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第30話

 伏見ふしみ夏目なつめの土曜日の過ごし方は少し変わっている。らしい。


 歯を磨き、顔を洗い、ぼさぼさのライトグレーの長髪を整え、いつものポニーテールに結ぶ。朝食は自作のルーレットを回して一流シェフに作ってもらう。作る側からすればいつも違うメニュー、もしくは同じメニューであっても直前まで分からないため億劫になりそうだが、伏見家のシェフは一度もその朝食の決め方を気に留めたことがない。


 そして、朝食ができるまでの時間は食堂で目を開けながら二度寝をする。そう。夏目は目を開けながら眠ることができるのだ。そして、眠りながらも体内の魔力の流れを掴み、常に緩やかな状態であり続けられるようにしている。その時考えていることは、今日は何のプラモデルを作るか。宿題は何時からするかだ。


 五つ子の中で一番真面目な夏目だが、夏目個人の私生活においてはそうでもなく、休日は特に趣味に費やすことがほとんどだ。宿題も何時からするか、と考えていたが、それは日曜日の深夜帯、つまりは月曜日の午前零時から三時までの間の話だ。それでも完璧にこなしてしまうのが夏目である。


「夏目お嬢様、サンドイッチでございます」


 夏目が目を開けて眠っていること知っているシェフは、大声でもなければ小声でもない夏目が驚いて起きない丁度いい声量で朝食であるサンドイッチを置く。


 夏目はシェフの声を聞き一度瞬きしてから目を覚ます。


「いつもすいません」

「いえいえ。目薬はささなくても大丈夫ですか?」


 夏目は頬を赤らめて少し恥ずかしそうにしながら頷く。


「ちゃんと持参してます」


 言って少女は目薬をさしてからサンドイッチを食す。


「決めました。今日は超機動騎士アークを作ります!」


 夏目は全てのサンドイッチを食べ終えてから意気揚々と立ち上がる。丁度そこへ目をこすり、大きなあくびをしながら三女――秋蘭あきらが食堂に入ってくる。寝起きなのか歯磨きや洗顔は終わったようだが、肩の辺りまで伸ばしたライトグレーの髪がぼさぼさのままだ。


 秋蘭は食堂に入るや否や夏目の存在に気付き、目にも止まらぬ速さで髪を整えるが遅かった。


「秋蘭、休日であっても伏見家の令嬢として身なりは常に整えておくものですよ」

「ご、ごめん。次からは気を付けるよ」

「はい。それと今日は部活でしたよね?」

「うん。今日はね、ラクロス部の助っ人で隣町まで行かないといけないからタロットの魔獣が出ても参戦できないかもしれない」

「そうですか。確か春菜も剣道部の試合で隣町まで行くと言って今朝出立していました。冬香と新葉は……」

「あーあの二人はテスト前の息抜きでショッピングに出掛けたみたいだよ」


 秋蘭はやれやれと言った面持ちで言った。


「まあ、ハイプリエステスの時に冬香が新葉から貰ったズボンを破っちゃったらしいから、それを買いに行ったんだと思うよ」

「それなら仕方ありませんね。あの二人は仲が悪いようでなかなか気が合うところはありますからね。仮にタロットの魔獣が現れたとしてもあの二人なら大丈夫でしょう」

「夏目は今日何か用事とかあるの?」

「私ですか? 私は……趣味に費やしたいと思っています」

「そっか。なら先に学園に忘れ物取りに行った方が良いよ。午後からは試験用紙の作成とかで校舎に入れなくなるから」

「……え?」

「え? って、もしてかして夏目知らなかったの?」


 夏目は秋蘭の言葉に目が点になる。途端に額から冷たい汗があふれ出し視線が食堂の時計へと移される。時間にはまだ余裕がある。それでも趣味に捧げる時間は確実に減っている。いつも見せている冷静さはどこへ行ってしまったのか、少女の顔がだんだんと青ざめていく。


 たまらずがあたふたし始め、そこへ秋蘭の朝食である焼きおにぎり二つとみそ汁一杯を運んできたシェフが現れる。


 シェフから見れば冷静沈着な夏目が冷やさせを流しながら焦りを露にし、いつも太陽のような笑みを浮かべた元気溌剌げんきはつらつの体現者である秋蘭が慌てふためいている。なんとも異常な光景だ。


