じように『誰かのお世話したい! 支えたい!』って考えた場合よ? あいつが選ぶとしたら部活のマネジャーじゃなくてむしろチアリーダーなんじゃないかって」

 あまりにも突飛な雅の仮定に、祥真は二の句が告げなかった。

 しかし、彼女も聞き手の反応など最初から期待していなかったようだ。

「あたし子どもの頃から劇団入ってて、小学校時代はダンスクラスも取ってたんだよね」

 初耳だったが、サークル内ではそういう経歴を持つメンバーは珍しくもない。

「で、あたしの劇団にはなかったけど、オーディションで知り合った友達がチアスクールにも通ってたんだ。チアリーディングってさ、ポンポン持って適当にくるくる踊ってんじゃないんだよ。技術的にもすごい大変なの。運動部の応援しか見たことなかったら、そう受け取っても無理ないけど」

「適当に踊ってるとまでは思ってませんけどそんな大変なイメージはないですね、たしかに」

 大学の野球やラグビーの応援に借り出される彼女たちは、確かにスタンドで統率の散れた素晴らしいダンスを披露してはいたが、単体での『驚異の動き』という感想はまったくなかった。

 結局は応援のための「ダンスチーム」というのか。

「もし知らなかったら競技会の映像、公式でも上がってるから見てみるといいよ。世界変わるから、マジで! アクロバティック技スタンツとかホントすごいんだから! 外で練習すると、すぐ靴の底が擦り切れるんだってさ。普通のゴム底の運動靴ね。靴底ってそんなヤワくないじゃん!? ジャンプして受け止められたり受け止めたり、高く持ち上げられたり。やってたからこそ言えるけど、ダンスとは根本的に違うの。あたし絶対無理だよ、怖くて」

 正直、雅の話だけではどういったものか想像もつかなかった。

 機会があれば映像を検索して観てみるか、と祥真はぼんやり考える。

「あくまでもあたしの想像だからすっごい勝手なのは承知で聞いてね。郁海はただただ甘やかして何でもしてやって、って意味のお世話じゃなくて、一人でもちゃんと立てる相手を支えたいんじゃないかと思ったんだ。世話相手が何もできない弱いだけの人じゃないから、その分自分も努力するってのか」

 正しいかどうかは祥真には判別などできない。しかし、まったくの的外れでもない気がした。

「チアってか『応援』したいんじゃないかな、ってのもそこから。まあチアリーダーはさすがに雑な例えだってスルーしてくれていい。だからさ、『恋愛相手』は祠堂さんじゃダメなのよ、たぶん。祠堂さんが男と付き合う人だったとしてもね」

 チアリーダーは極端でわかりやすい例でしかなく、彼女が本当に告げたかったのは郁海が単なる「世話焼き体質」でお世話させてくれる対象を無条件に求めているのではないということ。

 つまり結論として「郁海はリュウでは無理なのだ」という一点なのだろう。

「祠堂さんは自分で立つどころか、支え手がいたらどこまでも寄り掛かって来そうですからね……」

「そういうことだね」

 彼を知る全員の共通認識だと思われるので、何の罪悪感もない。

「祠堂さんてとにかく面食いだから。……君は知らないかもしれないけどさ」

 雅の言葉通り、祥真はリュウの相手など一人も会ったことはなかった。

 特に興味もないし、何よりサークル内での関係ではないからだ。

 彼にも一応良識らしきものはあり、狭い人間関係の部内では避けているのか、それとも単に正体をよく知るサークルの女性には恋愛対象にされていないだけなのか。

 そこまでは不明だが、祥真から見ても前者はなさそうではある。

「あたしも全員なんてわかるわきゃないけど、見た限りはナチュラル美女ばっかだもん。あ、この『ナチュラル』は所謂ナチュラルメイクの人って意味じゃないよ? 化粧が上手いとか髪型やファッションで誤魔化す必要ない、寝起きのすっぴんパジャマでも美人なんだろーな、って女でも思うくらいの本物ってこと」

