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第19話

 マジシャンが姿を消して二週間が経った。


 その間、特に被害があった訳でもなく、違うタロットの魔獣が現れることもなかった。それでもたった一体の魔獣が引き起こした災厄は、当時常盤桜花学園高等部、中等部に残っていた全ての生徒を一瞬の内に気絶させたという事実を作り出した。そして、それはタロット戦争に参加する者の胸の奥に深く刻まれた。油断できない状況が続く中、少年――谷坂綾斗は散歩をしながら一人思い悩んでいた。


 その理由はもちろんタロットカードについてだ。より正確に言うとハーミットのタロットカードを使った副作用なのか、フールの魔法の発動が以前より遅れている気がする。


「機嫌でも悪くしたのか?」

「誰がよ」


 綾斗の独り言に偶然通りがかったライトグレーの髪を腰の辺りまで伸ばした見知った顔の美少女が突っ掛かってくる。


「あーえっと、夏……じゃない。秋……」

「秋蘭じゃないわよ。あのコ、今日は女子サッカー部の助っ人だから」


 どうでも良いけど、と言ってどこへ行くでもなく美少女は歩を進める。


 綾斗は慌てて後を追う。


「ちょっとなんでついてくるのよ! 私のストーカーにでもなったのかしら?」

「この絶妙につんけんしてる感じは……新葉だ!」

「何よ、その言い方!」


 一睨みされた綾斗はそのあまりの威圧感に背筋が凍ってしまう。すぐに何か話題を振らなければ殺されると思った綾斗は、目を泳がせながら考える。しかし、何も思い浮かばずより一層焦りを覚える。


 だが、見かねた新葉は大きく溜息をつく。


「あんた何で散歩してるのよ? タロットとの戦いがないのならゆっくり休んでればいいのに……まさか、本当に私のストーカーを――」

「んな訳ねェだろ! ただの暇潰しだよ。新葉は?」

「私? 私はさっきアンタが言った通り機嫌が……いえ、別に。ただ……なんとなくよ」


 明らかに何かあった、と新葉の表情が語っている。


 流石に放っておけない綾斗は深呼吸してから新葉に何があったか問い掛ける。するとまるで鬼のような形相を浮かべて睨まれてしまった。その威圧的な態度に綾斗は後退ってしまうが、そのせいで背後にいた人にぶつかってしまった。


 すぐに振り返り謝るとそこにはライトグレーの短髪を両サイドだけ伸ばした美少女――冬香が立っていた。


 冬香はヘッドホンを外し、眠そうな顔をしながら綾斗の背後に隠れる新葉を見やる。


「何してるの、アヤト」

「散歩だけど。あ、ストーカーとかじゃないからな!」

「ストーカー? 何それ?」

「あ、いや……さっき新葉に勘違いされてな。同じ顔で同じ質問をされたからついな……冬香はどうしたんだ?」


 冬香は目を見開く。その反応に思わず綾斗も目を見開いてしまう。


「どうして分かったの? 私が、冬香だって」


 綾斗はそう言えばと言った面持ちで少し考えてから頭の横で手をひらひらさせて口を開ける。


「勘? かな。なんとなく冬香だと思った」


 途端に冬香はふて腐れてしまい新葉の前に立ち胸倉を掴む。


「さっきの続きだけど、撤回して。今すぐ!」


 尋常じゃない冬香の怒りに綾斗もそうだが、新葉も驚き後退ってしまう。


 それでも新葉は負けじと後退った足を前に戻し、眉間に皺を寄せて額と額がぶつかりそうな距離まで顔を近づける。


「絶対に嫌! 私はあいつを認めないし、あいつが私達の中に入ってくるのを絶対に、絶対に! 許さない!」

「そんなの新葉の勝手な思い込み。アヤトは私達と違う。住んでいる世界も住んでいた世界も。アヤトは一ヶ月前に突然、力を得たんだよ。それが私達よりも強くて、タロット戦争も上手くいき始めている。認めざるを得ない。新葉だって分かってるでしょ? だから……」

