見渡す限り続く荒野。空に浮かぶ雲は自由に流れているようでその色は重々しい鉛色。吹く風は乾いていて、硝煙の香りが鼻孔を刺激する。目を背けたくなるその景色は砂埃を立ち昇らせ虚しく戦いの痕跡を隠そうとしている。唯一の救いと言えば日は傾き、暁の空のおかげで荒んだ大地にしては気温が落ち着いていた。
荒野の果てには一人の男が両手に短剣を握り立っていた。
男は振り返らず静かに呟く。
「この生き方に意味はない」
――どうして?
誰かが問うた。
「誰も求めていなかったからだ。求めたのは私だけ。自己満足、エゴでしかなかった」
――本当に?
「ああ。私はただ正義のヒーローになりたかったんだ」
男は寂しげな表情を浮かべて双剣を地に刺す。
「君は何かに憧れたことはあるか?」
――ある。
「私はその憧れを実現するためにこれだけの犠牲を払った。しかし、手にしたのは虚しさだけだった」
男を中心に広がる荒野にはありとあらゆる武器が散乱していた。それでも男はまだ足りないとばかりに、犠牲にしてしまったものたちへの手向けのために武器を作り続けた。空いた手に光が灯るや新たな剣が生成され地面に深々と突き刺す。地面から伝わった衝撃のせいか、あるものは砕け、あるものは黄金の輝きを放つもその光には綻びが生じていた。
「問おう。君はそれでも歩み続けられるのか」
男は新たな剣を作り出し、問うてくる人物に突きつける。
問い掛けた者は答えようと口を開けるが声が出ない。どんどん男との距離が離れ、いつしか豆粒のように小さくなっていた。そして、最後に広がったのは全て暗黒に侵された世界だった。
その瞬間、全身に鳥肌が立った。世界を侵した暗黒が身体を浸食し始めたのだ。すぐさま踵を返して逃げようとするが、暗黒が速いのかそれとも吸い寄せられているのか、全く距離が開かない。
このままでは呑まれてしまう。
そう思った時、目の前に一筋の光が差した。それはとても暖かく、優しく包み込んでくれるような声が聞こえた。
誰かが呼んでいる。
誰かを呼んでいる。
「……と、く……あ……と……くん!」
――誰だ? 誰が俺を呼んでいるんだ。
「綾斗くん! 戻って来なさい!」
瞬間、全てが光に包まれた。
綾斗は悲鳴を上げながら勢いよく起き上がった。
そこは暗黒に侵された世界ではなく、伏見邸の儀式の間だった。
「時間にしておよそ三分と言ったところか」
綾斗の名を呼んでいたのは伏見家の頭首である康臣だった。
康臣は整った顔立ちだが、頭首としての威厳を損なわぬように常に鋭い眼光を輝かせていたこともあり、目つきがすこぶる悪くなってしまっている。そんな顔だが声は艶やかで心地よい低音をしているため、綾斗でもつい聞き入ってしまう。
「三分? え、三分ですか?」
「ああ。正確には、綾斗くんは儀式を開始してすぐに気を失った。そして、それから一分ほど経過したところで苦しみ始めた。おそらくフールの記憶に呑まれそうになったのだろう。強制的に引き戻させてもらった。トータルで言うと五分にもみたない。それで成果はあったのかな?」
問われて綾斗は困り果てる。
「それが荒野の真ん中で武器を作り続ける男に『君はそれでも歩み続けられるのか?』って質問されただけでした。その周りには数えきれないほどの武器が散乱してましたけど、多分、フールの記憶を第三者の視点で見たんだと思います」
「そうか。その男はどんな人物だった?」
「とても寂しそうな顔をしていて人生に虚しさを感じたような男でした。だからなのか、彼が言った言葉を全て否定したくなりました。俺は彼を、多分フールを認めたくないです」