「……はぁ。でもあの祠堂さんと付き合えるってことは、女の人の方もよっぽど自分に自信ないと無理なんじゃないすか?」

「まーね。自分より『美形』と付き合うのはなかなかに勇気いりそうだもんね」

 まるきり他人事のような口調からも雅はそんなことは気にもしなさそうだし、何よりも彼女はリュウにそういう意味での興味は一切ないのだろう。

 自分は彼と付き合うのは無理だと一言で切って捨てていたことでもあるし。

「外見『だけ』にこだわるからすぐに失敗すんだよ! って本人はわかってない。言えるとしたら郁海だろうけど、あいつは絶対そんな口出ししないしね。思うことはあっても、祠堂さんが幸せならそれでいいわけだしさ。あの人が好きな美人と付き合えてハッピーなら郁海にとっては問題なしだから」

 雅は郁海に恋はしていない。

 自覚なく実は、というのとも違うと祥真にでも伝わった。

 以前はどこかで疑っていた。

 さり気なく、とはいえ彼女にはすべてお見通しだったのだろうが「郁海が好きなのでは?」を遠回しに訊いたこともあった。

「あたし男興味ないの。あ、女が好きなわけでもないよ? 友人としてはどっちも好き」

 そうあっさり答えた彼女。

「自分が好きで一番大事なの、あたしは。偏った人間なんだよ。恋愛で他人に時間使う気ないんだ。──あたしの感覚では、『友情』ってのは50/50フィフティ・フィフティだから無駄だなんて思わない。でも『恋愛』は違うのよ。たぶん逆の人のが多いかもね」

 よくもそこまで率直に告げてくれた、と今も驚きが勝つ。

 それも「郁海に関すること」だからだと祥真は考えていた。

「恋人とか作る気ないんですか?」という訊き方なら、プライベートに踏み込む失礼を叱りつつももっとマイルドな答えを返してくれたのではないか。

 雅にとって郁海は、本当の意味で大切な友人なのだろう。

 親友という単語が当て嵌まるのかは定かではないが、祥真の中にある少ない語彙ではそれが最も近い。

「もし祠堂さんが男女こだわらなかったら、真っ先に惚れられんのは絶対郁海だよ。間違いない! 賭けるもんないけど」

「それ、賭けになんないです……」

 自分について完全に把握した上で肯定し、生活のすべてにおいて奉仕してくれる美貌の恋人。

 確かにリュウにとっては『理想』的なのかもしれない。郁海が愛想を尽かさない限りはいつまでも続きそうだ。

「だけど郁海は喜ばないんじゃないかな。あいつが欲しいのは祠堂さんの『そういう気持ち』じゃないから、きっと。彼の才能にはいくらでも尽くすけど、恋愛は別なんじゃないかな、って話よ」

 雅こそが郁海の真の理解者なのではないか。

 祥真は感心するとともに、この人には敵わないのだ、と少しだけ複雑な気分になった。


「俺は演劇に関わるのは大学で終わり。ほぼ希望通りの内定ももらってるし、普通に就職する。余裕あったら趣味で脚本書いて公募出したりはするかもしれないけど、プロは目指さない。あくまでも自己満な。──もう十分やり切った! って言えるし、何より俺には『ホンモノ』の才能なんてないってのもよくわかったから」

 卒業後について話を振った祥真に答えた際の、郁海の晴れやかな笑顔。「やり切った」というのは本心なのだろうか。

「お前は知らねえだろうけど、今年の春に卒業した尾崎さんて人は何人かの同期と一緒に中堅の劇団入って書いてんだって。もちろん今んとこは趣味で、本業はちゃんとあるけどな。あの人は本気でプロ諦めてないと思う」

 でも俺は、もうこれ以上夢見てられない、と郁海は真顔になった。

「二月の卒業公演の脚本と演出、任せてもらえることになったんだ。俺にとっては引退記念だな」

「あ、そうなんですね──」

 ここで「おめでとうございます」と告げていいのか。

 迷った時点でもう言うべきではない、と黙った祥真に、彼は話を続ける。

「だからその分、ってのもおかしいけど、祠堂さんには書き続けて欲しい。あの人、普通の会社員とかぜってー無理だろ。他所の劇団入るかどうかは別として、脚本と演出で食べて行ける人になって欲しいし、祠堂さんならなれるんだ」

