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第38話

 綾斗と五つ子はタワーの圧倒的な防御力に成す術もなく敗北してしまった。


 さらには絶対勝てないと判断され逃がされた、という形で伏見邸に帰還していた。


 五つ子の特に新葉はあまりにも情けない結果にやるせない思いで自室に籠ってしまっていた。


 春菜と秋蘭は自身が持つ絶対的な防御不可の一撃で挑んだにも関わらず、一切の傷を負わせられなかったことに自信というものを失っていた。


 冬香はタワーに撃っていた同じ魔力弾の弾丸を凝視しながら重い溜息ばかりついていた。


 夏目に至っては特に何もしていないという最も不甲斐ない結果に目に涙を浮かべていた。


 五つ子たちが各々絶望にも近い思いをしている中、綾斗は何を思ったのか伏見邸の厨房に入っていた。梨乃にはすでに伏見邸に泊まることを電話で伝えている。当然、可愛い妹を一人家に残す訳もないため、執事に頼んで迎いに行ってもらっていた。


 少年は腕を組み両目を閉じて深く考え込む。


 厨房には一流シェフが常に待機しているのだが、綾斗のあまりにも深く瞑想に耽る姿に一体どんな料理を作るのだ、と逆に興味を示していた。


 そして、綾斗は答えを導き出したのか勢いよく両目を開く。


「よし! 今日はビーフシチューだ!」


 シェフは顎が外れるのではないか、と思うほど口を開き綾斗を凝視する。

時間で言うなら三十分。


 その間、綾斗はタワーに負けたことを頭の片隅に置き、今日の夕食を何にするかをずっと悩んでいたのだ。と言うのも最初は悩みを晴らすために何か適当な料理を作ろうと思ったのだが、あまりにも材料が豊富で且つ鮮度もよく、とてもストレス発散のためだけに使っていい代物ではなかったため気合を入れて作ることにしたのだ。


 さらには料理という一点に集中したことで伏見邸の厨房の素晴らしさに唖然とする他なかった。まるでドラマに出てくる五つ星レストランの厨房を見ているようでつい心が躍ってしまう。とてもタロットに負けたとは思えない少年の思考に五つ子が知ればおそらく呆れられてしまうだろう。


「綾斗さま、何かお手伝いしましょうか?」


 不意にシェフに声を掛けられたことで綾斗はギョッとしてしまう。今まで料理で手伝うことはあっても手伝われたのは梨乃以外にいない。そんな綾斗はどうすればいいのか分からず目を右往左往させる。


 そんな少年を見たシェフはどうしてだか初めて料理をしようと思った頃の自分を思い出し、つい感激に浸ってしまう。


「それではメインのビーフシチューはご自身で作りたいと思いますので、私めはサラダとデザートの準備をさせて頂きます」

「あ、ああ、あの……えっと……ありがとう、ございます?」

「いえいえ。厨房の使い方で分からないことがあればいつでも聞いて下さい」


 シェフは優しく微笑むと自身の準備に取り掛かる。


 綾斗もまたビーフシチューに専念するため食材を見に行く。そこで少年はあることに気付いた。


「あのビーフシチューのルーとかってありますか? スーパーとかに売っているやつなんですけど」

「……」

「……」


 間があった。


 シェフは小首を傾げなら口を開ける。


「ここの料理は基本的に一から作っているのでそう言ったものはないんですよ」

「マジか」

「いえ、嘘です」

「え?」


 訝し気な視線を送る綾斗に思わずシェフは笑ってしまった。


「失礼しました。馬鹿にした訳ではないんです。本当に料理人を目指した若かりし時の自分によく似ていて。私も当時同じことを言って師匠に同じ冗談を言われたんです」

「そ、そうなんですか。ぶふッあははははははっ」


 綾斗もたまらず笑ってしまう。思いもよらぬ場所で知り合いができた。それだけで心の奥底に眠るどす黒い感情が癒された気がした。


――俺って案外単純だな。


 と思いながら綾斗はせっせとビーフシチュー作りを始めるのだった。


☆☆☆☆☆☆


 梨乃が伏見邸に到着すると真っ先に出迎えたのは綾斗、ではなく、秋蘭だった。


 二番手になってしまった綾斗はどこか羨ましくも悔しそうに梨乃に抱き着く秋蘭を見ていた。


「あ、秋蘭さん、どうしたんですか? 何かあったんですか?」

「ううん。何もないんだけど、癒されたくて。ああ、なんて可愛いのかしら私の義妹は」


 秋蘭は言いながら艶やかで柔らかい梨乃の頬と自身の頬をくっつけて頬づりする。


「か、可愛いだなんて、そんなことないですよ」

「謙遜できるなんて偉いねえ、梨乃ちゃんは」

「あの、本当に何かあったんですか? お兄ちゃんから連絡をもらったときは驚きましたけど。もしかしてお兄ちゃんが何かご迷惑をおかけしましたか?」

「迷惑なんてかけてないよ! ほら、もう家族なんだし一緒にご飯食べたり、同じ屋根の下で寝るのは当然だよ!」

「そ、そうですよね。少し詮索してしまいました。ごめんなさい」

「ホントに賢いねえ、梨乃ちゃんは」


 秋蘭は最後に優しく梨乃の頭を撫でると背後に立つ綾斗の存在に気付き悪戯っ子のような笑みを浮かべる。


「もしかして綾斗くん、羨ましかったですか?」

「べ、別に、羨ましくなんか……」


 俺の妹なんだからな、と付け加えて綾斗はちゃっかり梨乃と手を繋いで伏見邸の食堂まで一緒に向かった。


 やはりと言うか、もう見慣れてしまったと言うか伏見邸の食堂は広かった。とてつもなく長い長机の中心には花瓶が置かれ、生けられた花は五つ子たちの魔力の色を指す桃色、青色、オレンジ色、紫色、緑色のものがあった。室内を照らすのは巨大なシャンデリアでその装飾の細かさについ見入ってしまうほどだ。長机に敷かれた白い敷物は触り心地がよくいつまでも触っていられる。


