「なあ、無茶したのはちゃんと謝ったんだから機嫌なおしてくださいよ、夏目先生」
綾斗は夏目にしこたま怒られてしまい意気消沈な様子で言う。
怒った夏目はと言えば時計と窓から見える外の様子を交互に見て焦りの色と綾斗への怒りが入り混じり冷静さを失っていた。と言うより、二ヶ月前に突然養子になった異性と自分で作った強固な結界内に二人きりになってしまったことに緊張してしまっていた。
魔法の訓練では付き添いということで三女――秋蘭が基本的に一緒にいてくれていた。そうでなくとも姉妹の誰かしらがいてくれた。しかし、今は姉妹のいない本当に二人きり、且つ、密室となった学校の一室という普通では有り得ない事態に目が回ってしまっていた。
そんなことを考えているとは微塵も思っていない綾斗は、自分が招いてしまった結果に反省し勢いよく立ち上がり、もう一度外へ出ようと扉に手を掛けようとする。
「ちょっと何をしているのですか!」
「え、いや……もう一回魔獣を倒しに行こうと思って。全部倒せばきっとマジシャンも出てくるだろ?」
「マジシャン?」
「ああ。あの魔獣たちを倒したらマジシャンが以前召喚していた魔獣と同じように黒い霧になって爆発したんだ。今回は少し違ったけど」
「少し違ったとは?」
夏目は綾斗の言葉が引っ掛かり問う。
「前は倒したらすぐに黒い霧になって身体を包み込んで爆散してただろ? 今回は黒い霧になったけど、すぐには爆散せず、それどころか他の霧と合体して膨れ上がって爆散してた」
綾斗の話を聞き、ようやく冷静さを取り戻せたのか夏目は顎に手を当て考える。
「とりあえず外に出るのはやめて下さい。おそらく、魔獣を全て倒してもマジシャンは出てきません。いたずらに体力を消耗するよりも策を考えるのが勝利の決め手です」
「でも、今日何か用事があったんじゃないのか? プラモデルもそうだけど。なんか色々気にしてるようだったし」
夏目は綾斗に言われてハッとした表情を浮かべる。五つ子の見分けは全然ついていないが、一対一になると相手の動作や仕草をよく見ているんだな、と素直に心の中で称賛してしまった。そう。あくまでも心の中でだ。口にすれば絶対に調子に乗ってまた無謀で無鉄砲な突撃を繰り出すだろう。そんなことを夏目が二度も許す訳がない。
少女は大きく溜め息をついてから口を開ける。
「き、今日はその……み、見たい……番組が……ありまして……」
「テレビ番組?」
綾斗はふと梨乃が見ていた『魔法少女マジカルファイブ』の名がちらついたが、それは無いだろうと思い首を横に振る。
「笑わないで聞いてくださいね。私、土曜の朝にやっている『魔法少女マジカルファイブ』がその……好き……なんです。それで、その……もうすぐ声優をしている方がゲストで登場するテレビ番組がありまして……って聞いていますか、谷坂さん?」
綾斗の目が点になっていた。
衝撃。
物理的なものではなく、驚愕からくる衝撃が綾斗を襲った。
――夏目は大人ぶってるだけで、中身はまんま子どもなんだな。
綾斗は素直にそう思ったが、茶化すにしても夏目の表情が真面目そのものだったため真剣に聞くことにした。これがおそらく魔獣の群れと対峙する前に夏目が言っていた金持ちのしがらみと言うものなのだろう。
夏目は真面目な表情から小鳥のように小首を傾げてきょとんとした表情を浮かべる。
真面目なお姉さんキャラが見せる年下のような無防備な表情に少年はつい見惚れてしまっていた。
「あの……本当にどうしたんですか?」
夏目に問われたことで綾斗は我に返った。
「あ、いや、なんでもない。それより夏目が俺に言った『無理に関わらなくていい』って意味がなんとなくだけど分かった気がした」
「あ、あれは、すいませんでした!」
夏目が急に大声で謝罪したせいで少年は肩をビクつかせてしまった。
「あの時はその……まさか谷坂さんも忘れ物をしていたなんて、まるで私とアナタが同列なような気がしてつい
「あのー夏目先生? どさくさに紛れて俺を
綾斗は空笑いしながら言う。理由はどうあれ言葉の意味もそれほど深い思いもなかったことに少年は安堵した。それでも伝えておきたいことはある。
「なあ、夏目。突然現れた男が養子になって家族の一員に加わるって理解するのに時間は掛かると思う。それでも無理に関わるな、なんてもう言わないでくれ。少なくとも俺たちはもう家族なんだから。俺はそんな言葉でもう家族を失いたくないから……」
