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第41話

 季節は出会いの春から恋が盛り上がる夏へと移り変わる。


 太陽はよほど日本のことが好きなのだろうか。その陽光を極限にまで強め日本を、いや、常盤市を照らし暖めてくれる。否。高温に熱してくる。


 頭上からの陽光とそれを反射するアスファルトの熱が人間の身体を挟み込み蒸し焼きにする。テレビのニュースでは毎年恒例の「例年を超える暑さ」という台詞をアナウンサーが発しており、すでに熱中症になり病院に搬送される人が後を絶たないことを知らせていた。そのため熱中症対策について全面的に取り上げていた。


 そんなある日のこと。


 期末試験を間近に控えた身でありながら少年――谷坂綾斗は酷く浮足だっていた。


 常盤桜花学園高等部に転入して気づけば三ヶ月もの月日が経っていた。その期間は綾斗にとって新しい世界を探検するかのような手探りを続きの日々だった。タロット戦争に至っては鍛錬と封印のために何度も死線を潜り抜けてきた。そんな異常とも言える高校生活についに恋を咲かせる芽が生えた。


 綾斗は今日まで数多の部活の助っ人に赴き、そのヒーローたる所以のようなものを振りかざしてきた。いい意味で目立ち、女子生徒からの評判は綾斗を知らない者はいないと言うほどに拡散されていた。


 女子生徒たちはそんな少年を夏休み前に放っておく訳がない。


 綾斗は男子サッカー部の女子マネージャーである一年生にデートに誘われたのだ。


 期末試験前とは言え、その時間しか空いていなかったのは綾斗の方だったため断ることが出来なかったのだ。いや、それ以前に断るつまりもなかった。


 待ち合わせ場所は学園の門前であり、綾斗は陽光に照らされながら学園を隔てる壁に寄り掛かりながら女子生徒を待っていた。しかし、うきうきしていたのも束の間、あることを思い出す。


 相手は超がつくほどの金持ちなのだ。今ではすっかり馴染んでしまっているが、少年が通っている学園はそもそもお金持ちの御坊ちゃまや御令嬢しか通っていない場所だ。伏見家に引き取られなければ敷居を跨ぐことはおろか、視界の端に捉える程度の場所だっただろう。そう思うと急に胃の辺りがきりきりしてくる。


 そのせいか、それとも夏の暑さのせいか額から汗が滲み出てくる。


 そうこうしている内に聞き覚えのある声に呼び止められる。


 振り向くとそこには、普段制服姿では見られないような自然体に綾斗は心を躍らせてしまうが、表情には出さないよう何事も無かったかのように手を振る。

その少女は短いスカートにふわふわした雰囲気を醸し出しながら小走りで綾斗の下へ寄ってくる。


 彼女こそが綾斗をデートに誘った本人であり、男子サッカー部の女子マネージャーである一年生――間島麻衣。


 初めて会った時の印象は「名前に『ま』が多いな」程度だったが、いざ、私服姿を前にしてしまうと目が離せなくなってしまうほど可愛く思えた。


「遅れました! あの、ホントごめんなさい」

「え? いや、全然大丈夫だけど。って言うか俺が早く来過ぎただけだから」


 そう。集合時間は十時。しかし、現在の時刻は九時だ。


 綾斗はあまりにも楽しみで仕方なかったため、一時間も早く集合場所に到着していたのだ。そして麻衣もまた同じ時間帯に学園周辺に到着していた。そこでスマートフォンのインカメラを使って髪型がおかしくなっていないか、服は本当にこれで良かったのか、と最終チェックを行っていた時にカメラが綾斗の姿を捉えたのだ。


 何度か操作ミスで写真を撮ってしまったのは綾斗には内緒である。


「ちょっと早いけど行くか」

「はい!」


 二人が向かったのは間島家が所有するプライベートビーチだ。


 ここで綾斗はある疑問を抱いた。どうしてビーチ、もとい海沿いとは反対の場所に位置する学園に集合したのかだ。だが、その疑問はすぐに解消された。理由は至って単純なことだった。学園のヘリポートに停めている間島家が所有するヘリコプターを利用してプライベートビーチに向かうからだ。従って綾斗たちが向かうのはプライベートビーチであるが、学園のヘリポートでもある。


 綾斗は海に行くためにヘリコプターを利用するという今まで体験したこともないスケールに困惑する他なかった。さらにその海がプライベートビーチというのも初めてであり妙な緊張感が襲ってくる。それでもヘリコプターの窓から見える景色はとても爽快なもので、少年心をくすぐられない訳がなく食い入るように見ていた。


