最初に驚いたのは梨乃が春菜を一目見て春菜だと言い当てたことだ。
綾斗にしても春菜にしても五つ子の顔や体型は全くと言っていいほど同じなのに対して、それを一目見て言い当てる辺り梨乃の観察力が並外れたものだと分かる。
しかし、当の本人はと言うと春菜が遊びに来てくれたことに歓喜を露わにし、春菜をリビングへ案内していた。
次に驚いたのは、春菜が冬香と違って料理ができたということだった。と言っても野菜を切る腕前や調理器具を扱う手際の良さだけが良いだけで、味付けは危うく冬香の二の前になるところだった。
三人は談笑しながら夕食を終えると食器を片付ける。ここでも春菜が手際よく皿を回収し洗い始める。
いつも嵐のようにフレンドリーな梨乃も珍しく物静かに見ていた。
「お嫁さんにするなら誰とか考えた?」
「馬鹿。養子でも姉弟なんだから結婚なんて出来ねぇよ」
「別にお兄ちゃんが結婚するとかの話じゃなくて、春菜さん達もいつかは誰かの家に嫁ぐんだから今の内に花嫁修行をするのもありかもって話」
そこまで言われて綾斗は気恥ずかしくなったのか顔を赤くする。
「ごめん。今日はもう眠いから先に寝とくね」
「本当に珍しいな。体調でも優れないのか? 学校で何かあったのか?」
「これはお兄ちゃんには一生分からないことだよ」
梨乃は呆れたように言ってリビングから出て行った。
皿洗いを終えた春菜が綾斗の隣に歩み寄る。
「そっか。梨乃ちゃんには悪いことしちゃったな」
「なんで?」
「谷坂くんはもう少し女の子の気持ちとか考えられるようにならないとね」
春菜は言ってリビングのソファーに腰をかけ、顎で向かい側に座るように促す。
綾斗は特に断る理由がないため向かい側にあるソファーに座る。
「最近、冬香と上手くやってるようだけど実際どうなの?」
「ん? ああ……料理はまだ包丁の使い方とか危なっかしいところがあるし、味付けも危険域だけど上手くなるとは思う」
「そうじゃなくて。その、冬香は見たまんま他人に興味がないようでちゃんと気に掛けてるし、嫌なことがあったら隠してるつもりでも出てる時とかあるし、引っ込み思案なところがあるから」
「……そうなのか? 引っ込み思案ってところだけはなんとなく分かるけど」
「新葉も谷坂くんを反発するような立ち位置にいるけど、それはあの子が一番繊細で且つ、谷坂くんを巻き込んでしまうことを怖がっているからなんだ。お母さんを亡くしてから新葉が特に家族と姉妹にこだわるようになった。それが物凄い愛情で大切に思っているからこそ、まだ谷坂くんが家族の一員になったって言うことに戸惑っているんだと思う」
「そうなのか」
「まあ、ちょっとだけ本当に嫌ってるかもだけどね」
「なんだよ、それ」
「それと、この前はありがとね。二人の喧嘩を仲裁してくれて。谷坂くんのおかげでハイプリエステスを封印したその日の夜に二人で謝り合ってたよ。特にズボンについては今度一緒に買いに行くんだって」
「そうか。仲直りできて何よりだ。それよか冬香から少しだけ聞いたんだが、お前らも母親を亡くしたんだよな」
綾斗は怪訝そうな表情を浮かべる。
「うん。この話は多分夏目ちゃんが話すと思うから、それまでは記憶の片隅にでも置いといて」
それで良いのか? と言いたくなった綾斗だが無言の了承をした。
「夏目ちゃんはね……クソ真面目なんだ。私と違って」
「それは分かる。あいつとの魔法訓練はほとんど授業だからな」
「だからその分、責任感が強くて無理にリーダーになろうとして無茶しちゃうことなんてしょっちゅうだよ」
それでもね、と春菜は続ける。
「長女の私がこんなだから次女としてやりたいことを我慢させちゃってると思うんだ。偶にお出掛けにでも誘ってあげてね」
「分かった。まあ、セレブ様のお出かけがどんなものかは全く見当もつかないけどな」
綾斗が皮肉気に言うと春菜は頬を膨らませて睨んでくる。
少年は空笑いして窓の外を見やる。
外はもう暗闇に包まれていた。
「そろそろ帰ろうかな」
「伏見邸まで送る。それくらいは男としてな」
「じゃあ、お言葉に甘えちゃおっかな」
その後、二人はすぐに谷坂家を後にした。
帰路についても春菜の話は終わっていなかった。五つ子に関して話すのにあと二人残っている。
「秋蘭はねーああ見えて背負い込みやすいタイプなんだ。あの子、断ることを知らないような生き方をしているから。谷坂くんと一緒だね」
「一緒じゃない。俺は自分ができる範囲でなら喜んで助けてるけど、秋蘭は明らかに度を越えている気がする。あいつが超人だからってだけじゃ片付けられないくらいにな。悪く言えば、お節介で傲慢だ」
「やっぱり。谷坂くんも気付いてたんだね」
納得したように春菜が言う。続けて、
「あの子もね、ヒーローを目指してるんだ。谷坂くんのヒーローとは違うと思うけど。だから大目に見てあげてね」
と微笑みながら言った。それから静寂が二人の間を通り抜ける。
――誰か一人忘れてないか?