綾斗は言っている内に無性に腹が立ってきたのが分かった。それでも感情的にならないのは、その苛立ちを誰に向けても意味はなく、そして、振るうものでもないからだ。その怒りは戦うための活力なのだと理解した。だからか余計に腹が立ってくる。康臣の前でみっともないが綾斗は鬼の形相を浮かべることしか出来なかった。
綾斗がそうしている間に康臣は顎に手を当て一つの答えに辿り着く。
「おそらくフールはありとあらゆる時代の武器を知るため、いくつもの時間軸を渡ったのだろう。そこで出会った第三者から見たフールと考えるのが妥当だ。あるいはフールその者が君に語り掛けているのかもしれないが……」
「あの……いくつもの時間軸って?」
綾斗は胸の奥が締め付けられるような感覚がした。
次の瞬間、脳裏にイメージが流れた。
身体中を数多の剣で串刺しにされた自分。四肢を斬り飛ばされ脳髄をまき散らした自分。縄で縛られ生きたまま焼かれた自分。はらわたを垂れ流し首を斬られた自分。矢を頭部に受けた自分。縄で首を絞められ骨を折られた自分。心臓をえぐり取られた幼き日の自分。絶望して首を吊って自殺した自分。一瞬の内にそれらの殺された、死んだ自分が止めどなく見せられた。
怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。怖い。恐い。コワい。
綾斗は恐怖で全身を震わせ呼吸が荒くなり、肩を上下に揺らしながら膝をつく。
康臣は駆け寄り綾斗を落ち着かせる。
「す、すいません。急に嫌なものを見せられて」
「嫌なもの?」
「こ、殺された自分です」
綾斗の表情が暗くなっていく。
余程の殺され方をしたのだろう、と思い康臣は先ほどの質問に答え、少しでも気を紛らわせようとする。
「タロットの中には時を操る魔法もある。さて、話はここまでだ。いつまでもパジャマ姿では伏見の養子として少々見苦しい。執事に君の服を用意させる。自室に戻るといい」
綾斗はそこで疑問に思った。
「自室?」
「ああ。ここ、伏見邸は綾斗くんの家でもあるからね。君の部屋があって当然だよ。もちろん梨乃くんの部屋もある。今回のように重傷を負って谷坂家に帰ることができない状況になった場合はここに泊まるといい。梨乃くんもここにいれば安全だからね」
「お気遣いありがとうございます」
綾斗は言って儀式の間を後にした。
儀式の間に残った康臣は顎に手を置き考える。
「幾度の死のイメージに『それでも歩み続けられるのか』という問い。いくつもの時間軸を渡ったと思われるフール。まさか……タロットは最高峰の魔法であるが、その中には霊獣を呼び出す召喚魔法もある。仮に人間を召喚し、タロットにその記憶と能力だけを定着させたとするならば……いや、まさかな……もしそうなら、倫理というものを逸脱している」
康臣は深呼吸をして儀式の間の片付けを始めるのだった。
☆☆☆☆☆☆
綾斗の自室というのは綾斗が最初に目を覚ました部屋のことだった。てっきり綾斗は医務室か何かだと思っていたため、自室までの道はほとんど覚えていない。おまけに自室では梨乃が顔を洗ったと言うのに二度寝をしに行っていたはずだ。早く行って起こしてあげなければならない。
偶然にも春菜と鉢合わせした綾斗は自室まで案内してもらえた。
そして、自室には梨乃の隣でなぜか秋蘭が眠っていた。
「あちゃー。起こそうと思って一緒に寝ちゃったって感じだね」
「妹に添い寝できるのは兄の特権なんだけどな」
「谷坂くんてシスコンなんだね」
春菜は軽口を叩くと洗面所に行ってしまった。
綾斗は呆れて溜息をつき、二人を起こそうと手を伸ばしたまさにその時だった。扉がノックされ綾斗の返事を待たずに扉が開かれる。現れたのは綾斗の服を持って来たライトグレーの髪を腰の辺りまで伸ばした美少女――新葉だった。
