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第18話

 時間は少し遡る。


 マジシャンとの戦闘から離脱した春菜。


 その少女の背後には十数体の黒犬が猛威を振るって追いかけてきていた。


 春菜の身体能力は秋蘭には及ばないものの五つ子の中で二番手に当たる高さを誇っている。それでも人の形をした肉体と四足歩行の野生獣では森の中での走力に差が出てしまう。


 どれだけ走っただろうか。


 もう皆が黒犬に襲われるような距離にいないか。


 春菜は思考を巡らせ視界の端で黒犬の様子を捉える。口から出た舌からは涎が駆ける度に飛び散り、その眼光は野生特有の鋭さを感じさせる。隠す気のない牙からは狂気以外に何も感じられない。


 前回の戦いもそうだったように一匹の戦闘能力はそれほど高くはない。しかし、それが群れ単位となれば話は別だ。加えて、この黒犬たちは倒した瞬間に黒い霧となって爆散する。それもコンクリートでできた地面に小規模のクレーターを作るほどだ。倒してから即座に離れなければやられてしまうのは攻撃した自分自身である。


「ホント、相性悪い犬っころだなあ、まったく」


 春菜は愚痴をこぼしつつ意を決し、滑り込むように急制動を掛けながら振り返る。すでに抜いた刀に魔力を流し込み、その鋼色の刀身を自身の魔力――桃色へと染め上げる。


 最初に飛び掛かってきたのはやはり群れの先頭を走る個体。真っすぐ春菜の顔面を食い千切るため大口を開けて肉薄する。さらにその後方から続けて二体の黒犬が跳躍する。仮に一頭目を切り伏せたとしても続く二匹の黒犬によって攻撃するつもりなのだろう。


 だが、伏見家長女はそんな簡単な戦法に倒れるほどやわではない。


 桃色の刀の刀身がさらに光り輝き紅く染まる。


「――『時空間切断・紅飛煌じくうかんせつだん・べにひこう』――ッ!」


 春菜は魔法名を叫ぶと同時に刀を大きく横薙ぎする。


 次の瞬間、刀に圧縮された春菜の魔力が解き放たれ、紅色をした三日月状の斬撃波となって襲い掛かってきた三匹の黒犬を真っ二つに両断する。あまりにも見事な切れ口に合わせればくっついてしまいそうだ。


 それもそのはず。


 紅飛煌には春菜の『時空間切断』の特徴でもある原子レベルでの切断を可能としているため切れ味は最高級なのだ。


 両断された三匹の魔獣は瞬く間に黒い霧となるが、返す形で横薙ぎした刀の剣圧によって吹き飛ばされ、あらぬ場所で爆発した。


「綺麗に決まったのはいいけど、これあと何匹いるのかな? ちょっとお姉さん困ったかも……」


 春菜は軽口を叩きつつも冷静に黒犬の様子を把握する。


 一度の技で複数体倒せたとしてもその後の黒い霧の処理に手を取られれば別の黒犬に襲われかねない。


 そう思っている間にも黒犬の群れはゆっくりと春菜に近づいている。紅飛煌を見て警戒しているのだろうか、先ほどの三匹とは違い間合いを詰めつつ、二手に分かれるように行動している。


 春菜はその姿を見てますます嫌気がさしたのか、


「ワンちゃんのこと嫌いになりそう」


 と呟いてしまった。


 丁度そのとき、左右に分かれた群れから五匹ずつ黒犬が飛び上がり、残りの黒犬たちは全力で駆け出し春菜に嚙みつこうと牙を月光で閃かせる。


 全方位とは言わないもののそれに等しい上下からの同時攻撃。


 春菜は再び刀に魔力を注ぎ込もうとするが放てる技でこの場を凌げるものが思いつかない。


 意を決した春菜が刀を振ろうとした時だった。


「春菜、避けて!」


 春菜は愛すべき妹の声に促されるままその場から飛び退く。


 次の瞬間、鼓膜をつんざくような激しく乾いた銃声が連続して響き渡る。かと思えば、飛び上がった黒犬も地面を駆ける黒犬もハチの巣にしていく。そのまま死骸は黒い霧に変異してしまうが、それにも弾丸の嵐が直撃し、その場で爆発四散した。


「危なかったね」


 木陰から姿を現したのは肩を上下に揺らした伏見家四女の冬香だった。春菜の速度に追いつくのにかなり疲れたのだろう。額にも汗がにじみ出ている。両手にはMP5Kサブマシンガンが一丁ずつ握られていた。


 春菜は、普段は家族とゲームにしか興味がなく、覇気の無い表情を浮かべている妹――冬香が自身を守るために頑張ってくれたと思い、歓喜のあまり抱き着き頬ずりする。


「冬香ああああああああ! 怖かったよー! あの犬っころ嫌い!」

「春菜、痛いし苦しい」


 感情を爆発させる春菜とは違い、姉妹の前であってもあまり感情を表に出させない冬香。対照的な二人だが、互いが無事だったことにそっと胸を撫でおろす。


「黒犬は全部倒せた。皆の所に戻ろ。なんかヤバい気がする」

「うん。それもそうなんだけど。あの犬っころ、本当にマジシャンが召喚した魔獣なのかなって思って。タロットの魔法だとは思うんだけど、微妙にマジシャンと違う気がしたんだけど」

