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第21話

 谷坂家の食卓に冬香が混じる。それだけで感激している梨乃は腕によりをかけて夕食を用意した。本当ならば綾斗が当番なのだが、今もなお右腕が全く動かすことができないせいで梨乃が料理をすることになった。


 数時間経っても動くことのない右腕。


 綾斗は些かの不安を覚えるも梨乃が右腕の麻痺に対してあまり気にしていないことに驚いていた。しかし、そんな妹だからこそ、当分は梨乃の世話になるな、と綾斗は素直に頼むことができる。


 少年は不慣れな左手でスプーンを持ち夕食を頬張る。


「あっつ⁉」

「当たり前じゃん。グラタンだよ? もう……猫舌なんだからちゃんとフーフーしてからじゃないと。しょうがないな、お兄ちゃんは。あ、冬香さんはどうですか? グラタンお好きですか?」


 冬香は息を吹きかけ少し冷ましてから口に含む。


「美味しい。新葉が好きなんだ。グラタン」

「へー。五つ子だから皆同じ物が好きだと思ってましたけど違うんですね」

「うん。私は見ての通り根暗だけど新葉はファッションセンス抜群で友達もすぐにできる。口うるさくなかったらモテるのに可哀想だなって思うけど」

「それ、本人には言わない方が……」

「分かってる。多分、本人も自覚してるから。こんな自分でも受け入れてくれる王子様が現れないかなーっていつも言ってる」


 冬香が話している最中もひたすら息を吹きかけている綾斗だが、グラタンは一向に冷めてくれない。普段左手でスプーンを使い慣れていないせいで食事のスピードも必然的に遅くなってしまう。


「大丈夫? 最近そういうの多いけど、いじめとかじゃないよね?」

「俺がいじめ如きでこんなになると思うか?」

「無いかな。むしろ虐めてる側の人たちがそうなってそう。いや、もっと酷い目にあってるかも。想像しただけで怖くなるから止めてね」

「いじめてこなきゃな」


 綾斗は悪戯っ子のような笑みを浮かべながらグラタンを頬張る。ちなみにそれは冷まそうとする工程を踏まれていない。正真正銘の熱々のグラタンである。その後、涙目になりながら水を飲んだのは言うまでもない。


 その光景を見た梨乃も冬香も、そして本人である綾斗も笑ってしまっていた。


「でもほんとに美味しいよ。うちのシェフが作ったみたい」

「そ、そんなことないですよ。冬香さんのお家で食べたご飯とっても美味しかったですよ。あれと比べたら私の料理なんて。それに私よりお兄ちゃんの方が料理上手いし」

「え、アヤトも作れるの?」


 綾斗は当然のように頷く。


「猫舌なのに?」

「猫舌は関係ないだろ」

「羨ましいな。私、料理苦手だから」

「俺も最初は下手だったさ。どんなものでも慣れるまでが大変なだけだ。なんなら料理教えてやろうか? いつも世話になってるし、これくらいはな」

「でも、今日は泊まらせてもらうし」

「それはそれ、これはこれ。今は右腕がこんなだから梨乃にも手伝ってもらうから」


 梨乃は「別に良いよ」と言って食べ終えると手慣れた手つきで洗い始める。


 冬香も手早く食べ終えると当然の如く梨乃が食器を持っていってしまった。慌てて冬香が呼び止めるが、梨乃はニコニコしながら一言「大丈夫」とだけ残して、残像が見えるほどの恐ろしい早さで洗い終えた。


 圧倒的家事力。


 冬香には無いスキル。


 二人に家事力を伝授してもらおう。そう心に決める冬香だった。


 その後、綾斗があまりにも食べるのが遅いため梨乃が食べさせることになり、流石の綾斗も恥ずかしいため、その間、冬香は風呂に入ることにした。


☆☆☆☆☆☆


 外はすっかり暗くなり三人とも入浴を終えて談笑をしていた。


 あと二時間もすれば日付が変わる。それまで梨乃を起こしておく訳にもいかず綾斗は梨乃に寝るように促した。


 梨乃は渋々了承し自室のある二階に上がって行った。


 明日は月曜日。


 学生であればゆっくり眠っておきたい日曜の夜だ。


 しかし、綾斗と冬香はすぐには眠らず向かい合うように座り、冬香は思い詰めた表情を見せる。


「新葉と喧嘩した理由は分かった。ただ、戦ってる最中に喧嘩するなんてあのズボン、相当大事な物なのか? その……亡くなった母親からもらったとか?」


 冬香は首を横に振る。


「あのズボン、新葉が私にプレゼントしてくれたんだ。本人はサイズが合わなかったって言ってたけどピッタリだった。五つ子だからサイズが同じはずなのに。それに丁度私がオンラインゲームの世界大会で優勝した時期だったから」