夏目は自分の言ってしまった言葉の重さを痛感し申し訳なさそうにする。家族を失う気持ちは夏目も知っている。しかし、綾斗の場合は母親だけでなく、父親まで一度に亡くしたのだ。その絶望がどれほどのものか、そして、綾斗の抱えているものを加えると計り知れない。
少女は改めて深々と頭を下げて謝罪する。
綾斗もまたプラモデルの件や無鉄砲に突っ込んでしまったことを謝罪する。
これでもう二人を覆うわだかまりは晴れた。少なくとも今日の分は。
「さてさて、仲直りできたのはいいけど、マジにあの魔獣の数どうする? 駄目なのは分かってるが、やっぱり魔獣を一掃してタロットを表に引っ張り出すしかないんじゃないか?」
「ええ。それも一つの手ですが、タロットの魔獣はその存在自体が大きいものです。あの魔獣たちがタロットの魔法によって召喚されたものなら感知能力を使えば自ずとどこにいるのか分かるはずです」
「なるほど。流石先生!」
「褒めても何もでませんよ」
夏目はそっぽ向きながら言うが、本当は少し嬉しかった。姉妹たちに慕われるのも嬉しいことだが、魔法の世界に入って間もない少年が本当に手本として見てくれていることに喜びを感じていた。少女は嬉々とした思いを胸に、静かに両目を閉じて自身の魔力感知能力を全開にしてタロットの魔獣の気配を探る。
綾斗も真似するように両目を閉じて感知能力を全開にするが、何も感じない。そもそも綾斗に感知能力はまだ備わっていない。不穏な気配を感じるのも単純に心臓となったフールが共鳴しているからである。まだ魔法使いとしては半人前、もしくは見習いくらいの技量であるため仕方のないことなのだ。強すぎる力と反比例する技量。少年は静かに落胆するのだった。
夏目は夏目で今いる教室から巨大な球体をイメージしながら一息に私立常盤桜花学園高等部の敷地を囲う。この囲い全てが夏目の感知可能範囲である。五女である新葉はそこから十キロ以上離れた常盤市に数ある河川敷まで感知可能範囲を広げることができる。さらに寸分違わぬ位置情報に加えて相手の数やどれほどの魔力量なのかも分かってしまう。
夏目の場合も囲いの中ならば相手の数や場所までは分かるがそれでも誤差は生じてしまう。妹の技量の凄さに感心しつつも夏目は目標を探し出す。
「見つけました」
「早っ! もう見つけたのか!」
「ええ。ですが、困りました。予想はしていましたが、まさか……」
「まさか?」
「まず、魔獣を召喚し操っているのは戦車のカード『チャリオット』で間違いありません。ですが、この急な時間の加速はおそらく教皇のカード『ハイエロファント』です。つまり、二体のタロットの魔獣が出現していることになります」
「……マジか」
「はい。ですが、悪いことばかりではありません。チャリオットは体育館に陣取っていますが、ハイエロファントは屋上で傍観を決め込んでいるようです。百パーセント攻撃をしてこないとは言い切れませんが、警戒していればなんとかなると思います」
「じゃあ、まずはチャリオットだな。作戦はあるのか?」
綾斗の問いに夏目は言葉を詰まらせる。
あるにはある。だが、その作戦ではどの道、少年がまた無茶なことをしなければならなくなる。それだけは避けたい少女を他所に察しがついたのか、少年は軽く伸びをしてから深呼吸をして呼吸を整える。
準備はできている。
あとは夏目の指示を待つだけなのだが、その夏目が決めかねている。
綾斗はそんな少女に優しく微笑みながらそっと右手を頭の上に置く。
「心配すんなって。先生の教え子は超がつくほどの優秀な逸材だからさ」
満面の笑みを浮かべた少年が放った言葉は夏目の不安を打ち消し、そして、決断させた。
夏目は頭に乗せられた手をジッと見てからどかすように綾斗に視線を送る。咳払いを一度してから自分の気恥ずかしさを隠しつつ、いつもの真面目スイッチに切り替える。
「自分で超がつくほどの優秀な逸材と言うのはいかがなものかと思いますが、いいでしょう。存分に暴れさせてあげます」
夏目の言葉に確かな気迫を感じた綾斗はその頼もしさから笑みを浮かべてしまう。
しかし、その気迫も束の間、夏目は暗い笑みを浮かべ、
「ええ、それはもうたーっぷりとね」
と念押しするかのように付け加えた。
綾斗は夏目の豹変ぶりに治療と称したお仕置きをする際の、いわゆる、黒夏目と重なってしまい思わず息を呑んでしまった。