目次
ブックマーク
応援する
5
コメント
シェア
通報

第20話

 タロットの魔獣が現れたのは普通の住宅街だった。辺りには何人もの住民が倒れており、電灯もいくつか不自然に倒れている。コンクリートでできた塀や家屋の壁なども同じように強い衝撃で砕かれたというよりも自重に耐えられなくなり崩れたようにも見える。


 その証拠に電灯の中の鉄筋が完全に茶色く錆びついていた。さらに歩道に植えられた樹木が軒並み朽ち果てている。


 魔獣の姿形は人間とほとんど変わらないがやはりローブを羽織っているためどんな武器を持っているかは分からない。それでもただのそのそと歩いていることだけは分かる。


 現場に到着した綾斗は『錬成始動オープン・ワークス』で二振りの剣を錬成する。しかし、隣にいる冬香は一向にハンドガンを出そうとしない。


「どうしたんだ?」

「リュック忘れたから武器が出せない」

「……嘘だろっ⁉」

「嘘じゃない。リュックのポケットは私の武器庫に繋がってる。手を突っ込めばその時使いたい銃を自由に取り出せるの」

「なんだその便利なリュックは……分かった。俺があれと戦うから魔法的な何かで援護してくれ」


 冬香は無表情で頷く。


――そうと決まれば速攻だ。


 綾斗はアスファルトの地面を強く蹴り、尋常ならざる加速の下、二振りの剣を振り上げる。


 しかし、そこで冬香に怒鳴るように呼び止められた。綾斗も何かの異変に気付いたのか急制動を掛け、冬香の下まで大きく跳躍する。


 着地したところでようやく異変の正体が分かった。


 二振りの剣の刀身がほとんど錆びついており、柄までもが浸食され鈍らの剣へと成り下がってしまっていた。綾斗の衣類も所々糸がほつれ、自然と破けている箇所もある。さらに綾斗の頬を生温かい液体が伝う。拭うとそれは紅く、また、拭った左腕の皮膚が少しだけ剥がれていた。


「どうなってる。俺、何かされたのか?」

「多分だけど……」

「風化もしくは腐食してるのよ」


 二人の背後から聞き覚えのある声が聞こえてくる。振り返るとそこには弓を片手に『魔力解放』した緑色の髪を腰の辺りまで伸ばした新葉が立っていた。


「えっとつまり、あいつに近付くと腐り始めるってことか。ってことは俺腐ってるのか!」

「ええ、そうよ。腐り神」

「腐り神って……」

「冗談よ。いちいちしょげるな、鬱陶しい! それでアイツの腐食範囲なんだけど、十中八九緑の霧の散布領域でしょうね。距離が離れるにつれて薄くなってきてるから効力も弱まると言ったところかしら。冬香、あんたの魔力弾はどうなの?」

「あ、冬香は今……」


 綾斗は二人が喧嘩をしていることを知っているため、二人の間に入り冬香の代わりに応える。冬香も綾斗の背中に隠れて肩から顔を覗かせている。


「……全く。おい、ポンコツ! 私が援護してあげるから突っ込みなさい!」

「いや、突っ込んだら腐るんじゃ……」

「なんでポンコツって言って怒らないのよ!」

「今それ言うか⁉」


 綾斗が困惑していると背中に隠れていたはずの冬香が今度は綾斗の前に立つ。


「援護なら私がする。アヤトを腐らせないようにするから大丈夫」


 その手にはどこから取り出したのか一丁のハンドガンが握られていた。いや、よく見てみるとズボンのポケットが異常に裂けている。その大きさは丁度ハンドガンを出し入れできるほどだ。


 冬香が扱える魔法の中には空間と空間を繋げる扉を作り出す『空間置換扉ワープゲート』というものがある。しかし、この魔法は上級魔法の部類に入るため、夏目の助言によって特定の大きさと限定された三ヶ所だけしか繋げられないという制約を付けることで簡易魔法として成立させた。そのため、ポケットを設定した大きさまで裂く必要があった。


 それを見た新葉は一度は仲直りしようと思った気持ちを振り払い、憤りを露わにして冬香に突っ掛かる。


「なんでそこまでするのよ! 武器が無いなら引っ込んでなさいよ!」

「嫌。魔法の知識が足りないからアヤトが傷つく。だから、私も戦う。ズボンなんてまた買えば良い」

「あんた、そのズボンは……」


 新葉はそれ以上言わなかった。


 冬香も新葉がそこまで言い掛けて何が言いたいのか分かったのかハッとした表情を浮かべるや俯いてしまう。冬香自身もそのズボンが他の五つ子にはない、新葉と冬香にとって大切な一品だと言うことに気付いたのだ。そして、気付いた時にはもう行動に移してしまっていた。


 後先考えずに行った結果がさらに二人の間の溝を深くしてしまう。


「お前ら、こんな時に何言い合いしてんだ!」


 たまらず綾斗が二人を怒鳴る。


 そんなことをしている内に魔獣に動きがあった。


 魔獣はローブから腕を出すとその手に握られた鉄扇を勢いよく広げ大きく扇ぐ。すると真緑の霧が渦を巻き、まるでドリルのように先端を尖らせて一直線に綾斗たちに襲い掛かる。


 綾斗は咄嗟に跳躍して避けようと思ったが、二人は言い争いをしていたせいでその場から離れるのに一歩遅れてしまった。意を決した少年は二人の前に立ち、右腕に左手を添え右手を突き出す。