気になった綾斗は口を開ける。
「春菜、お前自身はどうなんだ?」
春菜は驚いたような顔をしてから少し考えて口を開ける。
「私はね。やりたいことばっかりやっててタロット戦争も正直伏見家の責任だから参加してるだけであって本当はどうでもいいんだ。あ、でも! 谷坂くんのご両親のことは本当に申し訳ないと思ってる! これは本当に。心から謝罪します。本当にごめんなさい」
夏目は今までにない真剣な面持ちで深々と頭を下げる。
「それは良いんだ。俺はただ俺がやれることをしている。それだけだから。ってそうじゃなくて。お前はお前のために何かしてないのかってことだ。やりたいことはやっているかもしれないけど、お前自身のためになることはやってないのか?」
「私自身のため?」
「えっと……ほら、将来の夢……とか?」
言ってから綾斗は思った。
――俺の夢はヒーローになること。ならどうして後悔を……後悔?
胸の奥に疑念という赤黒い渦が生まれた。
ヒーローになることに対して後悔をしたことは一度もない。そのために両親が死に至るその日まで修行と言う名の幾たびの試練を乗り越えてきた。実の親に骨を折られたことは数え切れない。剣術や徒手空拳を覚えるために傍から見れば虐待同様の訓練を受けてきた。しかし、今思えばその苦痛を経験していたからこそ魔獣との戦いで負った傷に対して無頓着でいられるのだと思える。
――だから、決して後悔などしていないし、する気もない。
次の瞬間、少年の頭を落雷に穿たれたような痛みと衝撃に加えて脳裏に砂嵐が吹き荒れる。魔獣から攻撃を受けた訳でもない。明らかに別次元の痛みに思わず頭を抱えてしまう。気を抜けば意識まで飛ばされかねない。一歩踏み止まった状態を保つので精一杯な状況の中、それでも綾斗は何食わぬ顔で春菜の言葉を待つ。そうすることでしか意識が保てない気がしたからだ。
「私の将来の夢は……ほ、保育士に……なりたいかな」
春菜は照れ臭そうに笑う。
「子どもの笑顔って癒される前になんか頑張るぞってなるんだ。それに魔獣と戦ってる時とか危機的状況の時はだいたい姉妹の小さい頃の笑顔とか思い出すんだ。そうすると不思議と見えなかった軌跡が見えたり踏み込む時の足運びとかが頭に浮かんだりするんだ」
「それって……」
「うん。あのコたちの笑顔を守りたいからかな。あ、でも、これじゃあ保育士になりたいには繋がらないか」
「そんなこと無いと思うぞ」
綾斗は頭を抱えた手をそっと春菜の頭の上に優しくのせる。
「五つ子だから皆一緒だと思ってたけど今日で確信した。一人一人個性があって目指したい物が違うんだって……春菜、保育士に、向い……て、ると……思うぞ」
綾斗の言葉を受け、初めて自分の夢を明かした春菜は胸の中で花火が弾けたような衝撃を感じた。少女は気付いていないだろうが、頬はほんのりと赤くなり、口元も少し緩んでいた。
対して綾斗はと言うと、さらに頭痛が激しくなり、呼吸をするのもつらくなってくる。
それでも少年は言葉を続ける。それが少年にできる『長女』という立場を背負った少女の夢への一歩に繋がるのなら。
「なんてったって……あいつ等のこと、ちゃんと……見れて――」
そこまで言って綾斗は膝をついてしまった。最後まで言い切れなかったことに悔しさ感じるが、もう立っていられないほどの激痛が頭を通して全身に行き渡ったのだ。
慌てて春菜が綾斗に駆け寄るが、それを綾斗本人が静止を促す。
「この感じ、は……ハングドマン……か……」
胸の奥がざわつく感覚がする。それだけならまだ耐えられた。
しかし、今は正体不明の頭部に響く激痛に脳裏をかき乱すような砂嵐のせいで視界が歪んでいく。春菜を先に行かせようとする綾斗だが、春菜がそれを許さなかった。
春菜は綾斗を背負い告げる。
「折角、仲直りできたんだからほっとける訳ないじゃん。それに……」
嬉しかったから、と綾斗に聞こえるか聞こえないかの声で言うと間髪入れずに空高く跳躍した。そこで綾斗の意識は一度シャットダウンされた。