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第32話

 学園の廊下を駆ける二つの影。そして、その後を追う無数の影。


 富豪で上流階級の家柄を持つ生徒が通う学園では有り得ない光景が広がっていた。いや、普通の学校であっても無数の犬と猿に似た化物に追い駆けまわされるなんてまず有り得ないだろう。


 綾斗は何匹か飛び掛かってくる黒犬を剣で一刀の下に斬り伏せているが、如何せん、数が多過ぎるため応戦と言う意味では効果は見られなかった。


 夏目も荷物を落とさないように大事に抱えつつ、杖を振るい、床に足止め用の魔法陣を貼るが、先頭を走る黒犬が引っ掛かったとしても、その後方から走る黒犬が飛び越えて十分に効果を発揮できていない。


 二人が魔法を大盤振る舞いせず消極的になっているのは、ここが学園のそれも校舎内だからだ。


 ハイプリエステスの際は修復魔法に加えて反転魔法を使って学園を元の形に戻していたが、それも直すことができる範囲だったからだ。黒犬と黒猿の数と学園の至る所から感じる魔力の気配から、二人は校舎に与える被害を最小限に抑えたいのだ。


「夏目、コイツ等、タロットの魔獣じゃないのにどうしてこんなに出てくるんだ」

「わ、分かりません! それより、そろそろ体力の方が……」


 夏目の髪色はまだライトグレーのため『魔力解放』は行っていない。通常状態で身体能力強化の魔法をその身に施し走っていたのだ。しかし、夏目の運動神経はお世辞でもいいとは言えないため、自ずと限界が近づいてくる。


 綾斗は背後を確認するが、休憩していられるほど余裕もない。少しでも走る速度を落とせばすぐに追いつかれてしまう。一層のこと廊下一つくらいは吹き飛ばしてしまってもいいんじゃないか、とさえ思えたが、夏目が怒ると本当に怖いことをその身で知っている綾斗は走るしかなかった。


 そうだ。


 走るしかないのなら綾斗が代わりに走ればいいのだ。


「夏目、嫌だとは思うが背負ってもいいか?」

「絶対に嫌です! 殿方におんぶをしてもらうなんて恥ずかしくてできません!」


 夏目は普段の冷静さはどこへやら、鬼の形相を浮かべて拒絶した。


 そこまで嫌なのか、と綾斗は心を痛めるが、同時にある方法を思いつき瞬時に実行した。


「おんぶは嫌なんだろ。だったら……お姫様抱っこならどうだ!」


 綾斗は夏目の背後を取るや間髪入れずに少女の身体を軽々と持ち上げ、見事なまでのお姫様抱っこを披露する。もちろん荷物は落ちないようにしっかり夏目が抱きかかえられるように抱っこしている。綾斗なりの気遣いと機転を利かせた勇気ある一手だ。


 夏目は初めて父親以外に抱っこを、それも夢にまで見たお姫様抱っこを唐突されたことに慌てふためき、顔を林檎のように真っ赤する。恥ずかしさのあまり手で顔を隠したかったが、それをすると杖と大事なプラモデルが落ちてしまうため隠せないでいた。その瞬間だけ、綾斗が自身を迎えに来た王子様に見えてしまったが、首を大きく横に振り幻想を打ち消した。


「おいおい、暴れると落ちるぞ」

「し、仕方ないじゃありませんか! こ、こんな……心の準備も……」

「す、すまん。やっぱり嫌だったか?」

「べ、べつに……嫌では……」


 夏目はどう言い訳しても恥ずかしくなってしまうため口籠り俯いてしまう。それでもお姫様抱っこをしているせいで表情は常に綾斗に見えている。だからか、余計に恥ずかしくなり耳まで真っ赤になってしまった。