 そんなシェフの視線に気付いた秋蘭は一度咳払いをし、朝食を受け取り礼を言ってから夏目の隣に座る。


 シェフからしてみれば訳が分からなかったが、朝食を渡したことでその任を終えたため厨房に戻って行った。


 秋蘭はシェフの背中を申し訳なさそうに見送ってから夏目を見やる。未だ焦燥感に駆られている姉に対して、秋蘭は焼きおにぎりを一つ手に取り、半分に割って片方を夏目の口に突っ込んだ。


 次の瞬間、夏目の口内いっぱいに香ばしい醤油の味が広がった。そして、突然の焼きおにぎりの襲来にむせて咳き込んでしまった。


「あ、秋蘭、何を……ッ!」

「珍しく取り乱してたから……つい……」

「つい、で人の口に焼きおにぎりを突っ込まないで下さい」


 夏目は頬をぷくっと膨らませながらハンカチで口元を拭う。


 新葉のように怒鳴って怒らない辺り流石次女であり大人だな、と秋蘭は素直に思った。それ比べて自分はまだまだ子どもだな、と思いつつ焼きおにぎりを頬張り、みそ汁で胃腸を温める。


 身体が内側から温まっていくのを感じる。


「よし、元気満タン! それじゃあ私行くけど、夏目も行くなら早く行きなね!」


 そう言い残して秋蘭は食器を厨房に運んでから伏見低を後にした。


 夏目もまた趣味に費やすための時間をより多く確保するため、早々に身支度を済ませて常盤桜花学園に向かうのだった。


☆☆☆☆☆☆


 時刻は九時過ぎとなり休日の学校に部活をしに来た学生たちが準備を終え、本格的に活動を始め出す。


 活気あふれるとは正にこのことを言うのだろう。


 学園のいくつかあるグラウンドからはサッカー部や野球部員の気合いを入れるための声が聞こえてくる。校舎の特別棟やいくつかの教室からは吹奏楽部の練習なのか様々な楽器の音色が響き、ミニコンサートのようになっている。


「休日の学校も悪くないな」


 綾斗は静かに呟き学園の敷居を跨ぐ。


 同時にその隣をライトグレーの長髪をポニーテールに結んだ美少女が通り過ぎる。


「え? 春菜? いや、髪が長いから……新葉か!」

「違います!」


 ポニーテールの美少女は怒鳴るように言って振り返る。


「ようやく髪の長さが違うことを認識できるようになったと思えば、決定打が足りていませんね。私は夏目です」

「す、すまん」

「別に怒っている訳ではありません。それより今日は休日のはずですが、どうして学校に? 秋蘭同様にどこかの部の助っ人ですか?」


 綾斗は自身が休日にも関わらず学校に来た理由を思い出し、げんなりした様子で首を横に振る。


「単純に忘れ物を取りに来た」

「忘れ物とは?」

「月曜に提出の宿題だ。多分、机の引き出しに入ってると思うんだけどな」

「思うってアナタ……」


 夏目は呆れたように呟きつつ自身も同じような理由で休日の学校に来ていたことにクスっと笑ってしまう。


 しかし、綾斗は自分が忘れ物を取りに来たことに対して笑われたと思い不服そうな顔をする。


 それに気付いた夏目は微笑みながら口を開ける。


「実は私も忘れ物を取りに来たんです」


 綾斗は真面目な夏目にしては珍しいな、と言いたげな表情を浮かべていると「それでは」と一言残して夏目は先に行ってしまった。


「おいおい、同じ二年の教室なんだから一緒に行こうぜ。それとも何か急ぎの用事でも控えてるのか?」

「いえ、そう言う訳では……ただ、なんとなく……」

「なんとなく?」


 綾斗は眉を潜めて問い返す。しかし、少年は次の言葉がどういったものか何も考えずに聞き返してしまった自分を数秒後呪うことになる。


「なんとなく、嫌だからです。嫌いと言う意味ではありませんが、何と言いますか、タロット戦争や魔法の鍛錬以外では無理に私たちに関わらなくてもいいのですよ? それでは」


 夏目は言って踵を返し何事も無かったかのように自分の教室に行ってしまった。


 一人取り残された綾斗は夏目の言葉に意外にも自分が傷ついていることに驚きを隠せなかった。


 夏目から言われた言葉。


 それは綾斗の心を深く抉り、宿題のことを忘れてその場から走り去りたくなるほどだった。それでもそうしなかったのは、綾斗が夏目の言い分を理解してしまったからだ。


「無理に関わらなくいい、か……確かにそうだな。でも、そうもいかないんだよ。もう、家族を失うなんてごめんなんだ……」


 綾斗は自身では想像もつかないほど暗く沈み、瞳の奥には全てを呑み込む闇が広がっていることに気付かなかった。


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