「嫌よ! 絶対に!」

「そう。分かった。ならもうこの話は止めにしよ。私、今日はアヤトの家に泊まるから何も気まずくないよ」


 綾斗は勝手に話が進んでいくせいで目が点にする。


 そんな綾斗を無視して冬香は強引に少年の手を引きこの場から離れる。その時の新葉の顔は眉間に皺を寄せ、憤りを露わにしていたが同時に目に涙を浮かべていた。


☆☆☆☆☆☆


――いったいどこまで行くんだ。


 いい加減歩き疲れた綾斗は足を止め冬香を呼び止める。


「話が見えてこないんだけど。ああ。つまり、俺が原因で喧嘩したのか?」


 冬香は頷く。


 どうしてだ、と問いただしたい綾斗だが、冬香の思い悩んだ顔を見てしまうと上手く言葉が出ない。


「すぐそこに公園があるからそこで話そう」


 そう言って今度は綾斗が冬香の手を引いて公園へ向かった。


 そこにあるのは滑り台とブランコにおんぼろのベンチくらいだ。お世辞にも広い場所ではないが、昔、綾斗と梨乃がよく遊んだ場所であり、よく喧嘩した場所だ。そのことを伝えた途端に冬香は羨ましそうに綾斗を見つめる。


「私、皆より弱いから、口でも言い返せなくなっていつも逃げちゃう。今回のことも、私が切り出したんだ。アヤトは魔法の世界に入ってすぐなのにタロットを使えて凄いねって。春菜も夏目も秋蘭も褒めてたし、無茶させてしまったって責任も感じてた。けど、新葉だけは偶然とか、大したことないとか、ぽんこつだとか言って……私、それが許せなくて、そしたら話が拗れて死んだカカの話になってそれで……新葉はアヤトが私達の中に入ってきた癌だって……だから、私……」

「怒鳴ったと。さっきみたいに」


 冬香は小さく頷く。


「胸倉を掴むのはどうかと思うけど、俺のために怒ってくれたのか?」


 冬香は頬を林檎のように紅くして俯く。


 綾斗はまるで照れた時の梨乃を見ているみたいで思わず冬香の頭を優しく撫でてしまった。瞬間、冬香の肩がビクつく。


「すまん! つい……」


 綾斗は慌てて撫でた手を引く。

 しかし、冬香はと言うとどこか名残惜しそうに離れていく手を見送っていた。


「その……なんだ、俺のために怒ってくれてありがとう。でも、大事な姉妹なんだろ? 赤の他人の俺より姉妹のことだけ見てやれよ。それにポンコツなのは新葉の言う通りだしな」

「……がう」

「え?」

「ち……がう……違う! アヤトは赤の他人じゃない。もう家族だよ! だからそんな言い方やめて!」


 冬香は瞳に涙を浮かべながら言う。まるでゼリーのように溜まったそれは肩に手を置くだけで崩れてしまいそうだ。それでも少女の目は真っ直ぐ綾斗の目を見つめている。


 綾斗は気恥ずかしくなり顔を背けてしまう。


「悪い……まだ実感なくてさ。梨乃に言えたことじゃないが、俺もまだ父さんと母さんが亡くなったことに向き合えてないんだ。それにこの魔法も。タロットも。ハーミットを使った時も怖くなった。俺がマジシャンにしたこと分かるか? 確実に殺すために首を切ったんだぞ。それにフールの記憶を見た時も……俺はいったい……何を目指しているんだ? 本当に正義のヒーローになりたいのか? 前はこんなはずじゃなかったのに……」


 綾斗の表情が今まで見たことないほど暗くなっていく。その目には光がなく、虚ろでどこを見ているのか分からない。絶望にも似た感覚が隣に座っている冬香にまで及ぼうとした時、不意に少年の脳裏に妹――梨乃の太陽のような笑みが過った。


 途端に表情に光が灯り、いつもの谷坂綾斗に戻る。


「なんてな。ごめん。家族になった実感がまだない以外は全部嘘。本当に。気を遣ったつもりだけどなんか的外れだったな。ごめん。ちなみに梨乃と本気で喧嘩した時に仲直りした方法はお互いに好物の料理を作ってあげたことだ」

「どうして? 喧嘩中はお互いのこと嫌いになるはずなのに」


 冬香はきょとんとした表情を浮かべる。


「いや、実際は相手の好物を目の前で美味しく食べるはずだったんだけどな。そこまでして何がしたかったのか良く分からなくなって、最後は笑い合いながら交換して食べたんだ。その時のあーんはマジで天使だったぞ。流石は俺の妹だ。な? おかしな話だろ。それと……姉妹というか兄妹喧嘩をできるのは、お互いのことが好きで大切に思っているからだ。だから戻って胸倉掴んだことはちゃんと謝ろうぜ」