☆☆☆☆☆☆


 近年稀にみる姉妹の驚愕の形相っぷりにライトグレーの綺麗な髪を腰の辺りまで伸ばした美少女――伏見新葉は仰天していた。何せ普段は無表情で寝ぼけたような顔をした四女――冬香がそんな顔をしていたのだ。驚く以外に何も出来なかった。


 冬香の視線を辿るとそこには綾斗とふわふわした感じの少女が仲良く話していた。


 二人とも私服ということはそういうことなのだろう。


 新葉は他人のプライベートに対して、それも色恋沙汰に口を挟むつもりは微塵もない。しかし、いざ目撃してしまうとちょっかいを掛けたくなって仕方がない。


「ちょっとからかってこようかな」


 と新葉が冬香の前に出ると、右肩を尋常ではないほどの握力で掴まれる。


「ちょ! 冗談だって!」


 新葉は振り返りながら言うと鬼がいた。比喩ではなく本物の鬼がいた。空いた手にハンドガンが握られていないことだけが幸いだ。


「追うよ。良いよね?」


 冷たく鋭い声が冬香の口から発せられる。まるで喉元にナイフを突きつけられているようで新葉は従うしかなかった。


 そもそもどうして二人が休日にも関わらず学園に足を運んでいるかと言うと、


「アンタ、勉強はいいの? 秋蘭が教えられる範疇はんちゅうを越えてるって言ってたけど」


 至極当然の理由。冬香は五つ子の中でかなり偏った知識を持っているが、学園の勉強はどうかと言うとそれほど良くはなく、テストの点数だけで見ると一番低かった。落第とまではいかないものの伏見家の令嬢としてはもう少しいい点を取らなければならない。


 それは新葉も同じであるが冬香ほど悪くはない。それでも冬香同様に勉強をしなければならない立場なのだ。


 彼女たち五つ子は勉学だけでなく部活に加えてタロット戦争に参加している。そのせいもあり、勉強が特別苦手な二人には期末試験は絶望そのものだった。なんとか伏見家の令嬢として納得がいく点数を取れるようにわざわざ学園の図書室に勉強をしに来たのだ。


 だが、結果的には冬香にとって勉強そっちのけの緊急事態が起きてしまい、新葉はやれやれと言った面持ちで姉について行くのだった。


☆☆☆☆☆☆


 プライベートビーチというだけあって綾斗と麻衣以外に人っ子一人いない。いや、そう見えているだけでおそらく監視カメラや姿を隠している何人もの警備員がいるのだろう。その証拠に綾斗からしてみれば人の気配が至る所から感じられる。


 魔獣との戦いで綾斗の気配を察知する能力は常人のそれを遥かに超えている。そのせいか重苦しい視線まで感じて一層緊張してしまう。


 そのことに一切気づいていない麻衣は早速更衣室に案内してくれていた。彼女にとっても初めてのデートなのか、浮き足立っているせいでいつもはしないようなミスを犯してしまう。


 強いて言うなら前を見て歩いて欲しいと思う。更衣室に案内するだけでいったい何本の木と電柱にぶつかるつもりなのだろうか。


 ようやく更衣室に辿り着く頃には額にこぶが出来ていた。


 しかし、そんなドジっ子のような姿も可愛く見えてしまうほど麻衣は可愛らしい存在だった。


「本当に大丈夫なのか?」


 綾斗は麻衣の額にできたこぶについて問うたのだが、麻衣はデートが大丈夫なのか? と問われたと思い慌てふためく。


「だ、大丈夫です! い、いつものことなので‼」

「そうか。変わってるな」


 他人のことは言えないけど、と付け加えて綾斗は男子更衣室に入っていった。麻衣も後を追うように女子更衣室に入る。


 予想はしていたが、いざ現実になるとつい仰け反ってしまう。


 綾斗は男子更衣室の無駄に豪華な装飾に目移りしてしまう。なぜただ衣服を入れるだけのロッカーに金メッキの家門のような文様があるのか。加えて金色が映えるように全てのロッカーが白地をしているため眩しく思える。壁や天井、そして床は大理石風になっており、明かりはもちろんシャンデリアだ。


 伏見邸は洋風の館を模しているが、洗面所と脱衣所に浴室はなぜか和風であり、一般的な旅館のような内装になっている。


 それと比較してしまうとこちらの方がお金持ち感があって、つい装飾の一つ一つに見入ってしまう。そうこうしている内に時間が過ぎていき着替えをすぐに済ませてその場を後にした。


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