場所は常盤市にある裏山――
ここへ来た理由はただ一つだ。
「反応は山の頂上から出ているわ」
弓を持った緑色の髪を腰の辺りまで伸ばした新葉が言う。新葉は魔力を感知するという才能に置いて姉妹たちと比べると群を抜いている。
青色のポニーテールをした夏目は姉妹たちに指示を出す。
「秋蘭と春菜が先行しましょう。冬香と新葉と私、そして谷坂さんでそれを援護します」
「夏目ちゃん。それじゃあ前と同じにならないかな?」
桃色に染まった短髪の春菜が言う。他の者も同感だと頷く。
「いえ、それは前半だけです。とどめは谷坂さんにお願いします。これを使って下さい」
夏目は懐からあるものを取り出し綾斗に手渡す。それを見た一同は唖然とする。
新葉は眉間にしわを寄せながら夏目に詰め寄ろうとするが、それより先に紫色の短髪を両サイドだけ伸ばした冬香が夏目の前に立つ。綾斗からは見えないが、冬香はいつもの寝ぼけた顔が一転してはっきりとした怒りを露わにし夏目を睨みつけている。五つ子にとって冬香が感情を露わにして何かを訴えるのは、母親が亡くなってすぐにした大喧嘩以来である。
しかし、綾斗は遮るように夏目から手渡されたそれを懐にしまい先に行ってしまう。
呆気に取られた姉妹たちは後を追うようにして山の頂上を目指す。その速さたるや人外のそれに当たるものだった。
先行しといてなんだが、綾斗はマジシャンの魔獣がどこにいるのかよく分かっていない。胸の奥がざわめく感覚も単にタロットの魔獣がいる場所をとても大まかに知らせているだけで探知しているかと言うとそうでもない。
「暗すぎてよく見えないな。お前らよくもまあ迷いなく走れるな」
綾斗の言う通り五つ子たちは暗闇の森林を超高速で駆け、パルクールのように枝から枝へ跳び移り疾走している。特に秋蘭は優れた身体能力を遺憾なく発揮し、まるで猿のように森林を縦横無尽に、且つ、最短ルートで突き進んでいる。対して綾斗は先頭を走っていたのは一瞬だけですぐに追い抜かれてしまい、今では最後尾に位置している。
そこへ見かねた夏目が減速して綾斗の隣を並走する。そう。今の綾斗は五つ子の中で一番運動が苦手な夏目よりも遅いのだ。
「視覚補助の魔法を使いますからそんな泣きそうな顔をしないで下さい」
「いや、これは魔力の流れを正常にする治療がトラウマになってんだよ。夏目さん、マジ怖過ぎっス」
「本当に痛い魔法を使いましょうか?」
「ご、ごめんなさい。冗談です。お願いし――」
「もう使いました。ほら、よく見えるようになったはずです」
夏目が綾斗の言葉を遮るとみるみる少年の速度が上がっていく。
「すげー! 昼間みたいに見えるぞ!」
綾斗は言ってさらに加速し先頭を行く春菜と秋蘭に並ぶ。
「谷坂くん、急に速くなったじゃん。どうしたの? お姉さんびっくりしちゃったよ」
「夏目に視覚補助の魔法をかけてもらった。お前ら凄いな。自分たちでこんな魔法が使えるのか。俺も使えるようになりたいぜ」
「へえ、ならこの春菜お姉さんが教えてあげようか?」
「ホントか!」
「もちろん夏目ちゃんの付き添いでね」
なんだよそれ、と言いたげな表情を綾斗は浮かべるが、今は夜の森林が昼間のように明るく見えて歓喜に打ち震えていた。戦うのは嫌だが、魔法と言う幻想の世界に入り込んで初めて胸が高鳴るのを感じた。
直後、前方の闇夜に不気味に輝く光があった。
「来るぞ!」
「全員、散開!」
綾斗の知らせとともに夏目が指示を出す。
同時に新葉による超精密狙撃でマジシャンの動きを牽制する。
初撃は容易くマジシャンの魔力防壁によって防がれてしまった。続く、春菜の桃色の刀身から放たれる斬撃波はより高く飛翔することで躱された。
春菜は舌打ちをして刀を構え直す。少女の操る魔法はあらゆる物体を原子レベルの隙間と空間そのものを切断する『空間切断魔法』という攻撃に特化したものだ。さらにそれは魔力を三日月状に圧縮した斬撃波に纏わせることもできる。マジシャンはその魔法の性質を理解し、受け止めるのではなく、躱すことを選んだのだ。
次の瞬間、春菜を囲うように黒い霧が発生する。そこから何が出てくるのか容易に想像できてしまった春菜は、とてつもなく嫌そうな顔をした。
そんな彼女を無視して黒い霧から十数体の黒い犬の姿をした魔獣が勢いよく駆け出てくる。黒犬はそのままの勢いで春菜に跳びつく。
「あーまたこのコたちの相手かー」
春菜は本当に嫌そうに言うとマジシャンをひと睨みし、黒犬が他の姉妹と綾斗を襲わないように口笛を吹いて注意を集める。
黒犬の中身は野生そのものだからか簡単に春菜へと視線が集まる。
「ごめん、マジシャン任せた!」
春菜は申し訳なさそうに笑いながら言うと、その場からいち早く離れるため黒犬の群れを引き連れて疾走した。
それを見ていた夏目は姉の無茶な行動を見てすぐに冬香へ指示を出す。