 俺も一緒に行くから、と付け加えて綾斗は立ち上がる。ずっと座っていたせいか腰をさすってから全身を伸ばす。


 次の瞬間、胸の奥がざわつく感覚が襲った。それも裏山や学校ではない。すぐ近くから感じられた。


 二人は互いに顔を見合ってから現場に向かった。


☆☆☆☆☆☆


 時間は少し遡り、新葉は冬香と綾斗と分かれたあと、苛立ちを覚えながら歩き続けていた。そこで偶然にも綾斗が溺愛している妹――梨乃と鉢合わせし近くにあったベンチに腰掛けることになった。


 と言うのも、兄の綾斗と同様に、いや、それ以上に梨乃はお節介焼きで面倒見の鬼だ。その鬼は五つ子の中でも一番繊細で意地っ張りな新葉から事の経緯を全て聞き出したのだ。それもほとんど威圧感だけで。


 新葉は中学二年生に圧倒されながらも、タロットカードに関することだけは言わないように言葉を選ぶので精一杯だった。


「ようするにお兄ちゃんが無茶をしているのに新葉さん以外の姉妹さんたちが褒めているのが嫌で、且つ、突然現れた部外者がまがいなりにも家族になったのが嫌だったってことですか? それでお兄ちゃんに対する暴言を吐いた、と。そしたら今まで一緒にいた家族から否定されて飛び出しちゃった。これであってますか?」

「そ、そうよ。あいつに対して暴言を吐いたのは申し訳ないとは思ってるけど。でも、あんなに冬香が怒ると思わなかったし、夏目たちだって……」


 新葉は俯き口籠る。今の顔を見せたくないのが良く分かる。少しでも気が緩めば涙を流してしまいそうだったからだ。


 梨乃は中学生ながらにやれやれと言った面持ちで口を開ける。


「新葉さんは姉妹のことが、と言うより、家族のことが大好きなんですね。だから突然割って入ってきた私達を受け入れるのが難しいんだと思います」


 新葉はその言葉を聞いて年下の少女に嫌な思いをさせてしまったと思い勢いよく顔を上げる。


 しかし、梨乃は特に気にしていないとばかりに薄っすらと笑みを浮かべながら続ける。


「正直、私も戸惑ってます。父と母が死んじゃったのに急に家族が増えて、死んだはずのお父さんは別の人に入れ替わって、お兄ちゃんは学校始まってから急に怪我が多くなるし、帰ってくるのが遅い日と早い日が極端になるし……夕ご飯だけは食べないっていう選択肢はないみたいですけど……お兄ちゃんが青春をどう謳歌するかなんて私が決めることじゃないです。けど……これだけは言えます」


 梨乃は新葉の顔を直視するためベンチから腰を上げ正面に座り込む。


「お兄ちゃんのために怒ってくれてありがとうございます」


 梨乃は満面の笑みで言ってから満足気に再び新葉の隣に座る。新葉もその言葉と梨乃の笑顔を見て気持ちが楽になったのか微笑む。


 ただやっぱり納得できないのは、綾斗のために怒った、と言われたことだ。


 だが、それをはっきり言える自信がない。本当に綾斗のために怒っていなければ、梨乃と話すこともなかったはずだ。そうだ。どうして綾斗のことになると無性に腹が立ち、そして、反発するようになってしまうのだろう。突然、家族の輪に入ってきた異分子だからか。仮にそうだとするならばどうして梨乃となら普通に話せるのか。綾斗と話す時だけきつく当たってしまうのだろうか。


 新葉は少しだけ考えてから諦めた。答えは今すぐに出るものではないと思ったからだ。それよりも今は冬香とどう仲直りするかが問題だ。


「ちなみに私がお兄ちゃんと本気で喧嘩した時にした仲直りの方法を教えてあげましょうか?」


 新葉はエスパーか、と言いたげな表情を浮かべる。


 梨乃は無言の了承を得て口を開ける。


「お互いに好きな料理を作ってあげたんです。まあ、目的は目の前で美味しく食べることだったんですけど、そこまでして何がしたかったのか分からなくなっちゃて……結局、笑い合いながら交換しました。その時、お兄ちゃんがあーんしてくれたんですけど、恥ずかしながらドキドキしてしまいました」


 梨乃は照れくさそうに言って当時のことを思い出したのか笑い始める。


 新葉も釣られて笑ってしまった。


 その時、冬香と綾斗が行ってしまった方向から不穏な気配を感じた。


 普通の魔法使いが持つ魔力とは明らかに違う威圧感。間違いなく、タロットカードから放たれている魔力だ。


 新葉は梨乃に一言お礼を言ってからその場を後にした。


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