 ──あなただって、十分能力はあるのに。

 その言葉はどうにか飲み込んだ。

 郁海が決めたことなら、祥真は受け入れる。それ以外の選択肢など存在しなかった。

 一人で立てる、自分を持っている、世話・・をしたい相手。

 もしそういう『郁海の好きな相手』が実在するのならいったい誰なのだろう。このサークルのメンバーだろうか。

 絶対視していたリュウが真っ先に除外されてしまったため、他には候補さえ浮かばない。

 そして雅は一度も明言はしなかったが、祥真は彼女と話した中でほぼ確信していた。

 郁海の恋愛対象は、おそらく、男だ。

 誰にでもいい顔を向ける彼だからこそ、本音が見えない。

 表面的な形だけの笑顔ではなく、郁海の生きた表情に興味があった。

 もちろん、整った可愛い笑顔もとても素敵だと思う。それこそ作り上げた、わざとらしい嫌味な笑みも叱る際の厳しい顔も何度か見たことはあった。

 けれど、彼が故意に見せつけているそんなものに意味はない。

 綺麗でなくてもいい。不機嫌でも、怒りに歪んでいても。

 本当の、素の『郁海』の表情は、いったいどういうものだろう。

 ──見たい。見せて欲しい。俺に。

「原田、悪いけど郁海にこれ渡してもらえない? たぶんあいつ、今日ないと困るはずだから。あたしこれから急に教授に呼ばれちゃってサークル行けないのよ~。飲み会も無理だって言っといて。金は払うからさ。……君は行くのはいいけど飲むなよ!」