「ち、ちょっ! あんた何やって……」
新葉は顔を真っ赤にして言う。
当然と言えば当然の反応だろう。
傍から見ればパジャマ姿の男子高校生が前かがみになって眠っている女子中学生と女子高校生に手を伸ばしているのだ。矢で射られなかっただけましである。
「何って二人を起こすんだ。新葉も手伝ってくれ」
「え、あ、分かったわよ。アンタなんかに姉妹を触らせないからね」
毒を吐きつつもやけに素直に聞くな、とは言えず綾斗は梨乃を起こし、新葉は秋蘭を起こす。
秋蘭は涎を拭いながらゆっくりと立ち上がり伸びをする。梨乃もまた目を擦ってから大きく伸びをする。
失礼な話だが中学生の梨乃と高校生の秋蘭が同い年に見えてしまったのは否めない。
綾斗がそんなことを思っていると、秋蘭がバッと振り返り起こしてきた二人を見つめる。
二人はあまりにも見つめられている理由が分かり過ぎて、驚きの余り肩をビクつかせてしまった。
「何とは言わないけど、この秋蘭さんでも怒る時は怒りますからね」
秋蘭は頬を膨らませながら言う。
「秋蘭ってあれだな。天然可愛いだな」
「そうよ。だから男子生徒は皆いちころなのよ」
早く行くわよ、と付け加えて新葉は秋蘭を無理矢理綾斗の部屋から引きずり出した。梨乃もそれについていく形で綾斗の部屋を後にした。
綾斗はやっと静かになった自室でそそくさと服を着替える。一人で使うにはあまりにも広い自室は豪華と裕福に溢れ、どこかそわそわしてしまう。それでもそこが自室だと認めざるを得ないのが現実である。綾斗はパジャマを綺麗に畳み、ベッドの上に置いてから朝食を取るため食堂へ足を運んだ。
☆☆☆☆☆☆
朝食を終えた綾斗は冬香と夏目に頼み込み訓練場へと足を運んでいた。
そこは常盤桜花学園高等部の体育館よりも広く、あらゆる防御魔法が刻まれた特殊な壁で覆われている。そのため、タロットカードの魔法を本気で使わない限りはビクともしない。そんな所に女子高校生二人と男子高校生一人が向き合って立っている。普通の絵面に見えるだろうが、その手には各々の武器が握られている。
綾斗は二振りの剣。
夏目は身の丈ほどある木製の杖。
冬香はMP5Kというサブマシンガンを二丁携えている。
一人だけ銃火器という異彩を放っているが、これは列記とした訓練であって一方的に綾斗を痛めつける訳ではない。
「それじゃあ頼む」
綾斗は言ってから後方へ大きく跳び距離を取る。それでも二丁のMP5Kサブマシンガンの射程距離であり、夏目の操る魔法の効果範囲である。
「始めてくれ」
綾斗は深く構える綾斗。
冬香はいつもの寝ぼけた顔とは違い、真面目な面持ちで引き金を引く。瞬間、二つの銃口から一斉に魔力弾が発射される。
綾斗にとって本物のサブマシンガンがどの程度の威力を誇るのか見当もつかない。しかし、放たれているのが魔力弾であるためその威力は未知数だ。さらにマガジンと魔力弾の動力源となる魔力が尽きるまで撃ち続けることができる。考えただけで背中に悪寒が走る。
それでも綾斗は迫りくる弾幕の嵐に自ら跳び込む。魔獣と戦う際の身体能力ならばその超人離れした反射神経で対応できる。そう思い少年は二振りの剣を振るい魔力弾を次々と弾いていき、弾幕の隙間を縫うようにしてどんどん前に進んでいく。
「それではいきます」
夏目が冷静に呟くと杖を突き出す。
「反射魔法――『
それは綾斗を中心に半径百メートルの半球体のドームを作り出し、それとは別にドームの至る所に半径三十センチほどの小さなドームを無数に展開する。
綾斗は全体を見渡し、警戒しながら剣を構え直す。
ここからがこの訓練の本番なのだ。