「おい、夏目!」

「ひゃ、ひゃい!」


 唐突に名前を呼ばれた夏目は驚きと気恥ずかしさのせいで変な声が出てしまった。


 しかし、綾斗は気にすることなく背後の猛獣たちの姿を視界の端で捉えながら口を開ける。


「足止め用の魔法もっと出せないか? お姫様抱っこしてるから両手が塞がって俺自身が応戦できなくなった」

「アナタは本当に……どうしてそう……」

「後先考えなくてごめんなさい」

「分かればよろしいです」

「急に先生モードになったな。まあ、そっちの方がツッコミどころがあって好きだぜ」


 綾斗は背後に数多の魔獣が迫っているにも関わらず悪戯っ子のような笑みを浮かべて言った。


 夏目はぷくっと頬を膨らませて怒るが、なぜだかこんな最悪な状況でも少しだけ笑みがこぼれそうになっていた。


「好きとはまたアナタは本当に……冬香の様子が変わっていくのも頷けます」

「冬香? って話してる余裕ないぞ。俺も無限に走れる訳じゃないからな。目くらましを使ってどこかに隠れた方がいいんじゃないか?」

「そうですね」

「へっへっへー今日は俺が指示役だ」

「あまり調子に乗りません!」


 悪い、と綾斗は軽く謝ると身を隠せそうな場所を探す。いや、探すと言っても鍵が閉まっていたところで夏目の転移魔法で室内に転送すればいいだけの話だ。


「ただ、教室に隠れるだけでは駄目です。結界を張り侵入を防ぐ必要があります」

「なるほど。その時間を稼がないといけないってことか」

「はい」

「なら、話は早い。階段で上の階に上がる。そしたら一瞬だけ目いっぱい加速して一気に廊下の端まで行くから、そこの教室に隠れよう」

「ち、ちょっ勝手に……ッ!」

「喋ると舌噛むぞ!」


 綾斗が力強く語尾を強調した瞬間、さらなる加速と共にどんどん階段との距離を詰めていく。フールを取り込んでいることもあり、凄まじい加速によって生まれた風圧に夏目はつい目を覆い隠したくなる。それでも閉じないのは足止め用の魔法を仕込むためだ。


 階段を目前にした綾斗は跳躍し、一息に階段の踊り場まで辿り着く。


 一呼吸の内に黒犬が階段を目指して姿を現すが、夏目が仕込んだ足止め用の魔法が発動する。


 それは簡易的な水魔法であり、階段の踊り場から濁流とは言わないものの足を払われてしまうくらいの水流を発生させる。瞬く間に黒犬を転げさせ廊下まで流していく。


 そこへ空かさずもう一つの足止め用の魔法が発動する。窓ガラスや床が傷つかない程度の雷撃が水を伝って黒犬たちを襲う。いわゆる感電によって低い威力と少ない魔力で数多の黒犬たちの動きを止め撃退したのだ。天井をうんていの要領で迫ってくる黒猿に至っても雷撃が天井の電灯を這うように通電したため、瞬く間に感電し真っ逆さまに冷たい廊下へ落下していく。


 一網打尽の文字が綾斗の脳裏に浮かんだ。


 そして、そんなことを瞬時に考えてしまう夏目に少なからず恐怖してしまった。


――あまり、怒らせないようにしよ。


 綾斗が心の中でそう思う頃には階段を上り切っていた。


「……行くぞ」


 静かにいつもより低い声で呟き、綾斗は常人には目にも止まらぬ速さで駆けた。


 瞬きほどの間に目的の教室の前に到着する。


 綾斗はすぐに夏目を下ろすや、空いた両手に魔力を集中させる。


「谷坂さん、何を……ッ!」


 夏目が言いかけたところで階段から数多の黒犬と黒猿が姿を現した。その勢いと数は少女の予想を遥かに上回るものだった。これでは中に入ってから結界を張っている時間がない。そのこと鑑みた少年は意を決したように魔法を発動させる。


「――『贋作鋳造・可変カウンターフェイト・サードオープン』――ッ!」


 綾斗の両掌に集められた魔力が膨張し、赤黒い稲妻へと姿を変え廊下を這う。しかし、それらは拡散されるのではなく、再び綾斗の掌に収束し二振りの片手剣へと変貌を遂げる。


「――『贋・魔龍殺しの怒りの双魔剣バルムンク・グラム』――」


幅広い刀身と黄金の柄には青い宝石が埋め込まれた二振りの片手剣。元は北欧神話における魔龍を倒したとされる魔剣――『魔龍殺しの怒りの魔剣バルムンク』を綾斗が自身の戦闘スタイルに合うように魔改造したものだ。


 綾斗が二振りの片手剣となった魔剣の真名を唱えたことでその機能が発揮される。


 魔力を込めることで切れ味を増し、握る力に比例して魔力が噴射し振るう速度を上げる。それが『贋・魔龍殺しの怒りの双魔剣』の能力である。


「そんじゃあ時間稼ぎ行ってくる。なる早で頼むぞ!」


 綾斗は薄っすらと笑みを浮かべて自身を鼓舞するかのように言い魔獣の群れに向かって強く廊下を蹴る。


 夏目は「言われなくとも!」と意気込みを露にしながら『魔力解放』を行い、魔力の出力を戦闘用に高める。直後、ライトグレーのポニーテールが青色に染まり、夏目の周囲を高めた魔力によって生み出された余波が広がる。


