森林に響く乾いた音と空を切る音。枝が弾け、木々が弧を描くのと同時に軋んだ音が本来静かなはずの森林を侵略していく。住み着いていた動物たちはいち早く危険を察知し、その場から逃げ延びるために全力疾走する。そのため本来なら動物たちで賑わっているはずの自然豊かなそこには今はもう一匹も姿を現さなくなった。
綾斗が最初に目にした光景はとても奇妙なものだった。
虚ろな目をしたオレンジ色の髪を肩の辺りまで伸ばした秋蘭が紫色の短髪を両サイドだけ伸ばした冬香に向かって思い切り蹴り掛かっている。さらに青いポニーテールが特徴的な夏目もまた虚ろな目をして秋蘭を援護するように魔力砲を際限なく放っている。
そして、またも虚ろな目をしている桃色の短髪美少女――春菜が弓道の和弓ではなく滑車を用いた弓――コンパウンドボウを構えた緑の髪を腰の辺りまで伸ばした新葉に斬り掛かっている。
綾斗は二振りの剣を『錬成始動』で錬成し、すかさず春菜と新葉の間に割って入り、春菜の一太刀を二振りの剣を交差させて受け止める。
「どうなってる?」
綾斗が問うと背後で弦を絞りながら新葉が忌々しそうに口を開ける
「まったく、やってくれたわ。ハングドマンの糸に操られているのよ。ほら、薄らと見えるでしょ? 冬香と私じゃ切れないから、その……助かるわ」
「そりゃどうも」
意識を無くしたお蔭か不思議と身体が軽くなった気がする。いや、意識を無くすほどの激痛も脳裏をかき乱す砂嵐も全て治まっている。
綾斗は力を込めて春菜を押し返したところで新葉が矢を射り牽制する。そこへ綾斗が春菜の懐へ跳び込み春菜を操っている糸を切断しようと右手の剣を横薙ぎする。
しかし、それを春菜は虚ろな目でされど剣技に衰えを見せるどころか、より鋭さを増して横薙ぎされた剣を弾き飛ばす。
空を舞う剣はそのまま粉々に四散した。
だが、綾斗は怯むことなく左手に構えた剣を振るうが、それすらも防がれ鍔迫り合いになる。
「流石に操られても剣技は本物だな」
春菜は無表情のまま押し込む手に力を加えて綾斗を捻じ伏せようとする。
「新葉、春菜は俺が止めるから冬香の援護に行ってやってくれ」
新葉は頷いて後方に飛び退きコンパウンドボウを構える。
綾斗は左手の剣に魔力を流し込み爆発的な膂力の向上を見せる。
無表情の春菜はそれよりも早く異変を察知し、鍔迫り合いから綾斗の力を受け流すように構えを変える。金属が擦れる音が耳の奥に叩き込まれ火花が散り、綾斗の爆発的な膂力は不発に終わり代わりに地面に小規模のクレーターを生み出す。
綾斗は舌打ちをして顔を上げる。そこにはすでに上段の構えを取っている春菜とその奥に悠然と浮遊している狩衣の魔獣――ハングドマンがいた。
――先に本体を斬るしか……。
綾斗が跳び込むように前進した瞬間、上段の構えを取っていたはずの春菜がいつしか中段の構えに変えており、刀身が桃色に激しく輝き刀を横薙ぎする。
綾斗は春菜の急な構えの変化に冷静さを失い、制動を掛けるが、急には止まることが出来ず、綾斗の首目掛けて春菜の刀が一閃する。春菜の居合抜きには及ばないにせよ恐怖心を植え付けるのには十分だった。
しかし、だからこそ綾斗は制動を掛けるのを止め、上半身を崩し、逆に下半身、足を蹴り上げるイメージで振り上げ地面に転がることができた。
不格好に倒れただけだが、その動作のおかげでなんとか躱すことが出来た。少年はその体勢のまま二の太刀に備える。
春菜の構えの切り替えについては言うまでもなく速く鮮やかなものだ。最短の動作で切り替え、振るうその太刀筋は武術の模倣を得意とする綾斗ですら解析不可能なほどである。
「厄介な相手だな」
綾斗はゆっくりと立ち上がり空いた右手に左手の剣を持ち替え、左手に三本のクナイを錬成する。
そう。綾斗が扱える武器は剣や弓だけではない。
瞬間、ノーモーションから放たれるクナイは目にも止まらぬ速さでハングドマンに突き刺さる。
全く持って予期していなかったのだろう。ハングドマンはどこに口があるのか悲鳴と言う名の咆哮をする。その瞬き程の間、春菜と夏目と秋蘭の動きが止まった。
(((隙が出来た!)))