「――『贋作鋳造カウンターフェイト』――」


 右手にいつもの三倍以上の強大な魔力を収束させ前方に半透明の赤い円盤を生成する。


「――『金色の鷹が住まう赤い盾ゴルド・シルド・マカバイ』――ッ!」


 綾斗が複製した武具の名を叫んだ瞬間、半透明の赤い円盤から莫大な魔力の塊が放出され巨大な金色の鷹へと変貌する。それは気高き戦士の如く咆哮し、真緑の霧のドリルと衝突する。しかし、複製品であるそれが本物に敵う訳もない。仮に本物が持つ防御性能を持っていたとしても、その性能に耐え切れず形に綻びが生じ崩壊が始まるのは時間の問題。そのため綾斗はコアとなった心臓からありあまる莫大な魔力を出力し全力で注ぎ込む。そうでもしなければ金色の鷹を維持していられない。


 衝突している霧のドリルには確実に人間の血肉を腐食させ、即死させるほどの濃度を誇っている。


 だが、綾斗の頑張りも虚しく金色の鷹はその輝きをどんどん失っていき、綾斗の身の丈以上あった体躯もみるみる小さくなっていく。真緑の霧が武具の綻びを促進させているのだ。


 魔獣は延々と大きく鉄扇を振り続けているためドリルはすでに竜巻と化している。


 それでも綾斗は力を緩めない。それどころか身体の内側から溢れんばかりの力を感じる。


――今ならできる。夏目と冬香に手伝ってもらった時は失敗したが今回はいける気がする。


 綾斗は目を見開きさらなる魔法を発動させる。


「――『贋作鋳造・重複カウンターフェイト・セカンドオープン』――ッ!」


 右腕に添えていた左手を突き出し新たに『金色の鷹が住まう赤い盾ゴルド・シルド・マカバイ』を生成する。さらに左手をもう一度右腕に添える。いや、重ねる。すると今にも崩壊しそうな『金色の鷹が住まう赤い盾ゴルド・シルド・マカバイ』に新たに生成された赤い半透明の盾が重ねられその性能を倍にする。そう。本物にはできなくて複製品にしかできないこと。


 量産だ。


 綾斗は同時に二つの『金色の鷹が住まう赤い盾ゴルド・シルド・マカバイ』を生成したのだ。さらに二つの赤い盾はただ重なるのではなく、完全に融合し、金色の鷹の体躯は再び綾斗の身の丈ほどになり、翼も二対となる。


 明らかに強化されたその姿を堪能する暇もなく、衝撃が暴風と地響きとなって住宅街を襲う。


「うおおおおおお!」


 綾斗は獣の如く咆哮し、金色の鷹もそれに呼応するように真緑の竜巻を押し返しそのまま消し飛ばす。


 次の瞬間、鼓膜が破れんばかりの激しい爆音が住宅街に響き渡る。辺りのコンクリートの塀も腐食していたため、粉々に吹き飛び、家屋の窓ガラスは言うまでもなく粉砕され飛散した。


 三人もその余波で後方に吹っ飛ばされてしまった。


 綾斗はすぐさま立ち上がり魔獣の姿を確認するが、そこにはもう誰も何もいなかった。住宅街の被害に悔しさを覚えるも、直後右腕に激痛が走り気絶しそうになるも何とか意識を保ち、膝をついてしまう。だが、あまりの痛さで全く右腕が動かせない。例えるなら麻痺しているのに痛いのだ。普通なら痛くてもミリ単位で動かせるだろうがそれもできないほど痛みしか感じられない。まるで何かがぶら下がっているような奇妙な感覚が右肩から伝わってくるが、現実に起こっているのだから仕方がない。


 綾斗の背後では冬香と新葉も立ち上がり、お互いの顔を見ないように反対を向く。


 呆れた綾斗は右腕を押さえながら一先ずこの場から離れることにした。


☆☆☆☆☆☆


 日が沈み、町がオレンジ色に染まる。


 綾斗と冬香は高台にある広場に向かい休憩していた。


 綾斗はと言うと、着くなりベンチにもたれかかり、そのまま気絶するように隣に座る冬香の方に倒れ、丁度膝枕になる形で眠ってしまっていた。冬香も最初は気恥ずかしくなって起こそうとしたが、とても気持ちよさそうにしていたため出来なかった。


 高台にある広場は恋人たちの憩いの場という俗に言う恋愛スポットであるため、右を見ても左を見ても恋人たちがいる。だが、そのどの組も膝枕をして眠っているところはない。


 三十分ほど経ってようやく起きた綾斗は何事も無かったように立ち上がり、大きく伸びをして冬香に向き直る。その時もやはり右腕は上がらなかった。


「悪い。咄嗟だったからかなり魔力を消費したみたいだ」


 綾斗は動かない右腕を見ながら言う。


「大丈夫。私もごめん。戦ってる時に喧嘩しちゃって」


 冬香は静かに呟いて俯く。


 綾斗は今日何度目かの俯いた姿に溜息をついてしまう。冬香が元々無口で目立つことが得意ではない。言うなれば地味な性格だと言うことは共に過ごしていく内に分かった。ましてや感情を表に出すなど珍しいこと極まりない。それでも冬香は悲しみ、俯いているとなれば姉妹への愛情が痛いほど伝わってくる。


「まあ、喧嘩中なんだし、そうなるわな。けど、もう止めとけよ。今回は誰も死ななかったけど次は誰か死ぬかもしれない。それが五つ子か俺かは分からないけど」

「ごめんなさい」


 冬香はもう一度謝ってから綾斗の右腕を見やる。


 どうやら異変に気付いたようだ。


 それでも綾斗は気にせず歩を進める。


「帰るか。今日は一日気まずいだろうから俺ん家に来るといいよ」

「ほんと色々ごめん」


 冬香は心底申し訳ないと言わんばかりの表情を浮かべて綾斗の後をついて行くのだった。


 対して綾斗は彼女たちの父親――康臣にどう説明したものか深く思い悩むのだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?