「まずは外側の結界」


 夏目は思いつく限りの短時間で発動できる防御魔法を施しつつ、その魔法同士を繋ぎ合わせるための魔力操作を行う。魔法を掛けるのは扉だけではない。壁と廊下側の窓も効果範囲になるように展開しなければならない。次に転移魔法で教室内に入り、内側でも同じように防御魔法を展開していく。内側は壁と床と天井、そして、外側の窓にも魔法を掛けなければならないため、少し時間が掛かってしまう。


 その間にも綾斗は二振りの片手剣――『贋・魔龍殺しの怒りの双魔剣』を振るい肉薄する魔獣たちを次々に斬り伏せていく。


 綾斗が予想した通り一匹一匹はそれほど強くはない。しかし、その低い戦闘力を補うように群れで行動し、隊列や獲物を狩るために相手の死角に入ろうとするなど野生の本能が感じられる。


 綾斗は視界の端で夏目が転移魔法を使って教室内に入っていることは確認している。あとは夏目からの呼び出しを待つだけだ。それまでにどれだけの魔獣を倒せるか、自身の成長ぶりを見てみたくなってしまった。


「行くぞ!」


 右手のバルムンクを力いっぱい握りしめ、込められた握力が魔力に変わり噴射するという特異な能力を利用し、加速力が加わった片手魔剣を大きく横薙ぎする。さらに左手のグラムには魔力を流し込むことで切れ味を増幅させ、右手のバルムンクの横薙ぎで仕留めそこなった魔獣にとどめを刺す。


 そこへ隙ができたとばかりに、天井からぶら下がっていた五匹の黒猿は反動をつけて一息に綾斗の頭上から襲い掛かる。


 綾斗はその攻撃を読んでいたのか、臆することなく二振りの魔剣の柄を力いっぱい握りしめ、右回りに身体ごと回転する。二振りで同時に行った回転斬りは、噴射力も倍になり、人間の身体を独楽こまのように容易く回してみせる。遠心力も掛け合わさった斬撃は最早相手を斬れずとも、殴打し撲殺するだけの威力を誇る。


 咄嗟に編み出された技は斬撃と打撃の複合攻撃へと昇華された。


「強いて言うなら――『魔龍大回転斬まりゅうだいかいてんぎり』――だな。今度春菜にも見せてやろっと」


 綾斗は思いの他上手く決まったことにいささかの高揚感を覚えてしまう。


 飛び掛かってきた五匹の黒猿は四肢のどれかを捥がれただけでなく、胴体を輪切りにされるなど、まるで魔龍の爪によって引き裂かれたように乱雑に散らばっていた。


 そこで綾斗は思い出した。


 マジシャンが召喚していた魔獣は倒すと黒い霧となり即座に倒した相手を包み込んで爆散することを。


 咄嗟に綾斗はその場から夏目のいる教室の前まで疾走し、急制動を掛けると同時に振り返る。


 やはり、と言わんばかりに倒された魔獣が黒い霧となり、先程まで綾斗がいた場所を包み込もうとしている。だが、どうしてだか爆散しない。それどころか黒い霧同士が混ざり合いどんどん大きく膨らみ始める。


「ヤバッ!」


 綾斗は咄嗟に両腕を交差させ出力を高めた魔力を『贋・魔龍殺しの怒りの双魔剣』に流し込む。魔力の波動によって少なからずダメージを和らげることができるだろうが、確実に手傷は負うだろう。


 少年が覚悟を決めると同時に、巨大に膨れ上がった黒い霧の内側が紫色に輝き一息に爆発する。


 全身を包み込む熱風。しかし、どうしてだかすぐにおさまり、それ以上に何も感じなかった。


 綾斗は恐る恐る目を空けるとそこは普段使っている教室の半分くらいの広さの部屋だった。


 直後、夏目に鬼の形相で正座をさせられ、無茶をしたこと、校舎を傷つけずに戦っていたのに先ほどまで戦っていた廊下を半壊させてしまったことを説教されたのは言うまでもない。


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