「それは十中八九プレゼントだろうな。って言うか今さらっと凄いこと言ったな」

「やっぱりそうだよね」

「戦っていたとしてもプレゼントを目の前で故意に裂かれたのはきついだろうな。それが喧嘩中なら尚更だ」

「これについてはちゃんと謝る。本当はこのズボンを見せて仲直りしようと思ってた。けど、まさかタロットの魔獣が出てくると思ってなくて。それにまたアヤトのこと……」

「新葉のアレは挨拶代わりだと俺は思ってるから気にするな」

「アヤトはMなの? それともドMなの?」


 綾斗は空笑いしてから窓の外に広がる真っ暗闇を見やる。そこに映る自分は美少女と何気ない会話をしている。束の間の平和というものを噛みしめながら綾斗はそのままソファーに横になる。


 その行動を疑問に思った冬香が小首を傾げる。


「冬香は俺の部屋で寝てくれ。客人をここで寝かせる訳にはいかない。伏見邸のベッドには負けるけどな」


 冬香は申し訳なく思い俯く。


「……」


 綾斗は何も言わない。


 リビングが静寂に包まれる。


 冬香はあまりの静けさに不安になり顔を上げて綾斗を見やる。


「おやすみぐらい言ってよ」


 綾斗はぐっすり眠っていた。冬香もそのまま釣られるようにその場で横になり眠ってしまった。


☆☆☆☆☆☆


 冬香のいない朝。


 美少女四人組は違和感を覚え朝の食堂では誰も喋らず、登校路でもそれと言った会話がなかった。重い空気に包まれる美少女四人組だが、空気は一変してある人物たちと鉢合わせする。


 綾斗と冬香だ。


 途端に新葉は眉間に皺を寄せ不機嫌さを一切隠そうとせず綾斗を睨みつける。


「おっはよー! 冬香に谷坂くん」


 春菜は姉妹の喧嘩は別として二人に挨拶をする。普段から不真面目な性格である春菜だが、そう言った礼儀だけは細かい。


 綾斗も返答して手を振る。


「冬香ーっ! 昨日の夜は寂しかったよー」


 秋蘭が太陽のような笑みを浮かべながら心底嬉しそうに冬香に抱きつく。


 鞄やら制服は夏目の転移魔法によって運ばれたため、夏目は特に挨拶をしようとはしていない。むしろ偶然を装って鉢合わせさせた綾斗の顔を直視している。その視線に気づいた綾斗は「睨むなよ」と視線だけを交わして冬香に向き直る。


 たった一日ではあるが離れ離れになったのが辛かったのか、冬香は新葉以外の姉妹と楽しく談笑している。


 綾斗はそんな光景をただ見ているだけの新葉に歩み寄る。


「混ざりたいならお前も入れよ」

「は? 別に混ざりたくなんかないし。余計なお世話よ」

「へいへいそうですか。俺は別にいいけど姉妹たちにはもっと素直になってやれよ」


 新葉は綾斗の言葉を受けて小声で「わかってるわよ。それくらい」と言ってそっぽ向いて歩き始める。


 綾斗はやってしまったとばかりに左手で顔を抑える。そう。未だに右腕は全く動かないままなのだ。幸いして今日は体育の授業が無かったから良いものの、授業中の板書を写すという行為はおそらく出来ないだろう。綾斗は動かない右腕を見て溜息をつく。


「また身体を壊したんですか?」


 ライトグレーのポニーテールが特徴的な夏目が呆れたように言う。


 前にいる姉妹たちが歩き出したため二人も後を追うように歩を進める。


「魔法武具じゃなくて魔法防具を二重複製したんだ。前に特訓で失敗したやつ。覚えてるか? 今回は成功したけど代わりに右腕を持ってかれた」

「全く持って……理解に苦しみます。あなたは無茶をしないと生きられない人種なんですか?」

「かもな。って言うか今、滅茶苦茶卑猥ひわいな言葉を使おうとしただろ? この谷坂さんにはそういうの分かっちゃうんだよな。まあ、そんなことは置いといて。俺が無茶をして誰かが助かるならそれもありだと思ってる。けど、死ぬ気も自滅する気も無いけどな」


 綾斗は微笑みながら言うと前を歩く姉妹たちを見る。背丈は一緒でも髪型や性格は全く違い、一人一人が個性を持っている。例えそれが偏ったものであっても綾斗は彼女たちを早く見分けられるようになりたいと思った。今はまだ冬香と秋蘭を並べて二択で見分けられる程度だが、タロット戦争が終える頃にはできるようになりたい。


 夏目はそんな綾斗の思いとは別に、綾斗がなぜそうまでして他人を救おうとするのか疑問を抱くのだった。


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