新葉は早打ちガンマンの如く三本の矢を射り、人間で言う心臓、右肺、腹部を穿つ。
さらに冬香の二丁のグロック18Cの銃口が火を吹く。乾いた音が二回、放たれた弾丸は人間で言う右上腕と左上腕を撃ち抜く。その衝撃でハングドマンの糸がたわみ丸裸になる。
そこへ止めと言わんばかりに綾斗の咆哮と共に繰り出される怒涛の斬撃がハングドマンの狩衣のような身体をぼろ雑巾のようにずたずたに切り裂いた。
ハングドマンは至る所からどす黒い液体を噴き出しながら自由落下していき地面に伏す。
同時に操られていた三人も糸の切れた人形の様に倒れ伏す。
綾斗はそのままハングドマンのコアを破壊するため警戒しつつゆっくりと歩み寄る。途端に悪寒のようなものが背中に走った。振り向き様に剣を横薙ぎすると目前まで迫っていた春菜の一太刀を偶然にも弾くことができた。これは本当に偶然であり、まぐれである。
「そんな、どうして……」
ハングドマンは行動不能になっている。いや、そう見えているだけでまだ生きているのだ。
綾斗は春菜を凝視しある物を探す。そして、それは直ぐに見つかった。春菜の足元の地面から伸びる半透明の糸。間違いなくハングドマンの糸だ。
「それならっ!」
綾斗は踵を返しハングドマンに止めを刺そうと剣を振りかぶる。だが、ハングドマンの前に春菜が立ちふさがり、刀を右腰から左肩に向けて切り上げる。クロスレンジを得意とする春菜の斬撃をまともに受けてしまった綾斗は背後に飛び退き傷口を押さえる。
夥しいほどの赤い液体が傷口から流れ出てくる。
綾斗は生温かいそれを気に掛けながら右手の剣を消滅させる。
丸腰になった綾斗に冬香と新葉が呼び掛ける。今にも飛び出しそうになる二人に綾斗は静止を促すと右手を突き出す。
「――『
綾斗が新たな魔法を唱えると地面から突き出した右手に向けて赤黒い稲妻が迸り、瞬く間に大剣の形へと変貌していく。さらに傷口を押さえていた左手も突き出し、右手同様に稲妻が迸るや、瞬く間に大剣へと形を整形し、圧縮され、大剣へと変貌し顕現する。
それだけではない。
顕現した二振りの大剣は、さらに赤黒い稲妻を纏い、大剣そのものが赤く発光し、全長を縮小させて片手剣の大きさまで変質する。瞬間、多大な魔力を放出したことで綾斗を中心に突風が吹き荒れる。
現れる二振りの片手剣。
幅広い刀身と黄金の柄に青い宝石が埋め込まれた片手剣。それは北欧神話に登場する魔龍を倒したとされる『
これこそがフールの魔法により生成された贋作の利点である。複製と量産、そして魔改造。
本来は大剣であるバルムンクを魔改造した結果、片手剣まで縮小させ取り回しに特化させたのだ。
「――『
空気がどよめく。
冬香も新葉も少年のいつもと変わらないはずの立ち姿を見てどよめき何かを感じ取る。
春菜は無表情のまま刀を鞘に納める。
「アヤト、出るよ。春菜の奥義。クロスレンジ最速にして最強の抜刀術」
冬香の忠告にも似た言葉を聞いても綾斗は構えを解こうとしない。それどころか胸を閉じるように両腕を交差させ、右足と左足をそれぞれ開き一層深く構える。
対して、春菜は一度たりとも破られたことのない完全なる春菜の領域を維持して微動だにしない。
合図などない。
どちらにしろタイミングを逃せば死に至る。
綾斗が大きく息を吸うのと同時に、ただ一刀分の渾身の力を振るうため全身に力を込める。途端に身体中から勢いよく赤黒い光が迸り、地面を深く抉るように駆け出す。
最短距離を駆ける。
ただの一刀で断ち切るために。
☆☆☆☆☆☆
春菜は無表情のまま赤黒い閃光となった綾斗を迎え撃つ。
心は何もない。ただ身体が勝手に敵を斬り伏せる。
――誰を?
瞬間、虚ろな春菜の瞳に薄らとだが輝きが戻った。
『春菜。俺はお前の夢を守るためにお前の笑顔を護る!』
心に響く声。
それが届く頃には勝負がついていた。
結果として春菜は、いや、操られた春菜の身体が動くことはなかった。迫りくる綾斗を前にして最後まで微動だにせず斬り伏せられるのを待っていた。
綾斗もまたバルムンク・グラムを振るう直前に操られた春菜から迎え撃つ意思が感じられなくなったことに気付き、標的を地面を這うハングドマンに切り替えた。
ハングドマンは二振りの魔剣から繰り出される斬撃によってあっという間に木端微塵に吹き飛ばされた。ハングマンのバラバラになった身体は空を舞い、そのまま封印状態――カードへと戻っていった。
「大丈夫か、春菜?」
春菜は目を覚ますと驚愕した。そこは綾斗の膝の上であり、綾斗が眠そうな表情で自身の顔を覗き込んでいたからだ。
少女は驚き顔を赤くして勢いよく起き上がる。そのせいで二人の額は見事にぶつかり、まるで岩に岩を打ち付けたような音を立てて二人とも呻る。
「ご、ごめん。大丈夫?」
「あ、ああ。ハングドマンの攻撃より痛かったけど」
「それって結構痛いよね!」
綾斗は春菜のツッコミに思わず笑ってしまった。
綾斗の胸には操られた春菜によって負った刀傷がある。本当なら笑うだけで激痛が走るはずだ。それでも春菜が無事でよかった、と少年は胸をそっと撫で下ろした。
「他の姉妹も大丈夫そうだし……って、どうした?」
綾斗は春菜の視線に気付ききょとんとした表情を浮かべる。
「え、えっと……『俺はお前の夢を守るためにお前の笑顔を護る』って言ってくれてありがとう」
春菜が礼を言うと、途端に綾斗は顔を真っ赤にしてそそくさと他の姉妹のところへ行ってしまった。その背中を名残惜しそうに見ていると、ふと、あることに気がついた。
それは自分の胸の奥が躍動しているのだ。魔獣が現れた訳ではない。そう。間違いなく綾斗に対して胸の奥がざわついているのだ。それに加えて顔も少し熱くなっている気がする。
「……まさかね」
春菜は首を振って自らも姉妹たちの下へ歩を進めるのだった。