「やっぱり私も同じこと思ってた。けど……」

「分かってる。谷坂くんが心配なんでしょ? もちろん姉妹もね」


 春菜は言って刀を鞘に納める。


 直後、黒い魔法陣が綾斗たちがいる方角に展開され龍を模した稲妻の塊が落雷した。


 眩い閃光と共に脊髄まで震え上がる轟音。


 春菜と冬香はそれらがおさまってからすぐに顔を見合い現場に急行した。


☆☆☆☆☆☆


 巨大な黒い魔法陣から放たれた龍を象りし雷。


 綾斗はその直撃を受けたにも関わらず身体には一切の痺れもなく、目立った外傷も無かった。


『早く……行って、下さい……ッ!』


 少年の頭に直接声が聞こえる。


 綾斗が振り返ると痺れが残る身体を無理矢理動かそうとしている夏目がいた。その手に握られた身の丈ほどある杖を振るおうとしているが、上手くいかないのか、悔しそうな表情を浮かべている。


 綾斗は声の主が夏目だと分かるや、その言葉の意味を理解し、懐から隠者のタロットカード『ハーミット』を取り出し駆け出す。


 使い方は分かっている。


 あとは少しの勇気と覚悟だけだ。


「行くぞ! ――『隠者ハーミット』――発動ッ!」


 綾斗はハーミットのタロットカードを力いっぱい握り潰す。カードは紙くずのように崩れるのではなく、硝子細工が弾けるように魔力の粒子となって爆ぜる。


 次に生じるのは魔力の渦。


 強大で莫大な魔力が竜巻のように渦を巻いたかと思えば、一瞬の内に静まり返り、綾斗の全身を包み込む。途端にハーミットが魔獣状態の時にその身を包んでいた黒いローブが顕現し、新たな主である綾斗の身を包み、左腰にはハーミットが携えていた短剣が差される。


――これが正式なタロットの魔法を発動した人間の姿なのか。


 綾斗は身体の内側から溢れんばかりの力を感じ嬉々とした感情を覚える。しかし、今はその力に酔っている場合ではない。少年は一気に魔力を高め一撃で仕留めようとする。だが、どうしてだか魔力の出力を極限まで高めたにも関わらず魔力の波動が一切感じられない。それどころか自身から溢れ出る殺気すら感じられない。


 これがハーミットの魔法。


 ハーミットの魔法は影の操作だけではない。その神髄は完全な隠密魔法にある。ハーミットが纏っていたローブにはありとあらゆる感知魔法に加えて魔力を微量でも感じる取る感覚ですら無効化してしまう能力がある。さらに視認もされないという完璧な透明人間になれるのだ。


 綾斗は足音一つ立てずにマジシャンの背後を瞬時に取り、その首を左腰に差された短剣で切り裂いた。


 マジシャンは首筋に少しの振動を感じた。まるで何かに裂かれたような感覚が首筋から伝ってきた。加えて、生温かい液体が噴水のように飛び出してくる。しかし、どうしてだか痛みを感じない。いや、マジシャンは知っている。完全な隠密魔法と短剣の持つ特殊能力を。


 マジシャンは痛みを感じないこともあり直ぐに傷口を塞いでいた。そう、感じていないのだ。マジシャンは確かに首を斬られるまで綾斗の接近に気付いていなかった。それだけならマジシャンもいくらかの対処法を思いついていた。だが、綾斗の手にはハーミットの短剣が握られていた。


 ハーミットの短剣には傷口を麻痺させる能力と流血効果を及ぼす毒が備わっている。ゆえにマジシャンは斬られても痛みを感じず、浅い傷であっても噴水のように夥しいほどの血液を流したのだ。


「クソ! 浅かったか!」


 綾斗は一撃で決めきれなかったことに絶句するが、思考を巡らせるよりも先に次なる一手を発動していた。


「影の槍ッ! これで……ぐ……ごえっ!」


 綾斗が影の槍を生成しようとしたまさにその時だった。口から夥しいほどの血を吐き出し、強烈なめまいに襲われ膝をついた。それだけではない。全身の血管が不自然に浮き出し至るところの毛細血管が破裂した。瞬く間に血だらけになった綾斗はなんとか呼吸をしようと肺を動かすが、その度に喉から際限なく赤黒い液体が吐き出されていく。


 マジシャンはその隙をついて全身を黒い霧に包み込み風とともに消えていった。


「ま、て……」


 綾斗は横たわり仰向けになる。今の少年にできるのはそれだけだった。ハーミットを維持できなくなり、胸の辺りからタロットが排出され、同時にローブと短剣が消滅する。


 丁度そこへ春菜と冬香が現れる。


 春菜は身体が痺れて上手く動けない姉妹の下へ行き、冬香は全身血だらけになった綾斗の下へか駆け寄る。


「アヤト! しっかりして!」


 冬香は今までにない焦燥感を覚え、必死に不慣れな治癒魔法で身体中の傷を少しずつ塞いでいく。それでも治まりがつかないほど出血していた。これ以上血が出てしまえば失血死してしまう。そう思えば思うほど視界が揺らぐ。


 そこで少女は自身が泣いていることに気付いた。


 そして、その涙を拭ったのは誰でもない綾斗本人だった。


「だい……じょう、ぶ……だ……」


 綾斗は薄っすらと笑みを浮かべ、遠のいていく意識の中、自身のために泣いてくれている姉妹の頬に伝う涙を拭い完全に意識を失った。


 夏目は事態がこれ以上最悪にならないように必至に身体を動かし、再び綾斗と姉妹を伏見邸に送還するのだった。

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