仲良く海水を掛け合う綾斗と麻衣。
それを羨ましそうに、且つ、憤怒の炎を立ち上らせながらスコープ越しに見つめる冬香。
本当は崖の方へ場所を移そうとしたのだが、まだ常識の範囲内で思考を巡らせている新葉からすれば不法侵入の何者でもないため止められた。さらに木陰に隠れていても冬香から溢れ出る憤怒の炎がほとんど殺気に変わってしまっていたので、やむなくより離れた場所にあるマンションの屋上から監視することになったのだ。
新葉はスコープ越しに綾斗のプライベートを監視し続ける冬香に呆れて溜息をついてしまう。冬香の手に握られているスコープは、銃火器に関係する物ならほとんどの物を取り出すことができるリュックから出された物だ。そんな物を使ってまでして見たいものなのか、と思ってしまう新葉だが、直射日光に照らされ止めどなく出てくる汗に心底嫌気がさしているせいでそれどころではなかった。
「日焼け止め持って来れば良かったわ。あと冷たい飲み物も。このままだと日焼けしちゃうわ」
マンションの屋上から監視を始めて三十分が経過した。
私立常盤桜花学園の制服は汗で濡れ、前髪は額に貼りついてしまい鬱陶しいことこの上ない。
「アンタ、暑くないの?」
冬香は無表情で新葉へと振り返り無言で前髪を上げる。そこには冷えピタが貼られていた。それだけではない。新葉からは見えない位置に置いていたキンキンに冷えた缶ジュースを手に取り目の前で飲み始める。
「アンタ、喧嘩売ってんの!」
「日焼け止めならもう塗った。欲しいなら言うこと言ったら?」
「な!? まさかアンタが日焼けをすることを気にするなんて……それにアイツのことをここまで執拗にストーキングするって、まさか……アンタ、アイツのことどう思ってるの?」
新葉は訝し気な視線を送りながら鼻先と鼻先がぶつかってしまうんじゃないかと言う距離までにじり寄る。
途端に冬香はリュックから日焼け止めとキンキンに冷えた缶ジュースを取り出し、それ以上聞かないで、と言わんばかりに新葉に向かって突き出す。
新葉はそんな冬香を怪しいものを見るかのように見つめながらそれらを受け取る。
「全く、ストーキングなんてバレたら嫌われるわよ、絶対。まあ、アイツの魔力感知能力じゃあ私等の存在に気付くことはないと思うけど。どうするの? 気付かれる前にストーキングをやめるか、このまま続けるか……もしくはアイツのことをどう思っているか私に言うか。どれがいい?」
冬香は頬を膨らませて新葉を睨むが、新葉は全く動じず、むしろかかってこいと言わんばかりに両腕を組んで詰め寄ってくる。さらに止めと言わんばかりに不敵な笑みを浮かべて、
「アイツ、もしかしたらあのコとこのまま付き合っちゃうかもねェ」
と言ってから海で遊ぶ二人に視線を送る。そしてすぐに冬香に視線を戻すと四女は慌てふためいて見ていられない状態だった。
「やっぱそういうことなのね」
「ち、違っ! いや、違わない、と言うか……分からない……分からないの!」
冬香は胸を押さえながら叫ぶように言う。
「最近アヤトの周りにいろんな女の子がいて、楽しそうに話してるのは良いことだと思う。だけど、なんか見てて胸の奥が痛くなるし、嫌な気持ちにもなるし……これってやっぱり……そうなのかな?」
「私に聞かないでよ。と言いたいけど聞いたのは私だから特別に確かめる方法を教えてあげるわよ」
新葉は腕を組み仁王立ちをする。
冬香はそんな彼女を仰ぎ見るように日影に入る。その日影が新葉が立っていることで伸びていることは言うまでもない。
「ずばり私がアンタに変装してそれとなく聞いてあげるのよ」
「真面目に話してくれない?」
冬香が無表情でリュックから拳銃を取り出そうとすると新葉は慌てて両手を挙げる。
「じ、冗談に決まってるでしょ! 変装せずに私がアイツに聞いてあげるわよ。もちろんそれとなくね。丁度今週の訓練当番は私だから。ね?」
「……? どうしてアヤトに聞くの? 私のことなのに……」
「なるほど。アンタもアンタでその胸のモヤモヤが何なの本当に分かっていないようね。かく言う私もそういう経験無いから偉そうなことは言えないけど」
「え? 新葉って誰かと付き合ったことないの?」
「無いわよ。悪い? 私に見合う男が現れないのが悪いのよ。そうなるとアンタは良いわよね。自分に見合った最愛の人が現れるなんて」
「誰、それ?」
「は?」
「え?」
間ができた。
――思っていた以上に重症だ。
新葉はついに頭を抱えてしまった。恋愛と言うより他人そのものに興味を示さなかった冬香は、いつしかそれが当たり前になってしまい、姉妹以外に感情表現をすることがなくなっていた。そんな彼女の前に谷坂綾斗という異分子が現れた。少年と共に過ごすことで今までの常識を覆されるようになった彼女が変わるのも当然だろう。
気付けばクラスでの冬香の周りは賑わうようになり、綾斗とその友達の須藤龍鬼以外に話し相手ができていた。
だから新葉は胸に隙間が空いてしまったように感じていた。
このまま冬香がいなくなるかもしれない。綾斗に取られてしまうかもしれない。母親のように自分の前から消えてしまうかもしれない。
――そんなのは嫌だ! でも、邪魔もしたくない。
新葉は矛盾してしまう自分の思いに困惑してしまう。
「新葉、大丈夫? 急に顔色が悪くなって……」
「うるさい。暑さのせいよ」
新葉は額の汗を拭い、顔の前に手を出して影を作る。
――ん?
冬香は新葉が作り出した影に隠れている。癇に障るが今は許してやろう。それよりも冬香の影が新葉から見て右に伸びている。奇妙な話だが新葉の影と合わせればT字に伸びている。
違和感を覚えた新葉は左側を見やる。
「冬香、閃光弾とか撃ってないわよね?」
冬香は問われて小首を傾げる。
その反応を見た新葉はやれやれと首を横に振り、違和感の元凶たる物を指差す。釣られるように冬香は新葉が指し示す方向を追う。
「太陽?」
「ええ。そして私の後ろにあるのも……」
「っ⁉ 太陽!」
見間違えるはずがない。
太陽が二つ存在している。そしてそのどちらも魔力を一切感じない。つまり新葉が感知できる範囲外にいるということだ。どうにか範囲を広げようと新葉は中継機代わりの矢を射るが双方とも全く反応がない。
可能性は二つ。
一つ、あまりの暑さで太陽が二つあるという異常な光景を幻覚で見ている。
二つ、偽の太陽は横の距離ではなく、縦の距離にいる。
次の瞬間、新葉は綾斗たちがいる海辺から強大な魔力の爆発を感じた。あまりに突然で爆発的な魔力の膨れ上がりに感知能力に長けていない冬香ですら勢いよく振り返るほどだった。
実際に海辺が爆ぜていないのは幸いだが、確かなことはある。
「二体同時? 今日は厄日かしら」
新葉は強がるように笑みを浮かべながら弓を握る手に力を込めるのだった。