「冬香も行って下さい。戦力の分散は得策ではありませんが、一人で相手取るには数が多すぎます」
冬香は無言で頷き、春菜の後を目にも止まらぬ速さで追いかけていった。
結果的にマジシャンと初めて対峙した時と同じ状況になってしまった。
「やはり実戦は思い通りにいきませんね」
夏目は頬を伝う汗を拭い、奥歯を噛みしめ自分の未熟さに嫌気がさす。
しかし、まだ戦闘は続いている。反省はこの戦いが終わってからだ。
春菜の斬撃から逃れたマジシャンはさらに飛翔し森を見下ろせる高さまで浮遊していた。
だが、安心するのはまだ早いと言わんばかりに夏目が秋蘭を転移魔法でマジシャンの背後に転送する。
秋蘭は転送されるや否や身体を空中にも関わらず、
凄まじい轟音が静かだったはずの森林に響き渡る。
「……ッ!」
起こるはずのないスパーク。
異変に気付いた秋蘭はスパークによって顔を歪ませる。炸裂するはずの踵落としが寸でのところで止められてしまったのだ。
魔術師のタロットカード『マジシャン』も馬鹿ではない。すでにその攻撃を前回の戦闘で経験していたため、予め後頭部に魔力防壁を仕込んでいたのだ。それは敵の攻撃が有効範囲に入った瞬間に自動的に展開される仕組みになっており、マジシャンは秋蘭の踵落としを防ぐことができた。それでも何かがおかしい。
マジシャンは振り返り防壁の様子を確認する。
歪んでいる。
マジシャンの魔力防壁は夏目の物と違って魔法陣を展開し、それそのものが防壁として機能している。その魔法陣が今、本来有り得ないほどに歪んでいる。
「はああああああっ!」
秋蘭は獣のように咆哮し強引に足を振り切り、魔法陣の上を抉るように通過する。瞬間、歪んだ魔法陣が元の形に戻るや、空気が炸裂する音が響き、守られていたはずの内側を衝撃波が貫く。そう。秋蘭の踵落としで生まれた衝撃波が防壁を、魔法陣を貫通したのだ。これもまた秋蘭が扱う魔法の効果だ。より正確には空間を歪ませるだけの簡易魔法と秋蘭が独自に編み出した拳法を融合させた魔法拳法。その名も、
「――『
秋蘭が嬉々とした笑みを浮かべて咆哮するように言い放つ。
踵落としの衝撃波をまともに受けたマジシャンは頭から地面に叩きつけられる。
同時に秋蘭の背後からマジシャンが展開した複数の魔法陣が現れる。そこから放たれる魔力砲の威力と簡易魔法であっても信じられない破壊力を持っていることを秋蘭は知っている。少女は空中で振り返り咄嗟に両腕を交差させる。のではなく、薄らと笑みを浮かべながら回避も防御も考えず、ただ着地だけを考える。
瞬間、秋蘭の背後に展開された魔法陣は横合いから放たれた緑色に輝く矢によって全て迎撃された。
「っは! 私の前でそんな大きな的を広げるからよ!」
新葉は吐き捨てるように言ってさらに三本の矢を生成し弦につがえる。
「畳みかけるわよ、夏目!」
「ええ! ここはごり押しです!」
マジシャンは立ち上がり再び杖を振ろうとするが、そこへ緑色に輝く三本の矢が襲い掛かる。たまらず空に逃げるが、その動きを読んでいたかのようにまたしても緑の矢が肉薄する。それだけではない。青色に輝くいくつもの魔力砲弾も迫りくる。しかもその青色の閃光は追尾機能を有しているのか、不自然に屈折し、マジシャンの後を正確に追い猛威を振るう。
マジシャンは驚愕を露にする。いくらタロットの魔獣と言っても迎撃が間に合わない。いや、間に合わせないタイミングと矢の本数を予め用意し、新葉は矢を放ち、夏目は魔力砲弾を撃ったのだ。
しかし、その攻撃が通ることはなかった。それどころか、放たれた矢と魔力砲弾は新葉と秋蘭と夏目、そして綾斗に向かって襲い掛かってきたのだ。
夏目は瞬時に魔力防壁をそれぞれに展開し矢と自らが放った魔力砲弾を弾き飛ばす。
マジシャンが直撃寸前で反射魔法を発動させたのだ。マジシャンの能力はあらゆる魔法を使えるようになる。簡易魔法ならノーモーションで発動でき、中級魔法なら少しの溜めだけで発動させることができる。反射魔法を一呼吸の間で発動できてもおかしくはない。
森林一帯に土煙が舞う。
秋蘭はそれを乱雑に振り払いいざマジシャンに正義の鉄拳を打ち込もうとしたまさにその時だった。
突然、闇夜の森林の上空に黒い魔法陣がでかでかと展開される。瞬間、龍の姿を象った稲妻が山の頂上に落雷する。
視界を塞ぐ眩い閃光。それは音よりも速く地を這うように迸り、衝撃が辺りを荒野へと変貌させる。続く轟音は鼓膜を穿つのではないかと思うほど凄まじいものだった。音よりも速い物を人間が避けられる訳がなく、防御が間に合わなかった夏目と秋蘭と新葉は激痛と全身の痺れによって地に伏してしまった。特に秋蘭はその戦闘スタイルからマジシャンに一番近い場所にいたことにより、筋肉が異常収縮を起こし痙攣している。
マジシャンは勝ち誇ったかのように杖を振り上げる。
とどめを刺される。
誰もがそう思ったとき黒きヒーローがその姿を現した。