 講義を終えて廊下に出たところを、妙に慌てた様子の雅に呼び止められた。

 差し出されたのはごく普通の大学ノートだ。

 学部や担当教員にも寄るが、今時講義ノートで紙ベースは半分もない。表紙に書かれた文字からして、脚本関係の資料なりメモか何からしいと見当をつけた。

「はい、わかりました。でも俺でいいんですか? 副島さん、こういうの他人に見られるの嫌がりそうですし……。いや、俺は絶対中身なんか見ませんけど!」

「だから君に頼んで──! ゴメン、忘れて! 今のは聞かなかったことにして! いいわね!?」

 気軽な質問への簡単な答え、の筈だった。途中までは。

 強張り引きつった般若のような雅の顔に、祥真は何も考えられずにただがくがくと何度も頷く。

 彼女の言動の真の意味がじわじわと心に沁みて来たのは、部室のドアまでもう数歩と近づく頃だった。

「あの、副島さん。ちょっと今お時間いいですか?」

 祥真は部室に二人きりになった機会を逃さず、郁海に決死の覚悟で声を掛けた。

 雅も口にしていたが、今日はサークルの飲み会だった。

 十二月に入り、気分は忘年会のようなものだ。少し早過ぎるけれど。

 もちろん祥真は、あれ・・以来一切アルコールは口にしていない。

 参加自体にも、今回からようやく雅の許可が出たのだ。そもそもサークル全体の飲み会自体が開かれていなかったのだが。

 個人的に仲のいい上級生が何度か誘い合って行ったらしいのは耳にしていたが、郁海は毎回不参加だと聞いた。リュウの監視で。

 他のメンバーは、「早く来いよ」と声掛けだけしてすでに会場の店に出発していた。

 雅が参加できないことは、その際に告げてある。

「え? 別にいいけど。コンパ行かねーの?」

「いえ、行くつもりです。副島さんも今日は行かれますよね?」

「うん、祠堂さんデートだって言うから」

 本当に、彼の生活はリュウを中心に回っているのだろうか。簡単に「気の毒だ」と同情はできない。

 おそらく郁海自身が望んでいるのがわかるからだ。

「そんなにお時間取らせません。……ダメですか?」

「いや、だからいいよ」

 郁海の返事を確かめて、部室のドアを内側から施錠する。

 今日はもう誰も来ない筈だが、絶対に邪魔が入らないように。

 そして、まずは雅に預かったノートを渡した。

「ああ、さんきゅ。催促しなきゃと思ってたんだよ。ま、雅はこういうのはキッチリしてっからな」

 礼を述べながら受け取る彼に軽く頭を下げて、おもむろに顔を上げ郁海の目を見つめる。

「あなたが好きなんです。俺と付き合ってもらえませんか?」

 単刀直入に切り出した祥真に、彼は見てわかるほどに息を吞んだ。

「……俺、男なんだけど」

「知ってますし、見ればわかります」

 動揺を隠せないまま、どうにか絞り出したらしい彼の声をあっさりと叩き落あしてみせる。 

「いや、そういうことじゃなくてさ──」

「じゃあ何なんですか?」

「何って、だからさぁ! 俺は男でお前も男なんだよ、そんなのおかしいだろ!」

 とうとう逆切れしたかのように声を荒げた郁海に、祥真は変わらず平然と続けた。

「副島さんは俺が嫌いなんですか? 嫌われてるなら諦めますよ。もう、あんまり話し掛けないようにします」

「……そうじゃ、ないだろ。嫌いとか、そういうんじゃ、なくて」

「嫌いじゃないなら好きだってことですか? ねぇ、副島さん。『おかしい』と思ってるのは誰?」

 いきなりトーンダウンした彼に、それでも祥真は追及の手を緩めることはしなかった。

 祥真は知っている。

 この変わり者しかいないような集団の中でさえ先鋭を走っているかのような彼が、意外にも『人目』を気にするところがある人なのだということは。

 郁海が今まで誰とも付き合ったことがないとは考えていない。

 誰かを本気で好きになったこともなかった祥真にはまさしく想像でしかないが、彼自身が語っていた「絶対必須なインプット」には恋愛が含まれている気がした。

 彼の書く脚本喜劇は、複雑な人間模様を描きつつも常に恋愛が主題だからだ。

 そしておそらくはそういうことは学外で、だったのではないだろうか。サークルでの彼の様子を思い浮かべながら推測してみる。

「あなたが俺をそういう対象にできないなら、はっきりそう言ってくださいよ。『誰かが』じゃなくて、あなた・・・がそんな関係はおかしいと思うのなら。俺は無理強いなんかしませんから」

 祥真が言い聞かせるような言葉を、郁海は黙って聞いている。

「でも、本当にそうなんですか?」

 訊かれて、郁海は何か言おうと口を開きかけたが、結局はまた口を噤んでしまった。

「無駄な抵抗はもうおしまいですか? ……郁海さん」

 往生際の悪い想い人に、祥真は畳み掛ける。

「──俺、隠せてると思ってたんだけどな」

 郁海がぽつりと呟く声。

 ──隠せてましたよ。完璧でした。

 今日雅が口を滑らせなければ、というよりもわざわざ焦ってフォローしようとさえしなければ。

 祥真は比喩ではなく一生気付かなかったかもしれないとさえ思う。

 あれほど毎日、郁海だけを凝視しみつめていたというのに。

 やはりこの人には、役者としての有り余る素質に実力もある。「舞台に立て」とうるさい先輩方の気持ちが、祥真にも初めて理解できた気がした。

 そんな内心はおくびにも出さず、精一杯の虚勢を張る。

 手の掛かる、でもそれだけではない男が好きらしい、物好きな『恋人』に。

「甘いですね。色んな意味で詰めが甘いです。……あ、もう呼んじゃいましたけど。副島さん、これからは人前じゃなければ『郁海さん』て呼んでもいいですよね?」

 言葉を切ったあとでいくらなんでも調子に乗り過ぎたか!? と一瞬青褪めたものの、穏やかな郁海の様子にこれでよかったのだ、と安堵する。

 手間は掛けます。頑張って適度に掛けるようにします。

 言葉としてはおかしいですけど、それが『Caring世話好き』なあなたの好みなら全力で!

 でも、絶対頼り切ることはしません。

 笑っているような、困っているような、何とも表現のしようのない表情にようやく悟る。

 目の前の美貌の彼は、ずっと祥真が見たいと切望していた素の郁海だった。


 ~『あなたのこころ。』:END~

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