炎の化身を前に冬香と新葉は茫然と立ち尽くしていた。
予想以上の魔力の上昇とそれに呼応するかのように掛けられる圧力。灼熱の炎に熱された肌からは止めどなく汗が噴き出される。二人の戦意を奪うには十分だが、それでも彼女たちは引くことを許されない。
二人は汗を拭うのを忘れて各々の武器を構える。
新葉は苦し紛れにだが折れない心を胸に矢を射る。しかし、矢は炎の化身を前にして怖気づいたかのように消し炭と化してしまった。冬香も新葉の根性に見習って対物ライフルから大口径の魔力弾を発射するも、直撃するどころか弾道を逸らされることもなく消し炭にされた。
「いよいよって感じね」
新葉は額の汗を拭い思わず膝を付きそうになる。
「氷の矢とかないの?」
冬香もたまらず額の汗を拭い虚ろな目で太陽を睨む。
二人はサングラスをかけているお陰で燃え盛る巨大な鳥――太陽の化身を直視できるが弱まっている様子は一切見られない。
新葉はうんざりしたように口を開ける。
「馬鹿ね。アンタも氷というか水全般の魔法を込めた魔力弾を使わないのは、分かっているからでしょ? 使えない理由を」
冬香は頷く。
「あんな高熱を前にいきなり氷なんて使ったら、そのまま空気が膨張して大爆発か氷から溶けた水が気化して水蒸気爆発が起きるわよ」
新葉は忌々し気に言うが本当に大爆発でも起こしてやろうか思うほど精神的にも切羽詰まっていた。
「いっそうのことアイツの周りに小麦粉でも撒いてみる?」
「馬鹿言ってんじゃないわよ! 町もろとも消し飛ぶわよ!」
怒鳴る新葉に心底嫌そうな顔をして冬香は「冗談だよ」と視線だけで伝える。
しかし、打つ手が見つからないのは事実だ。そんな現実から目を背けたくて冗談を言ってしまった。怒鳴った新葉もそれを承知の上だろう。でなければ否定していない。
「せめて魔力を溜める時間さえあればいいのだけれど……」
「なら私が時間を稼ぐから新葉は下がってて」
「無理よ。アンタの無尽蔵な魔力込みでの話だから」
「なら、二人の魔力が溜まるまで時間を稼げばいいってことだな」
突然、二人の背後から聞き覚えのある少年の声が聞こえた。振り返るとそこには血だらけで傷だらけの谷坂綾斗が立っていた。少年は二人と目が合うと右脚を引き摺って歩み寄ってくる。虚ろな目をしているが、二人の姿を捉えているのか、微笑を浮かべて二人の盾となるべく前に立つ。
綾斗は左手を突き出し、右手を左腕に添える。
「どれくらい時間が掛かる?」
「一分。いや、三十秒あればなんとかなるわ」
綾斗は無言で了承すると深呼吸をする。ついでと言わんばかりに気管に詰まった血反吐を全て吐き出した。折れた肋骨はどうしてだか気絶から目を覚ますと繋がっていたが、罅がある状態なのか激痛が規則的に襲ってくる。
不思議と魔力と体力だけは申し訳程度に回復していた。だから少年は間島家のプライベートビーチから二人の下に駆け付けることができたのだ。
「タワー、真名解放できそうか?」
『僕より自分の心配をした方が良いと思うよ?』
「心配したんじゃない。解放できるかできないかを聞いただけだ」
『あ、なるほど。それならできるよ。ただし、三十秒も保つかは分からないけどね』
それで十分だ。
発動さえしてくれば後は根性で乗り切るつもりだった。
綾斗の虚ろな目に光が灯り炎の化身となった魔獣を睨む。
炎の化身は綾斗が登場してからというもの食い入るように綾斗のことを凝視している。その熱い視線に綾斗は身に覚えがないと言った表情でタワーの真名解放のために魔力を高め、それでも足りない分は全身に巡っている魔力をかき集めて補う。
『あ、太陽が真名解放するのを気付いたみたいだよ』
タワーの言った通り、炎の化身――太陽は大きく羽ばたき今にも突撃してきそうな勢いである。いや、来た。突撃してきた。
綾斗は空かさずタワーのタロットカードを解放し、左手に装着された円盤状の盾を前方に向けて射出する。タワーの盾は三人の前に浮遊し固定される。
意を決した綾斗は高めた魔力をタワーの盾に注ぎ込み、叫ぶように真名を唱える。
「真名解放――『
発動と同時に生々しい音が脇腹の方から聞こえた。技の発動の反動で罅が入った程度まで回復していた肋骨がまた折れたのだろう。しかも内臓に刺さったのか信じられない激痛が走った。今すぐにでも泣き出したい気持ちでいっぱいだが、今はそんな時ではない。涙を堪えるその力すらも『王都不滅の城跡』を維持するために使う。
爆発音。
轟音。
何かが熔解する音。
風が弾かれる音。
あらゆる音が荒振り三人の耳に叩き込まれる。
冬香と新葉の二人が最初に見たのは鮮血だった。綾斗の塞ぎかかっていた傷口が一気に開いたのだ。血しぶきを起こしながらも少年は力を緩めることなく背後の二人を守り続けている。
――一発だ。この一発で決める。
新葉はその意思の下、三十秒という時間を最大限に利用して矢の生成し、最大限にまで高めた魔力を注ぎ込み、冷静に的を絞る。汗がにじみ目に入ろうとするとが、振り払う素振りすら勿体ない。その汗は拭わなくても勝手に頬を伝い顎へと流れて地面に落ちるのだから。
少女の集中力はこの土壇場で最高潮に達し、今ならどんな体勢でも百発百中で的のど真ん中を的中できるだろう。
そしてついにその時が来た。
「決めてやる。――『
瞬間、新葉を中心に突風が吹き荒れ、少女の緑色に染まった長髪を翻した。