 続々と集まる五つ子たちに梨乃はどこか不安そうな表情を浮かべる。そして、どうしてだかそこには先ほどまでいた綾斗の姿がなかった。


 梨乃の視線に気付いた春菜はいつもの優しい笑顔を浮かべて手を振る。


 次いで夏目も優しく手を振るがそれ以上に何も出来なかった。


 秋蘭も先ほど見せたような元気はなく空笑いしていた。


 冬香は目元が少し赤くなっているのを気にしながら無理矢理笑っている。


 新葉はと言えば冬香以上に目元を真っ赤に腫らして、梨乃はなるべく見ないようにしていた。


「あのーお兄ちゃんどこ行ったか知りませんか?」


 重い沈黙に耐えかねた梨乃が誰に問うたのか言う。


 しかし、五つ子は互いに顔を見合わせるだけで答えようとしない。いや、答えることができない。本当に誰も綾斗がどこに行ったのか知らないのだ。その時、五つ子はあることを思い出していた。


 それは初めて伏見邸に来た時のことだ。伏見邸には対魔法使い用の罠が仕掛けられている。綾斗が初めて伏見邸に来た時は会議室を一人で出てしまったことで罠が発動してしまい『迷宮の間』に誘われてしまった。まさかと思い夏目以外の姉妹の視線が夏目に集まる。


 夏目は瞬時に視線の意味を理解し首を横に振る。


 綾斗は伏見邸の出入りを許可された者であるため罠が発動することはない。ならばなぜこの場にいないのか。


 五つ子と梨乃が考えている内に食堂の厨房に繋がる扉から食欲をそそる香りが漂ってくる。


 夏目はハッとした表情を浮かべて我に返る。一瞬とは言え行方不明になってしまったかもしれない少年の存在を忘れてしまっていた。夏目は心の中で申し訳なく思うも近づいてくる食欲の波にはかなわなかった。


 ゆっくりと厨房に繋がる扉が開かれ、香りの正体が登場する。


「ってお兄ちゃんだったんかい!」


 梨乃が見事なツッコミを入れると同時に五つ子たちが吹き笑いしてしまった。


 いつも元気で可愛らしくも中学二年生とは思えない秀才っぷりを誇る美少女こと梨乃。そんな彼女がまさか関西人のようなツッコミを入れるとは思っておらず、五つ子たちは不意を突かれ目に涙を浮かべるほど笑ってしまっていた。


 丁度そこへ「遅れてすまない」と一言添えて康臣も食堂にあらわれ姉妹たちが大笑いしている姿に戸惑ってしまった。もちろん梨乃は恥ずかしさのあまり耳まで顔を真っ赤にしてそれを見せないように両手で隠していたのは言うまでもない。


「おうおう。うちの妹はツッコミもできて流石ですなあ」


 綾斗はそう言うと鼻の下を伸ばして梨乃が照れている姿を堪能していた。


 そんなこんなで綾斗の力作であるビーフシチューと一流シェフが作ったサラダとフルーツ盛りが各々の前に並べられる。


「少し熱いと思うからゆっくり食べてくれよな」


 綾斗は微笑みながら言うと手を合わせる。


「それでは皆さん手を合わせて下さい」


 五つ子と梨乃、そして康臣もクスッと笑みを浮かべ合掌する。


「せーのでいきますよ。せーの――」

「「「「「「「「いただきます!」」」」」」」」


 全員で食前の挨拶をするという何とも家庭的な光景がそこにはあった。先ほどまで魔法を駆使して戦っていた五つ子は自然と笑みをこぼし、ゆっくりとビーフシチューを口に入れる。


 綾斗は内心そわそわしながら全員の反応を見やる。


 美味しくできているか。素材を活かせているか。お嬢様たちの肥えた舌を満足させられるか、その結果はすぐに分かった。


 開口一番は言葉にならない声を上げた秋蘭だった。しかし、すぐにお嬢様でもあるため食事のマナーを重んじる立場を思い出しスッと澄ました顔をする。それでも隠し切れないほど口元が緩んでいた。それほどまでに美味しく、コクがあり、絶品だったのだ。


 シェフも作る工程を隣で見ていて味見をさせてもらっていたから分かる。


 特質して何かが上手かった訳ではない。ただ基本に忠実に一心不乱に『ビーフシチュー』という料理と向き合い、素材たちを調理していた。最初の下ごしらえとして牛肉のブロックを炒めていた時は牛肉側が焼いてくれて感謝していると比喩してしまうほど鮮やかに踊っていた。煮込み加減も最適で隣で口を挟むなんてことをすれば逆に不味くなってしまうんじゃないかと思えた。


「流石だ。綾斗くん。ぜひとも伏見家が運営しているレストランのシェフとして働いてもらいたいものだ」


 康臣もお世辞無しで綾斗の料理の腕前を称賛した。


 かくしてある意味では惨敗に終わってしまったタワーとの初戦の日は終わりを迎えた。

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